第百九話 聞いてよ、ニーソマン
〈ヴァン平原〉はまだ昼前。
明日の出立までだいぶ時間がある。
リーンフィリア様とアンシェルは、町の人々に乞われてタイラニーの布教活動に忙しいので、僕を含む他のメンバーは、他の用事を済ますことにした。
まず向かうところは、あのサベージブラックの墓地だ。
案内役にはアルフレッドが申し出た。
「パスティスと一時も離れたくないんだねえ」
「そ、そうなのか!? い、いや、興味はないぞ。本当だぞ……」
マルネリアとアルルカが、勝手な想像で盛り上がっている。
一方で僕はというと……正直、混乱から抜け出せていなかった。
年下に年齢を追い抜かれるという奇妙な感覚。
コールドスリープから目覚めたら、かつての知人たちがみんな年寄りになっていた、というのはこんな気持ちなのか?
今も適切な表現を探していて、けれどずっと見つからない。
時間に置き去りにされたような、どこか怖いような。
怖いとしたら、何にだ?
「あそこが竜のお墓だよ」
アルフレッドが手をかざして示したのは、手つかずの岩場だった。
整備するには岩が大きすぎたのだろう。
町がすぐ手前まであることから、ある種の自然公園のような趣があった。
町から敷かれている道を辿ると、岩場の奥にある大きなモニュメントに行き着く。
三つの卵を抱いて眠る、竜の石像。
傍らの石碑には、「町を守って戦った竜、アディン、ディバ、トリアの母、ここに眠る」と彫られていて、沢山の花が供えてあった。
以前は穴を掘って埋めるだけの簡単な埋葬しかできなかったのだが、後で町の人に頼んで、ちゃんとしたお墓を作ってもらったのだ。
「騎士様たちが、丘の上の遺跡で巨大な怪物を倒した記念日に、ここでお祭りをやるんです。それ以外にも、子供の健康とか、安産とかをお祈りしていく人が多いんですよ」
アルフレッドは僕らにそう説明してくれた。
凶悪さで知られ、恐れられていたサベージブラックとは思えないような扱いだ。
キュー、クルクルクル……。
高空を旋回していたアディンたちが降下してきた。
そのまま母竜の石像のまわりに集まると、のどを鳴らすような声で鳴き始める。
アディンたちはここに来ると、いつもああしている。
「前から思ってたんだけど、卵だった頃のこと、アディンたちは覚えてるのかな」
僕がパスティスにたずねると、
「懐かしい場所だってことは、わかるみたい。あそこに、本当のお母さんが眠ってるってことも」
「竜たちは寂しがってるの?」
鳴き声から推察して聞くと、彼女は首を横に振った。
「ううん。これまでのこと、話してる」
「そっか……」
天使の魔法を身につけ、トリニティエコーなんて大技まで身につけた、半ば神獣になりつつある子供たちに、母ドラゴンも驚いていることだろう。
「子供の頃はあんまりわかってなかったけど、アディンたちは本当にサベージブラックなんだよな?」
アルフレッドが少し気後れしたようにパスティスに聞く。
「うん。そう、だよ」
「あんな凶暴な竜を手なずけるなんて、やっぱりパスティスたちはすごいな……」
「手なずけてるわけじゃ、ないよ。わたしは、ただ、預かってるだけ。お母さん竜、から」
そう言ってから、パスティスがこちらを向いた。
「騎士様、ありがとう」
「え? 突然何?」
突然のことに反応が遅れる。
「アディンたちがちゃんと大きくなれたのは、あの時、騎士様が、助ける方法を、言ってくれたから。それで……わ、わたしも、あの子たちのお母さんに、なれた……」
パスティスは少し赤くなって言った。アルフレッドも、仲間たちも、じっとこちらを見つめている。
「僕はただ思ったことを言っただけだよ。実行したのはパスティスだ。それを継続して、きちんと竜たちを育てられてるのも、君の力だよ」
始めることより、続けることの方が難しい。成し遂げるのは、もっと。
特に子育てなんてのは、人間最大の試練だよ。聞いた話だけど……。
「でも、騎士様がいなかったら、わたしは、何もできなかった」
パスティスは頑なにそう返してくる。このままだと、お互いの褒め殺しになってしまう。
「実際のところ、騎士殿もパスティスも、アディンたちに相当影響を与えてると思うよ」
そこで口を挟んできたのがマルネリアだった。
「知ってる? サベージブラックって縄張り意識が強すぎて、兄弟はおろか親子でも自分の土地から追い出しにかかるんだ。中には、そこで殺し合いに発展することもある。なのに、アディンたちはいつも三匹仲良く一緒にいるよね」
「そんな凶暴だったとは……」
「アディンたちは、ケンカはしない、よ……」
マルネリアはニタリと笑う。
「多分、騎士殿とパスティスを見てるからだよ。本来、サベージブラックの父竜は、子育てなんかしないからね。二人が一緒に戦ってる姿を見て、共闘って概念を学んだのさ」
「ああ、なるほど……」
「サベージブラックが共闘なんて、正直、研究家が聞いたら誰も信じない。それくらいのことは、二人ともしてるんだよ。どちらか一方の力じゃなくてね」
改めて言われると、何だか本当にパスティスと子育てをしているようで、ちょっと気恥ずかしい。パスティスも同じ気持ちらしく、少しうつむきがちになって、でもその目は僕を見て、微笑んでいた。
そうだな。
僕は、彼女たちと一緒に、今日まで戦ってきた。
同じ時間の中で。
墓参りを終えた次は、丘の上の遺跡を調べ、
「おおー、なるほど。これは確かに〈古の模様〉だよ。ふんふん、へえー。森で見たやつより、サイズがちょっと小さいような。これの意味するところは……?」
マルネリアの知的好奇心を満足させてから、僕らは夕暮れの町へと戻った。
※
町長の家では、明日の門出を祝って出港式が行われていた。
多くの人が集まり、タイラニータイラニーと騒ぎ立てながらの宴会だ。
こういう場になると、飲み食いのできない僕はただの置物になる。
以前のように酔っ払ってハイになったリーンフィリア様が、町人たちとタイラニー・ライヴを始めたのを見計らい、僕はそっと家の外に出た。
扉一枚隔てただけで、狂信者たちの熱気は、黒い夜風に呑み込まれて消える。
涼しくて、静かな夜がそこにあった。
僕は背の低い塀に腰掛け、星空を見上げる。
〈ヴァン平原〉の町は、どんどん発展していく。
人々は歳を取り、わき起こった問題を自らの力で解決し、そしてもの凄い早さで、僕の時間を追い越していった。
『リジェネシス』のエンディングで、主人公とリーンフィリア様は、神殿から平和になった世界を見下ろしながら、そっと姿を消す。
同じ時間の終わり。
この世界に来たばかりのとき、リーンフィリア様は、人々から自分が忘れられていないか心配していた。
その気持ちが今ならわかる。
今この一時は、同じ時間をすごせているけれど、僕らはいずれ人々の過去になり、歴史の一部になり、そしてかすれて読めない伝承になっていく存在なのだ。
僕の感じている不安の正体は、それ。
僕はここにいる。確かに生きている。けれど、消えていく。
少し留守にしただけで八年がすぎる世界と、僕はどう向き合うべきなんだ?
そんなの、わかりゃあしないよ。
僕は本当の女神の騎士じゃないんだ。
考えるだけ時間の無駄。せいぜい言葉を探して、悩むだけ。
背後から草を踏む音がして、僕は肩越しにそちらを見やった。
音のしない酒瓶を持った人影が、近づいてきていた。
アルフレッドだ。
彼は僕のすぐ近くまで来ると、地面に膝を抱えて座った。
……? 酒臭っ!?
「聞いてよ、ニーソマン」
何? ニーソマン?
アルフレッドは怪しいろれつで確かにそう言った。
こいつ、酔っ払って僕をあの銅像と間違えているのか?
そう言えば、町長は、アルフレッドも小さい頃に銅像をよく見に行ってたって……。
すぐに訂正して、家に運んでやろうと思った、けど、
「ぼくには好きな人がいたんだ」
その寂しげな声音に、動けなくなった。
「八年前からずっと好きだった。お別れをしたあの日からも、ずっと」
うっ……なんてこった。マルネリアの言ったとおりじゃないか……。
「あの時、ぼくはまだ十歳のガキで、背も小さくて、とても一人の男として見てもらえるような存在じゃなかった。それにあの人には、“彼”がいたから。大切な恩人だって、言ってた。命を救ってくれたって」
「…………」
彼、か……。
「彼は大きい人だった。そして強かった。きっとあの人を守れるのは、そういう男じゃなきゃダメだって思った。だから大きくて強い男になりたかったんだ」
今の君は、僕よりでかいよ。元より僕は、人並みの背丈しかない。
君がまだ子供だったから、大きく見えたんだね。
「背が伸びるたびに、ニーソマンの像の前に行った。あれは等身大だって聞いたから。何度も背比べして、追い越せたときは死ぬほど嬉しかったよ。ぼくはでかくなった。八年前よりずっと。そして今日、あの人と一緒に彼も戻ってきた。ぼくは、彼を、見下ろせた」
そうだね。立派な男になった。
「でも、違った……」
え?
「彼は大きいままだった。ぼくは少しもでかくなんかなれてなかった……!」
どういう意味だ?
「ぼくが子供の頃感じていた大きさは、単なる背丈のことじゃなかったんだ。八年ぶりに会った彼の鎧は傷だらけで、見たこともない不思議な文様が刻まれてた。彼はずっと戦い続けていたんだ。町で平穏に暮らしていたぼくとは大違いさ」
いや、それは……。
「八年前はここも危険な土地だった。だから“本物”なのか、そうじゃないのかの空気くらい見抜ける。彼は、さらに強くなった。ぼくなんかが想像もできない、恐ろしい怪物たちとの激戦をくぐり抜けてきた。わかるんだ。あの人を守りながら……」
アルフレッドの声が、涙で歪んだ。
「ぼくだって命を懸けて彼女を守りたいよ。でも、いくら口でそう言えても、本当にそんな怪物たちが現れたら、ぼくは簡単にやられて、ウソつきになってしまう。ぼくの一番の願いは、あの人が幸せになれることだ。それができるのも、それを守れるのも、ぼくじゃないんだ。ぼくの恋は始まる前から終わってた。ニーソマン、そうなんだよ。ようやく今日、それに気づけた……」
彼は温もりを求めるように、空の酒瓶を抱きしめた。
「八年かかった……。初恋を終わらせるのに、八年も……。はは……ぼくはバカだ。でもよかった。パスティスを好きになれて……本当に……よかった。聞いて、ニーソマン。ぼくは少しも、後悔してない……」
独白は途切れ途切れになり、やがて、静かな寝息の下に沈んでいった。
心地よい夜風に誘われて、眠ってしまったらしい。
「…………」
兜の内側から、彼をそっと見下ろす。
僕に、何が言えた?
好きな人を諦めて泣く男に、かけられる言葉なんてない。
ナルシズムかもしれないけど、一人泣く男が必要としている言葉なんて、何もないんだ。
ただ、泣くだけの時間がほしいだけなんだ……。
アルフレッドは……。
はは、やっぱり僕の思ったとおりだ。
〈ヴァン平原〉最後の日、僕は、彼がやがて尊敬できる男になると思った。
なったよ。
一人の女の子を好きになって、その子の幸せを思って身を引いて……悔しくて泣ける男になった。
前の世界の僕ならどうかな。
好きな子がいたとして、諦めるときには、
「高望みしすぎたんだよ。諦めて正解さ」
「そうかもね」
そんなふうに自分に言い聞かせて、素直な感情からさっさと逃げてしまっただろう。
悔しくて泣けるくらい真っ直ぐなヤツを……僕は尊敬する。
僕もそれくらい真っ直ぐに生きたい。だからこの世界にいるんだ。
「ニーソマン、ご苦労様」
家の方から声がして、マルネリアが現れた。
一部始終を聞いていたのだろう。
彼女はいつものにやついた笑みではなく、少し悲しそうな、優しい微笑みを浮かべていた。
「毛布を持って来たよ。さすがに、こんなところで眠ったら風邪引いちゃうからね」
「ありがとう」
マルネリアはアルフレッドに毛布をかけてやった。彼は酒瓶を抱きしめたままもぞもぞ動き、「ニーソォ……」と寝言を言った。ああ、これは僕のことじゃなくてパスティスのニーソだな。うん、いいよね。パスティスのニーソ。
「戻ろうか、騎士殿。そろそろ宴会もお開きだよ」
「うん。……ああ、そうだ、マルネリア。ちょっと聞きたいんだけど」
「うん?」
「僕は強いのかな?」
率直にたずねてみる。
「僕の力は、女神様の加護のおかげだ。ルーン文字はマルネリアのおかげ。パスティスにはいつも助けてもらってるし、アディンたちにも救われてる。それでも僕は、強いのかな」
「強いよ」
答えは、意外なほどはっきりと告げられた。
ビタリと止められて動かないマルネリアの瞳に、僕は少し戸惑った。
「でももし騎士殿が、今言ったみたいなことだけが自分の強さだと思っているのなら、それは大層鈍感だと言わざるを得ないかもね」
「え? どういうこと?」
「にゃはは、内緒。ボクだけの秘密にする。いや……ボクたちだけの、かな?」
笑いながらマルネリアは小走りで行ってしまった。
捨て身で敵に噛みつくこと以外、僕に何ができた?
マルネリアは何をもって強さと言ってるんだ?
わからないということは……。
どうやら僕は……鈍感系ナイトのようですね。
お読みになられている作品は『コレジャナイ!Ⅱの世界へようこそ!』であってます。
※お知らせ
次回投稿は20日後の10/24を予定しています。
よかったら、そのときにまた見に来てやってください。
(感想返しはもっと早くにやります)




