第百八十五話 フライング(空飛ぶ)・グレッサ
「〈メガトンドアーアンクル〉起動! 続いて〈メガトンスピアアンクル〉起動!」
二つの強力な罠が、巨大な昆虫の姿をしたコキュータルを完全に粉砕し、大量の〈ブラッド〉を石畳の隙間へと流れ落とさせていった。
「……すごい」
「アバドーン、やるようになったデス! これまで百発百中デス!」
「フフ……フフフ……。わたくしだって慣れればこのくらい造作もないのですわ」
同僚からの賛辞の言葉を受けたモニカ・アバドーンは、しかし、青を通り越した茄子色の顔に玉のような汗をいくつも浮かべていた。
絵に描いたようなやせ我慢。が、罠の成功率は事実だ。
「どんどん来い。我、敵を、倒す……!」
「獲物、獲物はどこだ。ここかぁ……?」
「ウオッ、ウオッ、ウオッ……」
武器屋のおやじが狩りのたびに異様にレベルアップし、もはや一匹の魔物となりつつあるのは意図的に思考外に追いやるとして、神殿での訓練においても、モニカたちの変化は顕著だった。
一度突き崩されたくらいではまったくへこたれない。反撃されることを念頭に置き、カウンターを狙う気概さえも見せ始めている。
すべては、ナグルファル号の帰還の日から始まっていた。
「ヴァッサーゴたちも、マルネリア様も、この街のために頑張ってくれてるのですわ。わたくしが頑張らないのはありえない!」
その決意は他二人の仲間にも伝わり、彼女たちの士気は極めて高い状態をキープしている。
「フフフ、先生!」
「どうした、アバドーン!」
彼女は口元に挑戦的な笑みを浮かべて言った。
「そ、そろそろ交代のタイミングだと思いますわ!」
「ダメだ」
弱音は、まあ、吐くんだけども。人間だし、多少はね?
「この後ナグルファル号の改修の手伝いに行くことを考えると、体力を温存しておくのが吉ですの! そこのサブナクは実は結構余裕ありそうですわ!」
チラッ。
「……ごほっ、ごほっ。どうやらもう限界みたい……。シャックスは平気そう」
チラッ。
「ウッ! 持病のシャクがデース! 長い休憩が必要デース!」
チラッ。
「………………」
再びモニカに戻ってきた視線のバトンタッチを、僕は黙って見守った。
「何とか言ってくださいまし!」
「はい、アバドーンさん、次、来たよー。前向いてー」
「ぴゃああああああああああ!」
こんな有様ではあったけど、誰も罠のタイミングをミスらずに、狩りの終わりを告げる鐘の音を聞くことができた。
体液まみれになった体を清め、すぐにカイヤに乗って街の外へ向かう。
コキュータルの狩りは、すでに優先順位第一位にはない。
入り江へにはすでに、多くの作業員たちが集まっていた。
「おー、騎士殿ー。アバドーンたちも助かるよー」
砂浜に引き上げられたナグルファル号の甲板から、総指揮兼現場監督のマルネリアが手を振ってくる。
わざわざ陸にあげたのは、そうしないとグレッサの民が船に近づけないからだ。
一時的に住処を失ったセルバンテスたちは、臨時の小船でぽつんと入り江に浮いている。
ついこの間まで、マルネリアが用意したメモを片手にした作業員たちが、縄に吊られながら、船のあちこちで文字の下書きを行っていた。その工程も終了し、今はのみと金づちを振るう職人たちの彫り込む姿が見えている。
「騎士殿、わたしは一旦街に戻る。氷を入れておくための箱ができあがったそうだ。試運転までにできるだけ本番と同じ環境を用意しておきたい」
「お疲れ様アルルカ。頼むよ」
カイヤの内側でアルルカはうなずき、雪原を走っていった。
船一隻だけの交易に意味なんかあるのだろうか――という空気も当初はなくはなかったけれど、いざルーン文字の完成が女神様の口から公布され、そのための準備が街で行われ始めてからは、もうそんなネガティブな意見にすがって絶望の傷を和らげようとする住人はいなくなっていた。
〈ダークグラウンド〉に閉じ込められた自分たちが、再び外の世界と繋がる。
たとえそれが一隻の船が描く一筋の航跡波にすぎなかったとしても、それで何かが起こるかもしれないという、腹の底に眠らせていた期待の再点火をこらえられる住人は多くなく、今では街一番の関心事に上っていた。
そしてその完遂は、もう目前に迫っている。
僕は多くの人々が取りつくナグルファル号を、少し離れたところから一望した。
何も知らない者が見れば、両舷側に取り付けられた両翼の滑稽さにまず吹き出すだろう。続く船尾にもちょこんとした尾翼が生えており、下膨れの船底が描くずんぐりむっくり加減と合わせて、愛嬌のあるクジラを連想することはそう突飛でもない。
こんなものを取り付けるのは、いっそ一から船を作り直した方がいいほどの大工事のように思えるが、実はこれらは、アルルカのインゴットを分解して作った超兵器を船体に「噛みつかせている」だけにすぎない。
さらに言うと、浮力と推力のメインは古代ルーン文字が担っており、翼はバランサーとして機能するだけの補助装置だ。
「もうじき完成、だね」
いつの間にか隣にいたパスティスのつぶやきに、僕は無意識的にうなずいていた。
「船って、本当に飛ぶの?」
「きっと飛ぶよ。神殿が空を飛んでるくらいだからね」
僕の元いた世界じゃ、キャンプ用のテントだって飛ぶ(ゆるキャン感)。ファンタジーならそれくらいやってのける。
そして翌朝。運命の日はやってきた。
「チェック完了よお! みんなお疲れ様あ!」
『ウオオーイ! いあ! いあ! たいらにぁ!』
海面に戻されたナグルファル号から発されたセルバンテスの一声は、浜辺で待っていた作業員たち全員の拳を振り上げさせ、喜びと女神様への感謝を入り江に轟かせる。
「素晴らしいです。みなよく頑張りました」
達成感に震える人々をリーンフィリア様に任せ、甲板の操舵輪の前では、マルネリアがセルバンテスたちに古代ルーン文字の扱いを伝授していた。
「最初は〈ヘルメスの翼〉を使うつもりだったけど、あれほぼ使い捨てみたいなものだから、それもルーン文字化したよ。操舵輪のここに発動キーが刻んであるから、必要な時に指でなぞって。もう一回なぞると停止。飛んでる場合はゆっくり下降するから。あと、そっちの文字は速度調整。三段階まで変えられるよ」
間近で見物している僕らも唸るしかない。予想以上に魔導ハイテク化してやがる……。
もう待ちきれないという浜辺からの視線もあって、早速試運転することになった。
まずは帆船にあるまじき超加速に船が耐えられるか。超兵器のパーツと古代ルーン文字で補強はしてあるけど、理論ひく現実の答えがわかるのはこれからだ。
乗っているのは、乗組員二名および、技術班であるマルネリアとアルルカ。僕も野次馬として参加し、パスティスもそれについてきた。万が一の事故に備えて、リーンフィリア様とアンシェルは浜辺で待機だ。
「よし。やるわよっ。こんなドキドキする気持ちで舵を握るなんて、子供の頃に父親に内緒で夜中に忍び込んだ時以来かしら」
セルバンテスが少年のような興奮と期待を顔に広げながら、操舵輪の中央付近にある古代ルーン文字にふれた。
文字が輝き出すと同時に、接岸している陸地の方でどよめきが上がる。船尾の方から白い光が漏れ出していた。
おおっ、とどよめきが起こる。
船が巨人の手で押し出されるように、沖へと向かって進みだした。
だが……!
ほんの少し進んだだけで、ナグルファル号は止まってしまった。
「どうしたんだ?」
僕は船尾を注視した。激しい魔力光の点滅が起きて、浜辺を騒がせている。
命綱を巻いたままのマルネリアが慌てて船尾に駆け寄り、下をのぞき込んで顔をしかめた。
「くっ……! ルーン文字の不均衡が起きた……!」
「どういうこと?」
「ナグルファル号本来の木材と、以前ドワーフたちが修理した個所と、超兵器で、微妙にルーン文字の魔力が反発し合ってる。これを均さないと、推力が得られないんだ」
マルネリアは手すりを叩いた。
かなり深刻な問題が発生したらしい。浜辺から見守るグレッサたちも、白い顔をさらに青ざめさせてこちらを見ている。
できないのか。やはり、グレッサに“先”はないのか……!
クソッ、ここまで来て……!
その時だった。
「“均せば”いいのだな?」
僕はその声を知ってもいたし、知らなくもあった。
決して大きな声ではなかったのに、浜辺にいる彼女の声はなぜか聞き逃しようもなく、僕の、いや、全員の耳に届いた。
すべての人々の視線の先に立つ、黒い影は。
「座っていろ、わたしの騎士。助けてやる」
「……ッッッッッ!? 裏リーンフィリア様ッッッッッ!!!?」
夜色のドレスを身にまとったリーンフィリア様が、音もなく、長太刀――ムラサメモードになったスコップを上段に構える。
一瞬滑った僕の目が、その奥に「ダーククイーンと見送る空飛ぶナグルファル号ツアー」と書かれた横断幕を捉える。
中二アパレルショップ〈ダーククイーン〉の連中だッ! あの店員たち、僕とリーンフィリア様が離れるこのタイミングを見計らって、あんなこと企画してやがったのかッ……!
しかし! あのリーンフィリア様の凛とした佇まいはどうだ。氷原のような眼差し。凍えそうな微笑み! ぞくりとするのに、同時に恐ろしく甘美で魅惑的。笑いながら踏みつけられて、罵られたくなる! マジヤバイ! 我ながら色々マジヤバイ!
「我が鞭を受けて、天馬のように駆けてゆけ」
世界を左右に切り分けるような一閃が、ナグルファル号を縦になぞった。
直後。
ドゴォ!
後ろから蹴り飛ばされたような衝撃が船を襲い、僕らを甲板になぎ倒した。
「うおおおおお!?」
暴力的な加速がナグルファル号を前進させ、それに伴う風圧とGが倒れた僕らを船縁へ引きずっていこうとする。
「や、やった! 魔力不均衡が消滅したよ! さすがは女神様!」
「さすめが!」
「それはありがたいんだけど、ものすごい加速よォ!」
必死に床板にかじりつきながら目を前に向けると、舳先がV字にかち割った水面が、壁のように両舷側へと立ち上がっているのが見えた。
弾け散らした海水が驟雨のように甲板へと降り注ぎ、みしみしと船体が軋む。
速力が一気に来た。船は耐えられるのか?
さらに加速!
〈ダークグラウンド〉の周囲の海は、ある地点から急に波が荒くなる。高速のまま波頭に乗り上げたナグルファル号がそのつどジャンプし、着水までの一秒間で僕の血流を滅茶苦茶にかき回す。
ぐええ……気持ち悪い!
これがジェットコースターなら、その案内板には「死ね」とだけ書かれているに違いない。
一度目のジャンプで戦慄し、三度目で吐き気の限界を感じ、六度目で――それまでの震動がすべて消えた。
いつまでたってもやってこない衝撃に戸惑い、甲板に張りつかせていた頭をふと上げると、仲間たちも似たような態度で恐る恐るあたりを見回しているところだった。
風圧もGもない。春先のような柔らかな風が、甲板の上を流れていた。
船の横を見た目が水平線を見つけられず、這いずる姿勢で船べりに近づいた僕は、はるか下方に鈍く揺らめく海面を目視し、思わず叫んでいた。
「と、飛んだああああああああああああああ!」
その日、ナグルファル号は飛んだ。
竜の背中に乗って空を飛ぶのには慣れている。でもこれは、まったく別種の感動があった。
「ヒャーッハー!! 飛んでる、飛んでるわああああ!」
操舵輪を握りしめたセルバンテスが野太い地声で絶叫している。
「やったじゃねえかオラーッ!」
アーネストも可愛げを忘れて何度も拳を突き上げていた。
後に、元に戻った女神様に聞いたところ、入り江からもその光景は見えており、誰からともなく男泣きが始まったという。
街を失い、文明の利器を失い、神にすらそっぽを向かれた人々が、それでもそこから何かを手に入れようと足掻き、実らせた。
それは、海という無限の牢獄をさまようだけだった仲間を、自由な船乗りへと立ち戻らせるだけでなく、暗黒の大陸に閉じ込められた人々の船出も意味していた。
グレッサリアはもう孤立都市ではない。
これを突破口に、自分たちもまた世界の一員になりうることを、彼らははっきりと思い出した。
そして事態は、僕の予想を上回る動きを見せ始める。
さすめがショック! ネ・オ・ジ・オ!(時代感)
気がつけばゆるキャンもウマ娘も終わっている。
だが、ゾイドワイルドは今だ。




