第百十九話 秘密
主体性のない人生を送ってきた。
人とぶつかることを恐れ、何よりぶつかって傷つけられることを恐れて生きてきた。
しかしそうしてまで守ろうとした自己という存在は、ぶつかることも、傷つくこともなくなった末に、ただ人と人の間を流れる透明な空気のようになって、消えた。
流れに溶け込むのが心地よいなら、いい。
自ら選んで流れに飛び込んだのなら、なおいい。
何も考えずにいられることに心から安堵し、不安を抱かずにいられる人間性だと自己分析した末の決断なら、何よりいい。
けれども。
ただ一時の煩わしさから逃れるため、自分を投げ捨てたのなら、よくない。
僕は、僕という人間の扱いを誤った。
僕は、僕をもっと粗末に扱うべきだったのだ。
流れに逆らわせ、全身を擦り傷だらけにし、それでもまだわめくのをやめないくらいの愚かさを発揮させて、ようやく自分の形がわかるような、そんな人間だったのだ。
この世界で、それを実行してきたつもりだった。
それなのに。
それなのにッ……!
「流されるのは僕の運命だとでも言うのか……!?」
「今くらい黙って流されときなさい」
「はい」
天使の返答に、僕は素直に従った。
さりさりと鎧の表面を砂が撫でる音を聞きながら、僕にできることは、確かに黙って流されることだけ。むしろ望んでこうなったので、さっきのポエミィな自分語りの基準で照らせば、いい、ということになる。
「あれからどれくらいたってる?」
話の接ぎ穂が見つかったので、ついでにたずねる。もちろん、僕が砂に呑まれてからだ。
「かれこれ七時間。ドルドたちはさっき町に帰ってきたわ。あんたが無事かどうかってうるさいから、ここには近寄らせてないけど」
「七時間か。結構たったな……」
鎧の中だからこそこうして軽口も叩けるけど、今の僕は完全に砂に埋没している状態で、腕や足はおろか、指の先でさえ満足に動かすことはできない。
外は完全な闇。当然だ。
流砂には出口があると言われたけど、七時間たってもまだどこかを流れているというのはさすがに不安になる。少々怖いけど、聞くしかない。
「マルネリア、そこにいる?」
「ん? いるよ」
「呼吸の魔法って、どれくらいもつの?」
七時間経過は軽くない現実だ。せめて十二時間くらいもつのなら、少しは安心できるけど……。
「んん……。そうだなあ。何もなければ、五百年くらいかな」
「ヘァッ!?」
思ったより全然長い! 長いというか、もはや悠久の時を感じさせる!
「低消費の魔法を永続させることこそ、ルーン文字の真骨頂なんだよ。騎士殿の強化だって常時発動してるでしょ。それと同じ」
マルネリアはちょっと得意そうに言った。
改めて優秀だと実感するルーン文字。もう以前の湖での戦いのように、竜から魔法をかけてもらう必要もないのか。下手すると、この鎧一つで宇宙まで行けたりして……。
いや、変なフラグになりそうなことはやめよう。
次のエリアが宇宙ステーションの建設とかだったらさすがにやばい。
星からエクソダスするゲームじゃねえからこれ!
「で、どうなの騎士殿。何か変化はあった?」
今度はマルネリアが聞いてきた。
「何もないよ。無理矢理もがこうとすると、ちょっとスピードアップしてる気がするけど、労力に見合わない程度。大人しくしてるのが一番いい」
「そうなんだ。じゃ、ちょっとおしゃべりしようよ。最近忙しくて、時間取れなかったしさ」
「うん。いいよ……、お? っと? ちょ、え、待って」
違和感を覚え、僕は思わず声を上げた。
「どうしたの?」
「砂が止まった!? 行き止まり……!? あ、いや、これは……」
ガントレットの手のひら部分の布地越しに、空間を感じる。
僕は指を開閉させた。動く。つまり、動かすスペースが存在するということ。
「どこかに出たらしい!」
必死にもがくと、砂から体が抜けて、
「おおおおおおお!? おぶつ!」
僕は頭から墜落した。
どうやら、流砂の出口は空間の上の方にあったらしい。
だけど、着いたぞ……! ここはどこだ……?
僕はしゃがみ込んだ姿勢のまま、周囲に視線を巡らせる。……しかし。
「何も見えない。真っ暗だ」
自分の首の向きが変わっていることすら自覚できないほどの真っ暗闇。
あの流砂が外に続いていれば、僕を迎えるのは星空のはず。つまりここはまだ地下ということになる。
恐る恐る手を伸ばしてみるけど、空を掴むばかりで壁らしきものもない。
どうするか。明かりなんて持ってきてない。アンサラーを撃って、魔法弾の光を頼るか? けれど、空間の広さも知らずにそれはやりたくない。
「待って騎士殿。こんなこともあろうかと、左の手甲に明かりのルーンを刻んでおいたんだ。手首の内側を撫でてみて」
言われたとおりにすると、僕の左手が突然光り始めた。
光源は手のひらに生じているらしく、懐中電灯のように、向けた方向を白々と照らしだす。
「用意周到すぎるだろマルネリア……! まさか、こんなこともあろうかとを正しく使いこなす仲間がいたなんて……」
「にゃはは。ボクは騎士殿の魔法エンジニアなんだから、これくらいの気は利かせられないとね」
「うっ……」
何やら彼女の近くで誰かがダメージを負ったようだ。そしてその人物は、そのまま引き下がるが悔しかったらしく、
「き、騎士殿、わたしも、こんなこともあろうかと……!」
「待ってアルルカ。今はちょっと爆発してる余裕がない」
「そうじゃないのにい!?」
閉鎖空間での爆発は、衝撃波の逃げ場がないのでやばいらしい。
「あ、爆発と言えば、ディガーフィッシュはちゃんと発掘できたの?」
「え…………い、いや…………」
アルルカはそれきり静かになった。回収できなかったのだろう。
僕は改めて手のひらを周囲に向ける。
「これはすごいな……」
魔法の光が照らし出したのは、砂の洞窟だった。
左右の壁を作る砂は滝のように床に流れ落ち、僕の足下を通りすぎて、暗闇へと消えていっている。
通路は奥へと続いていた。手のひらを向けても、終着点は見えない。かなり深そうだ。
「前進する」
僕は羽根飾りに告げると、慎重に歩き出した。
通路が狭かったのは、最初だけだった。
左右の壁は徐々に遠ざかり、天井も高くなっていく。
十分な広さがある。悪魔の兵器の拠点、ビンゴか?
左手を照明代わりにしていると、使える右手が最速で抜けるのはアンサラーではなく、聖剣カルバリアス。
右腰に提げた剣の柄に手をふれさせながら、左手で周囲を探っていく。
「!?」
反射的に抜きかけたカルバリアスは、半ばで止まった。
左手の生み出す光の枠の中に、黒い鉄塊があった。
「……こいつは……」
悪魔の兵器だ。地上でさんざん見たデザートクラブが、通路の端にいる。
でも、動く気配がまるでない。
壁から流れ落ちる砂に埋もれ、半ば化石のように、そこに転がっているだけだった。
左手を動かし、周辺も確認する。
「う、わ……!?」
思わず声が出た。
デザートクラブは一体だけじゃなかった。
まるで水揚げされたばかりの網を見ているみたいに、もの凄い数がいる。洞窟の壁の一部を形成する勢いだ。
しかしやはり、そのいずれも動いていなかった。砂のかぶり方からして、ずっと昔に機能を停止したように感じられた。
「……?」
僕は違和感を覚える。
このカニ、こんなに小さかったか?
地上にいたデザートクラブは、両足を含めると人の上半身くらいはある。でも、ここにあるのは人の顔と同じくらいだ。かなり小さい。
「まさか、子ガニってわけでもないだろうけど……」
つぶやきを置いて、僕はさらに進んだ。
また、悪魔の兵器を見つける。
「こいつはガーゴイルか……?」
『Ⅰ』でおなじみ。〈ヴァン平原〉でも現れたヤツだ。近接武器しかなかった昔はそれなりに面倒な相手だったけど、新兵器アンサラーの敵ではなかった。
ガーゴイルは二、三体が折り重なって停止していた。
この砂漠ではまだ一度も見かけてない。だけど、これから現れる予定なのかもしれない。
かつてのドワーフとの戦いでダメージを負い、ここに戻ってきてから力尽きたのか。
天井から糸のように細く落ちてくる砂が、ガーゴイルの石材のような表皮にくぼみを作っていた。点滴石を穿つというけれど、この兵器も相当前からこの状態だったらしい。
「…………?」
ここでまた小さな違和感。
ガーゴイルって、こんなに腕が短かったかな。むしろ長かったイメージがあるんだけど。
見慣れていないせいか、どうにも不格好に見える。
僕は深く考えず、また歩き出した。
まだ、動いている兵器とは会わない。
おかしいな。ここは拠点じゃないのか?
拠点と拠点を繋ぐ、ただの連絡路ということもあり得る。
しかしそれよりも、さっきから機能停止した機体ばかり目に入るせいか、僕はヤツらの墓場に迷い込んだような、薄ら寒い感覚を抱くようになっていた。
光が照らせない洞窟の大部分に超常的な何かが潜み、こちらをじっと見つめているような妄想が、神経を圧迫し始める。
唯一聞こえる砂の落ちる音が、ホラー映画に使われる浅いノイズのBGMに思えてきた。
生唾を一つ呑み込む。
……ふざけるなよ。
恨み、呪う側はこっちだ。
おまえらが地上文明を滅ぼしたとき、どれほどの命が消えた。
もし動いているのを見かけたら、問答無用で仕掛けてやる……。
そのとき。
「こいつは……!?」
それを見つけたとき、頭の中で何かが音を立ててズレた。
それは、樹木が鎧を着たような、奇妙な怪物だった。
悪魔の兵器に間違いはない。
乾いた樹皮は白く濁り、ひび割れて、やはり相当前に機能を停止したことがうかがえる。
でも、そんなこと問題じゃない。
こいつは、違うんだ。
「こいつは……この世界に存在しない。『Ⅰ』の没モンスターだったはず……!」
『リジェネシス』に夢中になっていたあの頃、毎日のように開いた設定資料集にこいつが載っていた。
『Ⅱ』で実装されたのか?
いいや、こいつが現れるなら〈ディープミストの森〉でだろう。でもこんなヤツはいなかった。
……違う。違うんだ僕。そういうことじゃない。
認識がズレていく。
視界がぼやけてものが二重に見えるように、事実と認識が震えながら離れていくイメージが頭の中を埋め尽くす。
僕は何かを勘違いしている。この砂の洞窟について。いや、もっと大きなものについてだ。
ズームアウトしろ! 思考をズームアウトしろ!
この洞窟で発見した兵器は、いずれも『Ⅰ』に関わっているモンスターだった。
最初、この〈ブラッディヤード〉に来たとき、以前の砂漠ステージの敵が現れたのを、僕はファンサービスだと思って喜んだ。
本当にそうだったのか? 本当にそれだけなのか?
サイズのおかしなデザートクラブ。
不格好なガーゴイル。
いないはずの没モンスター。
この地下にあるのは、ファンサービスか?
違うだろう。まるで、過去の遺物のような。
もっと言うなら、この砂漠自体が――
「…………なにッ!?」
答えが出かけた瞬間、足が勝手に地を蹴って、間合いを広げていた。
何気なく向けた左手の光が捉えたもの。それを見た瞬間、体が自動的に“逃げた”。
「騎士、どうしたの? 何かあったの?」
アンシェルが呼びかけてくる。
僕は返事をしようとして、急速に干からびていくのどにつばを流し込んだ。それでも声は出なかった。
ゆっくりと、もう一度近づく。
そこは、大きくえぐれた窪地のようになっていた。
天井から落ちる砂に運ばれてきたのか、くぼみの底はたくさんの悪魔の兵器の残骸で埋まっている。
慎重に左手を動かし、光の位置を変えていく。
違う。さっき見たヤツじゃない。こっちでもない。これも違う……。
やがて。
見つける。
「ウソ、だろ……」
呼吸が浅く、早くなる。
頭が回転をやめる。
眼球がその一点で固定されて、凍ったように動かなくなる。痛いほどに。
どうしてだ。
どうしておまえがそこで死んでるんだ。
おかしいだろ。
それじゃあ、僕は一体、誰と……。
「騎士、何があったか報告しなさい! 何か見つけたの!?」
アンシェルが怒鳴る。僕の状態が普通じゃないことに気づいている。
目を見開いたまま、二度、深呼吸する。
これは重大な報告になる。
その言葉は、奇しくも、久しぶりに口を利いた主人公と重なった。
僕らが見つけたのは。
「〈契約の悪魔〉の、死骸だ……!」
《〈契約の悪魔〉の、死骸だ……!》
誰? という人は第三話を読もう(ダイマ)




