第百三十六話 黒角
念のためアンサラーを構えながら、暗闇にルーン文字の光を走らせる。
光に頼らないパスティスの目の力も借りて調べてみたところ、内部に脅威となりそうな熱源はなし。他の二部屋と同様に置かれている遺物もなかった。
壁に光を当てる。
「あった。〈古の模様〉……」
続いている。僕らは横縞を追いかける。
「模様の幅が広がってる……」
明かりで模様をたどりながら僕はつぶやいていた。
細まった先には先端があった。じゃあ、広がった先には?
大元があるに違いない。僕らが勘違いしていたものの、真の姿が。
横縞を光でなぞりながら、僕らはゆっくりと進んだ。
誰も何も言わない。どんな予測も必要なかった。答えはもうすぐわかる。この模様の大元は。大元は……
そして――
そこにたどり着いた時、僕らは呆然と立ち尽くした。
模様じゃない。これは模様なんかじゃなかった。
「壁画だ……!」
だが……!
「何なの、これ……」
アンシェルがかすれた声で言った。
わからない。誰も何も答えられずに息を飲んでいる。
そこに描かれているのは、一人の若い女性だった。
少女と言ってもいいかもしれない。
範囲は頭から胸のあたりまで。その下はふっつり切れている。
僕らが横縞だと思っていたのは、彼女のたなびく長い長い髪だったのだ。
しかし、しかしだ。問題なのはそこじゃない。僕らが言葉を失っている理由はただ一つ。
この女性には――角があった。
ただの角じゃない。
それは女性の目に近い位置から後ろに流れるように生えている。頭の上部分が丸ごと角に変化しているのだ。
知っている。僕らは、これによく似た角を知っている……!
「サベージ……ブラック……!」
何なんだ? なぜこの人物にはサベージブラックの角が生えているんだ?
神々すら脅かす暴悪無比の黒竜。しかしその角を持つ女性は、この暗闇の中で柔らかく微笑んでいた。
何なんだ。この絵は何を示しているんだ?
「…………?」
これは。
これは僕の、本当に僕個人が、今思いついたことなんだけど。何の確証も証拠もないことなんだけど。
この女性は誰かに似ている。どこがとは言えないけど、何か似ている。
その人は……。
「女神様……?」
パスティスが呆けたようにつぶやいて、僕らをぎょっと振り向かせた。
彼女はそれにはっとして、
「あっ、ご、ごめん、なさい。何となく、そんなふうに、見えて……」
「い、いや、パスティス! 実は僕も同じことを思ったんだ」
「ボクも」
「わ、わたしもだ。理由はわからないんだが……」
慌てて謝る彼女に次々と賛同者が現れる。
これはどういうことだ? みんな同じことを感じていたのか?
僕らの動揺する視線は当の本人へと一斉に注がれた。
「え、ええ……? わたしですか?」
リーンフィリア様は驚いたように後ずさる。アンシェルが慌てて割って入った。
「ちょっと何言ってるのよあんたたち。これがリーンフィリア様なわけないでしょ。角生えてるわよ、角が。こんな姿をしたのは、人にも神様にもいないわ。これは一体何の絵なのよ?」
「全然わからない。わからないんだけど……」
僕はそう返し、賛同者たちと顔を見合わせた。
「わたしと同じ、キメラ、なのかな……」
パスティスがおずおずと言ったけど、僕にはそうは思えなかった。
キメラは悪魔の兵器との交配によって作られた最近の被造物だ。でも、この壁画は、ドワーフの歴史よりも古くからここにある。
しかも、明確な表現ができなくて申し訳ないんだけど、この絵からは何か神聖なもの、あるいは強い神性を象徴するものが感じられるんだ。
〈ブラッディヤード〉の伝説が始まるよりさらに古い時代に、何者かによって描かれた絵画。詳細を知る生き証人はいない。もしいるとすれば、それは神であるリーンフィリア様しか……。
僕らが再び視線を向けると、リーンフィリア様は無言のプレッシャーに負けて、たじたじと暗闇方向へ後退しだした。
「やめなさいよ、怖がってる女神様もいるのよ!」
「ご、ごめん」
僕らは慌てて目をそらした。
確かに、謎めいた、ある種不気味な壁画に似ていると因縁をつけられたら、本人だって気持ちが悪いに違いない。
「何か手がかりはないかな……」
改めて、角の生えた女性の壁画を観察する。
壁画には色がなく、角の部分だけが黒く塗られていた。
もしこれが完全に彩色されたものならあるいは……とふと思い、気づいた。
僕が壁画の彼女をリーンフィリア様に似ている思った理由。
髪の毛の色だ。僕はこれが緑色なら映えるだろうな、と何となく思ったのだ。リーンフィリア様と同じ髪の色なら。
……それだけだった。本当にこじつけ以下の理由。何の根拠にもなりはしない。
ここまでか。
〈古の模様〉の正体はわかった。それは古代の壁画であり、しかもサベージブラックの角を持つというミステリアスな女性が描かれていた。
大きな進展があったというのに、謎はさらに深まっている……
追えるのか? これ以上の何かを。この絵の意味を。
どうやって? 本当にどうやってだ?
「わからない? 結構! 研究はそこからスタートだよ」
暗い部屋に立ち込めた戸惑いと動揺の澱を吹き散らしたのは、マルネリアのさっぱりとした声だった。
「〈古の模様〉――いや、もう〈黒角の乙女〉とでも呼ぼう。それに加えて、現代ではありえない規模の上位魔法の式まであったんだ。ここにはボクが全力で打ち込むべき真実の一端が眠っている。それを解き明かす資料はこの世界にはないかもしれない。ならボクがその製作者になるまでだ。任せて。ボクが持ってるエルフの知恵を総動員して、この壁画の秘密を必ず突き止めてみせる」
俄然軽くなった空気の中で身じろぎし、僕らは顔を見合わせた。
「水臭いこと言わないでよ。僕らもできる範囲で手伝う」
「うん……。やる……!」
「わたしたちも手伝う。ドワーフは学術的なことは苦手だが、手伝いは喜んで応じるはずだ」
それを聞いてマルネリアがニヤリと笑った。ああ、もうこれは火がついてる。彼女、しばらくは地下から出てこないかも。
ともあれ、何とも綺麗にまとまった。〈黒角の乙女〉の調査はこれからが本番だ!
「あっ、あのう……」
と。
明かりの届かない場所から、リーンフィリア様の情けない声がした。
「それで、わたしはもう出ていってもいいんでしょうか……」
「い、いいに決まってます! さあ早く戻ってきてください! いや、今迎えに行きますからそこから動かないで!」
アンシェルが大声で言い、カッと八重歯を剝いて僕らを威嚇してから、駆けていった。
僕らは申し訳なさそうに顔を見合わせ、アンシェルに続いた。
うーむ。あの様子を見る限りじゃ、やっぱりリーンフィリア様は何の関係もないかな……
ツジクローたちの答えが曖昧だったため、みなさんボッシュートとなります




