第百五十四話 壊乱
「帝国騎士が出た!」
僕は大声を上げて仲間に伝え、大イナゴから跳躍した。
さほど離れていない隣のイナゴに飛び移るのは容易だった。
着地した地点から帝国騎士までは、およそ五メートル。アンサラーか? カルバリアスか? 咄嗟に聖剣の柄を掴んだ右手に武器選択の正誤を委ね、僕は一気に間合いを詰めようと、イナゴの背中に一歩目を踏み出す。
「ア……」
――!
二歩目が続かず、僕は居合の構えじみた前傾姿勢のまま、数十センチを滑った。
しゃべった……。
帝国騎士が、僕に話しかけてきた!
錆びついた歯車が軋むような声で、ヤツは言った。
「ア……ァれを作ったのは、誰だ……?」
僕は戸惑った。
あれ? あれとは何だ?
「超兵器か? それとも町のことか?」
素直に答えてやる義理はない。でも、ヤツから何かを話しかけてくるのは初めてのことだった。ここで何かわかるかもしれない。その期待が、僕の頭を懸命に働かせる。
しかし、肝心の質問の内容がわからない。帝国騎士もそれ以上の言葉をよこしてこない。
超兵器や町ではないのか……? だとすると、一体何のことなんだ。くそ、この機を逃したくない。
作った、作った、作るもの……?
そのとき、頭の中をかき回していた思考の手が、思いもよらぬ単語を拾い上げた。
この前の接触で、僕らの間に何があったか。
「もしかして、ジャムか……?」
ぎしり、と金属がすり合わされるような音がした。帝国騎士が身じろぎしたようだった。
まさか本当にジャムなのか!?
「何かしゃべったと思ったら、あのジャムを作ったのは誰かって……?」
僕は半ば憤慨しながら言った。
「ありがたくも女神リーンフィリア様だよ。ドワーフたちにも大人気の逸品で、五年先まで予約で埋まってる」
どんだけ愛されるんだよ、あのジャムは!
この動く鉄錆のような黒騎士にさえ興味を持たれるなんて。
僕もますます食べてみたくなったぞ、ちくしょうめ。
「そうか。リーンフィリアか」
こいつ……!
「様くらいつけたらどうだ、鉄仮面野郎」
憤懣をにじませながら言うと、帝国騎士は突然、踵を返した。
なっ……!?
僕は迂闊にも唖然としてしまった。こいつ、これだけ聞いて、いなくなるつもりか?
「こっちは質問に答えたんだ。そっちも一つくらい答えるのが筋だろ?」
再び闇の中にするりと逃げていく真実の尻尾を掴むように、慌てて呼び止めると、驚いたことに帝国騎士は足を止めた。僕は間髪を入れず質問を突きつける。
「おまえは何者なんだ? どんな目的で僕らの前に現れる?」
ヤツの止まった足が再び動き出す。質問を聞くだけ聞いて、答えるものではないと判断したらしい。くそ! 何か言えよという焦りを込めて僕は叫んだ。
「おまえは帝国の生き残りなのか!?」
そこで。
「そうとも言えるし、違うとも言える」
こちらに横顔すら向けないまま、しかし、黒騎士は初めて答えた。
結局何の答えにもなっていない返事。けれど引っかかる。
“そうとも言える”?
それに続く打消しが耳に残らないほど、その遠回しな肯定は僕の思考に絡みついた。
帝国とかかわりがないのなら、否定のみで十分なはずだ。わざわざこんな言い回しをするってことは、ただ同じ鎧を着ているわけじゃない。こいつは帝国と関係がある。
そして、今の戦いとも無関係ではないだろう。こんな頻度で遭遇するんだ。
二百年前に滅亡した帝国の何かが、現在の何かに関わっているんだ。
帝国は――滅びきっていない。この黒騎士を通じて一部が生き残っている……!
あの国は、一体何だったんだ? ただの暴君がいる国じゃなかったのか?
『Ⅰ』には僕の知らない大きな謎が隠されていたのか?
帝国は悪魔によって滅ぼされた。そして今、また悪魔が地上を滅ぼそうとしている。先の戦いの当事者である帝国は、この帝国騎士は、何を目的に行動している――?
黒騎士は重々しい一歩でまた僕から遠ざかる。恐らく、もう質問に答える気はない。ヤツは答えた。僕と同じく。
今からアンサラーを構えても、到底間に合わ――
「……!?」
ヤツの手が動いた。
まるで、後ろ向きのまま、こちらに別れの手を振るように片手を持ち上げ――
違う!
「アンサラー」
ヤツの背中に長大な剣を描く黄金の輪郭線が走り、瞬時に質量を実体化させてみせた。
反射的にカルバリアスを抜いて防御の構えに移行させた僕は、黒騎士の右背後に忽然と現れた黒い影に、瞬間的に視線を持っていかれた。
パスティス!
彼女の右手の爪が開花するようにゆっくりと広げられる。奇襲の機をうかがっていたんだ。でも、ヤツはそれを察知していた!
まずい!!
抜刀動作のまま降り抜かれた一刀が、攻撃態勢に入った直後のパスティスの影を薙ぎ払った。
聞こえたかどうかも定かではない肉を割く音が僕の頭に響き渡り、跳ねるように転がったパスティスの体を、凍りついた目が無音で追う。
全身の血と熱が逆流する。
斬られ……た……?
「……っ!」
パスティスは素早く起き上がり、豹のように身を低く構えたまま後退した。
よかった! 無事だ!
安堵すると同時に視線を黒騎士に戻し、僕はそれに気づいた。
振り抜いたままの剣型アンサラーは、刃を寝かせて握られていた。つまり、斬りつける対象に、鋭利な刃の部分ではなく、真っ平な腹の部分をぶち当てたということだ。
最初から斬る気はなかった……?
僕が斬りかかった時は、殺気満々でやり返してきたはずだけど……これは一体?
黒騎士はアンサラーを解除し、
「何も……知らぬまま――」
そうつぶやき、消えた。
僕は大きく息を吐き、カルバリアスを鞘に納めた。
「パスティス、大丈夫!?」
急いで駆け寄る。
「うん……。左足を、打たれた、だけだから……」
パスティスは申し訳なさそうに答えた。奇襲の失敗に責任を感じているようだけど、そんなの、まるで動けなかった僕に負うべきものじゃない。
彼女の左足はサベージブラックのものだ。体の中でも特に硬い部位になる。傷らしい傷も残っていなかった。黒騎士がもしそれを知って狙ったのなら、あの一撃は非殺傷そのものだった。
今日のパスティスは絶好調だった。狙われたのが僕なら簡単に首を飛ばされてる。それを、あっさりと跳ね返した。傷つけないよう手加減までして……。
「何も知らぬまま……」
「えっ」
僕はヤツが最後に残した言葉を繰り返す。
その後に、ヤツの中ではどんな語句が続いたのか察するすべはないけど、十分だった。
僕は何も知らない。……あまりにも。
「騎士殿、何があったんだ?」
ドワーフたちがどやどやとイナゴの上に登ってきた。
僕が一部始終を伝えると、彼らは手助けできなかったことを残念がり、また、
「そいつが例の改造アンサラーを持ってたんだろ? ちくしょう、見たかったぜ!」
別の方面でも悔しさを滲ませていた。探すべきものがわかっている彼らが、うらやましく思えた。
「それで、その黒騎士は何をしていたんだ?」
アシャリスを降りたアルルカがたずねる。
「リーンフィリア様のジャムについて聞こうとしてたみたいだけど……」
みな、「は?」という顔になる。そりゃそうだ。僕だってそう思う……いや、待て。本当にそうか? あいつはどこにいた? 僕は、黒騎士が立っていたあたりに目をやり、はっとなって、その場に走った。
「あの野郎……!」
歯ぎしりしながら足元を見つめる。
そこにはアノイグナイトがあった。僕が見ていたイナゴのものとの違いは一目瞭然。中心部が抉られている。恐らく黒騎士の仕業だ。
アルルカが寄ってきて、その様子に眉をひそめた。
「破壊されている? アノイグナイトを抜き取っていったわけじゃないのか?」
それは確かに謎だった。あの黒騎士は前回、アバドーンがばら撒いたアノイグナイトを回収しに現れたはずだけど、今回は――
――ワアアアアアアアアアアアアア……!!
『!!?』
全員がぎょっとして周囲を見回した。
ワアアアアア! アアアアアアアアアアアアア……!
「なっ、何だ、この声は!?」
ドワーフの誰かが叫ぶ。
何人もの男女が同時に苦悶の叫びを上げているような、そんな声だった。
声の出所を探ろうと、僕が懸命に視界を回したとき、足元が揺れた。
ワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
「うわっ!」
僕は思わず兜の上から耳をふさいでいた。
転倒を防ごうと膝をつく中、確信する。
悲鳴の主は、このイナゴたちだ!
ウワアアアアアアアア!
「なにっ!?」
突然、視界の横側を、巨大な顔が埋めた。
目はこぼれ落ちそうなほど見開かれ、真っ黒な口腔内の上下を、灰色の歯がぬめる光沢を放ちながら覆っている。人が絶叫する面相そのものだ。
「逃げろ!」
誰かがそう叫ぶ間もなく、その巨顔は、僕らが乗っていたイナゴの横腹に食いついた。
めきめきと鉄骨が軋む音がして、内部構造が噛み千切られる。
ヒイイイイイイ!!
食われたイナゴが悲鳴を上げ、僕らを振り落とした。
硬い地面に叩きつけられた衝撃の一瞬だけ、悲鳴が遠ざかる。
「集合しろ! 体勢を立て直すぞ!」
ドルドが号令を発し、地面に転がり落ちた全員を集合させた。
幸い、アシャリスを含めてさっきの奇襲による被害はゼロ。うまい具合に同士討ちになったようだ。
が。それは僕の勘違いだった。
「何なんだ、これは……」
悪夢のような光景に、アルルカが力なくつぶやいた。
目の前に広がるのは、巨大イナゴたちによる共食いだった。
イナゴたちは錯乱したような悲鳴を上げながら別のイナゴに噛みつき、その大口で仲間をかじり取っては口の端からこぼれ落していた。
一体に複数が群がり、石柱のような歯で解体してしまうと、次はそれまで一緒に食事をしていた隣の一体に襲いかかり、再びそこへの殺到が始まる。
止まらない悲鳴、悲鳴、悲鳴!
大勢の男女が苦しみ、もがき、泣き叫んでいる。食う方も、食われる方も!
アバドーンの隠し基地に並べられていたすべての機体が、その凄絶な騒乱の当事者だった。唯一、僕らが最初に調べていた一体だけは動かなかったけど――すぐに別の個体に食いつかれ、群がられ、人面は静かに目を閉じたまま噛み砕かれていった。
「アルルカ、この同士討ち、どういうことかわかるか?」
ドルドが大声でたずねる。
「指揮系統に狂いが生じたとしか思えない」
アシャリスに乗り込んだアルルカの顔が、青ざめながら告げた。
僕も呼びかける。
「アルルカ。僕らが見た最初の一体は最後まで起動しなかった。アノイグナイトが無事だったからじゃないかな」
「アノイグナイトを破壊された方が起動するというのは妙な話だが……。いや、そのせいで暴走状態に陥ったと考えれば……。ありえるな、騎士殿!」
恐らく、巨大イナゴは待機モードだったんだ。アバドーンからの指示をいつでも受けられる状態だった。兵器としては、全然生きていたんだ。
黒騎士はそれを目覚めさせた。最悪の状態で。
そうすることが目的だったのか。それとも、抉り取ったアノイグナイトの中心部に用があったのかは、今は確かめようがないけど。
ワアアアアア!
イナゴの一匹が、騒乱の端に退散していた僕らに気づいて、悲鳴を上げながら突っ込んできた。嘆きの顔と、口の中を埋める他のイナゴの食いカスが凄絶な模様を作り出し、思わず僕を逃げ腰にさせる。
「来やがった!」
「なめるんじゃねえぞ、オラァ!」
「悲鳴を上げながら相手に突っ込むっていうのはなあ、生きることを放棄したヤツのすることなんだよ!」
が、ドワーフにはそんなの関係なかった。
悪夢のような大質量の接近に少しも動じることなく、むしろこちらから突っ込んでいく。
『オラア!!』
剣が、斧が、槍が、棍棒が、ドワーフに食いつこうと大口を開けたイナゴの顔面を切り裂きながら脇を通過した。
ワアアアアア!
「ちいィ! このくらいじゃ倒れねえか!」
ダメージを受けたことで一層錯乱したように、イナゴは顔を振り回して、散開したドワーフたちに噛みつこうとする。
「ディガーフィッシュ、やれ!」
アシャリスが砂漠用魚雷を発射する。波のような火花を散らしながら金属の床を滑走すると、大きく跳ね上がる軌道の後イナゴの背中のど真ん中に落ちた。
アノイグナイトを狙った一撃! アルルカはできる子だ!
背中が大きく抉れ、アノイグナイトは跡形もなく吹き飛んだはずだった。
が。
ワアアアアア!
痛みと怒りに震えるように、イナゴは絶叫をさらに大きくした。
「なんでまだ動くんだ、こいつ!?」
僕は理不尽さに怒りを込めて叫んだ。
「完全にぶっ壊すしかねえ! やるぞ、おめえら!」
『応!』
ドルドの怒号に、みなが呼応する。
壮絶な掃討戦の始まりだった。
僕「パスティスが押し返されたらしいな」
僕「ククク、パスティスはうちで最強」
僕「………………」
僕「勝ったと思うなよ……」




