第百五十六話 一夜の星
アルルカは震える手で、ケープの内側からそれを取り出した。
肌身離さず持ち続けていた、超兵器起動用イグナイト。彼女にとって手放せぬ夢の象徴であり、誓いの証。
「ゴメンナサイ、オカアサン」
僕らは愕然とその声を聞き、顔を見合わせた。
イグナイトがしゃべってる……。いや、これは!
「アシャリスなのか……?」
僕の問いかけに、イグナイトは「ソウデス」と応じた。
「ど、どういうことだ。アシャリス。おまえ、いつからしゃべれるように……」
僕に抱えられたまま、アルルカが戸惑いの声を上げる。
「ワタシハ、ズット、ココニイマシタ。ケレドモ、ジブンデ、カンガエルコトモ、ハナスコトモ、デキマセンデシタ」
アシャリスはたどたどしく話す。まるで、知ったばかりの言葉を慎重に扱うように。
「ここって、起動用イグナイトのことか?」
考えがまとまらないまま、僕は機械的な文脈でたずねる。視界の端では、まだアシャリスが戦い続けていた。攻撃のたびに、跳躍のたびに、金属パーツがはがれ、硬質の地面に音を立てて落ちていく。その一方で、アシャリスの返事は淡々としていた。
「ソウデス。ソノ、イグナイトニヨッテ、キドウサレタモノハ、スベテ、ワタシデス」
「……! じゃあ、タイラニック号も、マッドドッグたちも、全部おまえなのか?」
「ソウデス」
アルルカは目を見張った。僕も驚きで声が出なかった。
起動用イグナイトにそんな秘密があったなんて。
「し、しかし、おまえは、あそこで戦っているアシャリスなのだろう?」
アルルカが、見開いた目で、両者を見比べながら再度問い直す。
「ソウデス。ワタシ、ダケガ、ジガヲ、モチマシタ」
自我……! 自意識!
超兵器は自律稼働している。けれどもそれは、ある種のプログラムのようなものだったはず。
それが変容した。自我に。
こんなことがありえるのか。それに、どうしてアシャリスだけが?
「オカアサンガ、イグナイト、ト、アノイグナイト、ヲ、ツケテクレタ、オカゲデス」
「どういうことだ? あの二つが何なんだ、アシャリス?」
「アレハ、ヒトノ、ココロノ、カセキ、デス」
えっ……。心の、化石?
「イグナイトハ、ユウキ、ヤ、ヤサシサ、ノヨウナ、セイノココロ、ノ、カセキデス。アノイグナイトハ、イカリ、ヤ、ニクシミ、カナシミ、ノヨウナ、フノココロ、ノ、カセキデス。ドチラカ、ダケデハ、ホントウノココロニ、ナリマセン。リョウホウ、アッテ、ヨウヤク、ココロニ、ナリマス」
正の心と負の心が両方あって、はじめて本当の心になる……。
これまで、超兵器も悪魔の兵器も片方ずつしかなかった。
二つを組み込まれたアシャリスだけが、本物の心を、自我を持った……ということか!
アルルカははっとした顔で、
「まさか、アシャリスが他の超兵器に対する指揮権を持っていたのは、おまえが指示していたからなのか?」
「ソウデス。オカアサンハ、ワタシヲ、ズット、モッテイテクレマシタ。ダカラ、オカアサンノ、カンガエテイルコトガ、シゼント、ワカリマス」
超兵器はアルルカの思念で動いていたわけじゃない。アルルカの意思を汲み取ったアシャリスが動かしていたんだ。こ、こんなことが。
「ワタシハ、オカアサンノ、ナクシタクナイモノ、ヲ、マモリタイ」
「……!」
それは、ここに来る前、城壁の上で、アルルカが僕に告げた言葉だった。
――なくしたくないものが増えてしまった。
ドワーフの町。その平穏。日々。
「オカアサンハ、ワタシヲ、ズット、マモッテクレマシタ。ワタシヲ、ステズニ、モチツヅケテ、クレマシタ。コンドハ、ワタシガ、オカアサンヲ、マモリマス」
僕とアルルカはアシャリスを見た。
動かぬ鉄の骸と化したイナゴたちを積み上げながら、アシャリスは機動し続けていた。
残るイナゴはごくわずかだ。
アシャリス自身も傷ついていたが……このままいけば、殲滅できる。
「アシャリス。もう少しだ。頑張ってくれ!」
アルルカが祈るように励ます。
しかし。
アシャリスがある一機にとどめを刺した瞬間、残っていた他のイナゴたちが、一斉に羽を広げた。
「……! こいつら、逃げるつもりか!?」
アシャリスが両腕から赤い光弾を放つも、イナゴたちはどんどん高度を上げて戦場から遠ざかっていく。
かなわないと知って撤退するのか。
撃退したというわずかな安堵は、しかし、イナゴたちが向かう方向を見た瞬間、霧散した。
西側。
戦闘街の方向だ。
「町を直に狙いに行くつもりだ!」
体が一気に焦燥で炙られた。
目の前の敵を放置して、町を攻撃することを選ぶ。最適かつ最悪。今、僕たちがもっとも恐れる行動を、イナゴたちは選択したのだ。
パスティスやドルドたちが大慌てで僕らのところに集まってくる。
「騎士殿、ヤツら町に向かったみてえだ。急いで戻らないと!」
「町はすぐそこだぞ。女子供の避難も間に合わねえ!」
「落ち着け、町には壁も超兵器もある!」
「空飛んでるんだぞ、ヤツらは!」
とにかくすぐに連絡すべきだった。幸い、羽飾りはオンラインだ。アンシェルに頼んで、避難命令を出してもらう。
だが、さっき指摘されたように、あのイナゴたちの攻撃性は異様だ。地下も安全かわからないし、もし逃げ遅れた者がいたら……。
「騎士様、アディン、たちに頼むのは……?」
パスティスが提案してくれたけど、僕は首を横に振る。
「アディンたちがいるのは旧市街の海沿いだ。ここまでは届かない……!」
空をにらみつける。
いつの間にか太陽は地平に沈み、星が見え始めていた。
夜になれば、あの黒いイナゴたちは闇に溶け込み、対処はさらに難しくなる。
何か、何か手はないか……!? 考えろ!
「ダイジョウブ」
イグナイトから声がして、アシャリスのことを知らない面々がぎょっとなった。
「ワタシガ、マモリマス。センシ、トシテ、ミンナヲ」
僕は、星々に覆われ始めた空を背に、巨大イナゴたちが飛び去った方向を見据えるアシャリスを見やった。
何かを決意した背中に似ていた。
からん、と音がして、僕は咄嗟に足元に目線を落とした。
どこの何かもわからない鉄くずが震えている。
「……?」
からからと、その横を転がっていく鉄片があった。それは、一つ、二つ、三つ、四――はっとして周囲を見る。
「何だ!?」
僕の声に、みんなが異変に気づいた。
周囲に散らばったイナゴの残骸が、転がってきていた。
ただ転がっているだけじゃない。すべて同じ方向へ。目指す場所は――一点! アシャリスだ!
まるで磁力によって引き寄せられるように、屹立するアシャリスの体に張り付き、その姿を覆っていく。
「アシャリス、何をするつもりだ!?」
アルルカがイグナイトに呼びかける。
「…………」
アシャリスの返答はなかった。
それは確かに、人の情動を感じさせる沈黙だった。
下半身を完全に塗り固められたアシャリスが、何かを掴み取ろうとするように両腕を空に伸ばす。
それを、無数の鉄が覆いつくし、新たな形を創造していく。
あの両腕のスピアとキャノンを作り出したのも、これと同じ機能なのだろう。
しかしこれは……規模がまるで違う。アシャリスは自分自身をまるごと作り替えようとしている!
「マモッテクレテ、アリガトウ」
アシャリスが言った。
僕も、アルルカも、ドルドたちも、呆然としてそれを聞く。
「イツモ、ハナシカケテクレテ、アリガトウ」
「マモルヤクメヲクレテ、アリガトウ」
「カンジルココロヲクレテ、アリガトウ」
「キレイナナマエヲクレテ、アリガトウ」
重ねられる感謝。
しかしそれは、ただの喜びじゃない。
もっと、別の。もっと、もっと悲しい――
「アシャリスッ!!」
異変を察したアルルカがたまらずに叫んだ。
直後。
アシャリスが――アシャリスだったものが、金属の床に爪を突き立てるように、いくつもの杭を地面に撃ちこんだ。
それは――巨大な砲塔だった。
アシャリスの長砲よりも、自身の体よりも、もっともっとずっと巨大な。
膨大な鉄片によって組み上げられた巨砲のあちこちに、アノイグナイトの輝きがある。
負の心の化石。怒りや、憎しみ、悲しみ。しかし。
その中央に、大きく強い光があった。
イグナイト。
優しさや勇敢さ。
一つだけしかないのに、その輝きの総量はアノイグナイトと同等だった。
大気が唸り、鉄の地面を鳴動させる。
砲台全体が激しく明滅し、砲身の先端へ収束するように景色が歪んだ。
そして。
「ウンデクレテ、アリガトウ」
「オカアサン」
光は放たれた。
その瞬間、夜は昼へと遡り、すべてが白く照らし出された。
杭で固定されていた砲台全体が反動でぐにゃりと曲がる錯覚。衝撃は僕らをなぎ倒し、転がっていた鉄くずを押し飛ばし、雲を切り裂き、星の光さえ放逐した。
星空に浮かんでいた数体の汚らしい黒い影は、瞬きほどの時間も存在を許されなかった。
音も影も一瞬にして掻き消え、その後も押し寄せる光の中で、分子の運動さえも残らずに焼き尽くされた。
白く。あまりにも白く。
夜は数秒に渡って切り裂かれ――やがて静かにその傷を閉じた。
「アシャリス、アシャリス……」
音と光に圧され、朦朧とする意識の中、咄嗟に閉じた僕の腕の中で、アルルカが何度も呼びかけているのが聞こえた。
「アシャリス……アシャリス……!」
彼女は泣いていた。呼びかけるイグナイトには、中央を分かつような巨大なヒビが入っていた。
光はもうない。
アシャリスが自らを核として作り出した砲台もまた光を失い、星空にそびえる巨大な山のように、静かに鎮座していた。
もう声も聞こえない。
表面はいびつに歪み、砲身は曲がり、役目を果たすと同時に、大きすぎる何かを失った空の器があるだけだった。
アシャリスは――もう――。
どこにもいない。
「アルルカ」
いつの間にか近くにきていたドルドが、彼女の肩にそっと手を置いた。
「アシャリスは命を懸けて俺たちを守ってくれた。命を懸ける世界があるということは、戦士にとって何より幸せなことだ。それを守るために生きて、そのために死ぬことは、戦士にとって何よりの誉れだ。……褒めてやれ」
「父さん……」
アルルカは零れ落ちる涙を何度も拭った。けれど、止まらなかった。救いを求めるようにたずねる。
「じゃあ、わたしが泣くのは間違いなのか? わたしは戦士として間違ったことをしているのか?」
「それは違う」
ドルドが静かに首を横に振る。
「勇敢な戦士の死を悲しむのは、当たり前のことだ。アシャリスは誰もが認める勇者だ。これを嘆かない者はいない。まして――」
ぎゅっと、彼女の肩を握る。
「おめえは、母親なんだから――」
そこまで言うのが、精一杯だった。彼は顔を背け、肩を震わせた。
それを見たアルルカは一瞬、息を呑んで――。
僕の胸に顔をうずめて、大きな声で泣いた。
僕は彼女を抱きしめてやりながら、アシャリスが腕を差し伸ばす空の先を見つめた。
多くの人々を救った命の輝きは、まだ世界のどこかを飛んでいるようだった。
西の空に、動かぬ光が一粒。ずっとずっと、輝いていた。
一夜限りの、極星のように。
アルルカバ:アラビア語で北極星




