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第百六十六話 天に疎まれた民

「申し遅れました。わたしはラスコーリといいます。見ての通りのオイボレでございますが、年の功を頼りに村の長を任されておりますじゃ」


 ラスコーリは居間の暖炉に新しい薪をくべながら自己紹介をした。


 帽子を脱いだ彼の頭はつるりとしていたが、山羊ヒゲと眉毛がその代わりを務めるように豊かで、好々爺然とした雰囲気を一層際立たせている。


 年寄りではあったけれど背中は曲がっておらず、口調もはっきりとしていた。


 僕が観察した限りでは、彼に変わったところはなかった。

 顔や耳の形に目立ったところはなく、セルバンテスたち同様、色がやけに白いことをのぞけばごく普通の人間と変わらない。そう――エルフやドワーフたちに比べると、人間そのものなのだ。


 家のインテリアにも奇異な点はない。

 玄関口からすぐ炊事場に面した居間に入り、そこから繋がる扉は一つだけ。恐らくは寝室だろう。村長の家とはいえ、外から見た大きさは他の民家と大差なかった。


 僕らがいる居間には、竜を思わせるレリーフが象嵌された暖炉があり、寒さに震えていたリーンフィリア様はさっそくその前で膝を抱えて丸くなり、アディンたちも何だかんだで体が冷えたのか、その周囲に集まった。

 誰もがほっとするような橙色の炎を、女神様に手放された天使だけが、恨みがましく見つめる。


 僕は、暖炉の明かりが照らす室内を見回した。


 年経た家だった。

 あちこちに暗闇が染みついたような影があり、冷たく、狭かった。

 居間は僕らが入ると満員で、ラスコーリ村長は炊事場にはみ出して立っているほどだ。


 椅子やテーブルといった調度品は、木材をどうにかその形に整えただけの簡素なもので、暖炉の上に並べられた動物だか何だかわからない奇妙な木彫だけが、わずかながらに文化の名残を感じさせた。


 そういえばここに案内された時、家の外にも、木で組んだ不思議なオブジェが吊るしてあった。魔除けの一種だろうか?

 そういったものに頼りたくなる気持ちもわかる。


 暖炉の火があっても、室内は真昼とは思えない薄暗さだ。

 ここはずっとこうなのかもしれない。神々に見放され、世界の時間から置き去りにされたその日から、ずっと。


「さあどうぞ。ただの白湯でございますが、今朝森に積もったばかりのファーストスノーを溶かしたものですじゃ。今年はなかなか味がいい」


 貧しすぎだろ村。何だよファーストスノーって……。

 が。


「……おいしいです」


 お湯を呑んだリーンフィリア様が、狐につままれたような顔で言った。他の面々も目を丸くしている。

 意外ッ! それは水!


「これは、本当にただの雪なのですか? 少し甘みがあるような気がするのですが」

「ええ。春から夏にかけて、この土地では雪にかすかな甘みが混じります。沸騰させることでさらに甘みが強くなりまして、こうして味わうことができるのですじゃ」


 なんか高級レストランで800円くらいしそう。

 それより、今が春だってことが一番ヤバい事実な気がしなくもない……。真冬とかどうなるんだよ。冥王星になるのか?


「先ほど女神様がおっしゃったセルバンテスとは、船乗りのセルバンテスのことでございましょうか?」


 みんなが静かに白湯を堪能する中、ラスコーリは静かにたずねた。


「ええ。〈ブラッディヤード〉……ドワーフたちの港に彼らがやってきて、この土地のことを話してくれたのです」

「ドワーフ……」

「わたしの種族のことだ。砂漠の土地に住んでいる」


 アルルカが自分を指で示すと、彼は理解したように柔和に微笑み、うなずいた。


「そういえば以前セルバンテスが、砂漠に住む戦士の一族のことを話して聞かせてくれましたな。だいぶ前のことですが。今もしっかり続いておりましたか。結構なことですじゃ……」


 続いていた、とは奇妙な言い回しだ。まるで、始まりから終わりまでを見守る者のような。アルルカも少し気後れしたような顔をしている。


「彼らは陸に上がれたのですかな?」


 村長は重ねてたずねた。リーンフィリア様が応じる。


「いいえ。天界から受けた罪咎があるからと、船から降りませんでした」


 本当はちょっと降りようとしてたけど……。でも、結局それは失敗した。案外、大きなペナルティがあるというよりも、何か不都合が生じてその都度上陸を妨害される、というタイプの罰なのかもしれない。


「けれど彼らは、グレッサの民を助けてほしいとわたしに言いました」


 告げられると、ラスコーリは短く、しかし深く沈黙した。


「畏れ多いことを申し上げました……。我々グレッサの窮乏と、女神様は何ら関係がないというのに……」

「一体、天界とあなたたちの間に何があったのですか? なぜあなたたちに罰を?」


 問いかけに、ラスコーリはため息のような声をもらした。


「信仰に対しての認識の違いなのです」


 信仰だと?

 僕は注意深くその先を聞く。


「我々にとっては、天の神々だけでなく、人の社会の外にあるものすべてが畏敬と尊崇の対象となりうるのです。火や水、風や大地、森や山。時には、書物や道具といったものに信仰を捧げる者もおります。神々はその態度に不満を抱かれたようで……」

「まさか……自分たちだけを崇めろって?」


 僕は思わず非難がましい声を差し込んでいた。

 ラスコーリは遠慮がちにうなずく。


 おいおいおい、おいィ!?


 冗談は顔とPスキルの低さだけにしろよ。天界の連中は、それで自分たちが信仰されると本気で思っているのか? だいたい、リーンフィリア様以外の神は地上にほとんど興味ないじゃないか。何も与えないが愛せよと言ってるようなもんだ! どこまで偉ぶるつもりだ!? マジでドワーフの詫び石の結婚指輪のネックレスを指にはめてぶん殴るぞ!?


 アンシェルは押し黙り、リーンフィリア様も言葉を失っている。

 村人たちの女神様への態度を見る限り、神に対して不埒な気持ちを抱いている様子は微塵もない。にも関わらず、彼らは罰を受けたのだ。


「……わたしは、地上の民を救うための戦いをしています。この土地で何が?」


 面と向かって天界への非難を避けたリーンフィリア様は、それでも顔にわずかに憤懣と、やるせなさを残しながら、質問を続けた。

 ラスコーリは、もちろんそんな女神様を責めることなく、むしろあえて明るい口調でそれに応じる。


「遠くに町があるのをご覧になりましたか? あそこが我々の本来の住処でした」


 僕らが目指していた町のことだろう。


「故郷を追われたのか」


 似たような境遇のアルルカが目をすがめると、ラスコーリは微笑みながらうなずき、


「雪原の生き物と遭遇なさったのでしょう? 地響きや光が、村まで届いておりました」


 僕は首肯する。彼らが村の入り口に集まっていたのは、その様子を確かめるためだったのだろう。


「彼らはこの土地本来の生き物ではありません。町の中央にある大穴から這い出てきた者たちなのですじゃ」


 なに……? 町の中央にある大穴だって?

 室内がざわめく。


『Ⅰ』の〈蒼い荒野〉でも、怪生物たちは地下から湧き出していた。ここも同じなら、ますます関係が濃くなってきた。しかし、よりによって町の真ん中に穴が空くとは、ついてない……。


「誤解なさらないでほしいのですが、大穴は昔から町の真ん中にあるもので、そこから彼らが這い出てくるのも我らにとってはごく普通のことですじゃ」

「えっ、どういうことですか?」


 僕は驚いて声を上げていた。


「我々は、あの生物を狩ることで生活の糧を得ていたのです。彼らの体液が普通の生物とは異なっていることはご存知でしょうか?」

「はい。あのデカい鹿は、光る緑色の血を流していました」


 僕が同意のつもりで言うと、ラスコーリの表情が変わる。


「鹿……。まさか、〈雪原の王〉と戦われたのですか……?」

「へ? さあ……。とにかくデカいヘラジカでした。角に古いルーン文字が刻まれた」


 彼はますます目を剥き、


「間違いない。〈雪原の王〉ですじゃ。まさかあれと一戦交えるとは、よく命があったもので……。いや、そもそも、かの者が敵とみなすこと自体が稀有な……。しかし……竜がいるならば脅威と取られても……」


 村長が独り言のようにつぶやく情報の断片を統合すると、どうやらあのヘラジカは、よほど強い相手しか敵と見なさないようだ。

 こっちにはサベージブラックが三匹もいた。女神の騎士よりも脅威に映っただろう。


 ん……待てよ。

 そうか。主人公は、あのヘラジカと戦わずに済んだのかもしれない。だから僕より先に周囲の探索ができたんだ。


 あのヘラジカ、もしかすると、このエリアのボスクラスの相手なのかもな。本当は顔見せ程度のはずが、アディンたちが強すぎたせいでマジバトルになっちゃったってわけか……。


「あれは何なんですか。サベージブラックを相手に、まったく遅れを取らない様子でしたが」


 たずねると、彼はひとりごとを中断し、


「ええ。恐ろしい相手ですじゃ。穴から出てきた者の中でも突出して。あの〈雪原の王〉が暴れ回ったことで、我らは町を捨てなければいけなくなったのです」


 ヤツが原因か。あのサイズにあの戦闘能力では、人間が太刀打ちできないのも無理はない。しかし、町の外からではなく、町の内側から追い出されるっていうのは、何だか不思議な感じだ。

 村長は一つ咳払いをはさんで、


「話がそれてしまい申し訳ありませぬ。女神の騎士様がご覧になったとおり、彼らの血は不思議な色をしております。あれが、グレッサの民にとっては貴重な資源なのです」


 彼は小さなランプをどこか残念そうに一瞥し、続ける。


「あの緑の血は、ある種の力の源となるのですじゃ。時に暗闇を照らす明かりを作り、時に大掛かりな器具を動かす……そのような。彼らを狩るための武具も、そこから得ておりました」

「器具に、武具? それってどういうの?」


 横からマルネリアが興味を示すと、ラスコーリは微苦笑を返した。


「実物をお見せできれば早いのですが、残念ながらこの村にはございません。すべて、町の方に残してきてしまいました。それら発明品と燃料は、グレッサにとって正に生命線でございました。それら利器を頼りに世界中に住まいを広げ、なおかつ、ここから各都市へ動力を発信していくこともできたのです。しかし、神々によってこの大地が閉ざされた日に、それも断ち切られました。もう遠い昔のことです。海を渡った者たちも、この力を失っては長くもたなかったでしょう。どうにか元の暮らしに戻る方法を探しながら、やがてひっそり最期を迎えていったと思いますじゃ……」


 彼の言葉は昔話であり、語る口調に滲む感情は、悲しみも怒りもすべて色あせていた。

 すべては〈ダークグラウンド〉が、その名の通りの土地になった時に始まり、終わったこと。それくらい遠く、かすれた記憶。


 けれど、それを過去と割り切れないひとが、いる。


「……騎士様」


 リーンフィリア様がうつむいたまま僕に呼びかけた。彼女の手がきつく握られているのを見て、それ以上の指示を仰ぐ必要はなくなった。

 僕は椅子から立ち上がった。


「町を奪還します。話の続きはそれからで」


 そのまま家を出ようとする僕と仲間たちを、村長の声が慌てて追ってきた。


「お聞きください。町は東西南北に仕切られた形になっております。ここから町へ向かえば、南の区画に入ることになりましょう。まずはそこにいる彼らの排除をお願いいたします。南の区画が空けば、我らは町に戻ることができます」


 うなずき、家を出た。


 扉のすぐ外から、民家の戸口に立ち、不安げにこちらを見つめるグレッサの人々の顔が見えた。

 アニミズム――自然や、そこに宿る精霊を信じる素朴な人たちは、天界の横暴により、暗く冷たい生活を強いられている。


 中には、僕らをその使徒と見なす人もいるかもしれない。

 憎まれているかも。信用されていないかも。恐れられているかも。

 でも救おう。問答無用で、全部。


 そうでなければ、世界を平らにする神の名が――いや、その女神様本人が泣いてしまうから。


 胸の中で、怒りにも似た火が揺れた。


 後に、僕はこの時の判断を強く後悔することになる。

 決意と使命感のままに雪に残した足跡は、取り返しのつかない過ちの数と同じになった。

 けれど仲間と共に雪原を歩き続ける僕は、その事実を、もちろん、知らない。


露骨に不安をあおってくる。いやらしい……。

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― 新着の感想 ―
[一言] な、なるほどなー 砂漠エリアではボス級モンスターが出たと思ったら 量産された敵だったっていう展開続きだったから このエリアはあれが普通の強さかと身構えちゃったよ
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