第百十四話 タワーリングインフェルノ
何をしてもいいから、何からすればいいのかわからなくなる。
日本人は自由度の高すぎるゲームが苦手とか、そういう話じゃないよ。
そこら中のありとあらゆるものが攻撃対象になった僕の現状の話。
蝗災の内部は、想像以上にとんでもない環境だった。
乱舞する虫の影。無限に連なる羽音。
体中にイナゴがぶち当たり、じっとしているとそのまま埋もれてしまいそうだ。
こいつらが生物を攻撃対象にしていないとわかっていても、この密集ぶりには怖気をふるった。一歩間違えば『リジェネシスⅡ』は直ちにZ指定のグロ系ホラーゲームの棚に移動することになっていただろう。
こんな密度だから、軽く腕を振り回すだけでも、数十匹のイナゴをはたき落とした感触がある。
カルバリアスを振れば、さらに多くの成果を上げられるだろう。
アンサラーを撃ったら……銃口付近で暴発するかも。
とにかく、何をしても攻撃になる。
しかし何が一番敵の数を減らせるのかは、今の僕にはさっぱりわからなかった。逆に言えば、何をやっても敵が減る気がしない。
アルルカが置いていったヴァーチカルライターはすでに起動している。
イナゴが押し寄せる上空に向かって、炎の雄叫びを何度も放っていた。
放射される火炎は面攻撃ならぬ空間攻撃となり、呑み込んだイナゴを瞬時に黒こげにする。加熱された虫たちが下にいる僕らに降り注ぐけど、この環境下ではそんなものを気にする余裕もない。
だけど、これをクリアしなきゃ、町作りは永遠に始められない。
「騎士、生きてる!?」
バチバチと鎧の装甲を叩く虫の音に混じって、アンシェルの声がどうにか聞こえた。
「生きてるよ! どうした!?」
「〈オルター・ボード〉の地図に町の壁があって、その上に数字が出てるんだけど、さっきまでは増えたり減ったりで均衡状態だったのに、今はもうじりじり減る一方だわ! これって0になると何かまずいんじゃない!?」
「ああ、まずい! それはきっと壁の耐久値だ!」
恐らく、イナゴのほとんどが地表まで降りてきたんだ。
ドワーフたちの修理が追いついていない。このままじゃじり貧だ。
どこかの壁が完全に壊されれば、そこに取りついていたヤツらが他の壁に散って、被害は加速度的に拡大していくことになる。
そして最初に壊されるのはきっと、僕がいるここ。一番前にある壁。
しかし!
これを見越して、ヤツを持ってきたんだッ!
「パスティス、合図を!」
羽根飾りに向かって叫ぶ。
五秒と待たず、僕らの頭上に、アディンからの花火が上がった。
イナゴに覆われた空からも、その激しい光ははっきりと地表へ到達する。
――竜が町の真上に火を放ったら、壁の“外”に避難せよ。
それが、この近辺にいるドワーフたちに、蝗災WAVE前に伝えておいた指示。
全員がそれを実行してくれたと信じ、僕はヴァーチカルライターへと走る。
「待たせたな、mk-Ⅱ! おまえの本気を見せてやれ!」
鉄板のケースを持ち上げ、中に隠されていたスイッチを押し込む。
どうか変なフラグ立ってませんように!
直後。
ヴァーチカルライターが割れた。
長大な筒状のボディがバナナの皮を剥くように四つに割れ、内部機構が剥き出しになる。
それが外装に比べてとても小さかったことを気にする者は、今はいないだろう。
実はヴァーチカルライターmk-Ⅱはほとんどが空洞なのだ。
火を生み出すためのメイン装置は高さ一メートルほどにすぎず、長い外装は火炎の強化および、炎の動きに指向性を与えるための制御装置なのだ。
そして、それらの補助装置を失ったヴァーチカルライターが、どんな挙動をするかというと――
ボッ!
「うおおおおおっ!」
僕は頭を抱えて、発射口より下に身を沈めた。
作りかけの星形城塞の内部で、極彩色の大蛇がのたうつ。
上方に炎を吐くための装置を奪われた発火機構が、周囲に向けて、無差別に火炎の放射を始めたのだ。
吹き出す炎の勢いに負けて、砲口があちこちへとその鎌首を傾け、それと目が合ってしまったイナゴたちは一瞬にして焼却された。
その姿はまるで炎のスプリンクラー。
こんなもの戦場に持ち込んだら迷惑以外の何ものでもないけど、この無差別な炎は、今、この場において、どんな戦士よりも多くの敵を葬り去っている。
問題は、こいつが力尽きるまでそばに誰も近寄れないということだけだ!
誰か助けてくれ! 動けねえ!
「あっちちち!」
「うわあ、何だあ!?」
「おいおめえ、ヒゲが燃えてるぞ!」
ああっ、逃げ遅れたドワーフたちにも被害が……。
まあ死にはしないだろ。あのオッサンたちなら。
そうしてまったく動けないまま、時が過ぎ……。
イグナイトが力尽きて一時的に炎のスプリンクラーが弱まり、ようやく頭を上げられたとき、空を飛び交う小さな虫の影は、一つ一つの見分けが付くくらいまでまばらになっていた。
ヴァーチカルライターが広大な星形城塞内部の敷地すべてをフォローしたわけじゃない。射程距離は数十メートル。効果は、砂漠に対して最前線となる壁の一部分にとどまっている。けれど、そこがもっともイナゴが密集したポイントだった。
役目を果たしたヴァーチカルライターの姿は壮絶の一言だった。
周囲には溶解しかけたイナゴたちが黒い水たまりを作り、ヴァーチカルライター自身にもタールのようにべっとりとこびりついている。
鉄の返り血を浴びた超兵器は、自分の働きに満足したように、やがて一切の機能を停止した。
僕は周囲を見回す。
ドワーフたちは外壁に取りついたイナゴを一匹一匹摘み取っては踏み潰すという、戦いの後始末に入っていた。
さっきまで、空に向かってひたすらサマーをしていた鉄騎様は動かない彫像に戻り、マッドドッグ一号も敵を探してうろうろしている。
あれほど果ての見えなかった蝗災が終わろうとしている。
そんな鈍い実感が、痺れた意識の端にじわりと浮かんだ。
やがて、どこかから外の様子を聞きつけたのか、非戦闘員のドワーフたちが、砂漠に姿を現した。
後方の外壁で作業していた戦士たちも集まってくる。
そしてついに。
ドルドが踏み潰した一匹を最後に、動いているイナゴは完全にいなくなった。
終わった……。
誰もが虚脱したように立ち尽くす砂漠で、一つの影が僕に向かって走ってくる。
「――きっ、き、きい、騎士殿おおおおおおおお!」
彼女は僕の数メートル手前で砂のくぼみに足を取られ、ぶつかるように飛びついてきた。
彼女の怜悧な目は涙でぐしゃぐしゃに濡れており、みっともない鼻水まで垂れている。
「騎士殿、やっだ。やったんだ。勝ったんだ」
でも、笑顔――だった。
彼女の体の重みが、ぼやけていた頭を徐々にクリアにしていく。
「勝った……?」
僕らを呆けた顔で見ていたドワーフの一人が、うわごとのように言った。
その言葉は砂塵のように人々の肌の上を走り、声として吐き出させる。
「勝った、俺たちは勝った」
「やったぞ! ついにやってやった!」
「タイラーニ! タイラーニアーレ! タイラーニアーレ!!」
歓喜に沸く人々は、僕とアルルカのまわりに押し寄せた。
「アルルカ、おめえの火を噴く武器、すごかったぜ!」
「えっ、えっ……」
ドワーフたちが口にするのは、ヴァーチカルライターの活躍と、その賞賛。
「き、騎士殿、わたしは……」
その声にアルルカは戸惑っていた。
初めて。
初めて、自分の作った兵器が仲間に認められた。
初めてだからどう反応していいかわからない。どんな顔をすればいいのかわからない。
もっと前にこうなっていたのなら、彼女にもそれなりの用意があっただろう。でも、多くの失敗と挫折の中で、成功する自分の姿はずっと遠くにいってしまった。
彼女は喜び方を忘れてしまった。
簡単だよ。こうすればいい。
「やったね、アルルカ」
僕が笑って告げると、アルルカは初めて、自分に向けられている声の意味に気づいたみたいだった。笑おうとして、泣き顔に邪魔されて、それでも無理矢理笑おうとして――
そしてなんか光り出した。
えっ……。
僕らを中心点として半径十数メートルに広がっていた歓喜の輪が、一瞬で、戸惑いから恐怖へと変色する。
僕にしがみついていたアルルカは、恐る恐る、軍用ケープの内側に手を入れて、光源を取り出した。
さっきのヴァーチカルライターの炎を思わせる、大蛇のような緑の光の筋を波立たせるイグナイト。アルルカの高揚しすぎた気分に反応した、らしい。
「き、騎士殿ぉ……」
完全に泣き顔になったアルルカが僕にすがるような目を向けてくる。
くそっ、しょうがねえな(アムロ感)。
引き潮のように一斉に逃げ出すドワーフたちを視界の端で見送りながら、僕は、イグナイトを持つアルルカの手を取った。
「ちょうど祝いの花火が必要だったんだ」
「爆友……!」
驚いたような、そして嬉しそうなアルルカの微笑みが緑の光に塗りつぶされ――
轟音と共に、僕と爆友は砂漠の晴れた空に舞い上がったのだった。
へっ。きれいな花火だぜ。
打ち上げ花火、おまえがなるか? 僕らがなるか?




