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第百九十九話 悪魔と同居する神殿

「礼は言いません」


 ティーカップを両手でくるむように持ったリーンフィリア様が、正面の招かれざる客に厳しい目を向ける。ちなみにポニテはとっくに解いて元の髪形だ。


「では、二日間逃げ出さずにきちんと剣を振り続けられたことを礼としておこう」


 対するディノソフィアはテーブルに頬杖を突き、住人が差し入れたクルミのパイを行儀悪く口に放り込みながら答える。


「用が済んだらさっさと帰りなさい」

「済んでいないので帰らぬ」

「迷惑です」

「知らぬな」

「帰りなさい」

「のじゃ」


 ティータイムのテーブル上で神魔の軋轢をちりちりと散らせる二人に、僕たちは思うように発言できないでいた。


〈不滅なるタイラニー〉誕生から早一日。

 案の定、ディノソフィアは勝手に地上神殿の地下室に住み着いていた。


 僕らが天界でもがいている間に、ディノソフィアはグレッサの民に自己紹介をし、女神様サイドの味方だと信じ込ませてしまったようだ。


 これは僕の世界の話だが、一説によると、全知全能である神様は、なぜか悪魔が人間をたぶらかし、悪事をそそのかすのを黙認することがあるという。


 助けてくれればいいのに、なぜ神様はピンチの人間を放置するのか?

 それは、人間がその誘惑に打ち勝てるかどうかを試すためだ。


 無害で無菌な温室に手厚く守られた者では、いざその守りを突破してくる本当の脅威が現れた時に手も足も出ない。

 絶えず試され、量られ、常に乗り越え続けなければいけない、ということなのだろう。


 グレッサにそんな思想があるかどうかはわからないけど、こうした解釈が実際にある以上、悪魔=試練を課す者という好意的な構図を描くことは不可能ではない。


 しかもディノソフィアは、リーンフィリア様に刀を振らせる一方で、グレッサたちに土地の状態についての不満がないかをたずねていたそうだ。


 そして、見事にその不満を解消する、雪原の新芽を吹かせてみせた。

 グレッサたちは、リーンフィリア様が、悪魔が課した試練を乗り越えて土地に恵みをくれたと信じて疑わない。


 ……周到だ。

 ここが植物が育ちにくい土地だなんて一目でわかる。リーンフィリア様に土壌改善の能力があることを、ディノソフィアはすでに知ってもいただろう。


 わざわざ人に不満を聞いたのは、その既成事実を作ることによって、本来普通に女神様がレベルアップするだけのイベントを、街の問題をまた一つ解決したという事実に置き換えたようにも見える。


 これによってディノソフィアは、試練を与えた者としてグレッサの心をがっちり掴んでしまった。

 すでにファンから差し入れまでもらっている歓迎ぶり。

 悪魔を受け入れる土壌は元々あるにせよ、これが偶然と言い切れるか?


 色々アレなカルツェに至っては「リーンフィリア様万歳、ディノソフィア様十一歳!」とのたまう始末。やはりヤバイ。


 ちなみに、救出に来たアディンたちを止めたのは、リーンフィリア様本人だった。

 鍛錬を真面目にやり遂げたということは、やはり思うところがあったのだろうか。僕たちに過保護にされているという。


 そんなことはないのに。

 結構無茶振りしてるし。


 特に、腕力でなく話力が必要になる住人たちへの説得の場面では、リーンフィリア様の信頼度と優しくも力強い言葉が頼りなのだ。

 女神様の強さは、剣の強さとは別のところにあり、それは十分に人を救っている。


 が。そんな僕の思考を別世界に置いて、二人の言い合いは続いていた。


「おまえに使わせる部屋はありません。地下室から出ていってください」

「の~↑じゃ~↓」

「おまえに出す食事もありません。食べるのをやめてください」

「のじゃのじゃ(ロボ声)」

「ちゃんと答えなさい!」


 ナメくさった返答に焦れたリーンフィリア様が怒気を吐き出すと、ディノソフィアはニヤリと笑って、聞き役に徹していた僕らを一瞥した。


「やけに刺々しいのう。この前までおっとりしておったくせに。おまえの騎士どもも、そんな主人の本性に驚いておるようじゃぞ」


 リーンフィリア様ははっとなり、


「ち、違いますっ。わ、わ、わたしは猫をかぶっていたわけではありません。みなの前では、何も不満がなかったというか、怒る必要がなかったというか……」


 わたわたと釈明する彼女に僕は両掌を向ける。


「大丈夫です。珍しいリーンフィリア様だなとは思いますけど、別にそれが本性だとかは思いませんから」


 仲間たちもうんうんとうなずき、


「むしろ普段よりのびのびしてるかなーって。ボクたち、女神様に遠慮させちゃってた?」

「そ、そんなことありませんよマルネリア! のびのびもしていません! この悪魔が全部悪いのです!」

「ノゥジャー(アメリカ語風)」

「ううう~!」


 どういう意味だかさっぱりわからないが、ナメてることは確かなディノソフィアの変な鳴き声に、リーンフィリア様はうつむいてわなわなと肩を震わせた。


 より神々しい〈不滅なるタイラニー〉を手に入れたというのに、仕草や態度は、むしろ普通の女の子に後退してしまったみたいだった。


 天敵が近くにいる生活というのは、色々と人の態度を変動させるものらしい。

 孫家にいる時のピッコロさんもこんな気持ちだったのかもしれない……。


「わたしはただ、昔のことを調べに天界に戻っただけなのに……」

「神殿に地上のことなど何も残っておらん。調べたければこの街を調べるがいい」


 ぞんざいな口振りに、僕はあることを思い出す。


「そういえば、おまえは、この戦いがもうじき終わるって言ってたな?」

「そんなこと言ったかのう」

「おい」

「ウソじゃよウソ。言った言った。で、それがどうした」

「おまえはこの戦いの全貌を知っているのか? 誰が首魁で、何が目的かを」


 僕の声は自分でも少し驚くくらい低く、そしてよく響いた。仲間たちの視線が集まるのを鎧越しに感じる。

 ディノソフィアはパイ生地のカスが残る唇を、妙に赤い舌でぺろりと舐めると、悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。


「今すべてを知れば、その他のことをする手が止まるやもしれぬ。言ったろう。わしはグレッサリアを復興させる気があると。なあに、焦らずとも、この街にいる限りおまえたちは順次知っていくことになるよ。知ろうとする欲があればな」


 こちらの問いをすっとかわす気配があった。この場で答えるつもりはないのだろう。実はやっぱりこいつがラスボスである可能性が、ほんの数パーセントだけ持ち上がる。


 そんな警戒心などどこ吹く風で、話を終えたつもりのディノソフィアの愉快げな視線が、テーブルの上にある僕らの顔を一巡した。


「それにしてもリーンフィリア。以前よりももっと個性的な面々を揃えたものじゃな。頑固者のドワーフ、自由奔放のエルフ……。サベージブラックはまだ若いとはいえ、以前の粗忽者バッドスカイより、さらに激しい気性の持ち主ではないか。そして――」


 悪魔の視線がパスティスで止まった。


「不格好なキメラもおるなあ」

「!」


 何だと……と思わず立ち上がろうとした僕は、ふと見たパスティスの顔が青ざめ、首をすくめて縮こまるようにしていることに気づいた。


 何だ? 彼女の様子がおかしい。

 まるで怯えているみたいだ。

 まさか。これまでどんな敵を前にしても、パスティスが怯えるなんてことはなかった。


 ディノソフィアはそんな彼女の反応を眺めながら、尊大に口元を歪めた。


「せっかく完全なる竜人としてデザインしてやったというのに、ヤツめ。どこかの半獣の女とでも交わったか。つまらん」

「何を言って……」


 言いさして、僕ははっとなった。

 パスティスのそもそもの始まり。

 前の戦いにキメラが生まれた理由。

 まさか。


「おまえがパスティスの親を造ったのか……?」


 うわごとのような僕のつぶやきに微笑を向けると、ディノソフィアは得意げに片目を閉じてみせた。


「地上でもっとも美しい黒い竜人じゃ。神が被造した天然自然の生物ではなく、明確な作為によって生み出された、強さと美の究極に位置する者じゃぞ」


 黒い竜人。つまり、人型のサベージブラックということか?


 僕は思わずパスティスを見やる。

 すらりと伸びた長い尻尾。高速で動く動物のような、かかとのつかない趾行性の足。それら一部分だけ見ても、その竜人がいかにしなやかで洗練されたフォルムを持っていたか想像できる。


 不意に、ディノソフィアの目に刺々しい光が宿った。


「その芸術品を、ずいぶんと無様に混ぜ合わせてくれたものじゃ。右腕はどこぞの魔獣。角と目はわからんが、踵のある靴なしでは真っ直ぐ立つことすらままならぬとは、あの均整の取れた竜人が無残としか言いようがない」

「……!!」


 下を向いたパスティスが、震えながら右腕と左足を隠そうとする。

 出会って間もない頃にもそうしていた。かつて彼女にとって、キメラの体は嫌悪する対象だった。

 しかし。今はもう違う。


 僕はテーブルに肘を載せ、指を組ませながら、ディノソフィアを鋭くにらみつけた。


「そうか。おまえの感想はそうなんだな。じゃあ今度は僕の番だ。聞いてもらおう。パスティスがどれほどカッコ可愛い存在かをな」


 すると、ディノソフィアはそれを阻むように、ぴんと人差し指を立てた。


「騎士。わしはな、弱き者の言葉が嫌いじゃ」

「なに?」


 奇妙な物言い。咄嗟には理解できなかった。


「弱い者は、無責任に言葉を使い、主張する。なぜか、誰でも言葉だけは自由だと思い込んでいるようじゃ。ところが強い者に力で咎められると、あっさりと言葉を裏切り、翻す。あるいは、言葉を道連れに勝手に死ぬ。それは無責任というものじゃ」


 侮蔑とは違った色の瞳が、僕を見つめた。


「言葉を放つ者にこそ、強い力が必要になる。異なる意見だけでなく、すべての外圧にへし曲げられないための激しい暴力が。持っていなければならぬ。そうして生き残り、放った言葉を守り続ける責務がその者にはあるのじゃから。でなければ、使われた言葉が哀れじゃろう。おまえはこれまで数々の敵を撃破してきた。認めよう。じゃが、このキメラに対する言葉に、どれほどの力をかけられるかな?」


 こいつ、何やら小難しいことを……?


 …………。でも、なるほど。

 言いたいことは何となくわかった。


 つまりこいつは、パスティスへの言葉のために取っ組み合いのケンカができるかどうかと聞いてるんだ。


 言論には言論で対抗しなければいけない……という標語のようなものが、僕の世界にはある。言論を暴力で封じることはご法度。それはテロと呼ばれる。


 権力者だろうと、一般人だろうと、誰でも自由に発言することが許されている。

 だからディノソフィアの言うことに賛同はできない。口喧嘩で相手を殴ったらそいつの負け。

 でも、それは誰が決めたルールだ?


 誰が強制し、誰が従わせ、誰が違反を罰してくれる?

 いくら正論を吹きかけても、飛んでくる拳は止められない。殺されてしまえば、死人に口なし。こちらは誰もが生まれた時から覆せずに従い続けている鉄の掟。


 暴力を直接防ぐのは所詮暴力。言葉の正しさではない――そういう輩に、通せるのか? 守り切れるのか? 叩き潰されず、叩き潰し返せるのか? おまえの言葉は?

 そう聞かれている。


「望むところだ」


 僕は席を立った。


「き、騎士! ここは神殿よ!」


 アンシェルが慌てて諫めるけど、


「じゃれ合いじゃ」


 と、好戦的に笑ったディノソフィアによって黙らされた。


 訓練に使っている裏庭に出る。

 ディノソフィアの悪魔の尻尾がぴんと一直線に伸び、彼女はその一部分を取り外して手に持った。

 幼い肢体が操るには大きすぎる剣だった。


「余興ならば、副腕なしでやってやろう」


 ディノソフィアは腰を落とし、肩に担ぐようにして剣を構えた。

 リーンフィリア様の真っ直ぐな構えとは真逆。飛びかかる直前の獣のような姿勢。


 戸惑い顔の仲間たちに見守られながら、僕とディノソフィアの周囲に無音の戦場が広がった。


 距離は、三メートルもない。

 片足を踏み込んだだけで、死線をまたぎ合う間合いになる。

 どちらが動くか。


 主張するのは、僕だ。


 雪を蹴散らして踏み込んだ。

 裂帛の気合を叩きつける。


「コレ!」

「否!」


 逆手斬り上げ。

 片手袈裟斬り。


 接触した空間がたわみ、橙色の火花を風船のように膨らませ、弾けさせる。

 衝撃に靴底を滑らされ、後退したのは僕の方だった。


「軽いなあ。おまえの言葉もこれくらい軽いのではないか?」


 一合目の結果にディノソフィアが笑う。

 僕はすぐに後ずさった数ミリを挽回し、次撃を放つ。


「コレ! コレ!」

「否! 否!」


 ほとんど間を置かずに並んだ剣戟音が、虚空に二つの彼岸花を開花させた。

 足元に散った火花に照らされるまでもなく、後退したのはディノソフィアの方。


「おっとと、グーの音も出ないほど下がらせてしまった感。案外押しに弱いのかなヨウジョ!」


 今度は僕が勝ち誇り、悪魔は唇を歪めた。


 馴れ合いはここまで。

 息を吸う二人の音が重なる。

 渾身の踏み込みから、全身全霊の三合目!


 ウオオオオオオ!


「コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ! コレ!」


「否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否!」


 二つの剣閃が流星となり、空間で追突し合い、星屑と散る。

 激突する金属音はいつしか音節を持たない濁流へと変貌し、風圧で地面から雪片を跳ねあげ始めた。


「コレ!! コレ!! コレェ!! コ・レ・ラアッ!」

「否!! 否!! 否ァ!! イ・ナ・バアッ!」


 最後の力を振り絞った四連撃を撃ち放った直後、聖剣と悪魔の剣をぶつけられ続けた空間が弾け、異様な火焔の渦を周囲にまき散らしながら、僕らの体をすさまじい勢いで後方へと押し戻した。


「……」


 手がしびれていた。真正面からこれだけ直線的な力のぶつけ合いをしたのは初めてだった。ヤツはどうなった?


 後ろに引き戻された姿勢のまま奥を見やると、か細く震える手を見つめて、ニヤリとするディノソフィアの姿があった。


「いい手応えじゃ。おまえがどれだけ本気の言葉を使うかがわかった。聞いてやろう」


 僕は笑った。


「長いぞ?」


 二時間経過。


「……確かに、全部聞いてやったぞ……。おまえの言いたいことは、だいたいわかった……うん……」


 浅黒い肌色をやや薄くしながら、ディノソフィアは疲れたように言った。

 見守っていたリーンフィリア様たちも、いつの間にか庭の石に腰掛けてぼうっとしている。


 むうッ……パスティスの簡単な容姿の説明だけでやはりこれだけ時間がかかってしまうか。出会いからこれまでの献身は、別の機会に話すとしよう……。


 それで、当のパスティスはどうして真っ赤になった顔を両手で覆ってしゃがみ込んでいるんだ? 何一つ恥ずべきことなんかないはずだけど。


 ディノソフィアは、ちょっと色のくすんだように見える赤目を、パスティスに向けた。


「おいキメラの娘。パスティスという名前じゃったな」

「…………」


 びくりと肩を揺らしたパスティスが、悪魔を見返す。

 彼女にとっては、ある意味で創造主とも言える相手。怯えがあるのはそのためか。

 悪魔は、笑いもせずに告げた。


「おまえは自分の容姿に敏感なようだが、これほどの者がおまえの姿をしとしていることを常に忘れるな。おまえを傷つけようとする誰かが現れた時は、この男の言葉の方を思い出し、信じるがよい」

「……!!」


 パスティスは驚きながらも、素直な首肯を返した。

 少し涙が浮いたその目は、感謝を伝えるような温かみを持って僕を見る。


 彼女に限った話じゃない。誰しも、自分を傷つける言葉には大きく反応してしまうものだ。でも忘れてはいけない。自分を肯定してくれる人が、そばにちゃんといるってことを。そしてきっと、そっちの方がずっと多いということを。


 僕が、彼女にうなずき返そうとした、その時。

 思いもよらぬ言葉が、耳朶を打った。


「で、おまえは誰じゃ」


 え?


 ディノソフィアの血の色をした瞳が、僕を真正面から見据えていた。


 こいつ今、何て――


「打ち合ってはっきりわかった。おまえ、前にわしと戦ったヤツと違うじゃろ。おまえは、誰じゃ?」


長くなりすぎィ!

作者調子ぶっこきすぎてた結果だよ?


※お知らせ1

何やら悪魔が問題発言をしていますが、お盆です。次回投稿は約十日後くらいの、8/22あたりになる予定です。

投稿の際はツイッターや活動報告でお知らせしますので、良かったらその頃にまた見に来てください!


※お知らせ2

前回投稿分でちょっと直したいところがあったので、修正しました。

リーンフィリア様が雪原で剣を構えたところ以降の一部で、話の内容や流れに全然変わりはありません。

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