第百五十二話 静かな砂漠
〈オルター・ボード〉の俯瞰地図を覆っていた赤い靄が晴れ、〈ブラッディヤード〉の多くに、星形城塞に囲われたドワーフたちの町が広がっていた。
エルフたちの争いのような、種族内での危機を予感させるトラブルは火種すらなく、ドワーフたちは日々を懸命に、そして楽しく生きている。正に順風満帆、天下泰平。
一方、砂漠でも妙に穏やかな日が続いていた。
二日に一度は必ず発生していたシムーンは姿を見せなくなり、昼間の気温もそこまで過酷ではなくなった。暑さに弱いアディンたちが、ときおり浜辺から町近くまで出てくるほど過ごしやすい日もあるほどだ。
これは、ストームウォーカーを倒した日から始まっていた。年寄りの中には、「土地の力が弱まったのではないか」と危惧する者もいたが、水路網を作り、農業を始めようとする人々からは大いに歓迎された。
この地での戦いは、すでに決着がついているようにも見える中、僕たちがまだとどまっているのには理由があった。
〈大流砂〉。
そこに、アバドーンが残した何かがある可能性だ。
僕が直に調べようとしたんだけど、土地に直結した問題ということもあって、ドワーフたちに任せることになった。
新品の星形城塞の上から、僕は赤い砂漠のかなたを眺める。
暑さで揺らめく大気の奥に、冗談のような砂のうねりがあった。
今や〈大流砂〉のすぐ近くまで町は発展していた。
「待ちきれないか、騎士殿」
振り返ると、軍用ケープに上半身を隠したアルルカが階段を上ってくるところだった。
彼女は僕の隣に来ると、石造りの手すりに両肘を乗せ、砂漠の東に目を向ける。
「〈大流砂〉がすぐそこに見える。わたしたちの町が、ここまで大きくなるなんて、思いもしなかった」
アルルカは風で舞った髪をそっと押さえ、視線を少し下ろした。
城壁の前を、数体のマッドドッグが、どこか楽し気に歩いている。彼女はそれを、優しげな目で見送り、
「町は城壁と超兵器に守られ、いざというときは戦士たちも控えている。騎士殿たちが来てくれるまでは、半分以上がなかったものだ」
「全員が、このために頑張った」
「超兵器を認めさせるというわたしの夢もかなった。忘れかけていた、もう一つの夢も。わたしは父さんと同じ場所で、同じことをしている。以前はあんなにままならなかったのに、奇跡みたいに今がある」
アルルカは微笑を向けてきた。
「騎士殿のおかげだと言っても、謙遜されてしまうんだろうな」
「僕も頑張ったうちの一人だ。一緒に何度もぶっ飛んだしな」
アルルカの苦笑を、赤みがかった風が撫でた。彼女は手癖のように眼鏡の位置を直す。
「時々、夢を見ているような気分になるんだ」
「夢?」
ああ、とうなずき、
「自分の居場所すらなかったこの町に、いつの間にか望むものすべてが揃っていた。あまりにもできすぎていて、これは夢なんじゃないかと少し怖くなる。いつか目が覚めて、そこには何もない自分がいて……」
「そういうことを考えてると、夢に見るよ」
「実は、もう何度か見てる」
アルルカは気恥ずかしそうに笑った。
「そういうときは、イグナイトを持って騎士殿のところに行くと……気持ちが落ち着くんだ」
えっ……。
おいちょっと待て。最近、朝から爆発寸前のイグナイトを抱えてアルルカが特攻してくるのって、そういう理由だったのか? やめてくれよ……。
「なくしたくないもの……以前は、自分の志一つだったのに、ずいぶん増えてしまった。どれも、とても、大切だ」
アルルカは戦闘街を振り返る。僕もつられてそっちを見た。
アルフレッドと築城五人衆の思想を受け継ぐ町並みが広がっている。真新しく、堅牢で、そこで暮らす人々が、自分たちがこれを作り上げたと胸を張るには十分な器に思えた。
「騎士殿が何と言おうと、わたしにこれをくれたのは、騎士殿だ。騎士殿との出会いが、すべてを変えてくれた。会えて本当によかった。心からそう思う」
「僕もだ。“アルルカ・アマンカ・エルボ”」
「……!」
アルルカははっと僕を見た。
「君に会えてよかった」
『Ⅰ』のアルルカじゃなく、今のアルルカに。
ドワーフのアルルカ・アマンカ・エルボが知らない誰かじゃなく、目の前の少女に。
これは“砂漠の極星”の続きじゃない。超兵器の母アルルカの、最初で最後の人生なんだ。
彼女は様々な困難を克服し、今に至った。
僕はそれに立ち合い、手助けをした。
それが誇らしい。
アルルカは目を伏せ、何かをこらえるみたいにしらばく唇を震わせていた。
が、小さく息を吐いたのを皮切りに、意を決したように僕へと向き直る。
「もし、〈大流砂〉の調査で何もなければ――」
潤みを含んだ橙色の瞳が揺れながら、それでもこちらを中心に置こうとする。その態度に少し驚きながら、僕も彼女を見返した。
「騎士殿はここを発ってしまうのか?」
「……うん。寂しいけど……」
僕は心からそう言って、けれどもうなずいた。
「戦うために、次に行かないと」
〈ヴァン平原〉でも〈ディープミストの森〉でも同じ想いをした。
正しいことをしているはずなのに、悲しい気持ちになる。
お別れ。
アルルカはうつむき、押し黙った。
思えば、〈ブラッディヤード〉での生活は、この世界に来て一番騒々しい日々だったかもしれない。
アルルカとドルドはすぐ親子ゲンカするし、イグナイトはしょっちゅう爆発するし、超兵器はどんどん改良されるし、シムーンは鉄片で町中を切り裂こうとするし……。
粗野で乱暴であけすけで、人というすべての原石がイモ洗いのようにぶつかりあって、互いを磨き合っている町だった。
僕がここで生まれていたら、きっと、死に際につまらない走馬燈を見ることもなかったんだろう。思いきり生きて、思いきり死んでいただろう。
「騎士殿、実は、お願いがあるんだ」
思い出だけが饒舌な沈黙を破ったのは、アルルカの一言だった。
「少し前から考えていた。色々、勝手なことだとは思うんだが……その……」
後ろ手に手を組み、肩をもじもじさせながら、彼女が何かを言いかけたとき。
「騎士殿、そこにいたか!」
階段下から、ドワーフ戦士の胴間声が響き渡る。
「調査隊が戻った。何だか、えらいことになってる。すぐに来てくれ!」
僕はアルルカを見た。
「は、話は後にしよう。今は、調査隊のところへ」
彼女はどこかほっとしたような顔で言い、僕はそれに従って、階段を駆け下りた。
※
「〈大流砂〉の一部の流れが止まってる」
赤砂まみれになったドワーフは、会議室に集まった面々に、開口一番そう告げた。
「〈大流砂〉の流れが? 確かか?」
ドルドが問いかけると、彼はうなずき、
「ああ、間違いない。以前作った地図と何度も見比べた」
会議室がざわめいた。
「どういうことだ?」
「流れが変わった?」
「いや、やっぱり土地の力が弱まってるんじゃ……」
無秩序な言葉の往来を断ち切ったのは、調査隊の次の報告だった。
「そして、潮が引くみてえに流れのなくなった砂の下から、奇妙なもんが出てきた」
奇妙なもの? 僕の胸がざわりと動く。
「町の残骸らしきものだ」
ドワーフたちは一斉に顔を見合わせた。
「町だと?」
「〈大流砂〉の下に町が?」
口々に言う面々をひとまず無視し、調査隊は続けた。
「ただ、それより大変なのは、そこ全体が、金属で覆われてるってことだ。旧市街がそうなっていたみてえに」
「!!」
僕は思わず身じろぎしていた。
アバドーンのイナゴの鉱床だ!
「それで、見たこともねえ巨大なバッタがそこに並んでるんだ。ずらっとな」
「何だと!?」
ドルドも身を乗り出す。
「それで、どうした?」
「手を出さずに、そのまま帰ってきた。まずは騎士殿に報告した方がいいと思ってな」
調査隊員が、是非を問うように僕を見やる。
うなずき返した。
「うん。ありがとう。そこから先は僕が調べる」
最後の大仕事だ。
※
〈ブラッディヤード〉の砂の下に古代文明が埋まっているのは既知の事実だ。
しかし、まさか〈大流砂〉の下にもあったとは。
調査隊の話では、〈黒角の乙女〉の神殿のようなちゃんとした遺跡ではなく、ほとんど遺構に近いらしい。
だから今優先すべきは、砂の下から現れたアバドーンの軍勢。
話によると、一切動きを見せていないそうだけど……放ってもおけない。
僕は早速〈大流砂〉への調査に向かうことにした。
一人でもよかったんだけど、かなり広範囲らしく、ドルドとアルルカを含む戦士団もこれに参加し、さらに――
「わたしも行く」
パスティスが譲らぬ目つきで名乗り出た。
「砂嵐も、全然、起きてない。わたしも、一緒に行きたい……」
真摯に見つめるその表情は哀願にも似ていた。
パスティスは〈ブラッディヤード〉でほとんど戦いに参加していない。それが負い目になっていることを、僕は他の仲間たちからそれとなく耳にしていた。
とかく責任感が強く、それが強迫観念にもなりかねない少女だ。彼女に安らいでほしいのなら、危険な場所で苦楽を分かち合うことが必要だった。
「わかった。一緒に行こう」
「……! うん……!」
クリスマスプレゼントをもらった子供のような笑顔になりながら、パスティスは、直前まで僕の手首を絞め落とそうとしていた尻尾をようやく緩めてくれたのだった。
手、手がァ……。
「騎士殿、彼女はその、戦えるのか?」
出発準備を進める中、アルルカがそんなことを聞いてきた。
僕は努めて冷静に、
「死ぬよ」
「えっ」
「パスティスと戦ったヤツはみんな死ぬ」
もっとも、今回パスティスの出番があるかどうかはわからないけど……。
大丈夫、99%安全だ
1%「おれを酷使するのはやめろ。繰り返す」




