第百二十二話 砂煙の巨影
ボッ!
と、これ以上ないほどの爽快さで、鎧にかかっていた外圧が消えた。
それまで闇しか映していなかった僕の目に、ばらまかれた無数の星屑が瞬く。
夜空。
噴水のように吹き上がった砂の隙間からそれを眺めながら、地上へと戻ったことを理解した。
舞い上げられた体が味わう浮遊感は一秒たらずで消失し、万有引力が僕を地面へと掴み落とす。
柔らかい砂は、十年くらい使い続けた枕程度の優しさで、背中を受け止めてくれた。
寝転がったまま体をさわってみる。よし……ダメージはなさそうだ。
のそりと上体を起こしつつ、羽根飾りに呼びかける。
「アンシェル。外に出たよ」
「スヤァ……」
「天使さあん!?」
「……あ、脱出できたの?」
あくび混じりのアンシェルが、目を擦る音を交信に乗せながら聞いてきた。
まあ、あの地下空間から押し出された後も、相当長い間流されていたから、寝落ちもしかたないか。
「うん、脱出できた。こちらに損害なし」
「ご苦労様。天界に引っ張り上げるわ。今から神殿に戻るから、ちょっと待ってなさい」
「頼むよ」
それが一番手っ取り早い帰還方法だ。
正面に広がるのは果てのない月の砂漠。
現在地なんてまったく不明だ。ここからドワーフの町へ徒歩で戻るのは不可能だろう。
星に詳しければ方角の特定くらいはできるだろうけど、いくら『リジェネシス』が好きでも、夜ステージで星座探しなんてロマンチックな遊びまではしていない。
「ん……?」
僕はふと、微細な震動が体にまとわりついていることに気づく。
何か変な音も。
足下に目を落とすと、砂が流れていた。
僕が飛び出てきたくらいだから、このあたりにも流砂があるんだろう。
でも、この音と、震動は一体?
僕は背後の砂丘を駆け上がって、直後、唖然とした。
「こ……これは……!」
ある地点から先の大地が脈動していた。
壮大な地滑りを起こしているみたいに、轟々と、延々と。
「〈大流砂〉……!」
間違いない。
〈ブラッディヤード〉の東側を占めるという、巨大流砂地帯だ。
地下を流れに流れて、ここまでたどり着いていたのか。
青白い月に照らされた砂漠は、黒々とした海のようだった。
《大地のいびきのような重低音を響かせながら、暗色の砂が彼方へと流れていく。複雑に入り組んだ流れは、まるで巨大な砂の蛇が、お互いの体を絡ませ合うかのようだ。ここに呑まれた者が地上に戻ることは、二度とないだろう……》
わかるよ、主人公。僕もそんな気持ちだ。
砂漠を超克したドワーフたちが恐れるのも納得の極限環境。
生きる者の姿はなく、ただただ、枯渇した大地のみがうねり続けている。
きっと、ずっとずっと遠い昔から。変わることなく。
誰が望んだわけでも、観客が見ているわけでもないのに、ただ、ずっと。
途方もなくやかましく、凶悪な光景のはずなのに、僕にはそれがなぜかとても静かで、厳かなものに思えた。
「っと……」
体が浮き上がる。ドワーフ町から天界に戻ったアンシェルが、引き上げてくれているようだ。
せっかくだから、僕は上からもこの絶景を眺めるぜ!
ついでにその果てがどうなってるかも観察してやろう、と意気込む。
けれど、徐々に鳥瞰に近づいていく視界の中にあって、それでも〈大流砂〉の果ては見つからなかった。
これだけの砂が動いているだけでも腰が抜けるのに、その起点も終点も見えやしないなんて、ちょっとスケールでかすぎるんじゃないですかねえ……。
この〈大流砂〉の下に敵の本拠地があった日には、探索に百年単位が必要なんじゃないか?
「ん……?」
ふと、視界の端で動くものがあった。
瞬間的に、鳥だと思った。
だって、僕の体はもう結構な高度にあって、いくら見晴らしがよくても、地上のものなんてほとんど見えない状態だったからだ。
――でも、そいつは地上にいたんだ。
「ヘアッ!?」
人影。
な、何でだ……!?
僕は混乱した。人間なんて視認できる距離じゃない。それでもそいつは、人の形がわかるくらいの大きさで映っている。つまり、
「巨人……!?」
としか思えないサイズだということ。
〈大流砂〉は砂漠の東側にあったはず。だから、そいつがいるのは北側ということになる。いずれ町を延ばしていくであろう方角だ。そこに、巨人がいる。
「一体何なんだ……」
僕の疑問も〈大流砂〉も謎の巨大人影も、すべては砂漠の上空を漂う砂の粒子が覆い隠し、見えなくしてしまった。
だけど感じる。
砂漠の町作りは、これからが本番のようだ……。
※
翌朝。
天界に引き上げられてから再び地上に降りた僕は、ドワーフの集会場の外で水拭きされていた。
「すごい、砂だらけ……だね」
甲斐甲斐しく僕の鎧を掃除してくれているのはパスティスだ。
正直、この土地に来てから僕は毎日砂まみれになってるんだけど、今回は半日近く砂の中にいたので、全身くまなく赤っぽくなってしまっている。それを見かねた彼女が手入れをしてくれているというわけだ。
ついでに横では、
「あー。ルーン文字がかすれちゃってるところあるねえ。ここと、ここもかあ……」
マルネリアがボードを片手にルーン文字のチェックをしてくれていて、今の僕は完全に、整備兵にメンテされている騎士型ロボットだった。
「砂漠の巨人……そいつはきっとストームウォーカーだな」
椅子に座らされた僕の正面であぐらを掻くドルドが、ヒゲを撫でつけながら言った。
「ストームウォーカー?」
「ああ。古くから砂漠を徘徊する巨大な骸骨だ」
「骸骨!?」
思わず腰を浮かせた僕を、
『動かないで』
「あ、はい……」
パスティスとマルネリアが一糸乱れぬ動きで押さえつけた。
なんか……一瞬、二人が医者か看護婦さんに見えた。
すっごい真面目で健気な天使のキメラナースに、肩からずり落ちかけた白衣の裾を引きずる無自覚天然エロ女医エルフの立ち絵が頭に思い浮かんで……こなかったちくしょう!
「骸骨って、あれが? あのサイズの? しかも死んでるの?」
僕は気を取り直して聞く。
昨日は人影を見ただけで、肉付きまでは視認できなかった。
「ああ。大昔に死んだ、らしい」
ドルドが言うと、隣にいたアルルカもうんうんうなずいた。
「神代の時代に生きていた怪物が、骨だけになっても動いてやがるんだ。闘神ボルフォーレがここを砂漠にしたときに砂に食われて、骨になって這い出てきたって伝説もある。何にせよ、すさまじい生命力のバケモンだ。砂嵐と一緒に移動していて町には近づいてこないが、どの世代の戦士でも討伐できなかった」
「不死身とか?」
「どう見ても生物的には一回以上死んでるしな。弱点らしい弱点が見つからないのは確かだろうぜ」
アンデッドという単語が頭をよぎる。
実は『リジェネシス』には、死肉を集めたゴーレムとか、一見騎士だけど鎧の中身はぐちゃぐちゃの肉と内臓みたいな敵はいるけど、ゾンビとかスケルトンとか、オーソドックスなアンデッドは存在しない。
個としての命は、死の瞬間に完全にこの世界から断絶するのだ。
唯一の例外は、女神の騎士。
先代は、帝国との戦いで命を落としたって言ってた。
あの巨人の影が本当に古生物の死骸だというなら、ドルドの話といい、ただならぬ脅威を感じるな……。
「この砂漠に町を広げる以上、ヤツとの戦いは避けられないだろうな。なあに、こっちには騎士殿もいるし、タイラニー神のご加護もある。今度こそ勝てるさ」
彼は、「それより気になるのは、騎士殿が見てきた地下の様子だ」と話を繋げた。
そうだった。ドワーフにとってはあの巨人は既知の存在だけど、〈契約の悪魔〉の胴体については初耳なのだ。
「ヤツは、二百年前に人間の大陸を襲ったっていう悪魔だろう? 女神様と騎士殿が倒したって聞いたんだがな」
追及するふうでもなく、ただたずねるようにして、ドルドは言ってきた。
「ええ。〈契約の悪魔〉は確かに、騎士様が倒しました」
リーンフィリア様が確信を持ってうなずく。
あ、そうだ……。
「あの、リーンフィリア様。ええと、実はあのときの戦いの終わりの方をあまり覚えていないんですけど、僕はあいつの首を切り落としたりしましたっけ?」
実際に戦ったのは先代なので、曖昧にぼかしてたずねる。
「え? いえ、そういうことはしていなかったと思います」
ヤツの首を切ったのは女神の騎士じゃないのか。
じゃあ、誰が?
あの野太い首を落とすのは、並大抵のことじゃない。ヤツが生きていたというのなら、なおさら。
「…………」
ふと、とある影が脳裏に浮かんだ。
例の帝国騎士。
あいつが所有する、アンサラーの名を冠した大剣ならば、それも可能かもしれない。
いや、でもな……。
僕はすぐにその空想を止める。
この想像には何の根拠もない。あの切り口をよく調べたわけでもなく、ただ、何となく繋げてしまったにすぎない。
〈契約の悪魔〉には敵が多い。それこそ、同族にも敵視するヤツがいただろう。
現段階では、いかなる可能性も証明不可能だ。
「骨だけになっても動いてるヤツがいるなら、首だけになっても平気な悪魔がいてもおかしくはねえ。問題は、首のありか、か」
僕らはドルドの言葉に首肯で応えた。
〈契約の悪魔〉の首も、この砂漠のどこかにいるのだろうか?
ヤツを“主敵”に見据えるなら、その可能性は低いように思える。
でも、そんな考えで大丈夫だろうか?
『Ⅱ』に、前作ラスボスを凌ぐさらなる巨悪が登場するのは王道の展開。
悪の世界でいつまでもトップを張れるのは、桃姫をさらうトゲトゲ亀のような選ばれし者だけだ。
どう考えればいい……?
「まあ、いるかもしれないとわかりゃあ、こっちは心構えだけでいいさ。女子供も含めて、戦いの準備はできてるからよ」
僕の沈思を突き崩すように、ドルドは口の端を釣り上げて笑ってみせた。
確かにそうだ。
わからないことを予測するなんて愚を犯さず、現れた敵に噛みつくだけの戦いの犬で十分。まったくドルドは、町人とは思えない頼もしさだよ。
それからいくつかの発見――悪魔の兵器が地下を通って移動していることや、その地下には、活動を停止した兵器があったことなどの報告をして、今回の調査は完了、解散となった。
得られた情報は、決して朗報というわけじゃない。でも、知らなければいけないことだった。
〈契約の悪魔〉の頭部も気になるところだが、ストームウォーカーも気がかりだ。こいつはビッグイベントになりそうな予感……!
と。
「あの、騎士、様」
「ん?」
僕の二の腕を丁寧に拭いてくれていたパスティスが、何やら悲しそうな声音で言った。
「ごめん、なさい。ここに来てから、全然、役に立てなくて……」
…………?
「パスティスが役に立たないって表現初めて聞いた。どこの生まれの人?」
「ほ、方言じゃ、なくて……」
パスティスは消え入りそうな声で、
「マルネリア、は、ルーン文字で騎士様を助けてて、アルルカは、すごい兵器で、騎士様を、手伝って、て……。でもわたしは、何も、できて、ない。昨日の戦いも、手伝って、あげられなかった……」
パスティスは、鉄片の砂嵐が起こる砂漠ではあまり出撃できない。
瞬時の避難場所が確保できる防衛戦ならいけるけど、今は超兵器の安定感がすごくてドワーフたちにすらそれほど出番がない状態だ。
純粋な戦闘員である彼女は、マルネリアたちのようなバックアップは不得手。なまじ今回の相手が厄介なヤツだっただけに、気に病んでいたようだ。
「気にすることないよ。今まで散々出張ってたんだから、少し休んだってバチは当たらないさ」
「…………」
しかし僕の慰めに対し、パスティスからは小さな吐息が漏れただけだった。
「アホねえ、騎士。その子に休めなんて言ったって喜ぶわけないでしょ」
しゃがんだ姿勢で頬杖をつき、僕のメンテを眺めていたアンシェルが口を挟んできた。
「どういうこと?」
「パスティスはあんたに命令してほしいのよ。休んでいいって言われるより、そこで一日立ってろって言われる方がまだ嬉しいの」
「まさか。そんなわけ……」
パスティスが期待するような目で僕を見ている!
おいィ!? そういうのはどうかと思いますよ!
だがしかし……。パスティスからすれば、みんなが何かをしている中で、自分だけのんびりしているのは気が休まらないのかもしれない。
一人じゃ休めない性分の人というのは確かに存在する。
はーい。昔の僕もそうでーす。
でも、休めるときに休むのは悪いことじゃないのだ。
体力を温存することとサボることは同じではない。
つまんないことでも頼んでおいた方が気が楽になるのなら……。
「じゃあさ、パスティス」
「な、何……?」
「暇な時に、またこうやって雑巾がけしてよ」
「!! い、いの……?」
パスティスは驚いたように聞き返してきた。
いいの? 何か変な返事だな……。聞き間違いか? 僕は下らない雑用を頼んでるんだが……。
「次の日にはまた砂まみれになるから不毛だと思うけどさ。動くたびにじゃりじゃりいってうるさい時もあるから、頼むよ」
すると、マルネリアもチェックの手を止め、
「ああ、ボクからもお願いしたいかなあ。砂をかぶってるとさ、ルーン文字の状態がよく見えないんだよね。二、三日に一度でもいいから綺麗にしてもらえると助かるよ」
「……! わ、わかった。する……。毎日、する……!」
パスティスは決意を込めた瞳で言った。
正直パスティスの無駄遣いというか、役不足もいいところだけど、元気になったみたいだし、よしとするか……。
それから彼女は、宣言通り、毎日僕の砂を落としてくれるようになったんだけど……。
「…………」
「……パスティス、何してるの?」
彼女は使った雑巾を顔に近づけて、ぼうっとした目になっていることが増えた。
ひょっとして疲れているのかと思って、ちょっと聞いてみたところ、
「騎士様の、におい、する……」
「えっ。僕のにおい?」
するのか?
「うん……。鉄と、錆びた鉄と、日に焼けた鉄のにおい……」
むせそう……。
彼女はそのにおいが気に入ったのか、それからも雑巾をくんかくんかする奇行を続けた。
キメラの体に混じった生物の習性か何かなんだろうか……。
取り上げようとすると悲しそうな顔をするので、気にしないことにしたけど……。
なぜか、アンシェルが僕を冷たい目で見つめるようになった。
何でだよ……。
フレーメン反応かな?(すっとぼけ)
※しれっと再開しましたが、しばしの間、投稿間隔が不規則になりそうです・・・。
ゆるりとお読みください。




