第百七十一話 オーディナルサーキット
一夜明けて、また夜。
時計でも持たなければ、今が朝だとは到底思えない空を窓の外に見た僕は、一晩中眺め続けていた〈オルター・ボード〉に、改めて目を落とした。
第四エリア〈ダークグラウンド〉のメインは、やはり罠ゲーらしい。
チェックした限りでわかるのは、南市街地でのコキュータル迎撃ポイントは三か所。
〈大階段〉、〈武器屋通り〉、〈噴水広場〉だ。
僕は頭に手をやった。
スタッフめ。罠ゲーとはニッチなところをついてきたな……。
僕としてもあまり馴染みのないジャンルで、代表格である『蜃鬼牢』シリーズくらいしかやったことがない。
ストーリーは結構ダークでシリアス。主人公はお尋ね者で、それを狙いに来る人々を無差別に殺戮していくという、多分にダークヒーロー要素を備えたゲームだ。
登場人物は九割がたクズで、結果的に大量殺人者となる主人公が一番まともに見えるため、まったく良心を痛めることなく罠でハメ殺していけるところが救いか(救いって何だよ)。
勧善懲悪で爽やかなハッピーエンドを迎える『リジェネシス』の雰囲気とは合わないところもあるが……。
一方でその狙いには理解できるところもあった。
グレッサリアではコキュータルたちの血液を必要としている。
僕が〈オルター・ボード〉で調べた限りでは、セットできる罠には出血を強いるようなものが数多くあった。
キルゾーンで多くの血液を集めるために、町がこうした仕掛を用意するのは、ある意味で自然なことなのかもしれない。
とりあえず、現段階でのコレジャナイは不要だ。
……しばらく使ってないな、これ。
もしかしたらもう、必要ないのかもしれない。僕もこの世界に来て長い。この世界をこの世界として、ありのままを受け入れる時が来たのかもしれないな……。
《フラ/グ》
おいィ主人公!? 久々にしゃべったと思ったら何だよその台詞はァ!?
変なところで音が切れてるし、さては「フラインググレッサ」か何かの音声切って加工したろ!? どうして頑張った! 言え!
《いちご――》
隙あらばそれだよアンタは!
《…………》
…………。
何か言えよ。
《…………》
…………。
僕、ひょっとしたらこの世界に来た時から狂ってるのかもしれんな……。脳内でこんな会話してるくらいだしな……。
僕しかいない居間を何とはなしに見回し、火の消えた暖炉の上にそれを見つける。
横に並んだ奇妙な木彫りの像。
森の避難村にもあった。あまり上手ではなく、人とも動物ともつかない変な形をしている。ラスコーリの手製だろうか。
動物と人間が合わさった形は、とある連中の容姿を連想させ、あまり嬉しい置物ではなかった。
不意に扉が開いた。
現れたのは、コートを脱いでワイシャツ一枚姿になったマルネリアだ。相変わらずスカートをはき忘れていて、PAN2が見えそうで見えない扇情的な恰好をしているのだが、もはやそういうものだと慣れかけている僕がいる。
「あ、いた、騎士殿!」
彼女は何やら慌ただしい声を僕に向けた。
「おはようマルネリア。どうしたの朝から」
「大変なことがわかったんだよ、ちょっと来て!」
僕は彼女に引っ張られ、何もわからないまま二階の一室へと連れ込まれる。
「これだよ」
いきなり床を指さされ、僕は目を丸くした。
敷かれた布の上に広げられたのは、ピンの一本まで分解された昨日のランタンだった。
「バラしたの?」
「うん。どうしてもランタンとオーディナルサーキットとやらの関係が理解できなかったからね。それで、よく見て。この部品!」
頭を押さえつけられ、ぐいと顔を近づけさせられる。
細かいパーツだ。こんなに小さいのに、下手をしたらドワーフたちの超兵器よりも緻密に作られているかもしれない。カンテラというより、何かの精密機械。グレッサリアの技術力なのか?――
「んん……?」
僕は気づいた。
小さなパーツの一つ一つに、うっすらと何かが刻み込まれている。
部屋の薄暗さに負けないよう、より顔を近づけて凝視する。
「これは……!」
マルネリアに向き直ると、彼女はうなずいた。
「古代ルーン文字だよ。ほぼすべてのパーツに彫ってある。ごく薄くだけど……」
古代ルーン文字……! 大型のコキュータルにも刻まれていたあれだ。
どうしてここにこれが?
「よく見つけたね。ここ、暗いのに」
僕は興奮を抑えきれない声を上げた。
「最初にバラした時はわからなかったんだけど、さわってて気づいたんだ」
昨日の段階で何かを怪しむような素振りを見せていたけど、まさか翌朝には分解しているとは、思い切りの良さに苦笑してしまう。
それにしても、また古代ルーン文字か。
ストームウォーカーが持っていたそれは、本人を含めて間違いなく太古の遺物だった。でも〈ダークグラウンド〉では違う。この大陸を訪れてから、昨日だけですでに二度も、生で機能するものを見ている。それが意味するところは……。
「ここがルーン文字発祥の地なのかな」
「その可能性は極めて高いよ」
マルネリアがうなずく。
「コキュータルとグレッサには、切っても切れない関係があるみたいだったけど。グレッサは、あそこからルーン文字を学んだ?」
「それならまだシンプルでいいよ。もっと複雑なことも考えられる。彼らの言うオーディナルサーキットって地下にあるって言ってたよね。そしてコキュートスも地下深くまで続く大きな穴だ。これには何か、ボクらの想像もつかない深い関係性が――」
険しい顔で言いかけた時だった。
「きゃっ」
きゃっ?
何だ今の可愛い声。
僕がふと顔を上げると、そこには、部屋の奥にあるベッドの上で、顔を真っ赤にしているリーンフィリア様がいた。
へ……?
しかも服装は……なぜかワイシャツ一枚で……。
「き、騎士様、やっ……み、見ないで、ください……」
必死に裾を伸ばして、布地よりも白い太ももを隠そうとしている……。
「騎士、様?」
「ば、爆友、どうして……」
横から上がった声に咄嗟に振り向けば、別のベッドでは、大きめのシャツから肩をはだけさせた寝ぼけ顔のパスティスと、涙目で襟元を抑えているアルルカの姿。
え。
ちょ、っと待って、ね……。
カンテラに夢中で気づかなかったけど、ここ、みんなの寝室?
でも、なんでみんな下着にワイシャツ……?
「このエロ鎧がああああ!」
「もぐら!」
怒号と共にぶっ飛んできた天使までがワイシャツを寝巻にしていて、惜しげもなくストライプ柄の何かを見せながら放ったドロップキックは僕を容赦なく部屋から追い出し、さらに階段下まで転げ落とした。
「この破廉恥エルフ! あんたのせいで、リーンフィリア様の聖なるおみ足が汚い視線に晒されたわよ!」
上から天使と魔女が言い合う声が聞こえてくる。
「えー。お風呂で熱くなったから、涼しい格好で寝たいって言いだしたのそっちじゃんー」
「寝巻はいいわよ! リーンフィリア様のすべすべ太もも抱き枕はいいものだったわ! そうじゃなくて、ヤツを部屋につれこんだでしょ!?」
「用事があったんだよ。だいたい、その格好のどこが恥ずかしいの? ボクいつもそれだけど」
「それがおかしいのよ恥を知れよお!」
どうやら、そういうことらしい。
ていうかさ……前回に引き続き、この中途半端なサービスシーン何なの?
あれなの? 罠ゲーにはグロい表現があるから、グロとエロは切り離せないってポリシーのスタッフが、他の制作陣とモメにモメまくりながら結局この微妙なお色気シーンで妥協し合ったってことなの……。
あのう、僕、人肌の温もりもわからない鎧なんで。
ついでに心臓に悪いんで、そういうの、いいですから……。
※
「いかがですかな、女神様。今朝のモーニングアクアは、四十二年ものをコクに定評のある三十七年で割った、我が家自慢ビルドなのですが」
「…………。ええ、とてもおいしい水です。その、多分コクとかあって。ありがとう、ラスコーリ」
通常のランプが灯す橙色の明かりの中で取られる朝食は、コキュータルが平然と闊歩する町の朝食としては、平凡で平穏なものだった。
パンと野菜のスープ。スクランブルエッグには豆が交ぜてあって、質素ではあるけれど、立ち上る湯気においしそうな匂いが溶け込んでいた。しかも、万能調味料であるリーンフィリア様のジャム付きだ。
けれど、もんくの一つも出しようがない食卓でありながら、席についた女性陣の口数は多くない。
「……お気に召しませんでしたか? 皆様の様子が、どこか……」
「心配いらないわ。悪いのは、扉のところにあるエロ置物だから」
アンシェルが唇を尖らせ、ついでに尖った目線を僕に向けた。
僕がしどけない女子の寝室に踏み込んだ理由は、すでに周知されている。マルネリアは誰から何を言われても決して口ごもったりしない少女だからだ。
しかし、無防備な姿を見られたことも、それはそれで事実なわけで、罪のありかはともかく、気恥ずかしさだけはこの時間まで消えることはなかった。
寝ぼけていたからか、あんまり気にしていない様子のパスティスは元々多弁な方ではないし、アンシェルから散々エロ魔女扱いされたマルネリアはなんか拗ねていて、女神様とアルルカは肩をすぼめて小リスのようにモソモソとパンをかじっては、時折ちらちら僕の方を見てくる。
それらが全部噛み合って、今の言葉少なげな食卓ができあがっていた。
何も知らないラスコーリが戸惑う姿が、少し可哀想だ。
しかし、僕らはこの暗黒の大地まで、わざわざラブコメをしに来たわけではない。
食後にマルネリアが、
「あのさ、市長さん。ボクたち、そのオーディナルサーキットってのを見たいんだけど、見れる?」
と切り出したことで、ようやくみんなの顔つきが変わった。
カンテラに古代ルーン文字が使われていたことは、もう全員が知っている。そしてそれらの文字は、これまで敵しか持っていなかったことも。
グレッサの民と古代ルーン文字の関係は、僕ら全員の関心事だった。
ちなみに、あの後でマルネリアはカンテラを完璧に元に戻してみせている。
「オーディナルサーキットをですかな?」
ラスコーリ市長の目が、一瞬、含みのある輝きを放った気がした。が、すぐに破顔すると、
「ええ、もちろんですじゃ。ご案内しましょう」
食後のドリンク(水)を飲み終えると、僕らはラスコーリ市長の屋敷を出た。
アディンたちは留守番だ。中庭で雪まみれになって遊んでいるから、放っておいても大丈夫だろう。
眼帯をはめたラスコーリにつれられ、市街を歩く。
「もう、みんな起きて働いているんだな」
朝のトゥ・La・ブルから立ち直ったアルルカが、市内の様子を見ながら目を細めた。
明朝の薄暗さ――時刻的にはもう日中だけど――の中、カンテラの小さな光を携えた人々が、昨日と同じように雪かきと燃料集めに精を出している。
彼らのカンテラも機能しているということは、オーディナルサーキットも順調に稼働していると考えていいのだろう。
「みな、勤勉ですね」
リーンフィリア様が素朴な感想を述べると、ラスコーリは慇懃に微笑み、
「女神様に取り戻していただいた街ですので、みなも気合が入っておるのでしょう」
僕はグレッサリアの町並みを雑然と眺めた。
薄灰色のレンガを組み合わせた、色彩に乏しい家が並んでいた。
積雪にまぎれるとその境界はさらに曖昧になり、まるでグレッサリアが自体が、雪でできた自然の一部のように感じられた。
街灯の青白い明かりの静謐さと相まって、おとぎ話に出てきそうな綺麗な町だ。
家屋のデザインに特異な点はなかった。人間が作る建造物としてシンプルに洗練され、背の高い直線的な建物が目立つ。
ぼそりと音を立てて落ちた雪の出所を探れば、屋根の雪下ろしをしている市民がちらほら見えた。
彼らが掘り起こしているのは、屋根の上に設置されたガーゴイル像だった。
もちろん、僕がさんざん戦ってきた悪魔の兵器ではなく、鬼瓦やシーサーと同じく、魔除けのための彫像だ。
よくよく見ると、この街にはガーゴイル像がやたら多い。どこの家にも最低一つはあり、中には、屋根の縁をずらりと埋め尽くしているところもあった。
ガーゴイルの本来の役目は装飾的な雨樋だそうだけど、あそこまでいくと完全に飾りだ。しかも過剰装飾。
森の中の村にも、魔除けのような奇妙なオブジェが吊るされていたし、ラスコーリの家の暖炉にもヘンテコな木彫りの像があった。神秘的なものを自由に崇めるグレッサの民らしい光景と言えるのかもしれない。
「おお、女神様だ」
「何と可憐な……」
「ありがたや、ありがたや」
僕ら一行がそばを通りかかると、昨日の興奮覚めやらないを人々が、リーンフィリア様に深々とお辞儀をした。
彼女はそれに、控えめに手を振ることで応えていた。
いつもならここでタイラニーと叫んで洗脳――もとい、布教するところなのに、それがないのはなぜか。
理由は一つ。
自分もまた、この土地を見放した天界の一員だから。……と、彼女が思っているからだ。
違うのに。もしそうなら、彼女は天界の指示に従って、ここには来なかった。
けれど、今僕がそれを力説しても納得してくれないだろう。
リーンフィリア様自身が、自分の中から負い目を消し去らなければ。そのためには、目に見える成果――町の真の復興が必要だ。
ん……?
何かが僕の頭をよぎり、足を止めさせた。
あー……?
周囲を見る。
これといって変わったところのない風景。
怪しいものも、気を引くものも、何もない。
それなのに何で、僕は足を止めたんだ?
「どうし、たの?」
僕と一緒に立ち止まったパスティスが聞いてくる。
「何か……。いや、何でもない」
実際に何でもない。はずだ。
ただ、心だけがわずかに揺れ動いた。しかし何に……?
パスティスも周囲を見回していたけど、気になるものはないようだった。
まったく見当もつかないまま、僕は速足で仲間を追いかけることになった。
一番近いオーディナルサーキットは、迎撃ポイントの一つでもある〈大階段〉のそばにあるらしかった。
「南部都市の名物の一つですじゃ」とラスコーリが胸を張って言うように、長大な階段がつづら折りになって下に伸びている。確かに立派な階段だ。駆け上がってきたコキュータルたちに鉄球を転がせと僕に囁いてくる。
下まで降りると、通路脇の壁に頑丈な扉が取りつけられていた。
見張りにラスコーリが何か告げると、彼はこちらに深く頭を下げて、扉を開けてくれた。
現れた通路は、やや広めの等間隔で設置された青白い明かりに照らされ、仄暗く奥へ奥へと伸びている。まるで洞窟だ。
一歩踏み込んだだけで、気温が数度下がった気がした。
――……?
心臓が大きく脈打つ。
何だ……? 緊張してる? 僕が? 何に?
全然わからない。確かに、明かりの色のせいで若干ホラーくさい雰囲気にはなっているけど、危険らしい危険はまったく感じられず、案内するラスコーリの態度も柔らかい。
けれど、柔らか……すぎたんだ。
この先にあるものに対して、あまりにも。
仲間たちの足並みにも乱れが生じた。みんなこの奇妙な感覚を感知している。
心音はどんどん大きくなっていく。
僕は我知らず、カルバリアスの柄に右手を載せていた。それでも心音は収まらない。緊張が抜けない――でも、それは勘違いだった。
体を揺さぶるような鼓動音。
それは、僕のものでは――自分のものではなかったんだ。
「これがオーディナルサーキットです、女神様」
通路の最奥でラスコーリは振り返る。
青白い光に照らされた彼の表情は、本当に安らかで、穏やかで、満足げだった。
僕らは立ちすくむ。
彼の表情と、背後にあるものの大きな落差に、震えて。
地下通路の先にあった、たくさんの管に繋がれたその物体は……。
大きな鼓動を通路中に響かせる、巨大な、心臓、だった。
前半との落差




