第十四話 神咬みの竜
僕は適当な岩に腰掛け、〈オルター・ボード〉の上に紙を重ねて、〈ヴァン平原〉の地図を描いていた。
村は一番下。平原の入り口にあり、北東の端っこには気になる廃墟。ここからでは森に遮られて見えないが、マップの隅にあることから、エリアボスのにおいがぷんぷんする。
中央を東西に横切るように川。それ以外には、泉、林、岩場……。いずれも、女神の騎士を強化するイベントが待っているに違いない。
「落ちていくのなんてほんの数秒なのに、よく見てたわね」
僕の隣で、地図をのぞき込みながらアンシェルが言ってくる。
「まあね」
「狂犬かと思ってたけど、わりと思慮深いんだ?」
「狂犬でもあり、猟犬でもある。鼻が曲がったマヌケになるつもりはないよ」
「ああ、そう……。よくわかんないわ」
「僕の信条だ。僕だけわかってればいい」
アンシェルはつまらなさそうに鼻から息を吐き、
「あ……そうだ」
何かを思い出したように手を打った。
「あの黒いかけらの話、途中だったのにすっかり忘れてたわ」
「? サベージブラックって竜の鱗なんでしょ?」
「うーん……。形はそっくりなんだけど、大きさが全然違うの。サベージブラックの鱗って、もっとずっと大きくて分厚いのよ。あんな小さくない」
「じゃあ幼体のやつなんじゃない?」
「それが、幼体には鱗がないのよね……。つるつるなの」
アンシェルは首を傾げた。
「そもそも、サベージブラックってどういう竜なの?」
「ああ……恐らく、地上でもっとも凶暴な竜の一種ね。腕に翼があって、全身が黒い鱗に覆われて、口から吐く炎も黒いわ。大きさは……さっきわたしと女神様で作った、四角い家くらいかしらね。竜としては、やや小型の部類に入るかも」
「ふうん。でも凶暴なんだ」
「昔は大型の個体も多くてね。天界まで昇ってきて、神様を咬んだって伝説も残ってるくらいよ」
「なんて素晴らしい竜なんだ!」
「少しは本音を隠しなさいよ……」
アンシェルは唸るように息を吐いた。
「よし。こんなもんでいいか。どこか気になるところはある?」
僕は地図をアンシェルに見せる。けれど天使の少女は、どこかぼーっとした目で、僕ではない誰かを見ていた。
「おーい。まさか眼中にないってことですかー」
不意に、彼女から小さな声がもれた。
「ねえ……騎士」
「ん? 何?」
彼女はらしくもなく、どこか戸惑っているような感じで、
「あんた前に、女神様にさ、勇敢なフリを続けてたら、本当の勇気になるって言ってたじゃない」
「言った」
「本当にそうなの? フリを続けてたら、心も本当にそうなってくれる?」
女神様のことを聞いてるんじゃないことはすぐにわかった。
じっと僕を見つめる彼女の目は、いつになく頼りない。
これは……?
「君の場合は、すでに内外がヤバいくらい一致してると思うけど……。むしろにじみ出て、収拾つかなくなってると思うよ……」
「なっ……! 何よそれ。何が出てるのよ!」
「キマシタワー用のセメントみたいなものとか」
「わけわかんないこと言うんじゃないわよ!」
「おっと! 下段ガードを固めた僕に隙はなかった!」
咄嗟に身構えた僕らの間に、ヘボい緊張が走ったとき――
「た、大変だあっ!!」
本当に緊張感のある声が、村一帯に響き渡った。
お城を少しずつ解体し、トーフハウスを作っていた村人たちも一斉に顔を向ける。
見れば、村を離れて新資材探しをしていた若者が、血相を変えて駆けてきていた。
「どうした!?」
僕が声を張り上げると、
「黒い竜が草原を横切りながら、こっちに近づいてる! 見るからに危なそうなヤツだ!」
「なっ……!? それってサベージブラック!? やっぱりいるんじゃないか!」
「そ、そうみたいね!?」
アンシェルがこくこくうなずく。
ま、まずい……!
こいつは僕の勘だけど、そのサベージブラックってのは「序盤に出てくる後半の敵」だ。 クリエイトパートのマップには、そのときの強さでは決して勝てない敵が配置されていることがある。他のエリアをクリアし、十分に強くなってから挑む強ボス。浮遊大陸にいるバハムートやリヴァイアサンみたいなものだ(つたわらないたとえ)。こんなときに何だけど、僕はそういう作りが大好きです!
「もうすぐこっちに来る! みんな逃げるんだ!」
若者は叫ぶ。
逃げて……間に合うか!? ここらは見晴らしのいい場所だ。
もし見つかれば、草原の端まで追い回されてやられてしまう可能性だってある。
ゲームなら……! 多少被害が出てももう一度やり直せばいい……!
でも彼らは……人間だ! タイラニーとかアホなかけ声を出すことや、自分の住まいに無駄に凝ってしまう性格も知っている。知らない誰かじゃない……!
ちいいっ!
「僕が囮になってヤツを引きつける。アンシェルはその隙にみんなと避難を!」
「バカ言うんじゃないわよ! 鼻曲がってんじゃないの猟犬! 本当にサベージブラックかもしれないのよ!? もしそうなら確実に死ぬわよ!?」
「生きるさ!」
言い切る僕の腕を、アンシェルががっしと掴んできた。
「行かせないわ今回だけは! 別の方法を考えるのよ! あんたのは捨て身ですらない単なる自殺! 狂犬だって自殺はしない!」
「くっ……!」
小さなアンシェルの手が、異様な力で僕を掴んでいた。握力じゃない。彼女の強烈な意志が、鎧を通じて僕に伝わってくる。もしこの手を振り払えば、僕は怒りとは異なる理由で彼女から一生赦されないと、なぜかわかった。そして僕がそれを望まないことも。
ならどうする。
プランBは……プランBは何だ?
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
黙ってても何も始まらない。何か言え、何か! 何でもいい! そこからアイデアが生まれる!
「だったら……かっ……隠す……! そう、村を隠すっていうのは……!?」
僕は声を絞り出した。アンシェルもこくこくうなずき、
「そっ……そうね! いい案だわ……! ほ、方法は?」
「い、いい、今、考えるよ……!」
「わ、わたしも……!」
僕たちは腕を掴み合う姿勢のまま、うんうんうなり続けた。
隠す、隠す、隠す……どうやって? こんな大きいもの、どうやってだ?
《私の戦いもこれまでか……》
うるせえ邪魔すんなネガティブナイト!
そのときだった。
「ふうっ。やっと一区切りつきました。あれっ、二人とも何してるんですか?」
何も知らない幸せそうな顔で、整地厨いやさリーンフィリア様が現れた。
きっと地面をタイラニするのに夢中で、さっきの村人の叫びも聞こえていないのだろう。
ん……整地……厨?
「リーンフィリア様、均したのはどこですか!?」
「えっ? す、すぐそこです……」
リーンフィリア様は、村のすぐ東隣を指さす。
そこには、ピタリ百八十度の水平に均された地面。
それと、
山のように積み重なった、土のブロック……!!
「これだああああ!」
僕は叫んだ。
「村の人たち、あのブロックを使って壁を作るんだ! 村を隠す! 急いで!」
僕の指示を瞬時に理解した村人たちが、猛然とブロックの山に飛びつき、村の前に土の壁を作っていった。みんな死にものぐるいだった。
サベージブラックにどれくらいの知恵があるのかはわからないが、人間の村よりは、土の壁の方が興味が薄いだろう。素通りしてくれることを祈るしかない。
壁はできた。
なんとか村の全景を隠せる範囲。
僕は、その隙間から、草原の様子をうかがう。
黒い巨影はすぐに現れた。ギリギリのタイミングだった。
すぐに使えるあの土ブロックの山がなければ、間に合わなかっただろう。
「あわわわ。サベージブラックです……。神様にも噛みつく竜ですよ」
リーンフィリア様が震えだす。
サベージブラックは、一風変わった姿の竜だった。
形状でいえば、翼竜に近いのかもしれない。
野太く長い前足には、人間でいう腋の部分に、コウモリのような皮膜の翼がついている。
翼は、地上にいるときはV字に跳ね上がって地面につかないようになっており、正面から見るとWみたいな形になっているはずだ。
しかし、空を飛ぶ生き物にしては、胴体も四肢も太く、逞しい。
そしてその凶悪な面構え――。
頭部の上半分が湾曲した角と一体化しており、目らしき器官が見えない。
口は大きく裂け、神にも噛みついたという鋭い牙が並んでいる。
僕は現代人だ。恐竜だって生で見たことはない。
そんな僕が、この異形の竜を始めて目撃したのだ。
息をするのも忘れる。なんて巨大で禍々しく――力強いのか!
サベージブラックが、ちらりとこちらを見た。
村人全員が、壁の後ろで息を殺していた。
竜に見つめられ、一秒……二秒……三秒……!
ぷいと顔を背けると、サベージブラックはゆっくりと草原を横切っていった。
「はああああああああ……」
その黒い影が完全に見えなくなると、僕たちはその場に倒れ込んだ。
「助かった……」
「もうダメかと思ったよ」
村人たちが口々に言う。
そんな中、壁に優しく手をつく女神の姿が。
「この壁がみなを救ったのですね。これを〝タイラニー・ウォール〟と呼び、以後、村の宝としましょう」
「おお……」
「何と素晴らしい……」
「必ずそうすると約束します」
村人たちからも賛同の声が上がる。
「僕のリーンフィリア様がどんどん自由な性格になっていく……」
でも、彼女の性癖が村を救ったのは間違いないのだ。
村人はマジでこれをタイラニー・ウォールと呼び、月に一度、ここで感謝の祭を開くことを決めた。
いや……これはいいよジャッジしなくて……。
コレでもコレジャナくもない。
好きにしてください……。
つ、疲れた……。
2頭身くらいのプレイヤーと全NPCが必死に壁を作っている様子を想像したら和んだ(町存亡の危機中)




