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第百九十二話 調和

 グレッサリア西部都市〈美術館〉。

 何の固有名詞もなく、ただ美術館と呼ばれている理由は、同様のものがこの街にはここにしかないからだ。こうした学術的な施設は、グレッサリア西部に集中している。


 横に広い美術館母屋は、あの巨大ヤドカリが背負っていた建物にどこか似ていた。

 アーチと石柱を組み合わせた正面外装はどこか神殿めいていて、僕らが素朴な感性で作ったリーンフィリア様の地上神殿を、二段階は瀟洒に磨き上げた完成度を誇っていた。


「こっちへ」


 雪に埋もれたガーゴイルたちに見守られながら正面玄関を素通りし、建物左手へと回り込む。

 長らく誰の足にも踏みつけられていない雪道を進むことほんの数分。やがて現れた景色に、僕たちは揃って感嘆の声を上げていた。


 そこは庭園だった。


 美術館脇に広がる、シンプルで垢抜けた広場――ではなく、ここも間違いなく展示場の一つなのだと直感できたのは、広々とした空間にいくつも並べられた石像のおかげだ。

 まるで激戦中のチェス盤に迷い込んだように、広場には石像が所狭しと置かれていた。


「ここが狩り場〈美術館〉」


 ふと見た看板には「石像たちの庭」と記されている。

 入園者はこの石像の周りを歩きながら、目と鼻の先で芸術をたっぷり鑑賞できるというわけだ。


 なるほど……。


 小さな破損跡の目立つ数々の石像を見ながら、僕はすぐさまこのキルゾーンの特徴を理解した。


 これは南部都市にあった〈噴水公園〉の女性像の特化型だ。

 ばらけるように配置された石像は、コキュータルの直進を阻む障害物であると同時に、近づいてきた者を容赦なく攻撃していくそれ自体が罠。剣やハンマーを持った戦士像が多いのも、そのためなのかもしれない。


 それぞれの像が、視線の向き合わない他の像を見つめているのも、敵を吹っ飛ばす方向を暗示したものか。一度巻き込まれれば、シンクレイミが仕掛けた竜巻の迷路以上の惨劇が予想される。


 つまりここは、「死」というモチーフを実物で表現する、恐るべき発想の展示場なのだ。

 作ったヤツ絶対シリアルキラーだろ……。


「でも、せっかくの芸術品をこんなふうに荒っぽく使っちゃっていいのかな」


 僕が思わず庶民の感想を漏らすと、隣にいたアルルカから否定の声が飛んだ。


「武器として作られたのなら、そう使い果たされることこそ本望だろう。完成したばかりの武具は単に美しいだけだが、戦いを経て摩耗した武具の姿には、人知の及ばない重みが加わるものだ。このひび割れた石像は、すでにその美を宿している」


「…………。アルルカ、〈ダーククイーン〉の服とか着てない?」

「えっ……!? あ、あ、あの……下着を……。な、何で知ってるのだ……? まさか、見……」


 アルルカは急に赤くなって丈の短いスカートを抑えた。


「いやいや違うよ! 柄にもなくえらく真面目なことを言ってたから、これは別の力が働いてるなと思って……」

「どういう意味だろうか!?」

「詳しく≪○≫≪●≫」

「パスティスさんいつのまに背後に!? いやホントに下着を見たわけじゃないから!」

「さ、流石、機械殿。目の付き所が人間とは違う」

「付き所って何だよカルツェ!? 僕のつま先に目玉があるような言い方はやめろ!」


 いわれなき非難から、無駄にラブコメを消費しかけたその時だった。


「騎士殿、みんな、ちょっと来て」


 ひやりとするほど静かなマルネリアの声が、騒動をぴたりと収束させる。

 こういった騒ぎにはいち早く飛び込んで油を注ぐ彼女が、一体何を優先させたのか。


 薄く雪をかぶった石像の群れを抜け、僕らは急いでマルネリアの姿を探し、そして。

 彼女の背中を見つけた直後、その奥に立つ石像に、揃って言葉を失った。


 薄衣を腰のところで縛った、ゆったりとした衣装。

 軽く持ち上げられた腕は、周囲を飛び交う風か蝶と戯れるかのように柔らかい。

 横顔に刻まれた唇はかすかに微笑んでいて――


 鼻から上は、反り返った巨大な角に覆われていた。


 ――〈黒角の乙女〉……!!


 なんで、彼女が、ここに!?


 ドワーフ旧市街の地下神殿で見つけた謎の壁画。サベージブラックの角を生やし、なぜかリーンフィリア様の面影を宿す神秘的な少女。


 呼吸も忘れて立ち尽くす僕らに、カルツェが呼びかけた。


「その『調和』像がどうかしたの?」

「ちょう、わ……?」


 覚えのない言葉を聞いたかのように、僕らはゆっくりと顔を彼女に向けた。


「カルツェは、この像が何なのか知ってるの?」


 たずねる。


「肯定。これは『調和』の像。古典美術ではよくあるモチーフ。美術館にも絵が展示されてる」

「!! そ、それ、見せてもらえる?」

「了承」


 僕らは今にも駆けだしたい足を抑えながら、カルツェの後に続いた。

 美術館内部は、当然ながら人の気配がなかった。コキュータルも侵入していないようで、荒らされた様子はない。


 展示品はほとんどなかった。

 街の放棄に際して、学芸員たちが決死の覚悟で地下保管庫に隠したらしい。

 しかし中には、大きすぎて運びきれなかったものもある。

 それが。


「当該」


〈黒角の乙女〉の絵画。


 ……なのだが。


「何、だ……?」


 回廊の奥まった場所に展示された、床から天井まで届く大きな絵を見て、僕らは強烈な混乱を脳髄に叩き込まれていた。


 地下壁画と違い、その〈黒角の乙女〉は、触れば手首まで沈み込みそうな分厚い油絵具で色付けされていた。


 麻色の薄い衣服。白すぎない健康的な肌。

 そして、やはり、新芽のような淡い緑色の髪。何よりもリーンフィリア様を象徴するその色。

 だが。

 角が。


「白い……?」


 やや灰色がかってはいたが、そこに描かれた角は白かった。

 黒角じゃないだと?


「騎士殿、あの壁画の角は、黒かったよね?」


 マルネリアが慎重な声で聞いてきた。


「うん。確かに黒かった。だからサベージブラックの角だと思ったくらいだ」

「では、別物か?」


 アルルカが示した可能性は妥当に聞こえた。これは〈黒角の乙女〉ではなく、それとは異なる何かを描いたもの。

 だが、異論が出る。


「それはまだわからない」


 マルネリアが絵を食い入るように見つめながら、僕らの予想を押しとどめた。


「壁画にあったのは構図から見てもこの絵の胸像だ。顔の向きや髪のなびき方もそっくりそのまま。別物には見えない。仮に別物だとしたら関連のある絵のはずだ。あちらの角が黒、こちらが白なら、正反対のものを表していると予想できる。でもそれなら、この少女は逆を向いていなければおかしい。対比を描くというのは、そういうものだよ」

「なるほど……」


 うなずける話だった。確かに、向きが逆というのは、シンプルだけども、非常に強力な反転の象徴だ。十字架も逆さまにすると意味がひっくり返る。


 どういうことなんだ?


「カルツェ、この絵について何か知ってる?」


 住人なら何か知っていると思ったが、しかし、


「否定。『調和』という表題以外は知らない。……解説札にも、『調和』を表しているとしか書かれていない。とても古い題材。画家も故人」


『調和』。その名前も謎めいている。このキメラのような少女が調和?


「誰か、知ってる人は? 館の職員とか」

「あればここに書かれていると推察」


 そう、だよな。学芸員たちも、展示する以上はできるだけ多くを説明したいだろうし。


「……あ、もしかすると……」


 アルルカがぽんと手を打った。


「あの地下遺跡の絵、錆びていたんじゃないだろうか」

「錆び? 絵が錆びるなんて……あ、いや、染料がか!」


 僕の言葉に彼女はうなずいた。


「染料か、それとも水かに、時間の経過で変色する成分が含まれていたのかも」


 含金属染料というものがあって、本来は変色しにくく、色がつきにくいものにも着色できるという利点があるんだけど、あの壁画に使われたものは不完全で、予想しなかった変異を起こしたのかもしれない。


「色の変化なら考えられるね」


 マルネリアが少し理解が進んだような顔で唇を指で揉み、けれどまた難しい顔で『調和』を見上げた。


「でもそうなると、今度は、あの角が何なのかという疑問が浮かんでくる。てっきりサベージブラックのものだと思ってこれまであれこれ話し合ってきたけど、こちらは白。だいぶ暗礁に乗り上げたかな……」


 確かに、そうなってしまう。

 真相に一歩近づいたかにみえて、同じだけ下がってしまった。いや、むしろ大きく遠ざかったか?


 白い角。


 ん……? 白? え……?


「パスティス……」

「……うん」


 僕の呼びかけに、パスティスは緊張した顔でうなずき返した。

 怪訝そうな顔をするマルネリアとアルルカに、僕は早合点させぬよう、落ち着いて切り出した。


「実は、アディンたちに最近、白い鱗が生えてきてる」


 えっと二人が目を見開いた。


「サベージブラックは子供のうちは鱗がない。だから、鱗が白いのは、できかけのせいだと思ってた。でも」

「白いサベージブラックが、存在する……?」


 マルネリアの念押しに首肯しつつ、僕は慎重に話を進めた。


「でも状況がわからない。どうしてアディンたちに白い鱗が生えてきてるのか。サベージブラックは黒いからこそ、そういう名前なんだと思うし」

「そんなの、女神様のそばにいるからに決まってるじゃないか」


 魔女の一声に、僕らは「あっ」と顔を見合わせた。


「天界の気質の影響……か!」


 天界の庭に住む竜族のリックルは、その土地の気を取り込み続けることによって異様な防御力を獲得した。

 それと同じことが、アディンたちにも起きている。

 なるほど。あり得る。


「でも、問題はそこじゃないと思うよ」

「どういうこと?」

「大昔の絵に、白いサベージブラックの角が描かれていて、しかも、女神様らしき人にそれを生やして、『調和』っていうタイトルがつけられていることの意図。そっちの方が重要だ」


 確かに。

 この絵は少なくとも、〈ダークグラウンド〉と〈ブラッディヤード〉の二か所にある。いや……。発端である〈古の模様〉にまでさかのぼれば、類似のものは世界中にある……!


 たまたま白くなったサベージブラックが存在したわけじゃない。これは、古い時代において普遍的な象徴になりえたんだ。


「暴れん坊のサベージブラックを天界の気が鎮めた故事を、『調和』と名付けたとするなら、ちょっと説得力が弱い気がする。この緑髪の乙女は、完全に竜と一体化してる。ボクは、この二つはもっと親密で不可欠な感情の間柄だったと見るよ」


 サベージブラックと、神々が……?


「まだ根拠はないけど、サベージブラックは元々白くて、天界に関係した生き物だったんじゃないかとすら思う……」


 つまりアディンたちは、変異しているというより、先祖がえりを起こしているということか?

 じゃあなぜ黒くなった? どうして天界を攻撃する個体が現れた?


「リーンフィリア様に聞いてみよう。何か知ってるかも」


 一瞬遠ざかったかに見えた〈黒角の乙女〉が、思わぬ角度から急接近してきた。


 角が本当は黒ではなく白かったことが、かえって女神様とサベージブラックの関連性を強く証明しているようだった。


 白いサベージブラックの存在。そして、アディンたちがそれになろうとしている可能性。

 繋がっていく。僕らがばらばらに見聞してきたものが。


 この先に僕らはどんな真実にたどり着く? それがどんな意味をもたらす?

 今のところは何もわからない。ただ、追いすがるのみ。


 我々探検隊は、ついに秘密の尻尾を捕まえた!


 と思ったんだけど……。


「んん? んんんんん?」


 みんなでリーンフィリア様とアンシェルを担ぎ上げ、ワッショイしながら美術館に舞い戻ったのはよかったんだけど、


「何のことか全然わかりません……」


 首どころか上半身まで傾げて考えてもらったのに、リーンフィリア様には僕らの話にまったく思い当たる節がないようだった。

 アンシェルも、


「サベージブラックが白いなんて聞いたこともないわよ」


 と一蹴してきた。さらに、


「だいたい、街を復興させるのがわたしたちの目的なんでしょ? 余計なことに首を突っ込んで時間を無駄にしてんじゃないわよ!」


 って感じでみんな揃って怒られてしまった。


「ええー……」


 がっかり。


 まあ、確かに、僕らが繰り広げていたのは、確証もないただの考察だ。一つでも仮説を置き換えればまったく別のゴールにたどり着く、単なるお遊びに近い。

 彼女の言う通り、今は歴史漁りをしている場合じゃなかったね……。


 肩をすぼめてアンシェルのお説教を聞きながら、僕は『調和』の絵を見上げる。

 角を生やした乙女は、ただ穏やかに、その謎めいた微笑を僕に返してくるばかり。

 彼女は、知っていたのかもしれない。


 この話は、ここで終わりじゃないってことを。


まだまだいくよ~(mkmkns)

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