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第百三十九話 変わりゆく

 魔女マルネリア曰く、物事の流れを激変させる決定的瞬間は、それが発生した時はまだ何の意味も持たない、気づかなければ見逃してしまう程度の偶発的な“変化”に過ぎないらしい。


 後の世が、天才だとか軍略家と評する偉人は、その些細な“変化”を見逃さずに“兆し”へと変化させ、そしてついに“奇跡”へとたどり着いた人々だ。


 戦場は、気候、足場、地形、戦士たちのメンタルや武器の状態など様々な要素が入り乱れ、激しく運動するために、常にどこかで変化が起こりうる。

 だから人々は、そのために身構えている。


 しかしその日、その平穏な町の中で、僕は油断していたのだろう。


 いかに外側が強くとも、中身は、進路のことを考えるだけで胃がウッとなる小心者だ。

 予測のつかない将来のことを考えるのは面倒くさいし、安定した生活を変化させる根性もない。だから結果的に、考えない、身構えない、準備しない、と完全なるノーガードになる。申し訳程度の心的予防線だけ張っても、事が起きてから後悔を緩衝する言い訳にしかならないことは、この世界に来る直前によおおおおくわかったはずなのに。


「親方、アルルカは家にいるか?」


 鍛冶工房での昼休み。

 まず一人の職人が、休憩中のドルドにそうたずねた。


 僕がその場に居合わせたのは、武器の扱いや悪魔の兵器の材質関連で、ちょくちょくドルドと話し合っているからだ。


「ああ、いるだろうぜ。あれに何か用か?」

「頼まれてた超兵器の関節パーツの調整についてちょっと相談がな。今は砂の上だからいいが、硬い地面を歩かせる時に備えて、もうちょい柔らかくした方がいいんじゃねえかと思ってよ」

「ほう……そいつは正しいな。是非話してやってくれ」

「おう。ちょっと行ってくるぜ」


 そう言って彼が離れると、また別の一人が入れ替わるようにやって来て、


「親方、アルルカは家にいるんだって?」

「おう、何だ。おめえも用か?」

「ああ、いや、何か頼まれてたってわけじゃねえんだけど、超兵器の材質に軽い合金を使うのはどうかなって思ってよ。ちょっとサンプルを作ってみたんだ。ほら、マッドドッグとか重鉄騎とかは、スピード重視だろ?」

「へえ……確かにいいかもしれねえな。早速伝えてやってくれ」

「ああ。そうする」


 それから何人かが、アルルカの要件でドルドの元を訪れた。


 元々、ここの職人によってパーツが作られていた超兵器だけど、パンジャンドラムとかを転がしていた時期は、アルルカは完全に単なる問題児だった。パーツ作りも手慰みの工作にすぎなかったらしい。

 それが今、超兵器が町の守りの要となることで、職人たちの意識も変わってきている。自分たちからアイデアを持ち寄るようになっているのだ。


 それは超兵器を認めるだけでなく、アルルカという職人を認めるということにも繋がっていた。

 娘のために、ライバルに安くない頭まで下げたドルドだ。この変化をさぞ喜んでいるだろうと思った。


 事実、彼の顔には、しわの深い笑みが浮かんでいた。

 だけど、何かを見つけたような、少し驚いているような、そんな目の見開き方について、僕はほとんど何も察することができなかった。


 だからその日常の変化は、突然やって来たように思えてしまったんだ。


 ※

 

「見てくれ騎士殿。例の赤い鉱石――イグナイトに似ているので、アノイグナイトと呼ぶことにしたんだが、こうやって近くにイグナイトを並べると、内部の光り方が変わるんだ」

「本当だ。これはすごい」


 僕らはアルルカの部屋にいた。旧市街にある、ドルドと彼女が元々住んでいた家だ。

 家具類はそれほどなかったが、戦闘街から持ち込んだ大量の研究資料と超兵器の研究用パーツの集積場となっており、ごちゃごちゃ感が半端なかった。


「正反対というのは、ある意味一番近い関係ともいえるからね」


 久しぶりに地下神殿から這い出て来たマルネリアが感想を述べる。


 石の作業台の上にあるアノイグナイトは、近くに置かれたイグナイトを避けるように、反対側に向かって偏った光を放っていた。

 アルルカが光を塞ぐようにもう一つのイグナイトを置くと、光はまた別の空いている方への指向性を見せる。


「綺麗、だね」


 パスティスがつぶやいた。

 彼女は赤と金色が好きだ。特に指輪の一件以来、赤い石をやたら熱心に見つめるようになってしまった。


「アノイグナイトからエネルギーを取り出すには、イグナイトからの干渉が有効かもしれない。まだまだ想像の段階だが……」


 アルルカが嬉しそうにそう言った時だった。


「アルルカ、いるか!?」


 玄関から騒々しい声が聞こえた。

 まるで戦闘でも始まったように切迫した彼の声は、こちらの居場所を探すように家の中を移動しながらこう伝えた。


「工房に来てくれ! ドルドが、ドルドが親方の引退を宣言した!」


 ※


 僕らが押っ取り刀で駆けつけると、普段、炉と職人たちの熱気で暑苦しいはずの工房は、冷たい炎に炙られるような異様な空気に包まれていた。

 腕を組んで椅子に座るドルドと、それに正対して座り込んだ大勢の職人たちは、僕らの姿を見るなり、それぞれが反対の反応を見せた。


「おいおい、騎士殿や女神様まで連れて来たのか?」


 と呆れたようなドルド。一方で職人たちは、この突然のことに何らかの緩衝材を求めるような眼差しを向けてくる。


「……引退すると、聞いて」


 アルルカが、他にどう言ったらいいのかわからない様子でつぶやいた。


「ああ。さっきみなにもそう話したところだ」

「わたしに相談はなかったな?」

「別に、おまえに断る必要はねえだろ?」

「そう、だけど」


 アルルカは凍り付くように黙った。

 ドルドはあぐらをかいて座る職人たちを見回し、


「みんな通夜みてえに黙っちまって何も言わねえからもう一度説明するが、俺は今日で親方を退く。つっても、工房からいなくなるわけじゃねえ。後進の指導をメインにやるつもりだ」

「武器作りはもうしねえってことかよ」


 出入口に突っ立つ僕らの背後から、また別の声が割り込む。

 北工房の親方、バルジドだった。彼も僕らと同じように引っ張られてきたようだ。もっとも、ドルドのライバルである彼がこんな話を聞けば自発的に飛んできただろうけど。


「てめえまで来たのかよ。まるで子供でも生まれたみてえな騒ぎだな」

「……親方の代替わりは南工房の事情だ。俺が出る幕じゃねえが、後任はどいつだ?」


 個人的な事情は抑えているらしく、バルジドは思ったより冷静に問いかけた。

 ドルドは、バルジドを見ながらその名を挙げることを避け、座り込む職人たちの中から当人をきちんと見据え、呼んだ。


「バンドイル。おまえに任せる」

「俺か」


 みな一様にひげの筋肉だるまだから、正直ドワーフ族を見分けるのは今でも怪しいんだけど、僕は彼を知っていた。

 超兵器のパーツを一番作ってくれている職人だ。最初に引き受けてくれたのも彼らしい。


「技量的にも人望も申し分ねえ。やってくれるな」

「……認めたかねえが、俺の腕があんたに並んでるとは思えねえ。アルルカの超兵器作りは手伝ってやったが、それでひいきにされても困るぜ。あんたが作ったハルバードのような、他を黙らせる発明品もまだねえんだ」


 ぶっきらぼうに謙遜するバンドイルに対し、ドルドは微苦笑を向けた。


「腕前がまだ俺に及ばねえ点は気にするな。俺の時もそうだった。先代の親方が作る武器の繊細さと頑強さのバランスには、今でもかなわねえ。それと、ひいきにはしてねえ。ただ、腕の広がりは超兵器作りで見せてもらった」

「広がりだと?」

「おめえは発明品がねえと言ってるが、超兵器のパーツも立派な発明品だ。そこのあんぽんたんの発想をきっちり使える形に仕上げるのには、おめえの技が必要不可欠だったろうよ。未知のものを形にする造形力、実用に耐えさせるバランス感覚、何より柔軟性は、おめえの抜きんでた力だ。それに先代の親方のすべてを超える必要なんてねえ。それぞれが、秀でた得意な部分を持つ。そうして、時間をかけて工房の全体的な技術を上げていく。親方職はそうやって引き継がれてきた」

「しかしよ……」


 まだ納得いかない顔のバンドイルに、ドルドはふっと笑いかけた。


「今、工房は変化しかけてる。超兵器っつうこれまでなかったものが加わって、全員が新しい発想を持ち始めてる。こういう言葉を知っているか。“技術は十年で廃れるが、発想は百年もつ”。技術は継承できる、時間で積み上げていける。だが、発想は、突然やってくるものだ。この機を逃したくねえ。超兵器にまつわるみなの頭の中の変化は、ドワーフの鍛冶技術に新しいものを吹き込んでくれるだろう。そして今、親方にふさわしいのは、バンドイルおまえしかいない」

「あんたじゃいけねえのかよ。ドルド」


 抗議するのはバンドイルだけ。

 他のドワーフたちが口をつぐんでいるのは、ここで新しい親方に異を唱えれば、後々バンドイルがやりにくくなってしまうことを危惧してだろう。


 ドワーフにも気遣いという文化があったのかと思ってしまうけど、あるいは、ドルドに引退してほしくない気持ちを、バンドイルを含めた全員が共有しているからこそ、代弁を彼に任せているふうにも見えた。


 そう。ドワーフたちは、ドルドが引退することをまったく喜んでいなかった。

 むしろ引き留めたがっている。だから僕らも引っ張ってこられたんだ。


「おいおい。親方になりたくねえのかよバンドイル。職人なら誰もが憧れる地位だぜ」


 そうした空気を知ってか知らずか、ドルドはからかうように言った。


「なりてえに決まってる。あんたが分不相応にいつまでも居座るようなら、ぶんどってやりてえくらいだ。だがなドルド。あんたは親方である資格が、今もまだありすぎるくらいなんだぜ。あんたがみなを引っ張って、この町まで戻ってこられた。鍛冶の腕にも錆び一つついてねえ。万全な状態なのに、もう後任を決めるってのはどういう了見だ? まるで投げ出すようじゃねえか!」


 バンドイルの口調に荒いものが混じった。

 そうか。そうなんだ。彼らは戸惑っているというより、怒っているのかもしれない。

 もっとやってくれよと。もっと先を歩いていてくれよと。


 しかしドルドは首を横に振った。


「バカ野郎。そんなんじゃねえよ。時代が変わりつつあるんだ。薄々感じてはいたが、最近になってはっきりそれがわかった」


 そこで彼は、ふと、押し黙って推移を見守るバルジドに言葉を向けた。


「なあバルジド。俺がハルバードをこしらえた時、先代親方やら、先輩方から何て言われたか覚えてるか?」


 みんなの視線が集まる中、不機嫌そうに顔をしかめたバルジドは、それでも、まるで胸に刻み付けていたみたいに、淀みなくその言葉を口にした。


「“ごちゃごちゃとして何の目的も整合性もない不細工な棒”だ」


 場がざわつく。僕も驚いた。ドルドは、ハルバードを発明した功績が元で親方になれたという話だったはずなのに。

 ドルドは礼を述べるようにうなずくと、


「理解できねえ話じゃねえんだ。先代たちには“極まった一つの武器から放たれる技は、凡百の武器すべてを超越する”という思想があった。使う武器はシンプルな一種類でよく、それが優れていれば状況や武器間の相性なんぞ関係ないという考えだったわけだ。嫌いじゃなかった。だが俺は別の発想でハルバードを作った。たとえ異形であっても武器の可能性を探りたかったんだ」


 先達との思想における対決を初めて耳にし、唖然とする職人たちに対して、ドルドは今一度、一人一人に視線を巡らせる。


「その考え方の中で俺は技を練っていった。そして今に至る。わかるか。俺の技術は、俺の思想を根幹として形に成ったものだ。伸びしろはもう十分に使い切った。至るべきところに至った。だから、新しいものを取り込む余地や、変化を受け入れてそれを発展させていく力は、もう、ねえ」


 職人たちは息を呑んだ。


 自分の限界を語る。

 それがどんなに怖いことか、途上にいる者にはわからない。

 僕にもわからない。でも、とても勇気がいることぐらいはわかる。

 認めることが自分の限界を生むという前向きな考え方もあるだろう。でも――


「工房の技術に新しい発想が加わる。俺たちドワーフは、自分で作った武器を担いで戦場に立ち、そこで出来不出来を確かめるが、新しい発想の中ではそのやり方も変わっていくだろう。最初のうちはまだいい。だが、いずれおまえたちは俺の想像をはるかに超えたものを作り出す。その時に――この不格好な武器は何だ? と言いたくねえ。表面的にどれだけ取り繕ったところで、俺は俺の思想以外のものを認めねえし、逆にそれでいいとさえ思ってる。てめえのが一番なんだって吠え立てられるくらい心血を注いで作らなきゃ、作られたものが可哀想だ。だから、潮時なんだ。この工房が新しい時代を迎えるために、俺は退く」


 彼は職人たちを統括する立場にある。その一言で多くの事柄を決める。

 彼が認めなければ、新しい発想もうまく巣立てない。

 だからドルドは限界を決め、語った。


 逃げでも諦めでもない。

 一族の技をさらに高めるために、道を空けたんだ。


 これは……止めらないだろう。

 すごくすごく寂しいけど、誰もドルドを止められないだろう。

 世代交代として、これほどまでに潔く鮮やかなものは他にない。


 でも。

 それだけが理屈じゃない人だっているんだ。


「わたしの、せいか?」


 静寂の中にもれた声は、ひどく震えて、今にも泣きだしそうだった。


「あ?」


 ドルドをはじめ、全員がそちらを向く。

 アルルカの方を。


「わたしが超兵器なんか作ったから、父さんが引退しないといけなくなったのか?」

「おまえ、何を言ってるんだ。俺の話を聞いていたか? これは悪いことじゃ――」

「悪いことだ! わたしは、わたしはただ、認めてほしくて。そして一緒に――でも、そのせいで……」


 アルルカは心を絞るように叫んだ。いつしか、ぽろぽろと大粒の涙が落ちていた。

 そんな彼女に、ドルドはいつになく優しい笑みを向ける。


「いいか、アルルカ・アマンカ。確かに、変化の発端は超兵器だ。だがそれは何も悪いことじゃねえんだよ。おまえは新しいものを運んできてくれた。俺も、先代も、その前の親方たちも、こういう変化の中で順繰りに代替わりしていった。これは当然の摂理なんだ。花が咲けば次は散る。そういう順番だ。巡り回っていくことは良いことなんだ」

「違う。違う。わたしはそんなこと望んでなかった。こんなの、全然良くない!」


 いやいやをするように首を振ると、アルルカはその場から駆け出してしまった。


「ガキだな」


 見ていたバルジドがぽつりと。


「だが俺もそうだからわかる。ドルド、引退の理屈は理屈として十分理解できた。だがな。正しければ納得できるほど、心ってのはお利口じゃねんだ。別の工房のことだから口出しはしねえが、俺は認めねえからな」


 そう言い捨てると、彼もまた去っていく。


 ……うん。そうだな。


 ドルドの言ったことは正しいと思う。

 これからのことを考えた英断であり、明断だと思う。きっと後世の歴史家もそう言う。


 でも、それですべて解決か?

 正しければ、それがすべてに優先されるのか?

 委細を知らない部外者なら、そこだけが判断基準だろう。

 でも、それに直面する者にとっては――気持ちだって確かな根拠になるんだ。


「女神様、僕はアルルカを追います」

「お、お願いします」


 僕は彼女を追って走り出した。


 これはきっと、アルルカにとって、とても大切なできごとになる。

 ドルドが最強という霧の中から、最適という答えを見つけたような。

 そして多分、

 僕のアルルカ・アマンカという名前への借りも、これが最後だ。


職人回。会話が中心だとどうしても長くなってしまう…。

が、作者はこういう人間(?)くさいのが大好きです。

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[一言] ドルドは親方である以上に全体のリーダーなんだよね かつてのアルルカのように弱いところを見せたら、みんなが困惑するくらいに
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