第百八話 八年
八年前。ぼくには好きな人がいた。
尻尾のある女の人。
年上のくせに世間知らずで大人しかったけど、働き者で優しい人だった。
ある日の朝、その人はいなくなった。
ちゃんとお別れができたのは、仲間うちではぼくだけだった。
でも違う。
本当は、ぼくだけがお別れできてなかった。
あの日以来、友人たちからあの人の名前を聞くことは少なくなっていった。
ぼくだけが、彼女のことを忘れられない。
いつでもあの人の蛍火のような微笑みが、目の裏側からぼくを見ている。
ぼくがもっとでかかったら。
ぼくがもっと強かったら。
ぼくが子供じゃなかったら。
あの人に、一人の男として見てもらえたのだろうか?
いつもそんなことを考えている。
友人たちはたびたび、自分のこと、町のこと、将来のことを話題に乗せる。古い思い出より、日々めまぐるしく変わっていく今の方が重要で大事なことだと。
それは正しい。あってると思う。
過去のことばかりに囚われて、今を見ないのは愚か者のすることだ。
だから、やがてぼくも――そうするようになった。
でかくなって。
強くなって。
もう子供じゃない年頃になって。
ぼくは一人の男として、人々から見られるようになった。
あの人の微笑みはもうほとんど思い出せない。
わずかな記憶が、かすれた輪郭をなぞるだけ。
もう、ぼくには別に好きな人ができて、相手方も好意を抱いてくれている。
ぼくはその人と愛を育みながら生きていくことになるだろう。
いずれ結婚して、子供ができて、町を作る一つの力になる。
何一つ不満はない。順風満帆な生活が始まろうとしている。
そんなとき――
記憶の彼方から、あの人は帰ってきた。
「っていう顔をしてたよ。アルフレッド君」
「一瞬でそこまで察したのかよォ!?」
マルネリアがこっそり耳打ちした長い長い内緒話を聞き終え、僕はようやくツッコミを入れることができた。
「にゃはは、後半は脚色した。その方が面白そうだったから」
「面白いどころか、もの凄くじくじくした暗い話の気配がプンプンするんだけど……」
「ここから騎士殿とボクが割り込んでくるから、アルフレッド君側はさらに地獄絵図になる予定だよ」
「やめたげてよお!」
何だよそのダウナー系青春ラブストーリーは!
話を聞くだけで肺腑が抉られるようだよ!
だいたい、人間絶滅の危機そっちのけで城作りに邁進するバカヤローたちに会いに来たのに、どうしてそんな重苦しいシリアス展開に巻き込まれないといけないんだ!?
コレジャナイにもほどがあるわ!(単なる想像なのでノーカウント)
「そ、それで、アルフレッドはどうなってしまうんだ……?」
僕らのひそひそ話に、真剣な響きを伴って割り込んできた声がある。
振り向いた先にあったアルルカの真顔は、僕とマルネリアにじーっと見つめられたことで慌てて向きを変えた。
「おやあ? アルルカはアルフレッド君の初恋の行方に興味あるのかなー?」
「い、いや。違うぞ。そ、そんなわけないだろう。わたしはドワーフ族の町のためにここに来たんだ。そもそもわたしは超兵器の研究一筋で、男女の恋愛話なんかに興味はない」
「ホントかにゃー?」
「ほ、本当だ!」
ニヤニヤ笑うマルネリアの顔に追い回され、真っ赤な顔のアルルカは僕のまわりをぐるぐる回り出した。
「や、やめろ! それ以上近づくと騎士殿と一緒に爆発するぞ!」
「君がやめろ」
追いつめられ、僕と自分を人質に取るアルルカを一言で諫める。
何はともあれ。
〈ヴァン平原〉を発ってから八年もたっていたというのは、ちょっとショックだった。
〈ディープミストの森〉攻略に、それほどの時間がかかったということだ。
エルフたちは年を取っても若々しいままなので、地上と天界の時間差を感じにくかった。
天界にいる期間が飛び飛びで、日数を把握しきれなかったのも大きい。
しかし現実はこうだ。
僕らと彼らでは、こんなにも生きている時間が違う。
関係を馴らすように、短い言葉のやりとりを繰り返しながら歩くパスティスとアルフレッドの背中を見ながら、後ろに続く僕はしみじみと思った。
あの時の小さな少年が、今や僕よりもでかい。
背丈だけではなく、年齢的にも僕より上なんじゃないだろうか?
歳を追い抜かされる不思議な感覚に何と名前をつければいいのか、今の僕にはわからなかった。
「さあどうぞ、我が家です」
先頭にいたハリソンが扉を開けて、女神様たちを中へと招いた。
「おお!? まさか女神様!?」
「パスティス様や、騎士様まで!?」
「おお、タイラニー!」
ソファーのあるリビングから上がったのは、初期メンバーの驚きの声だった。
初期メンバーといっても村人全員ではない。
城作りに特に熱心で、築城を禁止されてからもことある事に設計図を持ちかけてきた、真のマニアたちだ。
その頃から中年だった彼らは、いくぶん顔のしわは増えたような気もするけど、アルフレッドほどの劇的な変化はない。
ふと、そんな彼らの後に隠れるように、小さな人影がこちらを見ていることに気づいた。
「……!?」
僕ははっとなった。
その小さな人影には、ゴールデンレトリバーのような垂れ耳がついていた。
さらに、手袋をしているように見えた右手は、ふわふわした毛の獣の手だ。
リーンフィリア様もそれに気づいたらしい。
「町長さん、あの子は?」
と、早速たずねる。
「ああ、ご紹介します。彼女はディタ。町で保護したキメラの子供です」
キメラ!
ってことは、パスティスと同じか!?
「アルフレッド……」
キメラの子、ディタは気弱な声で彼を呼んだ。
どうやら見知らぬ僕らが怖くて隠れている様子だ。
「ディタ。大丈夫だよ。この方たちは女神様だ。ほら、話しただろ。パスティスもいる」
「パスティス!」
その名前を聞くなりディタは表情を明るくして、築城狂たちの後ろから駆け出してきた。
戸惑うパスティスの足に飛びつくと、
「パスティス、ありがとう!」
と人懐っこい笑顔で礼を言う。
年の頃は十歳くらい。もさもさとした柔らかそうなブラウンの髪を肩まで伸ばした、可愛らしい少女だ。
獣成分は耳、それから、それぞれ毛の色が違う両手。そして丸々としたタヌキのような尻尾だった。
他の動物との混じり方は、パスティスに比べるとかなりマイルドだった。これにはライトケモナーも安心。
「ど、どうした、の?」
突然感謝されてわけがわからないパスティスがつぶやくと、初期メンバーの一人が答えた。
「その子は、新しい方の町で、畑から野菜を盗もうとしたところを捕まえられたんです。奇妙な見てくれなんで、捕まえた人はかなり気味悪がったようなんだが、パスティス様を知ってる人間がすぐにキメラだと気づきましてね。保護されて、こっちの町に来たんですよ。怖い目にあってきたのか、しばらくは怯えてたんだが、朝から晩まで可愛がられているうちに、ようやく心を開いてくれたんです」
「それもこれも、パスティスが、この町の大人達から変な偏見を取り除いてくれていたからだ」
アルフレッドが口添えする。
「パスティスのおかげで、わたし、助けてもらえた。パスティス、ありがとう」
ディタは少したどたどしい言葉遣いで、でも一生懸命お礼を言った。
「そうだったんだ。大変、だったね。よかったね。もう大丈夫だからね……」
パスティスはディタの頭を優しく撫でてやった。その姿はまるで異形の聖母だ。
《新しいキメラの娘が、町に問題を運んできたようだ》
うおっ、びっくりした!
なんだ、主人公か。
《町が異形の娘を受け入れるために、私は何を尽くせばいいのだろうか。人の心は頑なに、自分たちと異なる者を弾こうとする。容姿、言葉、思想……。それを取り除くのは容易なことではない。あるいはこれは、同じキメラであるパスティスに課せられた試練なのかもしれない。ディタ同様、彼女がこの町に受け止めてもらえるようになるための……》
ボイス付きの気合入ったイベントなとこ悪いんだけど、これもう終わってるゾ。
すでにべたべたに愛されてるゾこの子。
ていうか、主人公的には、この段階までパスティスが町に受け入れられてないように見えてるのか? 僕の目には、制作者の趣味全開の銅像すら建てられてるようなのだが。
それなら、アルフレッドは?
彼に関してのボイスはないのか? マルネリアの妄想の設定を鵜呑みにするわけじゃないけど、結構ドラマチックな展開になってるようだぞ。
《…………》
ないのか……。ヤローにかけるデータ容量はないということなのか、そもそもオフィシャルなイベントじゃないのか。この世界に身を置く僕には確認のしようもない。
「それはそうと、我らに何か頼み事があると聞いたのですが……?」
初期メンバーの一人が、リーンフィリア様にたずねた。
「ええ、実は、みなさんに教えてほしいことがあるのです」
女神様がドワーフの町の事情を話すと、真面目に聴き入っていた彼らの目に、怪しげな火が灯り始めた。
「なるほど、それで、敵の猛攻から身を守るお城のような町が必要なのですな」
「ええ。何かよいアイデアはありませんか?」
初期メンバーたちは互いにうなずき合うと、突然『タイラニー!』と奇声を上げて立ち上がった。
「雌伏ってたワイ! この歓喜をノォ!」
「我ら築城五人衆、今このときより、ドワーフの大陸へと渡る船となる!」
「しかして、現地にて働きましょうぞ!」
「どうか我らをかの地へとお導きください!」
「身命を賭して堅牢な町を築いてみせましょう!」
突然のHARIKIRIオヤジたちにリーンフィリア様は「えっ、えっ」と戸惑うばかり。代わりに返事をしたのは、こういう大声に耐性があるアルルカだった。
「〈ブラッディヤード〉は危険な土地だ。いくら何でも、異種族であるあなた方にそんな無茶をさせるわけには」
「いや、ドワーフのお嬢さん。これは我らにとって大きなチャンスなのじゃ。このままではワシらは情熱を根腐れさせながら一生を終えねばならなくなる。この町はすでに次の世代へと移り始め、ワシらの出番はほとんどない。今こそワシらは、信念のままに生きてみたいのじゃ」
「むう……わがままに生きたいという気持ちはわたしもわかる……。女神様!」
「は、はいっ!?」
突然話を振られた女神様は、さっきの混乱から立ち直らないまま、アルルカの要求を突きつけられる。
「彼らをドワーフ洞窟に招くわけにはいかないだろうか!? 身の安全はドワーフたちが全力をもって保証する。だから、是非!」
「よ、喜んで!」
乗せられてしまった。
こうして、築城五人衆とかいう、たった今結成されたばかりのオヤジ集団が、ドワーフ洞窟に乗り込むことになった。
ただし、急な話だったので、準備込みで出発は明日ということになった。
今夜は〈ヴァン平原〉で過ごす。
そして、この残り半日の時間が、ある青年の人生を決めた……。
修羅(場)の国からやってきたマルネリアさんが楽しそうです




