第百八十九話 刃虫
ヤドカリが背負っていた建造物の破片を蹴散らしつつ、ハリガネムシ型のコキュータルは僕のすぐ横を通過していった。
低いアーチを描きながら疾駆する細長い胴体は、やはりコキュータル特有の半透明な表皮に覆われていたものの、高速で動く影にわずかな節の凹凸があることを僕に視認させる。
紐のようにのっぺりとした姿ではなく、脚のないムカデのような形状らしい。
寄生虫の中には、宿主の生態を乗っ取り、意のままに操るようなヤツらがいる。こいつに寄生されていたから、ヤドカリは自分の体を傷つけるようなヤドに無理やり尻尾を突っ込んでいたのだ。
本当ならあのヤドカリも、もっと手強かったのかもしれない。しかしこのハリガネムシにやられたことで、本来の判断力と戦闘能力を失った……。
頭の左右を往来する思考を、目の前を横切った青白い光が中断した。
心臓部だ! やっぱりこいつにもあるのか!
それは臓器というより、細長い胴体の一定部分を区切る輝きだった。
「くっ……!」
逆手に引き抜いたカルバリアスを、そのまま切り上げる。
心臓部を捉えずとも、最悪、どこかの節を切断できるタイミングではあるはずだった。
しかし、ハリガネムシは、その太刀筋を見切ったように体を大きくしならせ、斬撃をすり抜ける。
こいつッ……!! なんて柔軟な動き。
直後、赤い軌跡が僕の隣に迫った。
パスティスの左目が引く眼光だ。
右手の爪がカチリとわずかに触れ合う音を響かせた瞬間、五条の閃光がハリガネムシの体と直角に交わる。
圧倒的斬速。僕には振り抜いた彼女の腕しか見えない。
だが、まき散らされるはずの蛍光色の体液は一滴たりとも飛ばなかった。
「……!」
パスティスの表情が悔し気に歪んだ。まさか、彼女の爪もかいくぐったのか!?
逃げの一手を放ったハリガネムシは、僕らから遠ざかっていく先で、建物の陰から現れた一匹のバッタのようなコキュータルと鉢合わせる。
バッタとしても予期せぬ遭遇だったのだろう。
ぎょっとしたように動きが停滞した瞬間、ハリガネムシはバッタの胴体に穴をあけて入り込んでいった。
潜り込まれたバッタはすぐに異常な動きを示した。
もだえ苦しむように、心臓を燃やしながらその場でのたうち回り始めたのだ。
ハリガネムシが侵入した穴から体液が飛び散り、周囲を汚す。
僕は慄然とそれを見つめた。コキュータルがコキュータルを攻撃している。
コキュータルは同族も攻撃するのか? それとも、こいつらはこいつらで、別個の食物連鎖を持っているのか?
やがて大人しくなったバッタは、ひっくり返った体を起こすと、よたよたと機敏さの欠片もない動きで、そこから立ち去ろうとした。
僕は即座に察した。
ハリガネムシがバッタを乗っ取った。だが、侵入の際に傷つけすぎたせいで、バッタ本体がほぼ死んでいる。好機!
「アンサラー〈アグニ〉!」
聖銃の銃口が発した火炎弾が暗い街路を引き裂きながら飛翔。緩慢な逃走を続けるバッタを背後から焼いた。
「仕留めたか!?」
言いながら、樹鉱石一回のスライドでストックされる三発分すべて撃ちこみ、完全に炎上させる。
倒れたバッタは枯れ木のように燃え続け、すでにぴくりとも動かない。
が。
ばちりと爆ぜるような音が聞こえた直後、尋常でない速さの何かが、腹部を突き破って飛び出てきた。
目で追えたのは、その胴体の中頃からだった。
ハリガネムシの頭部は僕の視界を一瞬で横切り、隣にいた人物へと襲いかかっていた。
隣にいたのはパスティスだ。
ヤツは生物の体内に侵入する。
それはコキュータルに限らないかもしれない。
人にも。
振り向くまでの一瞬で統合されたそれらの情報が、僕の全身から血の気を奪う。
パスティスが後ずさる音が、わずかに聞こえた。
「パスティス!?」
悲鳴じみた声で叫んだ僕が見たのは、パスティスの目玉を突き破って眼孔から侵入しようとするハリガネムシ――を、寸前のところで横から食いついて止めた、ディバの姿だった。
――ギイイイリリリリ……。
一拍遅れて、青ざめた顔のパスティスが、思わず片目を押さえながら後退する。
危なかった。ディバが文字通り食い止めてくれなければ、彼女もあのバッタのように……! 想像すらしたくない。
「ディバ、そのまま噛み切っちまえ!」
僕が指示するまでもなく、ディバは強固なあぎとを閉じようとしていた。
だが、ハリガネムシは見た目よりもはるかに強靭らしく、美しいほど凄絶なサベージブラックの牙並びの隙間でもがいている。
「何だこいつは……」
竜の咬合力だぞ。ワニですら一トンとか二トンとか言われているのに、竜の頂上級であるサベージブラックの牙に耐えうる寄生虫なんかいるのか?
ディバが悪戦苦闘しているうちに、ハリガネムシの動きが変わった。
噛みつかれている部分より後方の胴体を、すさまじい勢いでディバの首に巻きつける。
体の長い生き物がよくやる、相手を絞めつけるための動き。
しかし、ディバも最強の竜の一族。その程度の圧力で苦しむ様子はない。
けれど、何だ?
何か、猛烈にイヤな予感がする。
その時、ギリッ、と硬いもの同士がこすれ合うような音がして、ハリガネムシの節のある体が膨らんだように見えた。
無数にある節と節の接合部に現れたのは、“返し”だった。
無理やり引き抜かれたときに、宿主の体内にとどまるための棘のようなフック。
ディバに巻きついた動きが一瞬でフラッシュバックし、ハリガネムシ全体を長大な内向きのチェーンソーに錯覚した僕は、破裂するように叫んでいた。
「アディン、トリア! ディバに防御魔法――」
言い終わる前に、ハリガネムシは、ディバに幾重にも巻きついた体を、逆向きにほどきながら高速回転を始めた。突き出した返しで、ディバの首を切り刻みながら。
出血と黒い表皮の破片が獅子の鬣のように広がり、視界を埋め尽くす。
「…………!!」
僕は、
ディバの首が切り飛ばされ、勢いでくるくると無残に回転しながら宙に舞い上がる一方で、
頭部を失った胴体が切断面から蛇口をひねったような血液を吐き出しながら、一切の意志を感じさせない儚い動きで地面に倒れ伏す姿を、
幻視した。
ギャアアアアアア!!
ディバが上げた悲鳴が僕を現実へと引き戻す。開いた竜の口からハリガネムシが飛び出て、宙へと逃げ出したのが見えた。
ディバの首は繋がっており、僕が見た幻のような惨劇は起こっていない。
けれど、安堵は、こなかった。
全身を貫いた悪寒は瞬時に氷結し、つららのようになって僕の体に内向きに食い込む。
凍った眼球が、みしりと音を立てて敵の姿を追った。
解放されたハリガネムシは、この瞬間、長い体をくねらせながらまだ宙にいる。
――ここで殺す。
僕は左手を伸ばした。
掴み取った瞬間、第一のルーンバーストで消し飛ばしてやる。
さっきの幻が頭をよぎる。
サベージブラックの堅牢な皮膚と筋肉は耐えられたけど、僕はどうか。
無理な気がした。
巻きつかれれば左腕をもっていかれる。
それでも。突き伸ばした僕の腕には、ひとかけらの逡巡も混ざらなかった。僕の竜の命より、僕の腕一本の方が全然安い。瞬時にそう思えて、揺らがなかった。それが嬉しくて愉快だった。片腕の喪失を恐れていない。それよりもっと大きな喪失の方を、ちゃんと恐れている。
それでいいんだ。
しかし、横合いから突き出した大きな影が、僕より先にハリガネムシの胴体をかっさらった。
「アルルカ!?」
掴み取ったのはカイヤの巨腕だった。
ハリガネムシは即座に反応し、予想通り超兵器の右腕に巻きつく。再びさっきの反撃に出るだろう。しかしアルルカは、差し込んで操作していた右腕を引き抜くと、即座に機械腕自体を本体から切り離した。
巻きついたハリガネムシの半身を下敷きに、鉄塊が地面に落ちる。
「騎士殿!」
何を促されているのか、考えるよりも先に体が動いていた。
「アンサラー!」
引き金を引く指は止まらなかった。いまだ機械腕に巻きついているハリガネムシにアンサラーの弾丸をフルパックで浴びせる。
細い胴体から蛍光色の体液が溢れ、その外皮を魔力光の中に溶かしていった。
「下がれ! 自爆させる!」
極めつけはパージされた機械腕の自爆。見慣れたイグナイトの爆光の中に、色を失ったハリガネムシのシルエットが一瞬見え、消える。
あの細い敵に対し、過剰ともいえる火力の集中。
今度こそ……!
しかし、次の瞬間。
光と爆風に乗って、黒く細長い怪物が、僕の眼球の位置に躍りかかってくるのが見えた。
鋭く尖った頭部には目も口もなく、ただ敵の体内に潜り込んで支配する目的のみに特化した生物だった。
こ、の、クソ野郎、が……ッ!
腰のカルバリアスを掴む。
間に合うのか。ギリギリ……間に合わない……!?
片目を食い破られる痛みを覚悟した、その時だった。
ガン、ガン、ガン、と三つ音が響き、僕のすぐ横にあった家屋の壁を穿った。
「え!?」
カルバリアスを空振りする中で、僕はそれが、壁に突き立った三本の矢であることを理解し、さらにその矢が、僕に到達するはずだったハリガネムシの胴体を壁面に縫い付けていることを視認した。
誰かが助けてくれた?
思わず救い主を探そうとする目に、壁にはりつけられたままのたうつハリガネムシの姿が映る。矢は怪物を貫いてはいなかった。矢尻は三又に分かれており、ヤツの体を押さえつけているだけだ。
すぐにトドメを刺さなければ逃げられる。心臓の位置は――!?
スガギィィィィン――
……なんか、現実では聞いたことのないすげえ音がした。
「ざんてつけん」とか、そういうのがクリーンヒットしたような快音。
直後、ハリガネムシを張り付けていた壁が、後ろの家屋ごと、エッグカッターにかけられたように、縦に割けた。
えっ……?
僕は、すぐ隣で、大きく伸びをするように腕を振り上げた少女の姿を見る。
やったのはパスティスだった。
地擦りから振り上げられた爪の一閃は、地面から家屋までをまとめて引き裂いていた。
理解しがたいのは、その範囲が、彼女の爪の長さをはるかに超えるものだったこと。
地面の方はわからないが、家屋は高さ五メートルはある屋根の頂上まで、異様な鮮明さで斬り開かれている。
それはつまり、もう、物理をはるかに超越した力学を彼女が行使したとしか、言いようがないということ。
心臓部を寸断されたハリガネムシは瞬時に絶命したようだった。あれだけ激しくのたうっていた長大な体は、いまやただの太い縄のように静まり返っている。
が。
「……ッッ!」
パスティスは、もうわずかな鼓動も残っていない心臓部を、さらに踏みつけ、踏み砕き、踏みにじった。
「パスティス……?」
何度も何度も、鬼気迫る形相で。
輪切りにされたことで出尽くしていた体液は、パスティスの竜の足に踏み潰されることで、ハリガネムシの肉片と一緒にさらに絞り出され、飛び散り、彼女の足元を汚していく。
それでも、彼女はやめない。完全に、貫徹に、姿ごと殺しきれたと理解できるまで。
「パスティス!」
僕は慌てて彼女の体を押さえた。
パスティスは息を荒げながら、しかし決してそれ以上暴れることなく、僕の肩に、とん、と額を預けてきた。
「大丈夫だ。今度こそ倒したよ……」
僕は、冷たく汗ばんだ彼女の背中に手を置いた。次第に呼吸が落ち着いていく。
ディバが襲われた時、きっと、パスティスも僕と同じ幻を見たのだろう。
そうでなくとも、竜をあれほど傷つけられたのは初めてだった。激昂するのも無理のないことだ。……今思えば、僕も。
リーン、リーン……。
その鳴き声のような詠唱に、僕とパスティスはほぼ同時に振り返った。
アディンとトリアが、血だらけのディバの治療を瞬時に終えたのが見えた。
二人で慌てて駆け寄る。
「ディバ、大丈夫、なの?」
パスティスが傷のあった場所を恐る恐る撫でると、ディバは心地よさそうにのどを鳴らして応えた。
「かなり……焦ったよ……。正直、頭が真っ白になりかけた」
僕は白状して、大きく息をつく。
グル、ルルル……。
不満そうにうなったディバの心境を、パスティスが「あんなのじゃやられない、だって」と訳してくれて、僕の緊張を緩めてくれた。
ん……?
ふと、ディバの首のあたりに異物を見つける。
白い鱗。
そういえば、トリアにも鱗が生えかけてたっけ。まだ黒くも色づかない未熟な鱗だけど、これがディバの首を守ったのかもしれない。首の皮ならぬ、首の鱗一枚といったところ。僕とパスティスの悪い予感は、決して単なる幻ではなかった。
「騎士殿、話してるところ悪いが、あそこだ。さっきの矢はあそこから飛んできた」
安堵する僕の肩を、アルルカの声が叩く。
僕はすぐに振り向き、彼女の指が示す先の時計塔を遠く眺めた。
そうだ。僕らは、誰かに助けられたんだ。
その尖った屋根の上。
長い髪を揺らす、少女の影があった。
ツジクローのグロい想像のせいで読み手に大きな負荷がかかる!
ちなみに「ざんてつけん」の効果音はズワチーンだと思うけどそのまま書くとかっこわるい。
数あるゲーム音の中でも屈指の気持ちよさです。




