第百四十四話 新しきものへ
砂煙を上げながらタイラニック号が横倒しになった。
果たして、これまでどれほどの回数、この天変地異のような巨大生物に挑んだのか。オーロラ鋼で補強されたローラーはあちこちがへこみ、回転速度にも鈍りが見える。
普段はその飽くなき闘争心に助けられているけど、今はただただ無謀だった。
グラットンワームの攻撃は単純だ。
牙を使うまでもなく、その場で体をくねらせれば、地上にいる戦力は大ダメージを受ける。超重量のタイラニック号ですら容易に吹っ飛ばされるパワー。これを封じなければ、近づくこともできない。タイラニック号のように、いたずらにダメージを蓄積させるだけだった。
超兵器の戦闘は制御できない。
どうにか、彼女と攻撃のタイミングを合わせないと……!
僕がアンサラーの銃把を握り直した時だった。
グラットンワームには到底及ばないものの、二十メートルはある城壁の約半分ほどの体高を持つ巨影が、目の前を横切った。
モビルドワーフだ。
アルルカはこれを「着る」と表現していたが、とてもパワードスーツのようなものを連想できる体躯ではない。ただ、顔が出ているせいで、微妙に着ているようにも見えるのが困りものだった。
「超兵器全隊後退! わたしが出る!」
アルルカの声が風の中で途切れ途切れに聞こえたと思ったら、タイラニック号が後退を始めた。他のアイアンバベルやマッドドッグたちも素早く後ろに下がっていく。
これは!? みんなアルルカの指示に従っているのか?
まさかこのモビルドワーフ、他の超兵器に対する指揮権を持っている!?
「行け! 栄光ある我らの勝利のために!」
モビルドワーフのほぼ本体であるコンテナ部分から、数体のブラストボビンが放たれた。
回転する巨大な爆薬は、それぞれが殺意に満ちた挙動でグラットンワームへと肉薄。接地している胴体部分へ到達すると同時に、満載された火力を十二分に発揮して爆轟を砂漠に響かせる。
かつてない衝撃にさしものグラットンワームも驚いたのか、粘液がからむような濡れた咆哮を上げ、その長大な体を暴れ狂わせた。
近くに誰かがいたら、それだけで壊滅的被害を受けるほどの狂乱ぶり。
しかし、アルルカが後退させていたため、超兵器たちも無事だ。
そこへさらに、追撃のディガーフィッシュ。
今度のミサイル群は地中を推進したままグラットンワームの体の下側で爆発し、ダメージはさらに加速した!
火炎混じりの砂柱がグラットンワームの胴体下から次々立ち上がり、さしもの怪物も動きが鈍る。
「精霊!」
アルルカが聞き慣れない言葉を放った。
モビルドワーフのコンテナ上部から、橙色の輝きがぱあっと散るのが見えた。
まだ何か武装を積んでるのか?
「……筒状の……何だ?」
わかるのはそこまでだった。
筒状の何かは空中に短い直線を刻みながら、グラットンワームの周囲に次々に展開されていく。
あ、あの動きは何だ? まるで、ファンネ〇かビ〇トのような……!?
そして、巨大虫めがけて一斉に――火を噴いた。
文字通りの、火炎放射。
「脳波コントロール式の火炎放射器だと!? な、なんでだよおおお!?」
なんで火炎放射にこだわった!? 言え!
ビームとかそういうのでいいだろ!?
砂漠に住む生き物でも、度を超えた高熱には耐えられない。グラットンワームは悶え苦しむように暴れたものの、フロギストンと呼ばれたサイコミュ火炎放射器は、包囲を崩さないまま陣形を次々に変更し、巨虫を炙り続けた。
え、えげつねえ……!
だが、これだけやっても、まだグラットンワームの外皮に目立った損傷はなかった。
あんだけうねうね動くくせに、相当に頑丈らしい。
「アルルカ、そいつで俺たちを飛ばせるんだろ? やれ!」
土間声に振り向けば、モビルドワーフの足元にドワーフたちが集まっていた。
どうやら、砲弾にされたドワーフたちが先頭に立って、再装填を願っているらしい。自分たちがぶっ飛ばされることに何も感じないのかこの戦闘狂どもは!?
「わかった。弾倉を開放する。みんな乗り込め!」
『おー!!』
甲高い発射音と共にドワーフたちが次々に射出された。
戦士たちは限りなく水平に近い放物線を描きながらグラットンワームに接近し、ある者は頭突きで、ある者はすれ違い様にスピードとパワーを乗せまくった武器の一撃を叩き込んでいく。
それが何度も何度も続き、徐々に岩のような外皮を削り取り始めた。
何だか、だんだん、何かのイカれたお祭りに見えてきた。いや、そうなのかもしれない。これは、モビルドワーフの誕生を祝う祭典なのかもしれない。
一際甲高いグラットンワームの叫びが轟いた。
見れば、ドワーフ戦士の一撃がとうとう外皮の一部を剥ぎ取り、深紅の外見からは想像もつかない真っ青な筋肉繊維を剥き出しにさせていた。
「騎士殿、頼む!」
アルルカが僕に叫ぶと同時に、目の前にタイラニック号が走り込んできた。
「乗れ」とでも言うみたいに。
僕はためらわず、その巨体に飛び乗っていた。
タイラニック号は、砂丘の坂を利用してジャンプすると、動きの鈍ったグラットンワームの上を爆走する。
でこぼこになったローラーと、ごつごつしたグラットンワームの外皮がぶつかり合って、僕の体はフライパンの上で跳ねるポップコーンだったけど、意地でも食らいついた。
安全装置なしのジェットコースターを耐える中、前方にコバルトブルーの筋肉繊維が見えた。
あと少し!
そのとき、グラットンワームが大きく身をくねらせた。
これまで以上の大きな反発力が襲いかかり、タイラニック号が弾き飛ばされる。
魂がすっ飛んでいきそうな無重力感。
しかし、その時には、僕も空中へ飛び出している。
第二のルーンバースト!
空中で全能力を強化させた僕は、無事グラットンワームの体の一部に着地すると、そのまま傷口へと駆け上がった。
身を縦に伸ばしたグラットンワームの外皮は、ほとんど絶壁だった。それでも凹凸に指を突っ込み、上へ上へと向かう。体から噴き出す青い炎が、僕を前へ前へと押し出してくれているみたいだった。
そして、たどり着いた。目の覚めるような青い傷口!
「うおおお!」
右手に逆手に持ったカルバリアスを、グラットンワームの筋肉繊維へと突き込む。
――ギョアアアアア!!
巨獣が、はっきり苦悶とわかる絶叫を上げて暴れ悶えた。
世界が、天地が、内蔵の位置も意識のありかさえごちゃ混ぜにされながら、僕は叫んだ。
「アンサラアアアア!」
聖剣を掴んだ右手の感触だけを頼りに銃口の向きを決め、至近距離でアンサラーを速射する。
強化された魔力弾丸が、一弾ごとに空色の筋肉組織をえぐり取り、同色の体液を砂漠の空へとばら撒いた。
引き金を引いて、引いて、引いて、引いて。
オーバーヒート。
アイスチップを走らせる余裕もなく、僕はアンサラーを手放し、命綱代わりの右腕に左腕を交差させた。
「こいつも持ってけええええええ!」
第一のルーンバースト!
腕の交差地点で走査を捻じ曲げられたルーン文字のリードポイントが、意図された魔力の大暴走を引き起こす。
空間の一座標に現れた球形の破壊光は、巨大芋虫に食いつく捕食獣のあぎとそのままに、あわや寸断というところまでその筋肉繊維を抉り取っていった。
小さな村を一巻きにできそうな巨体を揺らめかせながら、地に倒れ込むグラットンワームの姿を目に焼き付けつつ、僕も地面へと墜落する。
駆け寄ってくるドワーフたちとアルルカを見て、僕は自然と聖剣を掲げ、彼らと一体化した大きな勝鬨を上げていた。
※
「これが、わたしのたどり着いた答えだ。父さん」
モビルドワーフの正面の一部から露出したアルルカの顔が、そう言った。
改めて見なくとも、この光景は奇怪すぎますね……。
仮装大賞で木の役とかやってる人を思い出す姿だよアルルカ……。
戦いが終わり、戦いの行方を気にしていた住人たちも、町の入り口に集まってきていた。
彼らを前に、アルルカは、ドルドへと訴える。
「わたし自身が戦士となり、父さんと同じ戦場で同じものを見て、同じものを感じる。そうすれば、わたしが作り出すものと、父さんの思うものとに大きなズレは生まれにくくなるはずだ」
「むぅ……」
唸るドルドに、バルジドが口添えする。
「職人としてのおまえだけじゃねえ。戦士としてのおまえと共通点を持つことで、わかり合おうとしてるんだよ。こいつは」
「ああ、そうだな……」
彼がうなずくと、見守っていたドワーフたちの顔が少し明るくなった。
しかし、ドルドはアルルカを見上げて言うのだ。
「だがな……。そんなことをしてどうする? おまえも、工房の連中も、そして俺も、何一つ、悪いことはしちゃいねえんだ。ただ、なるようにしてなろうとしている。確かに、同じ戦場に立てば、武器作りで多少の意見の食い違いがあっても、多くの理解や妥協点を見出すことはできるだろう。しかし、問題は俺の想像力だ。古いものを礎にする俺が、いくら新しいものを取り込もうとしても、新しいものを礎とするおまえたちの想像力には必ず追いつかなくなる。時間稼ぎにすぎねえんだよ、こんなのは……」
「それでいい」
アルルカは乗り出すように叫んだ。
「時間稼ぎでいい。ごまかしでいい。あと少し、もう少しだけ、時間がほしい。一緒に武器作りをする時間が。それがただの時間の浪費でもいい。振り返って後悔するような無駄な時間であってもいい。今のわたしは、それが一番ほしいんだ」
「……!」
アルルカがここまで自分の気持ちに素直になるのは初めてなのだろう。ドルドの頑なな顔にも逡巡が走った。
「だけどよ……」
そうつぶやき、押し黙る。
アルルカや僕らが望んでいることは賢いことじゃない。
世代交代からは逃れられないし、それを速やかに行おうとしているドルドの方が賢明であり、正しい。
だからこれは単なるわがままだ。
娘の。僕らの。
ドルドにもそれがわかってる。そして、冷徹になり切れないから、今、先の言葉を紡げずにいる。
彼は揺れている。迷いを持ちかけている。
それでも、このままでは、彼は自分の決断を選ぶと思う。引退する道を。
今。
彼に迷いが芽生えかけた今。誰かが、何かを言えなければ。
誰も……言えない。
ドワーフの町の心臓部たる工房の親方であるドルドは、実質的に町の指導者でもある。
彼を従わせる言葉を持つ者は町にはいないし、部外者の僕らにも口を挟む権利はない。
ただ。
ただ一人。
あの人をのぞいて。
劇的な勝利の後とは思えない、うら寂しい沈黙の中、僕は女神リーンフィリア様を見た。
沈痛な面持ちで推移を見守っていた彼女は、「えっ」という顔をして、こちらの意図を察したのか、慌てて目をそらした。
が。目をそらした先にいたパスティスとマルネリアも、助けを乞うようにリーンフィリア様を見ていた。
リーンフィリア様の目はさらに逃げて、唯一味方になりそうなアンシェルへと向かったけど、彼女も彼女で、申し訳なさそうに女神様を見つめていた。
リーンフィリア様の顔が青くなった。
……なんかすごく申し訳ないんだけど……でも、リーンフィリア様しかいない。
ドルドに対して、何か言えるのは。
進退窮まったリーンフィリア様は、腰に吊るしたスコップを握りしめ、目を閉じて唸り始める。
そして、はっと顔を上げた。
再び目を閉じ、小さな深呼吸。次に目を開いた時、そこには神聖にして不可侵の女神たる輝きが宿っていた。
「ドルド。あなたは新しいものを大切にするあまり、大事なことを見落としているようです」
声に弾かれるように、その場にいる全員がリーンフィリア様へと顔を向けた。
「俺が、見落としている……?」
ドルドは怪訝そうな顔でたずねる。
「そうです。新しいものも、古いものの中から生まれいずるということを」
「……?」
彼が首をかしげても、リーンフィリア様は動じなかった。
「新しいものは、その新しい翼で、誰も見たことのないほど見事に空を飛んで見せるかもしれません。しかしまだ、それだけでしかないものです」
ドルドも、誰も、耳を澄まして、彼女の言葉に聞き入る。
「その新しきものは、飛ぶことはできても、どこに巣を作れば安全なのか、どこで餌を取ればいいのか、どう子を生み、どう育てればいいかを知りません。なぜなら、新しいがゆえに、それがどんなものであるか、それ自身にもよくわからないからです」
リーンフィリア様は柔らかな目線でドルドを見た。
「向き合う者が必要です。新しきものと向き合い、言葉を交わし、それがどんなものであるかをわからせる者が。その者はすでに世界に根付き、多くを知っています。古きもの。新しいものを生み出した、父であり母であるもの。二つはぶつかりもしましょう、いがみ合うこともあるでしょう。しかしその中で、新しいものは、自分が何者であるかを知るのです。大きな原石が他の石に磨かれ、小さな美しい宝石になるように」
ああ……と誰かがため息をもらす。
そして彼女は厳かに、そして慈しむように、告げる。
「ドルド。古きものの代表として、どうか今少しの間、新しいものの対話者となってはくれませんか」
彼は、大きく目を見開いて、それを聞いた。
もしそこに何かがはまっていれば、ポロリと落ちたであろうほど、大きく。
彼だけではなかった。
他のドワーフたちも、はっとした顔のまま、彼女の言葉に聞き入っていた。
「新しいものと、古いものの、対話……」
ドルドがうわごとのように繰り返す。
「タイラーニ……タイラニーアーレ……! 俺と、したことが……!」
彼は片手で頭を抱えた。
「女神……! タイラニー……! これほどまでにドワーフにとって必要な言葉はない……! 古きものと、新しきものの、対話……! その代表として、俺が……! 俺の役目が、まだあるのか……! タイラニーアーレ……タイラニーアーレ……!」
その時、ドルドの見開いた目から、小さな雫が一粒だけ落ちるのを、僕は見た。
ああ、そうだ……。
僕は何を勘違いしていたんだろう。
ドルドが快く親方の座を明け渡そうとしてるなんて、誰が言った?
彼だって苦しかったはずだ。
工房のために新しい世代が生まれることを、彼は歓迎した。でもそれとは別に、悔しい気持ちも、寂しい気持ちもきっとあった。
感情があった。アルルカのわがままのように。彼のわがままもあって当然だった。
親方として、父として、そして男として押し殺していたそれを、女神さまは引き出した。
誰もが納得する言葉と共に。
だから。
リーンフィリア様は女神なんだ。
この大地を守る、女神なんだ。
「タイラニー」「タイラーニア……!」「タイラニーアーレ!」
祈りの言葉は、いつしかその場にいた全員へと伝播していた。
ドルドは職人仲間やバルジドたちに肩を叩かれ、お互いに不器用な笑みを交わし合う。
アルルカが乗ったモビルドワーフの足元には、ダンダーナやランラシドをはじめとした女性たちが集まり、涙する彼女と一緒に泣いてくれた。
「タイラニー!」「タイラーニア!」「タイラニーアーレ!」
「タイラニー!」「タイラーニア!」「タイラニーアーレ!」
女神を称える三唱はいつまでも続き、砂漠を渡る風に乗って、どこまでもどこまでも響き続けた。
古いものが新しいものと入れ替わる。
けれどこの音は。
百年たっても、千年たっても、きっと、消えることはないだろう。
やっぱり最後は女神様




