第二百二話 英雄譚
小雨の音が優しく耳を撫でる。
僕はうっすらと目を開け、わずかに光を得た風景を視界に収めた。
どこだ、ここ……。
鈍く動く頭の中を探して、ようやく見つけ出した答えが、女神様の神殿だった。
薄暗い。〈ダークグラウンド〉の空か。
雨が降ってる……。
空の上の神殿に今までそんなことがあっただろうかと思い出そうとし、僕はなぜか突然にそれを理解した。
あ、これ夢だ。
どうしてかはわからないけど、わかった。
明晰夢。夢の中で自分が夢を見ていることを自覚でき、ある程度自由に動き回れる夢。
僕は柱を背に、いつもの広場に座っているようだった。立ち上がり、周囲を見回す。
誰もいない。
夢の中だからか、それとも小雨のせいか、神殿はどこかくすんだ色合いをしていた。何だか老朽化しているふうにも見え、うら寂しさが募る。
だからだろうか。何だか妙に物悲しい。
それと、わずかな苛立ち。
僕は泣きそうになっている。
それをこらえつつ、立ち上がって歩き出す。
声を上げるとせっかくの明晰夢が終わってしまう気がして、黙ったまま。
神殿には誰もいない。
石材は苔むし、木の扉は傷んでいた。
……何だこの神殿。誰も手入れをしていないのか。
というか、誰も住んでいないのか?
僕はある部屋の前で立ち止まる。
何の目印もないけれど、×××××の部屋だと知っている。
少しためらってから扉を開ける。
そこには――――――
――――
――!
僕は二度目の目覚めを認識した。
「あ、起きた!?」
一斉にみんなが後ずさった。
「何してんの?」
僕は目をこすりながらたずねる。
ここは……地上神殿の入り口前にある柱の根元だ。
「騎士様が、寝てる、って騒ぎになって……」
驚いた顔のパスティスが言った。
「昨日もその前も寝てたと思うんだけど……」
睡眠が取れると気づいたのは、僕が名と顔を得たその日のことだった。
これまで僕は、一度も睡眠をとったことがなかった。
夜、神殿の柱に寄りかかって座っていることはあっても、眠りの時間はなかった。それで全然平気だったし、そもそも眠れなかった。
そんな感じだったから、寝ていた僕が発見された最初の朝は大変な騒ぎだった。再び騎士としての眠りについたと思われて、即座に叩き起こされたくらいだ。
僕は脇に置かれている兜に目をやる。
不思議なことに、僕の顔は兜をつけ直すと消える。
どうやら脱いだ時のみ本来の形を取り戻す仕様らしい。運動能力に差はなかったけど、防御面からも兜は装着しっぱなしがよさそう。
「いやー、騎士殿の寝顔は貴重だからさあ。パスティスなんか、明け方からずっとしゃがみ込んで見てたんだよ」
マルネリアがニヤニヤしながら言うと、パスティスが顔を赤らめて伏せた。
「静かで、優しそう、だった、から」
アルルカもうなずき、
「目を見開いて寝ているかと思ったら、普通に閉じていて安心した……」
魚か僕は。相変わらずヒューマン性が低い。
あとこの扱い、やっぱりペットなんじゃない?
寝てる子犬とか子猫が起きるシーンとか、無性に見たくなるだろう?
でも寝てるツジクローと起きたツジクローのアニマル動画をネットに上げても誰も喜ばねえよ!
にしても……。
口々に人の寝顔の感想を言い合っている仲間たちを尻目に、さっきの夢のことを思う。
まただ。
体を得てから、眠るたびにあの夢を見ている気がする。
夢の中で感じる物悲しさと小さな苛立ちは、目覚めと共にあっという間に溶けていき、何がそんなに悲しかったのかまるで理解できない。
まあ夢なんてそんなもんだろうとは思うけど、連続して見るのは奇妙だ。
そんなことを考えていると、エプロン姿のアンシェルが現れ、
「ごはんよ」
と、素っ気なく告げた。
※
「うまあじすぎる!?」
先日、リーンフィリア様手製のジャムを塗ったパンを、ついに初めて食した僕は、そう叫んでかつてない衝撃に全身を震わせた。
《いちごジャム! いちごジャム!?》
主人公の狂ったような絶叫も気にならない。
甘味や酸味の絶妙なバランスは言葉でも説明できるとして、口に含んだ瞬間、咀嚼した直後、嚥下した後にまで何段階もの味覚的快楽が押し寄せてくるのは、おおよそ言語で形容できる領域を超えている。
何だこれ……。本当に食べ物なのか?
これはヤツが夢中になるのも無理はない。
思わず頭の中で、主人公といちごジャムの輪唱をしてしまったほどだ。
あれから数日を経て、そこまでカーニバルをするほどでなくなっても、リーンフィリア様のジャムの味はいまだに飽きを知らなかった。ていうか、これに飽きたら人としてヤバイ。何て言うか、体が喜ぶ味なんだよなあ。
「騎士様。わたしも料理の練習、した、から。食べて……」
その日の朝食でパスティスが勧めてきたのは、グレッサリアでは一般的な豆料理だった。
豆の噛みごたえがほどよく、白いスープもチャウダーみたいで美味しい。
「へえー。パスティスは腕を上げたねえ。これは物件価格上がっちゃうねえ」
「わ、わたしは最初から料理の味などどうでもいいし(震え声)」
マルネリアとアルルカは食べる方専門らしいが、そうかあ、みんないつもこんなおいしいもの食べてたのかあ。
「ど、どう……?」
おずおず聞いてくるパスティスに、
「うん。美味しいよ。何だかほっとする味。実家みたいな。作ってくれてありがとう」
「あっ、こ、こちら、こそ。ありが、とう……」
彼女は顔を真っ赤にしてうつむいた。
「言っておくけど、その子に料理を教えてるのはわたしだし、普段作ってるのもわたしだからね」
アンシェルがスプーンを突きつけながら念押ししてくる。わかってるよ。一応、食べなくとも食卓にはいつもいるんだし……。
それにしても、やっぱりみんなと食事ができるっていうのは楽しいものだ。
食べてるものに対して自然と話題が出てくるし、何より、同じものを食べて同じ笑顔になれるっていう一体感がある。
そうして食事にまつわる話を転がしていくうちに、いつの間にか僕の話になった。
この中で唯一自己紹介をしてないようなものだったからね。
そこで僕はある一つの告白をした。
『異世界から来た!?』
テーブルの全方位から向けられた大声に、僕は思わず苦笑いを返していた。
「つまり先代の騎士様は、異世界から後継者を選んできたということですか」
飲みかけのスープの手を止めたまま、リーンフィリア様が聞いてくる。
「はい。死にかけているところを、間一髪で」
「どんなところ、なの?」
と、今度はパスティス。他のみんなも興味津々だ。
「平和なところだよ。少なくとも僕の住んでいたところは。こっちに比べれば全然ね」
それを聞いたアンシェルが、
「その平和に馴染めずに暴れる場所を求めてやってきたってわけね」
『ああ……』
えっ……。何でみんなうなずいてるの!? どういう意味!? いや僕そこまで危ないヤツじゃなかったじゃん! 無茶なこともまれによくやっただけでしょ!?
「でも、どうして前の戦いのことを詳細に知っていたのですか?」
再びリーンフィリア様。これはちょっと伝えるのが難しい話だ。
素直にゲームでやりましたなんて言っても、まずゲームが何かがわからないだろう。遊戯と勘違いされるだけだ。
「ええと、説明しにくいのでイメージになっちゃうんですが、僕の世界には、誰かの冒険とか英雄譚を追体験できる道具があるんです。そこにリーンフィリア様と先代の戦いの話があって、僕はそれが大好きでした」
「わっ、わたしたちの戦いが、異世界にまで鳴り響いていたのですか?」
そのあたりどういう関係性だと理解すればいいのかさっぱりわからないけど、確かにこっちの世界から見たらそう解釈できるよなあ。
まあ、わかりやすければ何でもいいだろう。僕がリーンフィリア様に同意を示すと、みんな興味深そうにうなずいていた。
もし仮に、ゲームがすべてどこかの世界とリンクする物語だとしたら、僕の生まれた世界は相当にヤバイ場所だ。異世界の多くの戦いが眠っている。ある意味どんな異世界よりも特異かも。
僕はよく知った世界だったからまだいいけど、全然知らないとこに引きずり込まれたりしたら大変だろうな。
あと、あれだ、作りがヤバいゲーム。たとえば、難易度がおかしいとか、そもそもクリアできるように作られてないとか。
十年以上前に発売されたのに、今でも熱心なフリークスが研究を続けてるっていうバグまみれのクソ神ゲー(彼ら談)もヤバいな。あんなとこに行った日には、経験者でもまともに生活できないだろう。まあ、そんな世界にピンポイントで突入する不幸なヤツ、まずいないと思うけど……。
「わたしの名前が異世界にまで……。こ、困りましたね……」
「顔がにやけとるぞリーンフィリア」
「に、にやけてなどいません! おまえこそ驚いて話についてこれないのではないですか?」
ツッコミを入れたディノソフィアに噛みつくリーンフィリア様。が、すでに食卓を囲って違和感のない邪ロリは涼しい顔で、
「驚く? 何にじゃ? こやつが異世界人だったことか? 別に珍しいものでもあるまい。死者の国とて異世界のようなものじゃ。それに、異世界人ならわしの知り合いにも一人おるしの」
「ぐっ……」
うめくリーンフィリア様。てかちょっと待て。他にも異世界人がいるだと……?
いや、別に僕と同じところ出身とは限らないか。それにこいつのことだから、単にからかっているだけかもしれない。これまで、それらしい人に会ったことはないし。
「ねー、ボクたちのことは異世界には届いてないの?」
にらみ合う神魔二人はいつものことと放置して、マルネリアが聞いてきた。
「うん。残念だけど、戦いは先代の目線で話が進むから、ここにいるみんなは出てこないんだ」
続編もああいう末路なので、これからの期待もない(絶望感)。
「残念だな。異なる世界にまで名を轟かせられれば、戦士としては最上の誉れだろうに」
アルルカがそうぼやいた時、神殿の外で鐘の音が響き渡った。
狩りの始まりを告げる合図だ。
僕は兜を引っ掴み、パスティスとマルネリアも席を立つ。
たとえ顔と名前と正体が割れても、日々の仕事に変わりはない。
さあ行こう。
「騎士様」
出がけに、パスティスが小さな声で言った。
「騎士様の世界、いつか、行ってみたい、な」
「この戦いが終わったら、方法を探してみようか」
「うん」
…………
……………………。
あれ、僕今日死ぬ?
タタロー「へーちょおおおおおお!」
グリフォンリース(ヘンなくしゃみであります……!)




