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第百九十三話 生き証人

「やっぱり、白い鱗あるよなあ……」


 中庭の端っこに作った小さな雪山に、かき氷の具材のように張り付いているアディンたちを間近で観察しながら、僕は小さく息を吐いた。


 遠目ではわからないけれど、顔を近づけると、黒い鱗に交じって白い鱗があるのがわかる。角にその兆候はないものの、いつそうなっても不思議はなかった。


「そういえば、パスティスはあるの?」

「えっ、あ……。ど、どう、かな」


 一緒にしゃがみ込んで観察していたパスティスの左足をまじまじと見る。


「……………………」

「足には、ないか……尻尾は?」


 視線を移すと落ち着きなくゆらゆら揺れ始めたので、仕方なく掴んで顔を近づける。


「ひうっ……」

「うーん。パスティスには白い鱗はできてないな。一度黒くなると変化しないのかな。――いや待て!? 今白いものが!?」

「んっ、んんッ……」

「何だ、単なる雪か……。あ、ごめんパスティス、強く掴んじゃって」

「う、うん……。いい、よ……優しく、なくても……」


「無自覚エロスの波動を察知したよ!」


 ドゴォ、とマルネリアが雪山に頭から突っ込んできて、くつろぎきっていたアディンたちが驚いて逃げていった。


「騎士殿、今、パスティスにエロいことしてたよね!?」

「してないよ……! どこから飛んできたんだよ。って、二階からかよ……!」


 中庭に面した二階の窓から、カーテンがはためいていた。


「鱗を見てたんだよ。サベージブラックの鱗。ね、パスティス」

「……………………うん」


 何その長い間。何か目も潤んでる。しまったな、やっぱり尻尾痛かったかな。リラックスしてる時は、戦闘時の強度とは比べものにならないほど敏感なんだよな……。

 ごめんねと小さく手で詫びながら、僕は誤解を解くべく話を続けた。


「アディンたちの白い鱗は間違いなく増えてきてる。でも、アンシェルに聞いても原因はわからないって言うんだよ。病気とかではなさそうなんだけど」

「ふうん。サベージブラックに詳しいアンシェルでも知らないのかあ」


 話題が話題だけに、すぐにふざけるのをやめて相槌を打ってくるマルネリア。


 天使の博識は僕ら全員の共通認識だ。アンシェルに知らないと言われると、それ以上の追及はしにくい。

『調和』の絵の発見からまだ一日。けれど、西部都市を仕切っているアンネはもうコキュータル狩りを始めるつもりらしいし、気持ちの切り替え時かもしれない。


「みんな」


 とん、とん、と殺しきった小さな足音だけを響かせ、母屋の屋根から降りてきたのは、今少し想像したばかりのカルツェだった。


「婆様が呼んでる。リーンフィリア様に会わせたいひとがいるって」


 ※


「リーンフィリア様を呼び出すなんて、ずいぶんと偉そうなヤツがいたものね」


 アンシェルの嫌味っぽい台詞に、待ち合わせ場所にいたアンネは、人のよさそうな笑みを返した。


「天使様もご足労いただき感謝いたします。どうしても、そこから離れられないもので」


 リーンフィリア様はそんな二人の間に柔らかい声を挟み込んだ。


「それはかまいませんが、誰なのですか? 森にいるという人物は」

「会っていただければわかると思います」


 アンネに導かれ、僕らは街を出て雪原へと入る。西部都市の住人を帰還させた時に作ったラッセルは、降雪の緩さもあってまだはっきりと輪郭を残していた。


 この一行には、カルツェだけでなく、ラスコーリも同道していた。

 都市長が二人も揃うのだから、単なる物見遊山ではないのだろう。にこにこと微笑むアンネとは裏腹に、ラスコーリの表情が若干の苦々しさを含んでいるのが少し気になった。


 目指す先は、西部住人たちの元避難場所に近いところらしい。


 僕は視線を巡らせた。

 グレッサリアの周囲には森が多く点在しており、未解放の東部と北部の住人たちも、そのどこかで避難生活をしているだろうとのこと。


 カンテラなど設備の問題で、彼らを一時的にでも西部と南部で受け入れることは難しいらしいが、できるだけ早く元の生活に戻してやりたい。

 やっぱり、歴史探検は後回しだ。


 先頭を行くカルツェが森に到達し、外見とは裏腹に健脚なアンネもそれに続く。リーンフィリア様、アンシェル、マルネリア、ラスコーリを載せたアルルカのカイヤがその次で、僕とパスティスは殿。空を周回していたアディンたちも地上に降りてくる。結構な大所帯だった。


「足元に注意」


 カルツェが振り返ってそれだけ言った。

 性的趣向を暴露された今でも、この口振りは変わらない。生来のものらしい。


 木々はそれほど密集しておらず、葉の位置も高かったが、枝葉に乗った雪が雲のように広がって視界を遮っていた。

 おかげで地上に降り積もった雪はそれほど深くないものの、元々暗い〈ダークグラウンド〉の風景をさらに夜めいた色合いにしている。


 迷子になったら大変そうだ。


 かなり深いところまで来た。コキュータルにはまだ一度も遭遇していない。ただ、人がいそうな痕跡もなかった。こんなところに本当に誰かいるのだろうか。


 ごう、と風が唸った。

 軽い雪片をまとった低音が、僕らをすり抜けて流れていく。


 ……今の、本当に風の音か?


「静かだな。妙に。警戒を怠るな」


 アルルカがそれとなくみんなに警戒を促す。非戦闘員を多く載せている彼女は咄嗟の対処が難しい。最初動は僕とパスティスの仕事だ。


「少し高さがあるので、お気をつけください」


 ふと、アンネがそう言って、一メートルほどの段差をぴょんと飛び降りる。

 周囲を見れば、ちょうどここを境に、一帯ごと地面がくぼんでいるようだった。

 昔、断層のずれでもあったのかな。


 キリリリ……。


 アディンが、敵意のない鳴き声を発した。

 リスでも見つけたのかな? 僕がそう思った時だった。


「リ、リーンフィリア様……!」

「これは……まさか……」


 前を歩くカイヤの上が急に騒がしくなった。

 何かを見つけたらしい。僕はカイヤの脇を抜けて前方を確かめる。


「…………!?」


 そこで見えたものに、思わず言葉を失う。


 朽ちた倒木をしとねに、それは雪をかぶった小岩に見えた。

 丸めた巨躯は、蛇のとぐろ。天に伸びる長大な棒は、岩に刺さった聖剣の伝説を想起させた。


 けれど、どれも、違う。


 ぞっとするほど盛り上がった四肢の筋肉。

 胴体に倍する長さの太く鋭い尻尾。

 地に伏した頭部には、裂けるような大きな口、そして牙。

 何よりその素性を定義するのは、頭部と一体化し、ねじれながら後ろに伸びていく、長く大きな、黒角。


 サ、サベージブラック……!?


 しかも……!


「で、でかすぎるだろ……!」


 アディンたちの母竜の軽く三倍はあろうか。

 成竜だとしてもその大きさは異様そのものだった。

 もしサベージブラックに王がいるのなら、きっとこいつがそうだと確信できるほどに。


 しかし……背中を貫かれている。標本の中に納まった昆虫のように、一本の棒に……いや、あれは槍、なのか……?


 何なんだこのサベージブラックは。アンネが会わせたかった相手というのは、まさかこいつなのか?

 立ち尽くす僕は、続いて発されたアンシェルの怒りと驚愕に満ちた声で、再び唖然とすることになった。


弑天シテン……ッ!!」


 え……?


「どういうつもり、人間!? こいつは天界を襲った竜よ!? こんなものを女神様に見せるなんて!」


 アンシェルがカイヤの上から、下にいるアンネに向かって非難がましい声を飛ばす。


「弑天……。こいつが?」


 僕はその巨体を見つめた。単身天界に攻め上がり、暴れ回った末に、オメガに討伐されたサベージブラック。

 天から落とされた死骸は、ここにあったのか――


 ――ウウウウウウウウ……。


 !!!!????


 弑天の閉じた口から風が吹き出し、地面に積もった雪を散らしていった。

 息をしている!


「リッ、リーンフィリア様お気をつけください、こいつまだ生きています! アルルカ、下がって! 下がりなさい、早く!」


 アンシェルが女神様をかばいながら、アルルカに後退を指示する。


 しかし――


 切迫した空気を放出しているのは、アンシェルだけだった。


 蒼ざめた雪の森は依然として静謐で、動くものといえば微風に運ばれる粉雪のみ。

 ここまで案内したカルツェもアンネも、むしろ緊張感を解いた様子で、弑天のそばに佇んでいた。


 どういうことだ?


 キュルルル……。


 アディンたちが小さく鳴いた。敵意のない、むしろ、どこか悲しげな声音だった。

 リーンフィリア様もそれに気づいたのか、取り乱した態度を落ち着かせ静かに言った。


「アルルカ。下ろしてください」

「えっ……? りょ、了解」

「リーンフィリア様、何を!?」


 アンシェルが悲鳴を上げるのも気にせず、カイヤの腕を使って地面に降りる。


「アンネ。会ってもらいたいというのは、この竜なのですね?」

「はい。ここで見つけ、以前から女神様にお会いしたと話しておりました。もうじき死ぬそうなので、それまでに一度だけでもと思い、ご案内した次第です」

「わかりました。パスティス、通訳を頼めますか」

「あ、は、はい……!」


 パスティスが慌てて駆け寄る。

 アンシェルも転げ落ちるようにカイヤから降りた。

 僕も、そしてアディンたちも、自然とリーンフィリア様のそばに。


 天界に攻め昇った暴虐の竜が、なぜ女神様に会いたいと言い出したのか?


 長大な槍によって地面に縫い留められた弑天は、巨大な体のほとんどを雪に覆われ、頭部のみを露出させている。その首が、わずかに持ち上がった。


 なぜか、ありもしない黒竜の目が、アディンたちを含めた僕らを一巡したように思えた。


 そして、リーンフィリア様を正面に見て――


 ――あこや……――


 そう、“言った”。


 パスティスの通訳ではなく、唸り声の聞き間違いでもなく、確かに弑天はそう人語で言い、


 クウウウウウルルルルル……。


 優しくのどを鳴らしながら、ゆっくりと頭を横たえた。

 そしてそれきり、もう二度と、動かなかった。

 

武器が刺さったままの魔獣とか絶対カッコイイに決まってる

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