第百六十七話 灯の町
穏やかに降り続ける雪の中、僕らを乗せてカイヤが町へと駆けていく。
足取りは軽快で、サベージブラック三匹とタイニー号二機が取り巻く周囲に、脅威となる相手は寄りつこうともしなかった。
というより、こっちが一塊の脅威なんだよなあ、雪原的には。
「リーンフィリア様、悲しそう、だった」
膝を抱えて座っていたパスティスが、ぽつりと、膝頭につぶやきを落とす。
「つらいのは女神様だけじゃない。グレッサの民もつらい。早く町を救ってやろう」
下からアルルカが言ってくる。多くの言葉を飲み込み、するべきことだけを捉える、戦士の言葉だった。
「全力で排除にかかろう。多少町がぶっ壊れてもかまいやしない。解放が最優先だ」
僕の声に、二つの肯定が応えた。
さっきのラスコーリの話で、気になることはたくさんある。
それらを整理すれば、とてつもない事実に行き着く予感もあった。
でも、今優先すべきはそれじゃない。
一刻も早くグレッサの民の町を解放し、リーンフィリア様の胸を重くする暗い感情を噴き散らす。それが騎士である僕の役目だ。
町はすぐそこに迫っていた。
ここまで戦闘なし。消耗なし。ベストの状態で突入できる。
「かなり大きい町だな。立派な外壁もあるぞ」
アルルカが驚いた声を発した。
蒼ざめた雪原に立ち上がった外壁は、こちらが近づくにつれて背を伸ばし、取り囲む町並みを隠しつつあった。
凍てつく僻地によくこんな大都市を――と思うよりも早く、初期状態でこれじゃ町を広げる必要はほとんどないな、とこっちの都合を考えてしまう。
しかし、奇妙なものだ。
あの外壁は多分、外からの敵を防ぐのではなく、内から溢れる者たちを抑えるための囲いだ。つまりあの町は、居住地であると同時に、巨大な狩り場でもある。
それが決壊して、今のようになった。
ヤツらの体液がどれほど有能な資源かは知らないけど、普通じゃ考えられない。
壁で囲い、その中に住むまでするなんて、まるで、あの怪生物たちを一匹たりとも逃がすまいとしているみたいだ。
そうするに足る利益があるのか。それとも、何か別の理由が……?
考えるうちに、外壁がさらに近づいてきた。
見えてきたのは、壁面に残された激しい破壊の痕跡だった。
「ボロボロだ……」
知らず、胸中の感想がもれた。
灰色の高壁には、あちこちに穴が空いたり、亀裂が入ったりしている。
砕けた構造物が外で雪の小山を作っているは、内側からの破壊を受けた証拠だろう。
内部はかなり悲惨な状態になっているかもしれない。
しかし、町の中には明かりが残っている。
まだ生きている施設があるのか? さすがに、隠れ住んでいる人はいないだろうけど……。ダンジョン内にいきなりお店が存在するのもRPGのお約束だ。可能性はある。
カイヤが門に近づいた。
巨大な外壁に対し、外と内を繋ぐ門はさほど大きくはない。
ただ、出口を求めて殺到した何かによって、門扉は蝶番ごと弾き飛ばされて恐らく雪の下。入り口のサイズもだいぶ拡張されてしまったようだ。
〈雪原の王〉もここから飛び出ていったのだろうか。いや……あのサイズは無理だな。僕は、入り口の近くにある、壁の一部を完全に破断させた大きな裂け目を見て、ため息をついた。どでかい獣道だ。
「よし、行こう」
呼びかけると、アルルカは速度を緩めずカイヤを壁の内側に飛び込ませた。
パスティスが目を鋭くし、アディンたちがのどを鳴らし、タイニー号が続く。
――――!
思った以上の惨状が、僕らの目の前に広がった。
いや……これを惨状と呼ぶべきなのかどうか。
無かったのだ。
町が。
外壁の内側に、町並みを成す家屋というものはほとんどなく、ただただ、緩やかな起伏を描く雪原だけがあった。
「騎士様、町が、ないよ……」
パスティスが力なく言う。
「いや、ある……。多分。雪の下に……」
雪にできた凹凸が、わずかに残った家々の基礎を想起させる。
あの怪生物たちは徹底的に町を荒らしたようだ。ドワーフの旧市街が無事だったのとは真逆に。
僕は外壁を振り返る。
そこに刻まれた暴威の痕跡は、外側とは一線を画する凄惨さだった。
鉄球を叩きつけられたようなでかいヒビや、無数の爪痕など、それらを残した犯人の凶暴性が、イニシャル入りで残されているような状態だった。
神々に棄てられた人々が、その日、どんな厄災に襲われたのか。言葉にするのもはばかられる。
「この行いは、ヤツらの命で償わせる」
アルルカは怒気のこもった白い息を虚空に吐き出した。
壁と違って、町の方はすべて雪に覆われ、蹂躙された生々しさはない。けれど逆に、その静けさが、ここが「終わった土地」であることを僕に強く意識させた。
この町とグレッサの民の終焉は揺るぎなく決定づけられ、すでに何人も救いの手を差し伸べることはできない。すべて歴史のはるか後方に置き去りにされ、かすかにフラインググレッサという、正体不明の海の伝説が残るだけ。――そう、強弁されているみたいに。
僕は少し冷たくなった鎧の内側に、皮肉っぽい苦笑を落とした。
だから?
僕らは今まで、何もないところに一軒の家を建てるところから始めてきた。
この光景がグレッサの民の終わりだというのなら、別にそれでかまわない。
もう一度始めるだけだ。今、この時から。全部。
僕は用心深く周囲を見回す。
ちらちらと舞う粉雪の向こう側に、青白い灯がいくつか見えた。
正面にあるのが一番大きい。何かの施設かもしれない。とりあえず、そちらに向かってみる。
「タイニー」「タイニー」
タイニー号が甲高い声を上げながら雪上を不規則に駆け回り始めた。
グルルルル、と竜たちも威嚇するようにのどを鳴らす。
「騎士様、正面!」
パスティスが指さす先の闇に、何かが蠢いているのが見える。
何だ? 地面が丸ごと揺らめいているような……。
「タイニー」
タイニー号が雪を蹴立てながら突っ込んだ。正面の異変を、早くも敵と認識したらしい。
二つの轍の先端が前方の闇へと消えた直後、それは起こった。
ボ、ボボボボッと、さながら夜を迎えた町が次々に明かりを灯すように、青い灯が連続して暗闇に浮かび上がる。
僕は目を剥きながら、その無数の灯の中に、先ほど〈雪原の王〉との戦いで遭遇した、燃える心臓をはっきり目視した。
全部敵の心臓か。なるほど……!
「アルルカ、このまま突っ込むぞ! パスティス、竜たちに攪乱を!」
僕の要請に応えてアルルカがカイヤを前進させると同時に、パスティスがアディンたちに突入を指示した。
獰猛な唸り声を上げながら、濃黒の竜が雪を蹴散らして薄闇の奥へと飛び込んでいく。
彼らの尾が、青ざめた雪原から宵闇の中へと潜り切った頃、青白い灯がいくつも宙を舞って、古びた電球のように弱々しい明滅を繰り返した後、消えた。
僕らが戦場に到達したのは、そのわずか数秒後。
雪の上に飛び散った蛍光緑の体液の上に、敵の正体が転がっているのを見る。
こいつ……!?
それは一メートルほどの大きさの、サソリとクモの中間のような生き物だった。
これ、ウミサソリってヤツじゃないのか……? 古代の海に生息していたっていう……!
空気を圧する音がした。
咄嗟に正面に向けたアンサラーは、カイヤが上に伸ばした両腕にがっしりと受け止められたウミサソリの顔面を見る。
僕の首を刈り損なって口惜し気なハサミが、がしゃがしゃと不穏な音を立てた。
「騎士殿、ヤツら、ぶっ飛んでくるぞ!」
アルルカが叫び、捕まえたウミサソリの心臓に大型バリスタを打ち込んで投げ捨てる。
彼女の言った通り、無数の灯が空を舞った。
「任せろ!」
雷属性の樹鉱石〈ヴァジュラ〉をアンサラーに走らせ、僕は飛び上がったウミサソリたちを大雑把な狙いで撃った。
着弾と同時に弾けた雷光の穂先が、すぐ近くにいた数体を巻き込んで、暗い空に紫電の花を咲かせる。
動きの鈍ったところへアルルカがボウガンを向けようとしたが、雪明りを照り返した五本の爪がそれよりも早く虚空に閃き、敵をバラバラに引き裂いていった。
薄闇の奥に、ディバの背中に乗ったパスティスが、返り血に濡れた右腕を血振りするのが見えた。
タイニー号も小型とはいえ、あの回転力と速度で体当たりされれば、強固な甲殻でも砕け散る。あちこちから硬いものがへし折れる音がいくつも聞こえた。
それまで我が物顔で町を闊歩していた怪生物からすれば、僕らは招かれざる凶事そのものだっただろう。
真っ先に応対に走ったウミサソリの群れは、あっという間に壊滅した。
すべての蒼い心臓が燃焼をやめ、周囲は一旦静謐な宵闇へと戻った。かに思えたが。
ボボウ、ボボボボウ、と、周囲に無数の灯が再点火される。
今の戦いを嗅ぎつけた連中だろう。
「かなりいるな。みんな、まだやれる?」
「平気」
「もちろんだ」
僕の呼びかけに仲間たちは力強く応えた。
それが長期戦の始まりだった――と言うと、少し見栄を張った表現になる。
実際はそんなでもなかった。
僕は右手にカルバリアスを抜き、左手にアンサラーを構えて、敵陣に突っ込んで暴れ回った。
カルバリアスを逆手に構えて引き切れば、群がる怪生物たちは次々に体液を吐き散らして倒れ伏し、射線が通ると見るや撃ちまくったアンサラーの弾丸は、飛翔の末にほぼ必ず敵の体をぶち抜いた。
どこを見ても敵、敵、敵の大乱戦。
それに対して僕らはあまりにも少数だった。
一人の人間がどんなに奮闘しても戦況を覆せないのが現実。ただ、それは僕やアルルカまでの戦力に当てはまる標語であり、そこにまったく囚われない真の怪物というのが、うちにはいるのだ。
はい。
サベージブラックちゃんたちです。
これまで、水中や霧の中、砂漠と、厳しい環境下で戦ってきたアディンたちにとって、この雪原は実家のような安心感のある戦場に過ぎなかった。
僕が群れの端っこと激戦を繰り広げている間に、三匹は風のように暗闇を駆けて中枢に飛び込み、枯草の野に炎を放つが如く一気にヤツらの燃える心臓を刈り取っていった。
しかもディバの上には、ドラゴンライダーよろしくパスティスが騎乗しているので、指揮や連携が乱れることはまったくない。
彼女はもはや、冥府の主が管理する命の蝋燭を好きに切り刻める力と権限を持った、死の神そのものだった。
元々『リジェネシス』のドラゴンっていうのは、通常ステージで乗れば一方的な虐殺になる爽快ギミックだけど、これはもう、すべてを作業にするバランスブレイカーだ。
この世界で、あの親子に逆らえるヤツとか、いないんじゃないかな。少なくとも僕は逆らいたくない。
気づけば、壁の内側は怪生物たちの墓場と化していた。
焦熱の絶えた心臓を見下ろしながら、僕は思う。
こいつらの姿には脈絡がない。
獣、昆虫、鳥、魚さえいる。現行生物と同じ形のものもいれば、いわゆる古生物と呼ばれるものもいた。
まるで、生物進化の年表を丸めて投げ込んだかのようだ。
そんなヤツらが地下から這い出し続けている。『Ⅰ』の時代から、ずっと。
僕らが前作で戦いを終えてからもだ。
『Ⅰ』は一体、どんな秘密を隠したまま仮初のハッピーエンドを迎えていたっていうんだ? こいつらの謎が明かされなかったからこそ、『Ⅱ』が始まったということなのか?
僕は徐々に近づきつつある、前方の大きな青い灯を見た。
もう、あれを何かの施設の照明だとか、のんきな観測をするつもりはない。
あれは心臓だ。
町の奥に、巨大な心臓を持ったバケモノが待ち構えている。
やや長めのバトルフィールドが続いておりますがお付き合いください




