第百八十三話 スウィートホーム
始まりは彼女のこんな一言からだった。
「ねえ騎士殿……。ボクらの家がほしいよ」
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「と、突然何の話ですかマルネリアさん!?」
僕が叫ぶと、どこからともなく突き刺さってくる視線を気にした様子もなく、マルネリアは長すぎるコートの袖をゆるゆる振って言った。
「いやさ。古代ルーン文字の研究をするための部屋がほしいんだけど、ラスコーリの屋敷だと何かやりにくいんだよね。客間が狭くて資料を広げっぱなしにもできないし、何より、なんか警戒されてる気がする」
「ああ、そういうことか……」
もちろん僕にはわかっていたさ。同棲の話なんかじゃないことぐらい。
「どうせ街の土地は余ってるんだからさ、家建てちゃおうよ。ボクらの。ねー、女神様、どう?」
「いい考えですね。ラスコーリに聞いてみましょう」
オメガと対峙した時よりヤバい目をしていたリーンフィリア様が、何事もなかったかのようにマルネリアの言葉を受け、うなずいた。
セルバンテスたちの帰港、オメガとの再会から早三日がすぎ、マルネリアの元にはオーディナルサーキットに紐づけられた様々な品物が集められていた。
カンテラ、ストーブ、保冷剤、配管、包丁……などなど。そのほとんどは日用雑貨で、手引きとなるような教本はやはりない。
暗黒騎士姫たちも実家から予備の装備品を提供してくれたけど、一品で古代ルーン文字の理解を劇的に深めてくれるようなものはなく、製法の復活はマルネリアの頭脳に頼るしかないのが実情だ。
そんな中でのこの提案を拒否する理由は誰にもない。
ラスコーリは少し寂しがったけど、現在、みんなが一つの部屋に押し込まれて寝ていることや、元来この屋敷は、急な賓客を一時的に宿泊させるための役割を持っていること、そしてその部屋が今、マルネリアが広げた研究資料によって足の踏み場もないことなどを鑑み、最終的には承諾した。
ついでに、街の中心からもそう遠くなく、かといって騒々しくもない土地を紹介してくれた。
今、僕らはそこに本格的なマイホームをクラフト中だ。
これまでのエリアで、何となく地上で寝泊まりする家を作ったことはあったけれど、今回ほど本格的なものはなかった。
僕らの本来のホームは天界神殿で、地上にあるものは仮宿だからだ。
しかし今回は違う。
これから天界に戻ることはほぼないだろう。
オメガが提示した猶予は不明。しかし、天界が何らかの判断をすれば即座に動いてくることは確実と見ていい。
天界の神殿で時間を潰す余裕はない。
なるべく地上に残り、なるべく多くのことをするためにも、僕らはグレッサリアにリーンフィリア様の地上神殿を建てることを決めた。
※
連なるいくつもの柱を特徴とする神殿の正面外観を作り終えた僕は、みんなが自室をクラフト中の母屋に入り、ある場所を目指していた。
「アンシェル、いる?」
作りかけの部屋をのぞくと、壁に向かって腕を組んで立つ天使の背中が見えた。
「何よ。今、わたしとリーンフィリア様の聖域に相応しいインテリアを妄想中なんだから邪魔しないで」
「お礼を言ってなくてさ。あの時、オメガを止めてくれてありがとう」
背中を向けたまま言葉を返したアンシェルは、続く僕の謝辞に肩をピクリと揺らし、億劫そうな横顔を肩越しに振り向けてきた。
「別にあんたのためじゃないわ。あそこで暴れられたらリーンフィリア様にも被害が及ぶと思っただけ。それに、あんたもオメガに向けてアンサラー撃とうとしてたでしょ」
「まあね」
アンシェルは呆れたため息をつく。
「あんたもたいがい見境ないわね。見るからにヤバい相手だってわかるでしょ。こっちから戦端を開いてどうすんのよ」
とは言え、あの時、確かにオメガは街を攻撃するような意思を見せていた。脅しではなく、本気でだ。僕はそれを阻止せざるを得なかった。
もっとも、アンシェルが割り込んでくれなかったら、結局町は破壊されていただろうけど。
「オメガに目をつけられたら、僕を首謀者として突き出す予定じゃなかったの?」
「あの子が部隊を引き連れていたら、迷わずそうしたわ。でも、あれはいつもの個人的な見回りだったから、交渉の余地があった。それだけのことよ。切り札は温存しておきたいでしょ?」
そう言うと、彼女は作りかけだった壁にブロックを積み上げ始めた。
「アンシェルはオメガのことよく知ってるの? あっちはそのつもりみたいだったけど」
「天使なんてみんなきょうだいみたいなもんよ。天界は意外と狭いし、お使い一つするだけで何人もの天使と行き会うから、自然と顔見知りになるわ」
ブロック積みを手伝おうとしたけど、手でしっしと追い払われる。
「アンシェルが頼んだこと、高くつくみたいな言い方をしてた」
「根がくそ真面目だからねオメガは。あの出世欲剥き出しのアホ二人組とは、動かすための餌代が違うわ。まあ……面倒な雑用をやらされるくらいでしょ。見回りの手伝いとか」
常識的な範疇で少し安心した。
あの時のオメガも、そしてアンシェルも、ただならない雰囲気だったから。
少し間を置き、色々聞きすぎかなと思いつつ、またたずねる。
「オメガが最後に言ってたこと、どういう意味だろう? 時間に意味はないとか、女神様次第とか」
「知らないわよ。わたしたちはただ急げばいいの。あんたも、油売ってないで自分の部屋作ったら?」
「作ってみたけど、家具置く段階で、ベッドさえいらないことに気づいたんだよ。僕、睡眠いらないし」
「なら物置で十分だわね」
アンシェルが本格的に追い出しにかかったのを機に、僕は部屋を後にした。去り際、彼女が発した、
「騎士。女神様を最後まで裏切るんじゃないわよ」
という言葉に「当たり前だろ」と返してからは、オメガの冷たい双眸を頭の中から追い払おうと努めた。アンシェルの言う通り、結局僕らにできる対応策は、急ぐことだけなのだ。
しかし……意識のどこかに、あの天使の威圧感が居残っている。
ヤツはあの瞬間、本気でグレッサリアを滅ぼすつもりだった。砂漠で、悪魔の兵器群に向けたバスターアンサラー(勝手に命名)を、人の住む街に向けようとしていたのだ。
オメガはそういう天使であり、また、天も同様の審判を下しうるだけの事情を、グレッサ人が抱えているという事実が、僕の心臓の一部をじりじりと炙っていた。
猶予はあるけど、ない。
焦ってはダメだ。焦りはミスを生む。それはわかってる。
僕は焦ってはいないはずだ……。でも、どうかな……。
気晴らしをするようにみんなの私室が並ぶ二階廊下を進み、その中ほどにある階段から下をのぞく。
吹き抜けのエントランスは広く、今はまだ家具もなくがらんとしているけど、後々みんなで集まれるラウンジを作る予定だ。
中庭なんかも折を見て作るつもり。でも今は、必要な機能だけにとどめる。
この神殿には、主に三つの施設がある。
一つは裏庭。これは僕の野外訓練場として使う。
もう一つは、マルネリアの研究室。これは彼女の私室と一体化しており、個人の部屋としては最大のサイズになっている。研究資料をすべて出しっぱなしにしておかないと気が済まない性格のせいだ。
最後の一つは、アルルカの倉庫兼作業場。これは母屋の外にある。カイヤとインゴットはそれでなくとも場所を取るし、もし交易が成功して超兵器の資材が手に入るのなら、集積場としても機能する予定だ。
神殿のくせに礼拝堂の一つもないわけだが、生きるご神体が生活しているんだからそれで十分だろう。仮に作ったら作ったで、邪悪な呪文を捧げる淫祠になり果てることは目に見えてる。
階段を下りて玄関まわりの雰囲気を確かめていると、ふと、僕を呼びかける声が耳朶を打った。
「騎士様、騎士様。こっち、来て」
パスティスだ。彼女はアディンたちと一緒に入れる部屋を作ったため、サイズ的にはマルネリアの部屋の次に大きい。それを作り終えてからはどこかに行ってたようだけど、一階にいたのか。
手招きする彼女に応じて近づくと、玄関からは死角になるような狭い通路の前に立っていることがわかった。
「こっち」
彼女の背中に続いて細い通路に入る。
壁に挟まれた薄暗さに、どこか地下へと通じる湿り気を感じて首をすくめると、案の定、下り階段が現れた。
「へえ。こんな通路が。パスティスが作ったの?」
「うん……。足元、気をつけて、ね……」
パスティスは短く答え、どんどん進んでいく。僕はそれにただついていく。
「…………」
常に携行している腰のカンテラは、階段を照らしてはくれたものの、光の範囲は決して広くはない。むしろ青白い色味のせいで、通路の気味悪さに拍車をかけていた。
意外なほど深く掘られた地下へと潜っていくにつれ、徐々に増していく重苦しさに奇妙な違和感を覚えつつも、時折こちらを振り返って所在を確かめるようなパスティスの目に有無を言う口を封じられ、僕はただ彼女に従うことしかできずに階段を降り切った。
「ここ」
薄暗い通路奥に、扉が開けっ放しの小部屋がある。どうやらここがゴールのようだ。
「入っ、て」
促されるまま中に入ると、古びた石ブロックで囲われた室内がカンテラの光に浮かび上がった。
空気は冷たく停滞しており、やや湿り気がある。
まだろくに物が置かれていない殺風景さと、死者の顔色のようなカンテラの光色のせいで、どこかおどろおどろしく映る。
地下倉庫か? いや。どちらかというと――
それを連想しかけた直後、背後でがしゃんと金属が震える音が鳴った。
振り返ってみると、僕が通ってきた入り口を、黒々とした鉄の扉が埋めている。
入る時には気にも留めなかった、扉の格子つきのぞき窓に小さな寒気を覚えつつ、ドアノブをひねってみる。が、すぐに硬い感触に阻まれ回り切らない。
何だ? 鍵がかかってる……?
僕は扉を軽く叩きながら、のぞき窓に呼びかけた。
「おーい、パスティス? 出られなくなっちゃったんだけど……」
横長ののぞき窓から、色違いの二つの目がのぞいた。
金と赤の目はカンテラが放つ鬼火めいた青白さにあてられ、奇妙な混色を見せている。
彼女は体温と抑揚のない声で言った。
「出なくていい、よ……」
「えっ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「騎士様はずっとここに、いるの」
「ヘヒッ!?」
「もうどこにも、行っちゃ、ダメ、だからね……」
心臓が不安定な鼓動を刻みだす。
僕からは彼女の目しか見えない。表情はわからない。
でも、その目元には、歪な笑いを示すようなシワが、なぜかはっきりと見えるような気がした。
「パ、パスィーさん!?」
いきなり何だ!? どういうこと!?
ぞくりとした冷気に後ろ首を掴まれ、僕は咄嗟に振り返って室内を見回していた。
五歩も歩けば壁端にたどり着いてしまうほどの狭さ。隅に並べられた木箱以外、何も置かれておらず、暗闇とシミを塗り込んだ壁は四方からこちらを圧迫し、呼吸すらままならなくする。
さっき思ったことの続きが、頭の中で浮き上がる。
ここは地下倉庫というより――
監禁部屋だと。
まさか、本当に?
僕はのぞき窓に顔をくっつけて訴えた。
「何言ってるんだよパスティス! 早くここを開けてくれ!」
「どうして……?」
「どうもこうもないよ! そもそも何で僕を閉じ込める!?」
「騎士様が、もうどこにも行かないように。わたしから、離れない、ように」
パスティスの声にはいつになく抑揚がない。
しかし、それでいて、奥底に何か得体のしれない熱情のようなものはあった。それが怖い。決して表に発散されず、彼女の内部でのみ燃焼し続けていた何か。それが、この鉄扉の向こう側で、姿を見せようとしている。
「大丈夫、だよ。不便なんて、させない。わたしが、お世話する、から。騎士様に言われたこと、何でもしてあげるから」
「ん? 今何でもって言ったよね!? じゃあまず僕を解き放って!」
言うと、パスティスは不満げに目元を歪め、
「騎士様はわたしの、言うこと、聞いてくれないの? 何で……?」
「いやいやいや! これは聞けないよ普通!? 特に今は色々と時間がないだろう!?」
「………………」
パスティスは不意に押し黙った。暗い輝きを宿した両目が、僕をじっと見つめる。
うっ……! だ、黙るのは、ちょっと……。何か言ってくれませんか、せめて。
息を呑んで見つめ合うこと、数分にも思える数秒。ピンで固定されたように動かなかった彼女の視線が、ふっと下を向いた。
「……続き、何、だっけ……?」
……へ?
パスティスの意味不明ななつぶやきに続いて、ここにはいないはずの別の小声が、彼女の足元から湧き上がった。
「“わかった。あの女のところに行くんでしょ”だよ」
「あ、うん……。わかった、騎士様、あの女のところに行くんでしょ」
パスティスはその声の言うことを繰り返す。
「“どうしてわたしだけを見てくれないの?”」
「どうしてわたしだけを見てくれないの?」
「“わたしが一番あなたを幸せにできるのに”」
「わたしが一番騎士様を幸せにできるのに」
僕は瞑目し、頭を抱えた。
突然何が始まり、どうしてこうなったのか、全部わかった。
囁きエルフウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!! パスティスに妙な台詞を吹き込むなあああああああああアアアアアアアアアアアア!
「マルネリアさん……? そこで何してるのかなあ……?」
すでにのぞき窓から外を確かめる必要性すらなく、僕は扉から半歩身を引いて、辛抱しつくした声で呼びかけた。
「あー。やっぱりバレちゃったかー」
様子をうかがうような短い沈黙の後、鉛色の扉があっさりと開き、パスティスの横にしゃがみこんだへらへら笑う魔女の顔が現れる。
さっきパスティスに台詞を教えていたのはこのマルネリア。つまり、突然の監禁劇は全部、彼女が仕込んだお芝居だったのだ。
「パスティスに氷室を作ってもらってたら、何かそういう感じのできちゃってさ。せっかくだから騎士殿に、エルフの伝統的な告白の一つを味わってもらおうと思って。ドキドキしたでしょ? これをやるとどっちの子もドキドキして、最高に盛り上がるって話があるんだよ~。どうだった?」
「吊り橋効果は迷信だぞ! 危機的状況で結ばれた二人は長続きしない……!」
『スピード』という名作映画を知らないのかよ(知らないよ)。
「驚かせて、ごめん、なさい」
僕が唸っていると、パスティスが謝った。
「パスティスが謝るようなことじゃないよ。首謀者はこいつだ」
「にゃははっ。その通り。それっ、逃げろ~」
たった今、楽しそうに逃げていったけど。
置き去りにされたパスティスは首をすくめるような姿勢で僕を上目遣いに見て、
「騎士様の、気がまぎれればと、思って。少しだけど、不安そうだった、から」
「僕が……不安……?」
ぎくりとする。
焦りではなく、不安。
僕の胸の内に、あざけるような笑い声がもれる。
不安か。確かに不安だな、これは。
これまで以上に破滅と隣り合わせの街づくり。
怖いのはコキュータルじゃない。警告もなしに破滅の火を撃ち出してくる最悪の天使。
そいつが急に気を変えて、今、海岸からここをアンサラーで狙っているかもしれない。
急ぐしかないと割り切った振りをしていても、心の一つ下ではヤバイという気持ちが荒れ狂ってる。どうにか抑えたつもりになっても、パスティスからは丸わかりなのだから、結局は無駄な足掻きだったんだろう。
どうにもならない。せめてこれが大噴火して、特大のミスをやらかさないでくれと祈るばかりだ。が。
「大丈夫、だよ」
自然に僕の手に重ねられたパスティスの手は、鎧越しにもその柔らかさと温もりが伝わるものだった。
「今まで通りのやり方で、いいの。それできっとうまくいく、から……」
「……!」
人は単純だ。自分で百万回繰り返した言葉より、他人のただ一度の励ましが、心の澱をあっさり晴らしてくれることもある。
僕の心の奥底にあった冷たいものが、ゆっくりと溶けていった。
これは、パスティスだからだ。他ならぬ、これまで一緒にやってきた彼女がそう言ってくれたからこその融解。
そうだった。
僕は多くの仲間に支えられて今日までやってきた。
一人で何かできると思うな。一人で成し遂げてきたと思うな。
困った時は、大人しく甘えることだ。
「わかった。もう大丈夫。ありがとう。ごめんね、気を遣わせちゃって」
パスティスは淡く微笑むと、首を横に振った。
体のどこかに入っていた重しが抜け、少し足が軽くなったのを感じながら、僕はパスティスの背中について地上へ戻る階段を上る。
いつも以上に近く感じられる背中に、ふと軽口がもれた。
「それにしても、パスティスもいつの間にか芸達者になったね。さっきの、全然演技に見えなかったよ」
「………………。演技?」
「うん。僕を閉じ込めたときの。台詞はマルネリアが考えたみたいだけど、声とか、目の演技っていうのかな。僕は演技の評論家でもなんでもないけどさ、自然――というより、真に迫ってた」
「…………」
少し歩いてからパスティスが不意に立ち止まり、けれど振り返ることはなく、声だけをこちらに向けた。
「わたし……演技なんか、してないよ……?」
えっ……。
振り返らぬ狭い背中は、今彼女がどんな顔をしているか僕に想像もさせず、それだけを告げてまたゆっくりと遠ざかり歩き出す。
僕の声は急速に干からびていって、どうにか絞り出せた言葉が、
「へ……へえー……。そうだったんだ……」
「うん……」
演技では……なかったそうです……。
え、ええっと。今度から、地下室に入る時は気を付けよう、かな……。
再開していきましょう。
マイホームをクラフトしていたら、NPCが勝手に監禁部屋を作ってくるゲームがあるらしい(ない)




