第百三十七話 眠れる男
「一体何が起きたんだ?」
「どうしてこんなことに……」
戦闘街の一室には、居合わせた人々からにじみ出た戸惑いが霧のように立ち込めていた。
僕らが一様に視線を注ぐベッドの上には、理知的な男の静かな寝顔がある。
表情は安らかで、甘い夢を見ているようでもあった。
「わかったぞ、皆の衆」
部屋に入ってきた老ドワーフの声に僕らは弾かれるように反応し、そして彼の話に言葉を失った。
「アルフレッドは“潜睡病”にかかったようだ。このままでは十年でも百年でも眠り続けるぞ」
※
ここ最近、ドワーフの町は騒々しくも順風満帆そのものだった。
町の引っ越しは終わり、多くの住民が旧市街に戻った。
一方で、土地が限られていたこともあり、ぎゅうぎゅう詰めで暮らす生家を離れたがっていた人々は、戦闘街に続けて住むことを選んだ。これは町の維持の上でも非常にありがたい話だった。
土地の問題はドワーフ種族の数的繁栄にとって大きな障害となっていたらしく、これから爆発的に人口が増えることも期待されている。
〈黒角の乙女〉の遺跡についても調査が続けられていた。今のところ大きな発見はないが、秘密の外堀を埋めるように、遺跡の材質や、製作文明の技術レベルなどが徐々にわかってきているという。
そんな中、旧市街の町並みはそのまま残し、周辺を城塞化するプランを設計したところで、自分たちの役目に一区切りつけた人々がいる。
〈ヴァン平原〉からやって来た、築城五人衆とアルフレッドだ。
彼らは砂だらけの異郷で、ドワーフ民族史上稀に見る立派な都市を作り上げた。堅牢かつ整然とした町並みは、それがそのまま彼らの金字塔として長く語り継がれることだろう。
六人は見事に大役を果たした。それはつまり、別れの時が来たということでもあった。
しかし……
「そろそろ〈ヴァン平原〉に帰還ろうかと食事しながら話していた矢先だった」
「元々大した荷物もないから、荷造りは一日あれば終わる。騎士様たちと相談して、都合のいいタイミングで帰してもらおうと思っていたのですが」
「昼近くになってもアルフレッドが起きやがらねえ」
「最初は、最近の若者はジジイよりも体力がないのかとお決まりの愚痴で笑っていたのじゃが」
「呼んでも揺すってもひっぱたいても起きやしない。一体アルはどうしてしまったんだ?」
ということなのだ。
相談を受けた僕らはすぐにドルドに報告し、医者を呼んでもらった。
ドワーフは基本医者いらずなんだけど、それでも医術を志す人はちゃんといて、彼はアルフレッドを見るなりすぐに自分の診療所に取って返し、先ほど答えを引き下げて戻ってきた。そして今、神妙な面持ちで見つめる僕らに、老医師は語った。
「潜睡病というのは〈ブラッディヤード〉に古くからある風土病だ。ただ、ドワーフははるか昔にこの病を完全に克服してしまっていて、今では根絶されたも同然となっていたのだ。親方たちが知らぬのも無理はない」
「治るのか?」
ドルドがたずねると彼はうなずき、
「無論治る。だが、薬というものはない」
少し不穏な空気が立ち込める。
薬がない? 古すぎる病気だからか?
しかし医者は意外なことを言う。
「薬がないというのは、潜睡病の原因が人によって千差万別だからだ」
「どういうこと?」
僕がたずねると、
「潜睡病は、別名翌日逃避病とも言う。明日、どうしてもやりたくないことなどがあると、意地でも眠りから目覚めず、その要件から逃げ続けるのだ」
ヘアッ!?
何その根性ないことに根性ありすぎる病気!?
「そういえばアルフレッドのヤツ、〈ヴァン平原〉に帰るって話をしてるのにあんまり嬉しそうじゃなかったな」
築城五人衆が話し出す。
「この町でのヤツは水を得た魚のようだったからな」
「ああ。ニーソがどうとか言ってたな。毎日」
「この間も、洗濯して干された大量のニーソを何時間でも見つめていたぞ」
アルフレッドォ!!
「バカなんじゃないの?」
「はっきり言うのやめてあげて、アンシェル……」
どうやらアルフレッドは、ニーソが女性の民族衣装であるドワーフの町がすっかり気に入ってしまったようだった。
そして登校拒否ならぬ、帰宅拒否を起こしたらしい。
「〈ヴァン平原〉には……ディタが待ってる、のに……。アルフレッド……」
あっ……珍しくパスティスがちょっと不機嫌気味だ。ディタは彼女と同じキメラの少女だから、色々思うところがあるのだろう。
「あまり彼を悪く言わんでやってほしい」
医者がやんわりと彼女をなだめた。
「ドワーフはこの病との付き合いが長いから、もう滅茶苦茶にイヤなことがないと罹患することはなくなっていた。が、彼はこの土地の者ではない。免疫や抵抗力もなく、ほんのちょっぴりのイヤだなという気持ちが、病に隙を見せてしまっただけなのだ」
「それで、彼を治すにはどうすればいいんでしょう?」
リーンフィリア様が聞く。
「そうだな。この場合は、彼の故郷にも、彼の心の拠り所になるものがあることを示してやればいいだろう。それがどんなものかは、わしは知らんがな」
「それ、もしかして……」
僕があることを思いつくと、きっと同じ答えに達したであろうリーンフィリア様たちと築城五人衆が、一斉にこちらを見た。
※
グウウウオオオオオオルルルルアアアアアア!!!
トリニティエコーによって強化された〈ヘルメスの翼〉は、アディンを一本の巨大な矢にして海上に放った。
「うおおおおおおおオオオオオオォォォォンンヌヌヌ……(ドップラー効果)」
影すら置き去りにするそのスピードはまさに、
バッドスカイより、ずっと速い!
※
「アルフレッド!」
大陸間弾丸ツアーの疲労からぶっ倒れた僕をまたいで、イヌミミ少女がベッドに飛びついていった。
愛くるしい童顔に、ふわふわの毛皮のある両手。ちなみに左右で違う毛色をしている。
ディタは、〈ヴァン平原〉でパスティスに続いて保護されたキメラの少女だ。
今から半年以上前、ドワーフの地に旅立つアルフレッドを涙をこらえて見送った。幼いながらも、結婚の約束までして。
できればこんな形で再会させたくはなかったけど、アルフレッドを起こせるのはやはり彼女しかいない。
「アルフレッド、起きてよ。ねえ!」
ぺにょぺにょぺにょぺにょと肉球のある手で叩きまくっても、アルフレッドは、
「うへへ……」
と若干すでに起きてるくさい笑みを浮かべるだけで、目を開けようとはしなかった。
「ディタ、アルフレッドのこと、聞いてる?」
パスティスの呼びかけに、ディタはぶんぶんと首を横に振った。
「ごめん、詳しく話してる時間がなかった。ただアルフレッドを助けてほしいとだけ言って、ついてきてもらったんだ」
ぶっ倒れている僕の代わりに、パスティスが事情を説明してくれた。
結果。
「…………」
ぶーっ……という効果音がお似合いの、ディタの仏頂面だった。
オブラートに包もうと思えば包めるとこなんだけど、パスティスがわりとはっきりとニーソに浮かれるアルフレッドの話をしたからだ。
ああー……パスティス、やっぱりちょっと怒ってるっぽいな。
パスティスも苦労人だし、同じキメラであるディタには幸せになってほしいのだろう。そのディタを待たせてる当の本人がこの体たらくでは、同情の余地はないということか……。わりと厳しめなパッシィさんだ。
「ディタ。起こせる?」
パスティスがたずねると、少女はうなずき、そして僕らにあるものを用意してほしいと言った。
それは、最大級の自業自得で彼を昏睡状態に陥らせているアイテム、ニーソックスだった。
ニーソ……何に使うんだ?
はっ、待て!
まさか、“おはようニーソ”か!?
前回のミステリアスさに続き、謎めいたタイトルからのこの内容。
次回、約束されたくっだらない話。




