第百九十一話 狩人は楽園の夢を見るか
モニカたちの時とは違い、進展が早い。
アンネは本気ですぐにコキュータル狩りを再開するつもりなのだろう。こっちとしても復興が早まるのは助かるものの、気がかりなことが一つ。
――「騎士殿、バルバトス家の姫をこちらに引き込むよ」
マルネリアが僕にそう言ってきたのは、今日、ここでカルツェと再会する直前のことだった。
――「この街を知るために、歴史に詳しそうな……たとえば、力のある血統家の味方がほしい。ただし、年寄りはダメ。多分何を聞いてもはぐらかされる。ラスコーリには、すでにその兆候がある」
だそうだ。
南部市長が何かを隠している、あるいは、隠そうとしていることを、彼女は古代ルーン文字の解析をしていた時に確信したらしい。
細かい経緯の蓄積はわからないけど、マルネリアが悪戯でこんなことを言う少女ではないことくらいわかる。
――「モニカたちはそれほど詳しくない。腕前から見てもまだまだ新米。街に秘密があるとして、それを家長が知らせるには力不足だと思う。すでに卓越した腕を持ち、家中から信頼されている姫がいい」
カルツェはその条件をすべて満たしている。
しかし、と僕は否定の言葉を脳内で続け、狩り場見学に同行しているマルネリアを一瞥してから、前を行くカルツェの大きく揺れるポニーテールを見やった。
彼女の背中は、あの鋭いまなざし同様、僕らの言葉を弾くような頑なさを感じさせた。
今更だけど、これまで僕は、対人関係においてチートとも言えるようなアドバンテージを持っていた。
それは、地上の誰もが敬愛するリーンフィリア様に仕える騎士であるということ。
この立場にあるおかげで、誰に話しかけても歓迎してもらえたのだ。
いきなり呼び止めても「なにいきなり話しかけてきてるわけ?」とか絶対に言われない禁断のスーパーベリーイージー。言わなきゃ気づきもしないかもしれないけど、僕がもっとも恩恵を受けてきたリーンフィリア様の威光の一つだ。
しかし、カルツェは違う。
なぜなら彼女はシリアスガチ勢。能力的にも性格的にも無駄を排した、コレせざるを得ないほど強固で尖った気質の姫なのだ。
「彼女に近づくのは容易ではないね。マルネリア……!」
「何で嬉しそうなの騎士殿?」
ふと、家の角から明るく幼い声が沸き上がった。
「あっ、カルツェさん」
「カルツェおねーたん!」
西部都市の子供たちだった。
カルツェは姿勢よく膝を曲げて子供たちの集団と目線を合わせると、叱るように言った。
「危険。まだ家から出ては駄目。即帰宅推奨」
すると、愛くるしい顔立ちの少年が慌てた様子で、腰のカンテラを示し、
「違うんです。ほら、カンテラのテストで。オーディナルサーキットの範囲に穴がないか、ぼくらで調べてるんです。このあたりはもうほぼ安全で、大人たちは、もっと遠くを調べてます」
もうオーディナルサーキットを起動させたのか。早い。西部は住人もガチ勢か。
「ぼくらも自分たちのことは自分でできないと。その……カルツェさんにずっと甘えてるわけにはいかないし……」
「把握。悪かった。任務感謝する」
カルツェに頭を撫でられると、まだ十にも満たない少年は、色の白い頬をかあっと赤らめながら身じろぎした。
「こ、子供扱いしないでください。ぼくは、もう……」
「おねーたん、わたちも撫でて撫でてー」
「了承」
横から頭を出した少女のリクエストに応えてやりつつ、むずがゆそうにしながらも結局抵抗しない少年の方もひたすらなでなでなでなで……。
ええっと……。長いな?
すっかり茹で上がった顔色の少年は、言葉少なく別れを済ませると、仲間を率いて弾む足取りで道を歩いていった。
無理もない。
強い者に惹かれない少年などいない。そして、その人から褒められることを誇らしく思わない少年もいない。
カルツェは、彼らの姿が見えなくなるまでそれを見送った。
子供たちに慕われている。厳しい雰囲気に反して、優しさも兼ね備えている。
強い者は、厳しいと同時に優しいものなのだ。さすがはガチ勢!
「カルツェは、子供が好きなんだねえ」
マルネリアがのどかに言うと、カルツェは背中を向けたまま、
「肯定」
と端的に答える。
マルネリアはこう続けた。
「性的な意味で」
…………。
は?
おいマルネリア、何言ってるんだ? 変なことを言っちゃ失礼だろ。彼女は強者ガチ勢であって、そういうおかしな属性とは無関係。
僕が慌ててたしなめようとすると、それより先にカルツェが動いた。
ゆっくりと。
まるで不愉快さと不機嫌さを噛みしめる様にゆっくりと、振り返り……。
ぶるぶる震えながら言った。
「ひ、否定……」
な。
何だあ、その震え声はああアアアアア!!?
顔にびっしり張り付いた汗はなんだあああああああ!?
目をそらしつつ歪んだ愛想笑いはあああああああああ!?
う、ウソだろ!? まさか本当に!?
二日だぞ!? 登場からたった二日でガチ勢が消滅!?
「隠しても無駄だよ。ボクはこういうことにはわりと鼻が利く」
じわりと間合いを詰めたマルネリアに、カルツェが後ずさる。
「ひっ、否定。拒否……! 違う……」
それは狩人というより、追い回される小動物の怯え方だった。
「どうやら君は、幼く愛らしいものに目がないようだねえ。性別に関係なく。まあ、あの年頃だとほとんど性差なんてないからねえ。みんな可愛いよねえ」
「否定、違う、違う違う」
必死に振る首に合わせて、大きなポニーテールが揺れる。
やめろォ! その否定の仕方はほとんど自白と同じだァ!
「だけど、特に、ショタが好きだね?」
「!!!!????」
「男の子のような女の子のような、そんな曖昧な神秘性と危うさと愛らしさを同居させたような存在がどうしようもなく愛おしい。半ズボンはもちろんだけど、いっそ女の子の格好をさせたら……おやおや、ますます男か女かわからなくなってしまったぞ……!」
「……ッ! 否定! 否定! ひ、否定、否定……ひて、い……」
耳を押さえて懸命に首を横に振っていたカルツェの膝から力が抜け、とうとうポニーテールの先端と共に雪の中にくずおれる。
ガ、ガチ勢ィィィィィィィィィ!
「不詳、不明……。どうして……わかった……? 婆様にも気づかれないよう……常に厳しい顔を……仮面を、していたのに」
カルツェがか細い声で問いかける。
完落ち。もう否定する力も残されていない。
ちくしょう……。アンシェルをガン見してたのも、あいつの見た目が幼女だったからか。
天使は性別がないともいうし、カルツェの頭の中ではショタに分類されたのかもしれない。どちらにせよ、手遅れだ。
「確かにキミは常に狩人の目をしていたね。アンネにもそう見えていたんだろう。常在戦場。意図してそれをやっていたのならうまいカモフラージュだ。でもね、同じ“獲物”を見る目でも、感情の質の違いというのは出てしまうんだよ」
獲物とか言うなあ!
これだから修羅場の国の住人は怖いんだよォ!
「けれどね……。それはいけないことかな? カルツェ?」
「えっ……」
カルツェが絶望に濁っていた目を向ける。
僕は慌てて口出しした。
「えっ、おい、待て。ロリもショタもいけないでしょう? 常識的に考えて」
「何言ってるの騎士殿。おねロリなんてボクの故郷じゃごく一般的なカップルの有り様さ。うちの族長がすでにその組み合わせだしね。タブー視される方が心外だよ」
しまっ……! そ、そうだったあああ!
「真実……!?」
カルツェの目から絶望が晴れていく。
「うん。エルフにはオスがいないからショタは社会通念外だけど、いたらおねショタだろうとロリショタだろうとオールレンジオッケー間違いなしだね。ボクの故郷はそういうところさ」
「ら、楽園……!? バカな……!?」
ああバカだよ。みんなバカだ!
マルネリアは、ふとアルルカを指さして、
「ちなみに……そこにいるアルルカの生まれたドワーフの国では、男性はみんな、子供の頃ははっとするような美少年ばかりなんだ」
「!?」
「強い戦士が褒めたたえられる気質の国だ。君が行ったら、さぞかしモテるだろう」
「!!??」
何を想像したのか、カルツェの顔が緩み、口元にだらしのない卑猥な笑みが浮かんだ。
やめろ……! もう十分だ。もう十分だろう……!
僕が悪かった。これ以上ガチ勢だった頃のカルツェを壊さないでくだしあ!
「でも、わたしはグレッサだ。海は渡れない……。楽園には届かない……」
「確かにね。ただ、ボクらはキミたちよりも、キミがいる社会よりも、価値観の許容範囲を広く持っているということを知ってほしい。最初に見た時から、キミの仮面は痛々しかった。家のため、世間体のために、好きなものを押し殺した鉄仮面を顔に食いつかせて苦しんでいた。せめてボクらの前では、それを外していいよ。好きなものを好きと公言していい。ボクらはそれを歓迎する。特に、うちの騎士殿はそういう規範破りの常連なんだ。ね? 騎士殿」
ええッ……!?
そこで僕に振るのか!?
「女神様に仕える騎士でありながら……こんなわたしを受け入れてくれるの?」
カルツェの救いを乞うような瞳が僕を見る。
マルネリアアアア!? 確かに僕は天界の規則とか破ってきたし、みんなの好きなことは周囲の反対を押し切って全力で応援してきたけども!?
いいのかこれ? 受け入れちゃっていいのか? ロリショタ好きでしょ? ダメなんじゃない? この世界でも非合法なんじゃないのお!?
僕が脳内でもだえ苦しんでいると、マルネリアは返答までの尺稼ぎをするように、視線を別の場所へと移した。
そしてそれは、さらなる泥沼炎上劇の出発点だった。
「もちろん大丈夫さ。たとえば、そこのパスティスは、騎士殿との間にサベージブラックの子が三匹もいる」
なっ!? なぜ今その話を!?
カルツェは驚いた顔でパスティスを見つめ、
「えっ……。理解不能。彼女は竜ではない。どうして純粋な竜が?」
「フフ……。つまりね、騎士殿の鎧の中身は、それだけ竜の血が濃いというわけなんだ。竜そのものなんだよ」
ブヘッ!? またそのネタかエルフゥ!?
カルツェの顔がかあっと赤くなる。
「つ、つまり、彼女は、竜と、その、あの……夫婦の営みを……?」
「聞きしに勝る激しさだったよ」
おおおおおおおおおいいいいいィ?
何ねつ造してんだこいつううううう!?
だがマルネリアを制止しても無意味だ。カルツェの説得も難しい。こういう時は、パスティスに直に否定してもらうのが最善手! どうだこの的確な判断!
「パスティス、カルツェが勘違いさせられてる。アディンたちは、預けられた子だってことをちゃんと説明してあげて」
小声で要件を伝えると、パスティスはすぐにうなずいてくれた。よーし、間に合った! これで勝つる!
彼女は真っ直ぐにカルツェを見据え、
「わたしが産んだ」
ファアアアアアアアアアアアアア!?
どぼじでぞんなごというのおおおおおおお!?
マルネリアの追撃はさらに続く。
「他にも、あそこのアルルカは、騎士殿との間に機械の娘がいるんだ」
「き、機械……? 無明……。あの……どういう意味……? 彼女はヒトであって、機械を生んだりは……」
「つまりね、騎士殿の中身は、それだけ機械なんだ」
ホントにどおいうことだよおお!?
「つ、つまり、彼女は、き、き、機械と……? え? え?」
「やめろォ! それ以上は想像もするな! 生理的にダメな人だっているんですよ!」
僕は叫んでいた。
「アルルカも否定しテ! このままだと君も大変な誤解を受けるぞ!?」
「ん……? ああ……。わたしが産んだ! アシャリスはわたしと騎士殿の子だッ!」
「おまえ絶対話を理解しないまま言ったろおおおおおおおおおお!!」
僕は向かい合う両者の間で転げ回った。
「理解……。共感……。そう……。そうだったのか」
何納得してんだカルツェエエエエ!?
カルツェは胸に手を当てて言う。
「わたしだけがアブノーマルじゃなかった。むしろわたし大したことなかった。女神様の御一行でこれなら、わたしのは合法まである」
仮に今の話が本当でも合法はねえええええええええええ!
「安堵。わたしは、初めて……友というものに出会えたのかもしれない」
…………!!
「好きなものを正直に好きだと言っても、拒絶も糾弾もされない。初めて、自分が何者かを人に打ち明けられる。それが嬉しい」
そうか……。
さっきマルネリアが言った通りなのか。
彼女は仮面をし続けていた。その上で、バルバトス家として振る舞い続けなければならなかった。
カルツェはどこにいた?
カルツェ・バルバトスではなく、カルツェという名前の一人の少女は。
どこにもいなかった。
誰にも許されなかった。
自分自身にさえ。
「ごめん」
誰にともなく僕は謝罪の言葉を口にしていた。
僕はさっきまで、偽りのカルツェを支持してしまっていた。
彼女の鉄面皮と、彼女の周囲と同じように、冷厳な狩人たれという願望を押し付け、それを賛美してしまっていた。
僕はこの世界で、何度、自分が好きなものを好きだとぶちまけてきた?
今、彼女も同じことをしただけにすぎない。
彼女に憑りついていた幻想が削ぎ落ちただけで、何を嘆くことがある?
そもそもさツジクロー。
おねショタ、嫌いかい?
……。
いや?
僕は彼女の言葉を肯定するようにうなずき、右手を差し出した。
「君の“好き”を歓迎する。カルツェ。よく本心を打ち明けてくれた」
「感謝。望外……!」
ガガシシッ! と握手を交わす。
一気に彼女との距離が――異様に縮まった気がした。
同時に。
スウウウウウ……(深呼吸)
コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! コレジャナイ! ああああああ!
【シリアスガチ勢ですかあ?(嘲笑):4コレジャナイ】(累計ポイント―32000)
さようならガチ勢!!
※
拒む空気を完全に打ち消し、意気揚々と狩り場に向かうカルツェの後ろをついていく。
足取りの重さから自然と最後尾に下がっていた僕は、さりげなく近づいてきたマルネリアの黒い微笑みを見た。
「ククク……。どうだい騎士殿、あのツンツン娘の脆さ。エルフはね、ああいう脆弱な壁を築いて必死に自分を守ろうとしてる乙女を見ると、すぐに堕としたくなるんだよ」
「こ、こいつ……!」
僕は慄然とした。さっきの奇天烈な会話は、すべて計算の上のことだったのか?
修羅場の国の女子怖い!
「打ち解けた後は、こっちしか見えなくなるほどねっとり可愛がって、もう戻れなくなったとこで手ひどく振るんだ。どんな顔するかな……?」
「おいィ!?」
「……いや、ボクはそんなことしないよ……。そういうことをして、何人もの純情な女の子を泣かしていたスケコマシエルフが、とうとう刃傷沙汰になったことがあったなあって思い出しただけ……。…………。え? やだなあ、聞いたことがあるだけだよ? 本当に……」
伝聞でも怖いんだがエルフ!
「カルツェは僕らを信頼してくれている。使い捨ての道具にみたいに扱うことはしないでくれよ……」
「もちろんしないさ……。彼女の好みに賛同したのは本心だし、味方にするのは体よく利用するためだけじゃない。信頼関係がほしかったからだ。×××な×××と違ってボクはすべての女の子を大切にするからね……」
何か聞こえそうになったけど、僕のログには何もないので以下レスひ必要です。
裏でこんな汚い話をしていた僕とマルネリアだけど、彼女が勝ち誇っていられるのも、狩り場の〈美術館〉にたどり着くまでだった。
以前彼女が言った、「ボクらがしてきたことは全部繋がってる」という言葉を、予想外の形で見せつけられる。
でも、それすらも、まだ始まりにすぎない。
僕らは“彼女”と再会した。
シリアスさん「もう誰も信じない」




