第百九十五話 アドベント
グレッサリア西部都市、美術館左手奥にある、数々の石像が並ぶ庭園。
狩り場〈美術館〉。
鐘の音と共に入場した人ならざる来訪客に対し、真四角の庭園の角に陣取った狩人は、横に寝かせて構えた弓に、指の間に挟んだ四本の矢をつがえ、同時に撃ち放った。
一矢たりともまともに飛びそうもない曲芸撃ちだというのに、矢は獲物に襲い掛かる魚類の鋭さで空を泳ぎ、複雑な配置を取る石像を抜けてきたコキュータルの体に、出会いがしらに次々と食らいつく。
その成果を一瞬だけ見届け、彼女はすぐに場を移動する。
また別の角へ。
そこにコキュータルの唸り声が接近する。しかし、彼女の射線上に敵の姿はない。隠れる知恵を持つ標的。
それでも狩人は矢を放つ。
コキュータルにほくそ笑むだけの感性はあったか。
あらぬ方向に放たれた矢は、石像の丸みのある部分に弾かれて角度を微妙に変えた。二度、三度とそれを繰り返し、飛び道具にあるまじき曲線を描き切ると、石像の後ろに隠れていたコキュータルの柔らかい急所を、残されていた最小衝撃力で鮮やかに貫いた。
「何これ……」
カルツェの狩りの様子を見ていた僕は、ただあんぐりと口を開ける他なかった。
遮蔽物の多い〈美術館〉では、弓は扱いにくいだろうと心配していた結果がこれだ。
「平常」
カルツェはそれだけ言うと、また射撃地点を変更する。
僕らは慌ててそれに従った。
次に現れたのは、豹のようにしなやかな動きをするコキュータルだった。
カルツェが射掛けた矢を、恐ろしい機敏さで回避する。
これは難敵だ。よし、ここは女神の騎士の接近戦に任せてもらおう!
僕が石像群に飛び込もうとするより早く、カルツェが続けて矢を放った。二射目、三射目とかわされる。
無理だ。やっぱり当たらな――
肉を裂く音がして、剣にくし刺しにされたコキュータルが天に掲げられた。
えっ……!?
やったのは剣士の石像だった。腕を一振りしてキュータルの死骸を投げ捨てると、何事もなかったかのように、元の姿勢に戻る。
……罠だ!
矢で敵の動きを制限し、石像に紛れた固有罠の前に誘導したんだ。
複数で押してもダメ。遮蔽物に隠れてもダメ。矢をかわせるスピードがあってもダメ。
狩りとは、強い者が成功するのではない。
獲物と狩り場をよく知り、それを活かすものが成功するのだ。
何だこの完璧なハンターは……! 単独での戦闘能力も高ければ、罠を使う視野の広さまで持っている。まるでガチ勢じゃねえかよ!
何でショタロリ好きなんて業の深い趣味持ってたんだよ、ちくしょう!
終了の鐘が鳴るまで、カルツェの半径五メートル以内に近づけたコキュータルは一匹もいなかった。
これが西部都市最強バルバトス家の暗黒騎士姫の実力。
手伝いに行ったはずの僕らは、ただの観客としてすごすごと神殿に戻った。
風呂シーン? ないよ。なにせ誰も返り血を浴びてない。
※
「ちょっとの間、神殿に戻ろうと思います」
ラウンジでリーンフィリア様がそう言いだしたのは、カルツェの圧倒的ホンモノ力を見せつけられた日の午後、ティータイムの時だった。
「少し、昔のものを探してみようと思って……」
リーンフィリア様は、先日の弑天との面会以来、何かを考えているようだった。
「女神様がそうしたいというのなら、止めはしませんが……」
隣の席にいたアンシェルが賛同しつつも、「あんたが変なこと言うからよ」という視線をパスティスにこっそり投げかける。
「僕も手伝います。地上は何と言うか、しばらく大丈夫そうなので……」
「ボクも、何か手がかりがあるなら是非探したいな」
僕が同行を表明するとマルネリアも挙手し、結局、竜を含めた全員で天界に戻ることになった。
グレッサリアの昼なお暗い空を抜け、群青の雲の間に浮かぶ真っ白な神殿を遠くに見る。
「ほ、他の神様とか来てないですよね……」
リーンフィリア様が心なしか身を縮こまらせる。
ビシッと決められるシーンでは決められる女神様だけど、素面だとそんなこと忘れてすっかりビビりあがる豆腐メンタル。
そしてそんな気の小さい様子を見て「フヒッ」と鼻の穴を膨らませているヤバイ天使が一名。いつもの光景だ。
アンシェルの光に導かれ、僕らは神殿の縁にある庭へと降り立った。
これといって変わった様子もない。地上では結構な日数が経過しているが、天界では恐らく二日もたっていないだろう。
キリキリ、とサベージブラックたちが鳴いた。庭の木を見上げている。
緑豊かな枝に、小鳥が何匹か止まっていた。アディンたちに見つめられて怖くなったのか、神殿母屋の方に逃げていった。
「では行きましょう。古いものをしまってある物置部屋がありますので、そこに何かあるかもしれません」
神殿はひっそりと静まり返っている。
主が不在だったのだから当然だ。
でも、何だろう……? この静寂が、何か不穏なものに思える。
何本もの石柱が並ぶ、天蓋付きの広場に着いた。母屋はすぐそこだ。
「あら……?」
真っ先にその異変に気づいたのは、先頭を行くリーンフィリア様だった。
鳥だ。
広場に、大量の鳥が集まっていた。
それも屋根の上ではなく広場の床に。
天界に住んでいるらしいスズメやハトに交じって地上の鳥もいる。これまでも、ごくまれに見かけることはあったけど、この数は異様だ。
鳥たちはケンカすることもなく、行儀よく羽をたたんで、大人しくしている。まるでここが楽園か何かのように。いかにリーンフィリア様が慈悲深くとも、こんなことは今まで一度もなかった。
「……?」
僕は、その鳥たちの先に、小さな人影を見る。
背丈は、子供という以外にないサイズ。
長く真っ直ぐに伸びた雪のように白い髪を股下まで届かせながら、こちらに背を向けて、神殿外に広がる空を眺めているようだった。
周囲には、特に、黒い羽根を持った鳥たちが集まっている。
他の神の来訪を恐れていたリーンフィリア様が、ぎょっとして立ちすくんだ。
まさか、本当に他の神様が、女神様を叱責しに……?
「ようやく戻ってきおったか」
声は幼かったが、何者も恐れない尊大さに満ちていた。
「久しいなあ、リーンフィリア」
女神様を呼び捨てにし、振り返る。
真っ白い髪と対比をなすような、浅黒い肌。
手足は細く、その体躯は幼い少女そのものと言って過言ではない。
切り揃えられた前髪が目元を隠す中、この人物が極めて異様な風体をしているということは一目で理解できた。
鎧のようなものを身に着けている。ようなもの、と言い方をぼかしているのは、それが鎧として機能しているとは到底思えなかったからだ。
ビキニアーマーというやつだろうか?
体のラインに沿ってぴったりと張り付いた、どこか近未来的なシャープさを持つ装甲板は、急所が集中する胸部の中心や腹部をぽっかりと空け、胸部の外側や、わき腹のような外のラインを保護しているにすぎなかった。下腹部も、ほとんどローレグな下着のみだ。
その一方で、腕と脚は強固なアーマーで、指先まで隙間なく守られている。
そして、さっきは白い髪にまぎれて、何なのかよくわからなかった箇所だが……。
彼女には、尻尾があった。
パスティスのような生物的なものではなく、明らかに金属を組み合わせた武装パーツの一つだとわかる、硬質の輪郭線で形成されている。
何なんだ、この、幼女は……? 神様なのか?
素性はわからないが、リーンフィリア様とはまったく異なる、刺々しく、重苦しい気配を放っている。
「何じゃ? 久しぶりに会ったというのに挨拶もなしか。このわしが、わざわざこんな辺鄙なところまで訪ねて来てやったというのに」
口元だけの笑みは、むしろ威嚇する蛇を思わせた。
「アンシェル、この子、神様なのか?」
僕がこっそり耳打ちすると、アンシェルは驚いた顔のまま首をぶんぶんと横に振った。
態度からして、彼女も知らないらしい。
だったら一体……?
「ほう? ひょっとして、わしが誰かわからぬのか。うつけよのう。つい最近まで、頭はどこだ頭はどこだと走り回っておったのに。ここらの鳥より物忘れが激しいではないか」
頭? 頭……?
何を言って――え……?
頭って、おい、まさか……。
まさか、こいつ……。
「おまえは――」
誰よりも先に口を開いたのは、リーンフィリア様だった。
彼女がここまで明確に敵意を込めて“おまえ”と呼ぶのを僕は初めて聞いた。
「おまえは、契約の悪魔ですね」
幼女がわずかに首を揺らし、前髪に隠れていた深紅の双眸を露わにする。
上品なつぼみのようだった唇を裂くように開き、真っ白い八重歯を見せてニイと笑った。
「のじゃ♪」
問:褐色ロリを一人のべよ
作者「ゼノギアスのエメラダ」




