200回突破(してしまった)&主人公顔バレ記念番外編:ハイスクールオブコレジャナイ
何だこの話!?
春は憂鬱な季節だった。
刺すように寒い冬が終わり、短い通学路が徐々に歩きやすくなっていくのを肌で実感できても、その印象が覆ることはない。
暗鬱なイベント。
クラス替え。
パスティスは、寮の自室にある姿見で自分の制服に乱れがないことを確認すると、すぐに視線を外へと向けた。
自分を見ていたくない。そして見られたくもない。
それが、彼女が思うただ一つのこと。
けれど今日、高校二年生になって初めての登校日。彼女は新しいクラスメイトから、好奇の視線と質問を向けられることが当然のごとく定められていた。
右腕の長い爪。竜の左足と尻尾。角や瞳の色。キメラの体について。
(やだな……)
できるだけ多く、去年のクラスメイトが残っていてくれればいいが。
この学校には人間だけでなく、エルフやドワーフや神様や悪魔まで通っている。数か月もすごせば、自分の見てくれがその中に馴染んでいくものだとわかっていても、初日に味わう苦い気分だけはどうしても慣れなかった。
初日をサボったところで、日が一日ずれるだけ。むしろ、余計に大きな注目を浴びることになる。
(わたしは影。わたしは影……)
路傍の石ころになりたいと念じながら、彼女は校舎への短い道を歩き出した。
※
教室の窓から見える校庭には、朝練を終えた野球部のドワーフたちが、“手製”の金属バットを肩に部室へと引き上げていく様子がうかがえる。
顧問兼監督をのぞく全員が美少年という異質な集団は、しかし周囲の多種多様な視線などお構いなしに、汗と土にまみれた純朴な笑顔でじゃれ合いながら歩いている。
高いフェンスで仕切られたテニスコートの奥では、練習を終えたばかりのソフトテニス部のエルフたちが剣呑な空気を放っているのが見えた。
種族の伝統として貧乳と巨乳による対立がある他、紅白戦ならぬ貧巨戦によるライバル意識もない交ぜになって、両派閥の確執は日常生活にも及んでいる。
そこに入ることができない微乳勢が、そそくさとラケットをしまって退散していく様子を見たパスティスは、何だか自分に近いものを感じて少し微笑ましかった。
そんなエルフの派閥争いだが、貧乳派と巨乳派のリーダーが裏でこっそり付き合っているという噂は本当なのだろうか。
もし本当なら、きっと大変なことになるだろう。
朝練を終えた生徒たちと入れ替わるように校庭に入ってきたのは、タイラ部の人々。
運動靴が荒らした地面を、巨大なローラーを転がして整地していく。
いつ設立された部なのかは定かではないが、野球部や陸上部が自分たちでやると主張する整地作業を横から強奪し、我が物としてしまったという逸話が、ごく平然とまかり通ってしまう程度には伝統化している。
ただ、野球部はピッチャーマウンドまで真っ平にされてしまうため、初期のころはかなりの悶着があったという話はどこかで聞いたことがあった。
ちなみに噂にすぎないとは思うが、タイラ部は工学分野にも強い権力を持っているらしい。
タイラ部には特殊な研磨技術が伝えられており、どんな金属も誤差0・0000000001ミリ未満に均してしまうという伝説がある。末尾の1の数字も、計測できる数値がその一桁前までという理由にすぎず、観測上は完全な0と同義だ。
こうした完全な平面同士が密着すると、名刀に切られた野菜をくっつければ元通りになるかのごとくピタリと接着されて動かせなくなってしまうので、タイラ部はこの秘術を封印することにしているらしい。まあ、あくまで噂であり、詳細は不明。
本当に、この学校の不思議は七つでは到底枠が足りない。
今更ながらそんなことを思いつつ、パスティスは極力向けないでいた視線を、教室内へと戻した。
(どうしよう……)
知らず、ため息が出た。
新クラスに、一年生からのクラスメイトは数名しかいなかった。
しかし、今となってはそれも贅沢な悩みだ。
教室窓際一番後ろという、オセロの角並みに強い席をもらえたことは、ある種の幸運ではあったものの、それすらも霞ませる隣の席の男子の存在。
名前は確か、ツジクロー、君。
本当は、辻、久郎という名前だけど、全体が短いせいか誰からもいちいちフルネームで呼ばれていて、それがあだ名みたいになっている。
学年きっての変人だ。
気に入らないものには何でも噛みつく。別に不良というわけではなく、外見も普通で授業も真面目に受けるが、以前、学校がポニーテールを「扇情的だから」という理由で禁止しようとした時は、全校朝礼をジャックして校長に撤回を要求する騒ぎを起こした。
この件は、続報と合わせて校内新聞のトップを三回連続で飾り、最終的に全校生徒の七割を扇動して髪形の自由を勝ち取っている。
問題児には違いないが、それでも表立って処分されないのは、学生自治を重んじる生徒会長のリーンフィリア先輩と裏で繋がっているからという噂もあった。
そして少し離れた席には、またさらに別の問題児。
はらからであるドワーフ族からも恐れられる、歩くバスガス爆発こと超兵器研究会のアルルカ・アマンカ・エルボ。
また、校内で発生する修羅場の九割を占めるエルフ族の中でも魔女と畏怖される、魔導文学部のマルネリアまでいる。
スクールカーストのピラミッドの横でうずくまるスフィンクスのような「猛獣」指定の少年少女が、どうして一学年十クラスもある教室のたった一つに集結するのか。パスティスにはこれがわからなかった。
(どうしよう。もしあんな人たちに目をつけられたら……)
毎日のように、この手足のことを言われるかもしれない。特に隣の席の少年は、おかしいと感じたことに対して徹底的に自己主張する。このキメラの体を、そう判断しないはずがなかった。
(どうか気づかないで。わたしのことなんか知らないままでいて)
パスティスは狭い席の中に尻尾を丸め込むようにして体を縮こまらせた。
早くホームルームが始まってほしかった。担任教師はまだ来ない。校庭からはタイラ部も引き上げてしまった。眺める振りをして視線を逃がすこともままならない。
が。
「やあ、僕はツジクロー。一年間よろしくね」
むこうから声をかけられてしまった。びくりと肩を震わせ、無視するわけにもいかずに冴えない眼差しを彼に向ける。
「わ、わたしは、パスティス。よろ、しく……」
焦ったせいで、ぎこちない話し方になってしまった。
「パスティスは、キメラなの?」
単刀直入な質問に、パスティスは不格好な笑みを浮かべ、
「うん、そう、なんだ……」
「そっか。片方だけニーソに見えたから、ちょっと驚いたよ」
「これは、竜の足、なの。左足だけ。変、だよね……」
指摘される前に自分から卑下しておけば、そこから先の会話で傷は小さくなる。これまですごしてきた中で、彼女が学んだ数少ない自衛法。
しかし彼はきょとんとして、
「いや、別に変じゃない。カッコいいと思う」
「えっ?」
カッコいい?
「ん、いや、やっぱりコレジャナイ……」
「あ……うん……」
「やっぱり靴下の長さが合ってない!」
「ええ?」
短い会話のうちに三回も表情を変えさせられ、パスティスは何がなんだかわからなくなってきた。
「右足、ニーソにしたらどうかな。黒の! そうすれば、左足と釣り合いが取れてバランスがいいと思う。是非そうすべきだ! いや、ただバランスがいいというだけじゃない。ニーソにはもっとたくさんの魅力が――」
続く話に圧倒される中、ちらりと自分の右足を見た。白のショートソックス。目立たないことだけを考えて選んだ無難な市販品。
この人は、キメラの手足じゃなく、こんなどうでもいいものについて話してるの?
体を押さえつけていた緊張から突然手放されたように感じ、パスティスは思わず机にもたれかかってしまった。
※
放課後、さりげなくぼってくることで有名な天使の購買部で、二―ソックスを買ってみた。
竜の足に合う靴下はないので、一足買うと二枚分の使い回しができる。少しだけお得だと思ったのは、まだ他人の目線をそれほど怖がらなかった子供の頃だったか。
自室に戻ってベッドに座り込み、慣れない動作でニーソに足を通すと、パスティスは恐る恐る鏡の前に立った。
黒い竜の左足の鱗は、ニーソの長さと絶妙な位置で揃っていて、まるで、この衣料品が自分のために作られたような特別な気分に陥る。
「そんなわけない、けど……。でも……」
横を向いたり、後ろを向いたりして、自分の姿を確かめる。
「おかしくない、よね……」
いつになくそう思えた。
それでも念のため、もう一度丹念に自分の姿を見つめる。
ふと気づいた。これだけ長く鏡の前にいたのは、いつ振りだろう。高校の制服に初めて袖を通した時でさえ、すぐに見るのをやめてしまったのに。
パスティスは何だか不思議な気分だった。
彼は、これを見て何と言うだろう。
初対面のこちらに、あれだけ熱量を発しながら語っていた彼は。
怖いけど……聞いてみたい。聞かせてほしい。
他人の感想が聞きたいだなんて初めてのことだった。
いつしかパスティスは、明日学校に行くのが楽しみになっていた。
※
朝。パスティスは勇んで寮を出た。
心臓が高鳴っていた。どうしてこんなに緊張するのか、わからない。
でも、なぜか。今日は人から見られても、少しだけ怖くない。
教室に着く。二日目だから、まだよそよそしい空気がある。
彼は来ていない。
パスティスは席について待った。校庭は見なかった。教室に下げられた時計の秒針が一周するごとに、胸が熱くなっていくのを止められない。
「おはよう」
彼が来た。
パスティスは前を向いたまま動けなかった。授業中のような正姿勢。
頬があつい。心臓がうるさい。うるさい。うるさい。
隣で机の上に鞄が投げされる。椅子が引かれ、彼が座る音がした。
次は。次は。次は。わたしに。声を――
「……………………」
が、いつまで待っても彼からの呼びかけはなかった。
前を向いたまま、パスティスは全身が急速に冷えていくのを感じた。
(うん……そう、だよね……)
何を期待していたんだろう。
人から、何を言ってもらえると思っていたんだろう。
直前までの自分の浮かれ具合が滑稽だった。靴下を変えたくらいで、一体、自分の何が変わるんだろう。何も変わらない。
彼からしても、別に何でもないこと。
彼はきっと、単にニーソが好きだったんだろう。そして隣のキメラ女が言う通りニーソをはいてきた。それ以上でもそれ以下でもない。取るに足らないできごとにはノーコメント。それが世の中の普通。
落胆は、きっと筋違い。彼は悪くない。
こちらが勝手に舞い上がって、勝手に落ちていっただけ。
このまま何事もない一日が始まれば、それこそ、自分が願っていた平穏だ。
わざわざ藪をつつく必要がどこにある?
それでも。
今日は何かが違った。望んでいることが違った。そうなった自分が少しだけ嬉しかった。
このまま終わってもいいのか?
いやな、気がする。
だから今日だけ、少しだけ、違うことをしよう。
ニーソに履き替えたこと。それだけは伝えよう。三度深呼吸を繰り返して、それでも心の準備ができず、もう一度足してから、パスティスは意を決して彼の方を見た。
「ひっ……し、死んでる……!!?」
隣の席には、頬がこけ、土気色になったツジクローが机に横向きに突っ伏し、白目をむいていた。口からは白い浮遊物がはみ出して、天を目指しかけている。
「ど、どうしたの?」
思わず席を立って近づくと、
「生徒会のアンシェルと……徹夜で……生徒会長の体操着はブルマか短パンかスパッツかで……舌戦を……」
(へ、変態だ……!)
パスティスは恐れおののいた。生徒会長が何を着るかの趣向ではなく、そんな話題でここまで精魂尽き果てられるエネルギーの燃焼法が変態的だった。
「あれ……パスティス、ニーソにしたんだ……?」
白目のままツジクローはこちらに気づいた。
「えっ、あ……。うん……」
我を失っていた理性が急に戻ってきて、パスティスを硬直させる。そうだ。それを言うために――
「うん、コレだよ……! 僕が求めていたのは。やっぱり似合ってる。いいと思う、すごく可愛い」
「――!!」
不意打ちに、すぎた。
言ってほしかったこと。言われてみたかったこと。全部、身構えていない無防備な胸の一番奥に届けられてしまった。
「あっ、ありが……」
お礼を言おうとする舌がしびれ、胸から熱いものが湧き上がってきた。気づいた時にはもうこらえようもなく、目からこぼれ落ちていく。涙が。止まらない。
「えっ、どうしたのパスティス?」
彼が慌てふためくのが、涙越しにわかった。
心配させてしまっている。
「ごめん、なさい。ごめん、なさい……」
もれる嗚咽を必死に噛み殺しながら謝った。
「あっ、せんせー。ツジクローがパスティスさんを泣かしてまーす」
「何じゃと。おいわしのクラスでイジメか? イジメられてる方は力の使い方を教えてやるから後で職員室に来い。イジメてる方は覚悟だけ完了させておけ」
「ち、違っ……」
教室がざわめき始める。どうやら、いつの間にか担任も来てしまっていたらしい。
パスティスはさらに慌てて釈明しようとした。
「ごめんなさい。違う、んです……違うんです……っ!」
「せんせー。ツジクローがパスティスさんを泣きながら謝らせてまーす」
「何じゃと……。おい誰か、処刑――もとい生徒指導のオメガを呼んでこい。クソガキの原型はあってもなくてもかまわんと言え」
より教室内の状態が悪化していく中、すっと立ち上がる一つの気配。
「収拾がつかなくなってきたようだね先生。ここはボクに任せてくれないか」
「座れマルネリア。おまえが出てくると延焼しかせん。誰のせいで二人ほど停学中だと思ってる?」
渋々座るマルネリアを見て、次の人物が立ち上がる。
「オチが必要か。わたしにいい案がある」
「やめろアルルカ。おまえも座っとれ。一年の教室二つ吹っ飛ばしたの忘れてないからな?」
アルルカも渋々座った。
結局、場を仕切り直しにしたのは、ぼんやりとした音で響くチャイムだった。
※
「大丈夫かい? 情念のもつれは大変だよね。ボクならいつでも相談に乗るよ」
「苦しい時は素直に逃げるのが得策だ。少し後退すれば、案外すんなり通れる脇道が見つかることもある。ドワーフの教えだ」
「うん、ありがとう。大丈夫。何でもないから……」
休み時間、パスティスはクラスメイトから激励の束を受け取っていた。
彼は悪くないと必死に説明したのだが、教室端では、
「がっかりしましたよパイセン。ニーソ女子を泣かすとか、ニーソ部(通称ソブ)の風上に置けないっす。代表の座はもらいますね」
「いや違うんだよアルフレッド……。それに、パスティスは昨日まではニーソ女子じゃなくって……。わ、わかってるって、愛用してる時間の長さじゃないってことは……」
何やら下級生の男子にまで取り囲まれて説教されている。すぐにでも擁護に向かいたかったが、集まった女子たちの壁は厚く、椅子から立ち上がることさえ許してはくれない。
「へえ~、パスティスってキメラなんだ」
「う、うん……」
「尻尾キレイ~」
いつの間にか話はそれて、キメラの容姿のことに移っていた。
普段は聞かれるごとに胸が重くなっていく質問が、なぜか今日は、それほど苦しくない。
その理由はきっと。
「ニーソ可愛いね。似合ってる」
「ありがとう……」
認めてくれた人がいたから。
たった一言で世界の見方を変えられてしまった。
一人でも自分の姿を良いと言ってくれる人がいるだけで、こんなにも怖いものが減る。
きっと最初から、この姿を貶している人なんていなかったのだ。
いたとしたら、それは自分自身。自分が一番、自分の姿を嫌いだった。だから何を言われても、嫌な気持ちしかしなかった。
でも昨日。そして今日。そんなこと少しも考えずに朝起きて、学校に来て、彼の言葉を待っていた。そんな時間を持てたことが、何より驚きだった。
彼にちゃんと知らせたい。
あなたがわたしにしてくれたことの大きさを。
どうやって伝えよう。
どうすれば知ってもらえるだろう。
わたしを。
それを考えるのは少し怖かったけれど、同時に、楽しくもある。
ツジクロー。その名前と顔を思い浮かべるだけで、パスティスはこれからの学校生活がとても幸せなものになる予感がした。
タイラ神「わたしの出番は……<◎><◎>」




