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第百七十二話 歪んだズレ

 誰もが目を見開いていた。


 無機質なレンガ積みの地下通路に突如現れた巨大な心臓に、血の気の引いた顔を見合わせることもできずに、硬直していた。


 心臓は、ちょっとした小屋と同じくらいの大きさがあり、緑に発光する血液の池に下腹を浸している。

 表面にはいくつもの細い血管が浮き、部屋の天井から垂れ下がる管と一律のタイミングで、どくどく、と生々しい脈打ちを続けていた。

 生きている。としか表現しようがない。


 青白い照明を受けてぬらりと光るそれは、まるで、大型のコキュータルが持つ心臓そのもの。しかし――

 この美しく雪化粧した街の地下にあるそれは、あれら不可解な怪生物の体内にある時よりも、はるかに不気味で、おぞましく見えた。


 ラスコーリは上機嫌に言う。


「どうですか皆さま。これがオーディナルサーキットですじゃ。命の形をしているでしょう。コキュータルの体液は揮発しにくく比重も重いため、地面に飛び散ったものは、石畳の隙間から暗渠に落ち、ここに集まってくるようになっておりますじゃ」


 平然と続く解説が、周囲の空気を凍てつかせる。青白い顔に濃黒色の陰影を刻む彼の表情は、この光景に一抹の嫌悪も恐怖も抱いていない。


「市長――」

「はい。何でしょう、女神の騎士様。なんなりとお聞きください」


 僕は兜の中で強張った顔を戻せないまま、たずねた。


「これは――これは、心臓ですか?」


 彼は眼帯に覆われていない片方の目を無垢に笑わせ、


「ええ。正にグレッサリアの心臓部にふさわしいでしょう」


 嬉しそうに答えた。目の前の光景が、本当に素晴らしいものであるかのように。そうあることが、喜ばしいことのように。


 初めて、ズレを感じた。

 僕が人間で、リーンフィリア様が女神で、アンシェルが天使で、パスティスがキメラで、マルネリアがエルフで、アルルカがドワーフであるように。

 グレッサがグレッサであることの、僕らとのズレを。


 僕ら全員が慄然とするおぞましい光景を、嬉々として語る彼らとの違いを。


 ……グレッサとは、何なんだ?

 この見るからに禍々しい物体を、愛おしさすら見せて語る彼らとは?

 彼らは本当に正気なのか?


 僕らは一体、何を助けようとしていたんだ?


「この心臓は、本物なんですか……?」


 兜の内側に吐き出した自分の息に凍えそうになりながら、また聞く。


 ラスコーリの目が、ぎょろりと剥いてこちらを見た。

 そして、笑った。


 愉悦に入るような、優越感に浸るような、誇らしげなような、そして、邪悪な、ような、そんな顔で。


「本物……。そうでしょうとも、そうでしょうとも。実に正しく本物の命の形でしょうとも。見えるでしょう、艶めく命の皮膜が。聞こえるでしょう、絶え間ない血の脈動が。ふふっ、フハハハッ……実はですのう、女神の騎士様、よおくお聞きくださいませ。この心臓はですのう……」


 暗い通路を走る不吉な影のように、彼の声が僕の耳をよぎった。


「街の芸術家に作らせた、精巧なカバーなのですじゃッ!!」


「…………」


 は……?

 は?


 は?(威圧)


「カ……バー……? どういうこと?」


 ラスコーリは、自慢のコレクションについてたずねられた蒐集家のように、うきうきと手もみをした。


「つまりはよくできた偽物ということですじゃ。オーディナルサーキットだけだと味気ない機械なので、どうしたら見栄えがよくなるかと住民で話し合いましてな。当時、“狂気の造形家”と名高かった芸術家にこのデザインを頼むことになったのです」

「なんで!? 正気の人でいいじゃん!?」

「正気より狂気の方がイカしているという世論がありまして」

「イカれてるの間違いだろ!? どうしてこんなにグロい見た目にする必要があったんだよ! 反対する人はいなかったの!?」

「一応、二割ほどが異論を唱えたのですが」

「くそっ、少ねえな! でもいたのか!」

「その二割も、“やや狂気”推しでしたので、最終的にはまあ大差ないだろうと納得してくれました」

「同類で草ァ!」


 僕は頭を抱えた。草と言ったが実際は藁にもならない。


 何? 何なのこの人たち?「やや狂気」って何? アンケートの「ある程度そう思う」とかそのラインの意見なの? つか「正気」と「やや正気」の希望者はゼロってこと? 何だこの町!? 住人の頭は冷凍マグロでできてるのか!?


「いやあ、異形退治の専門家である女神の騎士様も本物と見間違われたようで、このラスコーリ、発注者としてこれほど嬉しいことはございません。先ほど、女神様御一行に対し鼻持ちならぬ態度を見せてしまったこと、クソジジイのみっともない幼稚さと思って、平にご容赦くださいませ」


 声だけでクソ市長がうきうきしているのがわかる。さっきの思わせぶりな態度はただ調子に乗ってただけかよ……!


「この、あたかも本当に生きているかのような生命感と、それとない腐敗感を維持するには、オーディナルサーキットの力が必要不可欠でして。放置する時間が長ければ、せっかくの造形が劣化してしまうところでしたが、間に合ってよかった。住人たちも一安心でしょう」

「そういう理由でみんな頑張ってるの!?」


 しゃがみ込んだ僕に追撃のダメージが加速する。


 ぐおおおおおお……! 何だこいつら、何だこいつら、アアアアア!?

 おち、おちおちおちおち落ち着け、落ち着け、ぼ、ぼぐ、ぼぐごごご、僕!

 まだだ。まだ救いはあるだろ!?


 そうさ、へへ、へへへへ……! きっとグレッサの民はみんな芸術家なんだ。

 町全体がそういう風土だから、みんな不思議に思っていないだけだ。決して頭がおかしいわけじゃない。前衛芸術は難しいからな。

 この心臓も、ちょっと異郷人からは理解されない街のオブジェみたいなもんなんだ。それは否定されるようなものじゃなく、そういう文化として受け止められるべきものだ。


 うん、そうだ。リーンフィリア様以下、仲間が全員白目だけど、慣れさえすれば、問題、ない……! ここは芸術の町。そういえば、ラスコーリも変な木彫りの像持ってたし。おお、あれが伏線だったのかよ……! そうだよな、そうだと言ってくれ!


 それから……。


 オーディナルサーキットの見学を終えた僕らは、昨日の戦いの後よりも鈍い足取りで通路から出た。


 臓物スキンの解説は、あれから小一時間に及んだ。

 外皮の質感。テカリを出すための新素材の開発。オーディナルサーキットの稼働と連動し、鼓動するシステムの構築。その心音をより生物的に響かせるための部屋と通路に施された音響加工。いずれもクソめいた神業によってなされた偉業で、死ぬほどどうでもよかった。


 一応、オーディナルサーキットの仕組みについても、言及はあった。


 この装置は、コキュータルの燃料を取り込むと、目には見えない力を放出し、地熱のようにじんわりとグレッサリアに都市エネルギーを供給しているらしい。

 カンテラ他その器具には、それらの力を受容するレセプターが取りつけられているとのこと。それが、僕らには理解できなかったオーディナルサーキットと各器具との連結。


 ただ、オーディナルサーキット本体の細かい調査はできなかった。

 再稼働したてでまだ不安定なことからラスコーリが難色を示したというのもあるけど、何よりマルネリアが気力を失っていた。それまで長々と続いたグロカバー講義のせいだ。僕も女神様たちも無駄にへろへろになって、もはや一刻も早く外の空気が吸いたい気分に陥っていたのだ。


 粉雪が散る薄暗い世界が、やけに清涼で明るく思えた。

 猛烈に疲れた……。もう帰って寝ようか。暗いし、夜だろ、多分……。


 太陽も星もない暗天を見上げて、雪のように分厚く堆積した疲労を振り落とそうと、身じろぎの一つでもしたくなった時。


 僕は、何かのどとめのように、その声を、聞く。


「んん――それはありえない――役割を持てません――」

「はぁ――やれやれ――」

「いい加減にするデス――この方法ならより無残な――」


 ……………………。

 ……………?


 !!!!!!!???????????


 耳から耳へと衝撃が突き抜けるようだった。


 声は階段上から聞こえた。音を吸う雪と、複雑な階段の地形のせいか、声質まではわからなかったものの、その特徴的なしゃべり方は、聞き間違いようがない。

 空疎だった体の中に、冷気と熱気がごちゃ混ぜになった悪寒が渦巻いて、手足の末端を震わせた。


 い、今のは……そ……そんなバカな……!!? 


 硬直する僕に、さらに信じられないラスコーリの声が突き刺さる。


「おや、アバドーンたちが来たようですな」


 なっ……!?


「おおい、こっちじゃ」


 僕らが唖然とする中、階段上に笑顔で手を振った彼は、柔和な顔のままこちらに向き直った。


「コキュータルの迎撃に、こちらも人を出すとお話ししましたでしょう。その者たちを呼んでおいたのです」

「呼んだ……だって……!?」


 混沌じみたできごとの連続に、うまく舌が回らなかった。

 市長ははっきりとアバドーンと言った。

 それに、さっきのあの会話のあのしゃべり方は、僕が仕留めた他の悪魔、サブナクとシャックスのものだ。


 何、だ? 

 今度は何が起きたっていうんだ?


 女神様も、他のみんなも、体の筋が凍ってしまったみたいに動けない。


 ヤツらは生きていたのか? どうして街中に? それより、ラスコーリの発言……真意は!? どうして悪魔に対して、そんなに不用心なんだ? いや、友好的なんだ……?


 かつてない混乱が、カルバリアスも、アンサラーも抜かせないかわりに、僕の中で急速に一つの答えを組み立てていた。


 光の届かない大地。

 軒先に下げられた奇妙なオブジェ。

 人とも獣ともつかない奇妙な木彫りの像。

 極端に多いガーゴイル。

 街のシンボルにあんなグロテスクで奇怪な外見を求める人々の感性。

 悪魔の名を親しげに呼ぶ態度。

 天界の……異様とも言える偏狭な裁定……!


 それらが示すものは、つまり。

 まさか。

 まさか、まさか、まさか!


 彼らは。


 グレッサの民は、悪魔と……!


 僕はただ呆然と、〈大階段〉を降りてくる小さな足音を聞き、そして――


「ラスコーリ市長、おはようございますわ。ふふ――やはり役割が持てるグレッサリアでの朝はとても心地よいですの」

「はあ、やれやれ。こんな朝から呼び出さないでほしいよ……。雪かきよりはマシだけど」

「今日はワタシが一番早起きだったデス! コキュータルの死体いっぱい片づけられて満足デース!」


 出会う。


 僕は言葉を失った。


 雑談をしつつ僕らの前に現れたのは、獣の頭を黒い巨躯を持つ怪物ではなく。

 三人の、綺麗な、少女たち、だった。


真相はCMの後でぇ!(約48時間)

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― 新着の感想 ―
[一言] 今までの世界も何かしらの芸術性に秀でてましたね ここでは狂気の芸術が主流なんですね……!
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