第百七十七話 アナザーフェイス
二階に上がるなり、膨れ上がった歓声が僕を階下に押し戻そうとした。
何だろう。騒がしいな。
入ってすぐに目に入ったのは小物売り場だった。
帽子や手袋なんかが売っている。定番の指ぬきグローブが置いてあるけど、凍傷になりたいのか?
階段のすぐ近くに人垣を見つけ、近寄ってみる。
何かセールでもやってるのかな?
すると、
「あ、騎士、様……」
「あれ? パスティス?」
衆目を集めているのは、商品棚の前に立つパスティスだった。
客たちは誰もが目を異様に輝かせており、包囲した彼女を凝視している。
モニカたちも興味津々だったたけど、まさかここでも? と思った僕は、彼女の服装に普段はない色彩が混ざっているのを視認する。
「マフラーしてるの?」
「う、うん……。お店の人が、つけてみて、って言う、から」
恥ずかしそうに声を小さくしたパスティスの首元には、赤いマフラーが巻かれていた。
防寒具としてはごく当たり前のものだけど、端の方がひどくボロボロになっている。
「もう一回、もう一回やってください!」
客に交じっている女性店員が、興奮気味に何かを要請する。
もう一回?
するとパスティスは少し顔を赤くしつつ、僕の興味を確認するようにちらりとこっちを見てから、勢いよくその場でターンした。
『おおお……!』
客たちから歓声が上がる。
長いマフラーがふわりと浮き上がり、巻きつくようにパスティスの動作に追従する。黒い尻尾と対を為すような動きは、あたかも二色の風が取り巻くようだった。
背中をむけてピタリと止まると、一拍遅れて通り過ぎるマフラー端の裂け目から、こちらを肩越しに射貫くパスティスの鋭くも澄んだ眼差しが僕の視線と重なった。
その一瞬の絵の、冷たい美しさに息を呑む。
シャキン、と冴えた音を立てて開かれた右手の爪が、一連の動作の鮮烈な締めくくりになって、観衆の口からため息をもらさせた。
コ、コレェ……。
「あのマフラーください!」
「わたしも!」
「ぼくも!」
見ていた客たちが陳列棚に殺到し、暗躍ロングマフラー(なんて名前だ)はあっという間に売り切れとなり、ついでに予約も数か月先まで埋まった。
「パスティス様、ありがとうございました。おかげでいいものが見られました……!」
「あ、うん……。はい……」
店員さんが涙ぐんでまで礼を言っているけど、売り上げに貢献したことではなく、あのマフラーさばきの方に対してなのがどこまでもこの街流だ。
「マフラー、もらった……」
「よかったね」
合流したパスティスは、はにかんだ様子で僕を上目遣いに見た。
「どう、だった?」
「すごく似合ってた。本当にカッコよかったよ!」
「……! ///廿v廿///」
パスティスはアサシンとか忍者みたいな高速の一撃必殺をよしとし、シャープな外見もそれを如実に暗示している。暗役者を示唆するマフラーが似合わないはずがなかった。
それに加えて、あのボロボロの布地端。単に使い古されたものとしてではなく、所有者が歩んできた苛烈な道を暗示するような風格と、そして同時に、過酷な運命にすり削られた人格の“闇”すらも体現しているようだった。
くそう。プロめ。さすがにいいチョイスをしてくる……。
口元にむずがゆそうな笑みを浮かべる彼女をつれて、三階へと向かうと、そこでも騒ぎが起きていた。
今度の声援は黄色い。女性客が多いらしい。
見に行ってみると、案の定身内だ。
「おーい、アルルカ」
「騎士殿か。待っていた」
いつになく芯のしっかりした返事をしたアルルカは、軍帽とコートまで揃えたミニスカートの軍装で人々に囲まれていた。もちろんドワーフ女性のたしなみであるニーソも装備している。
元より戦士のケープを身につけている彼女は、 爆発らなければ凛とした面差しにすらっとした長い手足を備え持っており、その立ち姿には誰もが勇ましさを認めずにはいられない。
規律の集合体であり統制の権化とも言える軍服が、自然と彼女の戦う気配に折り重なるのはいいとして、注意を引くのはその色合い。威圧的な黒を基調として、随所にみられる血のような赤い装飾は、それを着る者に否応なく戦火の闇をまとわせる。
普段の彼女とは直立する角度さえも違って見え、僕の戸惑いを大きくさせた。
ピッと軍帽のつばに手をやる敬礼のような仕草が異様に様になっており、周囲の女性たちから熱視線を送られても少しもたじろぐ様子はない。この店を作っている時は、服屋に対して若干の恐怖感さえ抱いていたというのに……?
普段は横腹をつついただけで瓦解するはずの彼女の薄氷の有能さは、今この時、何度も友爆してきた僕の目をもってしても、一分の隙も見出すことはできなかった。
「我が眼前に立ちふさがる敵に、鉄の衝撃とヴァルハラへの旅路をくれてやる!」
『キャー!!』
コートの裾をはためかせて叫ぶと、若い女性客たちが一斉に歓声を上げた。
くっ……!? なぜだ? いつもならこの数秒後には僕もろとも自爆してヘタレ顔になってるはずなのに、何も起こらない! 女性客がメロメロなだけだ!
「ではわたしは行く。装備一式はありがたく使わせてもらうぞ」
すっと前に出たアルルカを、ハート目になった観衆が見送る。
彼女は僕の前に立つと言った。
「何だか生まれ変わったような気分だ。これまでの自分の弱さ、甘さが、まるで幼い頃に乗り越え終えた過去のように感じられる」
声には張りがあり、寝言を言ってるふうではない。何を言い返されても、涼しい微笑と共に受け止める鷹揚さが滲み出ている。
バカな。これがあのアルルカなのか? 失われたと思っていた“砂漠の極星”アルルカ・アマンカはここにいたのか?
「そうだ、騎士殿のために探しておいた」
背後で軍装一式が猛烈な速度で買い漁られているのを気にもせず、アルルカが差し出したのは、かすかに弧を描く金属のプレートだった。
「何これ?」
「兜に取りつける装飾用のバイザーだ。兜はただ攻撃を防ぐだけではなく、対峙する相手を威嚇するための小道具にもなる。もし少しでも相手が憶するようなら、その分精神的に有利に立てるというわけだ。騎士ならば、日ごろから気を遣うべき部分だろう?」
「お、おう……」
鏡の前に立たされた僕は、そのバイザーとやらを兜の目のあたりに取りつけた。カチッと軽い音がして、驚くほどしっくりとくっついた。
「こ、ここ、これは……!」
バイザーには、四つの吊り上がった目が刻まれており、さらにそこから、蒼い光がこぼれていた。
僕が風車のように頭を動かすと、光が尾を引きながら追従してくる。
なんだよ……結構カッコいいじゃねえかよ……!
「なかなかの威圧感だ。これなら、敵が怖気づいたところを一気に突き崩せる」
アルルカが満足げに言った。
「こ、これ、売り物なの?」
「フフ……。きっと気に入ってくれると思って、すでに店員との話はつけてある。それはもう騎士殿のものだ」
ゆ、有能ォォォォ!
僕が動くたびに、光が鋭く空を走る。戦場では、誰もがこの死神の経路に震えるだろう。だが、恐れることはない。おまえに闇の時間が訪れただけなのだ。光の元に生まれた者は、やがて闇へと帰っていく。それだけのことなのだ……。
……………………。
ヘハアーッ!!!!!????
僕は大慌てでバイザーを取り外した。
心なしか視界がクリアになり、胸の内にたちこめていた闇系の何かがさあっと薄れていく。
あっ、あっ、危ねえッ!! 今、何かが、僕の中を塗り潰そうとしていた!
「こ、この店は危険だ。早くみんなと合流しよう」
僕は超然としたアルルカを加え、足早に、同じフロアにあったもう一つの人だかりへと向かった。
「魔女装備」と書かれた即席の案内板が出ていて、誰が騒ぎの中心にいるかすぐにわかる。
「あ、騎士殿。探しに来てくれたんだ?」
マネキンと並んで立つマルネリアは、僕を見るなり、らしくない安堵の表情を浮かべてみせた。
彼女は、俗にいうゴシックパンクのアレンジを加えた魔女の格好をしていた。
代表的な赤と黒のチェック模様を含んだ、スカートとジャケットのセット。
過剰装飾ともいえるベルトや留め具があちこちについており、その特徴は厚底のブーツだけでなく、魔女のトンガリ帽子にまで及んでいて、クラウン部分がベルトでぐるぐる巻きになっている。
マルネリアはスカートの裾をつまんで持ち上げると、少し赤くなった頬を、帽子のつばを押し下げて隠した。
「あはは。こういうカッコするの初めてで……。なんだか照れ臭いよ。スカートも短いし。で、でも、どうなのかな……。ボク、可愛い、のかな……?」
リボンが巻かれたニーソの上から膝をもじもじとすり合わせ、恐る恐る、帽子のつばの下から見上げてくる。
…………ッッッ!
誰!? 僕の知ってる魔女じゃない!
「あ、あ、あのさ、も、もしイヤじゃなかったら、この格好で一緒に外歩かない? そ、それで、ホントにイヤじゃなければだけど、て、て、手とか、つ、繋いじゃったりして……。あ、あははっ、ご、ごめん、ボク、勝手なことばっかり言って……。迷惑だよね……」
だから誰なんだよ! 新キャラかマルネリア!?
僕の知ってる君はもっと自由奔放だし、スカートの短さを気にするどころかはいてないよ基本! 恥じらい? そいつはとうに死んだ!
だが、それでも、恐ろしく似合っている。
女神に仕えているとは思えない、秩序に反逆的なゴシックパンクスタイル。
けれど、着ているのは無垢であどけないエルフの少女で、まるで自らのありように戸惑うような弱々しさと憐れさすらある! これは普段の無自覚エロスより深いのでは?
…………。……のでは……。
ま、まずい。
おまえは何を言ってるんだ。アルルカやマルネリアだけじゃなく僕までおかしくなってる。
商品だ。この店の商品が心を狂わす。心の奥底にあるもう一つの自分をさらけ出させてしまう! ちょとsYレならんしょこれは……!
クソッ、だが、なぜ、ちょっと闇を含んだ方が魅力的に見えてしまうんだ?
普段の彼女たちを表キャラとするなら、これはまるで裏キャラだ。
パスティスはより暗殺色が強まったというのに、かえって微笑の儚さが際立った気がする。魔女とボンバーマンなんか裏キャラの方が性格的に真っ当な気すらする! それってどうなの!?
ダメだ惹かれてはいけない!
くっ、鎮まれ、もう一人の自分……!
脱出。早く脱出するんだ。取り返しがつかなくなる前に。
マルネリアが身に着けていた一式が、大勢の女性客に買い漁られる中、僕は逃げるように彼女をつれて上階へと向かった。
防具兼服屋〈ダーク・クイーン〉は四階建て。次で終わりだ。
残るはリーンフィリア様とアンシェルのみ。きっと二人でいるだろう。早く回収してこの店から出た方がいい。ここは人をダメにする店だ。ついでに世界観もダメにする!
しかし、その途中で僕はこれまでにない戸惑いを覚えた。
三階までの熱狂と違い、上から滴るように落ちてくるこの冷気は何だ? 女神様の加護も、カンテラの防寒性も突き抜けてくる、凍てつくプレッシャーは?
鉄靴が立てる音が何重にもこだまする中、僕は静寂に包まれた四階のフロアへと足を踏み入れた。
そこには。
ダーク・クイーンがいた。
リボンとフリルで縁取られた、真夜中色のドレス。
先端で大きく広がる袖は、肩口のところで一度カットされていて、腋もぬかりなく完備している。
豊饒の大地を思わせる草原色の髪が、闇色の花を咲かせたヘッドドレスに縁取られているのは、暗黒が世界を飲み込んだ悲劇の暗喩に思えた。
その右手には、切っ先を床に垂らした日本刀――ムラサメ形態となったスコップ。
彼女の横顔は、焼き付くほどに冷たく、静謐。まるで、光の眷属をことごとく斬り滅ぼし、闇が津波のように地上を覆い尽くすわずかな猶予を、万感の思いですごしているようだった。
――だが、それでも生物は滅びない。
光が絶滅しても、あらゆる色彩が消滅しても、彼女によって生かされ続ける。
すべてが闇の中で蠢く者となり、それが命の正しきあり方になる。
誰も抗えない。抗う気すら起きない。
フロア中にひれ伏した利用客たちのように――
「どうしたんだ友よ。しっかりしろ」
アルルカに揺さぶられて、ぼくははっとなった。
うわああ! また変な空気に呑まれてた! いや闇に呑まれてた! 黒い神の神々しさに!
「おーい、リーンフィリア様ー」
マルネリアが手を振ると、試着室の前にいた女神様が、はっとこちらに顔を向けた。
「あーっ、みなさーん」
さっき僕が見たのは白昼夢だったと言わんばかりの朗らかな笑顔で、手を振り返してくる。
「わあっ? どうしたんですか、ここの人たち」
その時になってようやく、彼女は平伏するグレッサの民に気づいたようだ。
彼らもきっと、さっきの僕と同じように、裏リーンフィリア様の威光にあてられてしまったんだろう。自分の意志とは無関係にひざを折り、地にひたいをこすりつけてしまう衝動に抗えなかったんだ。
リーンフィリア様が話かけても元に戻らず、試しに僕が近くの人に耳を近づけてみると、聞き取ってはいけなさそうな歪な呪文をぶつぶつと唱え続けていた。
あっ……これやばいやつだ。聞かなかったことにしよう。
「あ、あの、騎士様。どうでしょうか、これ。お店の人に勧められたのですが。黒ずくめなので、いつもと雰囲気違うと思うのですけど。た、たまには、こういうのとかも……」
うずくまる人々の隙間をなんとか抜けてきたリーンフィリア様が、何かを期待する表情で僕に問いかける。
「リーンフィリア様」
「は、はい」
「もうその服を着てはダメです」
「えっ……」
女神様の顔が、さっと青ざめた。
僕はかまわず続けた。
「すっごく最強にデタラメなほど類を見ないレベルで圧倒的に似合っているのですが、もう着てはダメです」
「え? え……? 似合ってはいるんですか……?」
「とりあえずすぐに着替えて、今日はもう帰りましょう」
「わ、わかりました……?」
そうして僕らは、逃げるように〈ダーク・クイーン〉から立ち去った。
後日、店からリーンフィリア様宛に例の黒いドレスが届けられたけど、僕が丁重に返却した。
世の中には、絶対に反転させてはいけないキャラが存在する。僕はそれを身をもって知った。
あの店はまずい。世界観をぶち壊すどころか、最終的にもっと大きなものまで壊しかねない。もらった衣装も全部僕が封印した。全部だ。今後は近づくべきではないだろう。
人の個というものは、服屋で買った服のみで変わっていいものではない。もっとこう、色々なイベントを通じて変化していかなければいけないのだ。
ちなみに。
「なんなのよ……」
あのダーク・クイーンが君臨した四階において、実は、アンシェルがなぜかサベージブラックの着ぐるみを着せられてリーンフィリア様の横に立たされていたんだけど、当時の僕らは気づきもしなかった。
変なものを無理やり着せられて相当拗ねていたそうだけど、そんな彼女の憤懣を僕らが知ったのは、この服屋の騒動が一段落してからのことだった。
表キャラに慣れてくると裏キャラが妙に輝くことが稀によくあるらしい。




