第百六十話 戦士の門出
「勘違いしないでよね。わたしは、あんたの意見に賛成したんじゃないの。リーンフィリア様のご意思を尊重したのよ。それから、もしリーンフィリア様が天界からお咎めを受けるようなら、全部あんたのせいって弁護するための役。わかってる?」
朝からものすごい言い訳の嵐が、耳元で吹きすさんでいる。
砂漠の風の音を聞きなれている僕は、それを右から左の耳に受け流しつつ、港に停泊中のナグルファル号に目をやった。
旧市街が解放されて以来、開店休業状態だった港の荷揚げ作業員たちが、様々な物資を作業場に積み上げている。
「まあー、こんなにたくさん援助してもらえるなんて、アタシ感激!」
甲板からセルバンテスが、黄色い声援を上げながら身をくねらせているのが見えた。そのたびに、やけに白い肌の下で筋肉がめりめり形を変えているのがわかる。
「援助じゃねえよ。正当な取引だ」
鍛冶屋親方のバルジドが、野太い腕を組みながらぶっきらぼうに言っている。
「あんたらの船倉にあった積荷は、ドワーフの町にはない品物だった。木箱は芯まで腐ってたが、中身は無事。なかなかの逸品だぜ」
「あらそうなの? だいぶ昔に難破船から拾ったもので、価値まではわからないのよね。でも、それでも釣り合わない気はするわ」
僕の知っている限りだと、積み込み中の物資は、水、食料、衣類、それから木材の代わりになる船舶修理用の金属資材だ。確かに、なかなかの量がある。
「あとは、あれだな」
彼があごで示した先には、北町工房の職人たちが、船にこびりついた貝みたいなものを一心不乱に削り落とす姿があった。親切で掃除をしているようにも見えるが、実は違った。
「スケイラステスという、一部の海にしか生息しない甲殻類だ。こいつらの殻は、加工は難しいが、恐ろしく硬くて軽い合金の素材になる。どっちかっつうと、荷物よりそっちの価値の方が、俺たちにとっちゃ高い」
「勝手に増えちゃってて困ってたのよう。掃除してくれてるんだから、こっちは感謝したいくらいだわ。全部持っていっちゃって」
お互いの求めるものが綺麗にすれ違い、誰も損をしない完璧な取引となっていた。また他方では、
「うおおお! 鏡! でけえ! オレ様がフルサイズで映っちまう! すげー! オレ様可愛すぎる!」
念願の姿見を手に入れてはしゃぐアーネストの姿もある。運搬中のドワーフのまわりをちょろちょろと走り回って「うるせえ、邪魔だ!」とどやされても全然気にしてない。どちらも配慮も遠慮もない自由すぎる鋼メンタル同士のやりとりだ。
そんな現場の慌ただしさも災いし、僕らはまだセルバンテスたちとちゃんとした話ができていなかった。
グレッサの民とは何者なのか。なぜ神々の怒りを買ったのか。
本当に千年も昔から海を彷徨い続けているのか。
聞きたいことは山ほどある。けれどそのすべてに、セルバンテスは「故郷の長に聞いて」と乞うように言うだけだった。
彼自身も多くは知らないようだし、まずは訪ねてほしい、という意思が読み取れ、僕も焦ることはないと引き下がっていた。
それにしても……気がつけばあんな濃いキャラと普通に話をしているあたり、僕もだいぶ図太くなったな……。正直この世界では、薄味の登場人物ってのがほとんどいないから、慣れざるを得なかったとも言える。今さらだけどさ。
僕は港を離れ、「話はまだ終わってないわよ!」としつこく追いかけてくるアンシェルをつれたまま、町の入り口までやってきた。
グレッサの民という珍客が来ていても、戦士や鍛冶屋の仕事に変わりはない。あちらをバルジドに任せたドルドたちは、今日も超兵器の改良と町の防衛に余念がなかった。意外と学習意欲の高いパスティスも、こちらに見学に来ているはず。
「騎士様」
そんなことを考えているうちに、パスティスが、いつの間にか僕の後ろに立っていた。
アイエ、クノイチ!? なんて驚くほど僕も初心者ではない。稀によくあるというか、いつも普通に背後を取られてる。
「パスティス。こっちは変わりない?」
「うん。いつも、どおりかな……。ちょっとだけ、港が気になる人もいるみたい、だけど。ドルドが、叱ってた、よ」
そのあたりの切り替えと集中力は、さすが親方だ。自身もグレッサの民について知りたいだろうに、優先順位を見誤らずにいる。
「アルルカとアシャリスは?」
「あの二人、は……」
パスティスが目線を巡らせると、どこからともなく、なんとも情けない声が聞こえてきた。
「うわあああん。き、騎士殿おおおおォォォ……」
目を向けてみれば、ヘタレた泣き顔になったアルルカが、砂に足を取られる不格好な走りでこっちに向かってきている。そのままの勢いで、僕に飛びついた。
「どうしたの、アルルカ」
ケープの内側から、いつ二代目起動用イグナイトが爆破予告をしてこないか、はらはらしながらたずねる。
「ううう、アシャリスが言うことを聞いてくれないんだ。父さんたちが作ったものは素直に使ってくれるのに、わたしの武装にはもんくばかりつける」
今日も反抗期は絶好調のようだ。
「そのもんくっていうのは、言いがかりなの?」
「う……。言いがかりでは、ないんだ。正しい指摘に違いはない。ただ、それを実現するための段階をいくつもすっ飛ばしていて……。でもそれを伝えると、なんとかしろ、って無茶振りしてきて……」
これは半ば定番になりつつある、アルルカとアシャリスのやり取りだった。
アシャリスはアルルカに対して猛烈に反抗的だけど、その反面、鋭い指摘をする。自身が超兵器だから、僕らより一歩踏み込んだ、実験的な考えを持っているのだ。
問題は、その言い方がアルルカに対して“だけ”、剣山のように刺々しいことだった。
「わかった。アシャリスには、もうちょっと協力的にやってくれるよう頼んでみるよ。何も進展がないのは、彼女もイヤだろうからね」
「騎士殿ぉ……」
アルルカがずびずびと鼻水をすすりながら、僕に感謝の眼差しを向ける。
「アルルカも、耳に痛いかもしれないけど、辛抱強く聞いてやってあげて。何かあれば僕も一緒に聞くから。大して役に立たないと思うけどさ」
「そんなことない。ありがとう。わかった。うん……頑張る……。相談できてよかった」
反抗期の子供を持つと本当に大変だな……。スマン、カーチャン!
「き、騎士、様……! 騎士様……!」
「へ?」
なんだ急にパスティスが後ろから必死に呼びかけてきた。
「どうしたの?」
「あ、う、その……!」
たずねてみると、なぜか彼女はその先を言いよどみ、それでも何とか言葉を絞り出した。
「ア、ア、アディン、たち、が……!」
「アディンたちが?」
「きょ……今日も…………いい、子、だったよ…………」
さすがだパスティス。
でも何で残念そうに言うの?
「うちのアシャリスも、アディンたちくらい素直ならいいのだが……」
アルルカが羨ましそうにぼやくと、「どうしてそうなるの?」と、不機嫌そうな声が横から流れてきた。そちらを見やれば、ズシンズシンと足音を響かせながら、外壁沿いをアシャリスがドルドたちと一緒に歩いてくる。
「アディンたちが素直なのは、パスティスがちゃんとしてるからじゃん。パスティスはアディンたちから絶対逃げないし。お母さんも見習ったら?」
「ううう……」
現状を踏まえた完璧な分析に、アルルカは情けない声をあげるばかりだった。アシャリスの隣でドルドが微苦笑をしているところを見ると、これはきっと、同様のことをアルルカに言われたことがあるのだろう。
命は親から子へ連綿と紡がれ、繰り言も等しく続く。重ね重ね、スマン、カーチャン!!
そんな日常の空気で、ドルドがたずねた。
「騎士殿。タイラニー神は、出立の日はいつと?」
アシャリスが押し黙り、アルルカも小さく身じろぎした。
この話は、少し寂しい話だ。
「明日、セルバンテスたちに先んじて、ここを発つよ」
僕はリーンフィリア様から聞いていた話をそのまま伝える。
セルバンテスたちとは、〈ダークグラウンド〉で再び落ち合うことになっていた。
急だな、とは誰も言わない。
もっと前からの確定事項だった。ナグルファルの来航で、少し後ろにずれたぐらいだ。
「今夜は壮行会を開かにゃならんな。町の連中のためにも。なに、準備に時間はかからん。戦勝祝いの用意はいつでもできている」
戦士の町らしい台詞だった。
「伝説のグレッサの民か。どんな冒険になるんだろうな」
「何であれ最後までやり遂げる。女神様の心意気に応えるためにも」
「大戦果を願ってるぜ」
僕とドルドは、どちらからともなく右手を差し出し、握り合った。
「アルルカ、おめえも今のうちに言いたいこと言っておいた方がいいぜ。夜になれば千客万来で、個別の話なんかできねえだろうからな」
ドルドの促しに、アルルカは「ああ」とうなずき、けれどもすぐには話を切り出さなかった。何度も僕とドルドたちを見比べ、小さく唇を引き結んでから、ようやく言葉を吐き出した。
「わたしも…………騎士殿たちと一緒に行きたい」
声は砂漠の風に乗って、静かにその場に伝播した。
それきり誰も口を利かないのは、アルルカの言葉に対する驚きとは別の理由。もう知ってるよ、という空気がやんわりと場を包む中、最初に何か言うのにふさわしい人物の動きをじっと待っていた。
「僕は歓迎する」
待たせているうちの一人――だろう、多分――、僕は率先して口を開いた。
「ちょ、あんた勝手に――もが!」
すかさず抗議の声を上げたアンシェルの口を、後ろからパスティスが塞いだ。
みんなの視線、とりわけアルルカの視線が強く僕に向かう中、話を続ける。
「でも、それはこの町を長く離れることにもなる。天界では時間が早く流れるし、次の戦いにどれくらいかかるかもわからない。それでもいいの?」
アルルカはすぐには首肯せず、こう前置いた。
「騎士殿たちには、ずっと助けられっぱなしだった。超兵器のアイデアも、タイラニック号やマッドドッグたちを見て、さらに膨らませられたと思う。その恩返しがしたいというのが一つ――でも、もっと大きな理由は、わたしも外の世界で学んでみたいということだ」
工房の仲間たちを真っ直ぐ見る。
「〈ヴァン平原〉から来たアルフレッドたちは、見たこともない堅牢な壁をくれた。〈ディープミストの森〉のマルネリアは、素敵なお茶や、ルーン文字や、謎に満ちた歴史があることを教えてくれた。ここにいるだけでは知らなかったことが、世界にはたくさんある。それをこの目で見てきたい。それはきっと、超兵器作りに生かせる知識になると思うんだ」
「昔から――」
まるでアルルカの言葉をそのまま継ぐみたいに、ドルドが言った。
「ドワーフは外の大陸で技と技をぶつけ合い、その中で職人としての腕を磨き、自分たちの歴史に組み込んできた。おめえのそれはごく自然な営みで、欲求だ」
半ばドルドからの外泊許可証。アルルカがほっとした顔を見せる。けれど、そこにまた別の声が飛び込んだ。
「おじいちゃんと一緒に仕事がしたかったんじゃないの?」
みんなが振り向く。アシャリスへ。
「お母さんが引き留めたんだよ。だからおじいちゃんは引退を先延ばしにして、工房に残ったんじゃん。それなのに、自分はさっさと出ていくつもり?」
「それは……」
アルルカが何かを言いかけ、やめる。言えることはあるのに、アシャリスの言い分も正しいとわかっている態度だった。
「あのな、アシャリス」
代わりに反論しようとしたドルドの台詞は、
「なーんてね」
と、軽やかに翻ったアシャリスの明るい声によって押しとどめられた。
「わかってる。おじいちゃんは、お母さん一人のために残ったわけじゃない。ちゃんと自分のため。バンドイルたちのため。あたしのパーツ作りにしても、もっとシンプルにできねえのか、とか、もっと簡単に作れるようにしろ、とか、いつも言ってるもん。女神様が言った、古いものの代表としてガンガン仕事してる。あたしが心配なのは、お母さんがそういうとこ割り切れずに黙っちゃうところ。超兵器にしても、前のアイデアに引きずられて、改良案の足を引っ張りまくってるときあるし。お母さんには開き直ることが必要不可欠」
気楽に言う彼女の言葉はやはり正鵠を射るらしく、アルルカは微妙な顔つきになって、職人たちの笑いを誘った。
「……アシャリス。わたしと一緒に行こう」
アルルカが一歩踏み出した。
「行かないよ」
返答はシンプルだった。
「世界平和も大事だけど、わたしはここが、世界一なくしたくない場所だから。失いたくない人たちがいるから。ここを一番に守り続ける」
「そうか……」
「可愛い子には旅をさせろって言うし、してきなよ」
「わたしが親なんだが……」
「反抗期終わってないくせに」
「うう……」
アシャリスが僕に意識を向けた。
「お父さん。こんなお母さんだけど、よろしくね。特にメンタル面が砂だから、しっかり鍛えてあげて」
「請け負うよ。アシャリスも頑張って。でも――絶対に死ぬなよ。ヤバいときは、仲間に頼って。そして僕も呼んでほしい。必ず駆けつける」
「うん!」
アシャリスは嬉しそうに言った。
家族と仲間の信任を得て、改めてアルルカが仲間になった。
のだけど。
あれ? アシャリスが来ないってことは、アルルカは丸腰で参戦か? 仲間が増えるのはそれだけで嬉しいけど、超兵器はちょっともったいないな。
「こんなこともあろうかと、“インゴット”を作っておいたぞ」
有能な者しか許されない台詞と共に登場したのは、超兵器のパーツ請負人、バンドイルだった。
「インゴット?」
アルルカが首をかしげると、
「汎用性のある駆動パーツで固めたアシャリスのニセモノだ。三体ある。それぞれに武装も載せてあるが、こいつらでは戦えない。パーツを分解して、そのとき必要なものに組み直せ」
さながら、歩く物資コンテナといったところか。正直、工房で一番有能なのはこの人なんじゃないかと思ってしまう。ドルドが認めるわけだ。
こうして万難を排し、アルルカの門出は決まった。
晩の宴において、彼女が新しい主役の一人として紹介されたことは、言うまでもない。
※
タイラーニ! タイラーニア! タイラーニアーレ!
タイラーニ! タイラーニア! タイラーニアーレ!
戦士たちの母! 勝利の女神! 偉大なる決戦の御柱! 剣と槍と盾にいや増す栄光を! 試練と強敵に打ち克つ加護を!――
朝。
荒れ狂うシムーンさえ押し返しそうな、力強い賛美の言葉が町を包み込む中、僕らは静かに天へと昇っていく。
「スコピー」
飲みすぎて鼻提灯のリーンフィリア様をアンシェルとパスティスが支え、腕を取ったマルネリアが、本人の意識とは無関係に、民衆へ手を振り返させていた。
「必ず、もっと強くなって帰ってくる! もっとすごい兵器を作れるようになって……! 絶対、絶対に……!!」
「頑張れよー!!」
「しっかり鍛えてこーい!」
空へと昇る不可視の足場にしがみつくように、アルルカは最後まで仲間たちに叫び続けた。
「やってこい、アルルカ・アマンカ! おめえの母ちゃんがそうだったようにな! 世界を見て、霧の中の答えの、さらにその先を掴め!」
「行ってらっしゃい、お父さん! 女神様、みんな! あとお母さん! こっちは任せて! そのかわりへたれたら許さないからね!」
ドルドの土間声とアシャリスの澄んだ声は、ドワーフの誰よりも天高く届いた。
バルジドも、ランラシドも、ダンダーナも、バンドイルも、みんなみんな大きく手を振っている。
僕も精一杯腕を振り返した。
町がどんどん遠ざかり、人々が一塊の影になるころ、角のある直線で縁取られた戦闘街が視界に入り始める。
そびえ立つオールドシナリー。防衛戦用の道路。外壁の外に見える小さな砂ぼこりは、今日も明日も変わらず走り続けるタイラニック号たちだろう。
さらに視界が引き、〈大流砂〉が見えた。アシャリス一号機が眠る鉄の戦場。もうその墓標は見えない。
すべての戦士たちが遠のいていく。ここでの日々と共に。
でも記憶は決して消えない。薄れもしない。
学んだこと、味わったこと、すべて力に変えて、次へ進む。
さあ行くぞ! 神々が忌む大地〈ダークグラウンド〉!!
さらば戦士たち、こんにちは次の戦い




