第百七話 背比べ
「ええ、実は〈ヴァン平原〉から、山向こうに町を伸ばしまして。若い連中の多くはそちらに移っています。おかげで、一時相当騒がしかったのが、だいぶ落ち着きましたよ」
町長のハリソンは、僕らを案内する道すがら、町の現状についてそう説明してくれた。
なるほど。どことなく町がのんびりしているのは、ここの開発が一区切りついていたからなのか。
「でも、子供たちの姿も多いですね」
リーンフィリア様が、道を駆けていく子供たちを目で追いながら言う。
「新町の方の生活はまだ少し不安定ですからね。子供をこちらに預けて、むこうで開拓の仕事をする者も多いです。ああ、見えてきました。あれです」
「おおー……」
感嘆の声を上げる女神様の目線は、前方にある銅像に釘付けになった。
笑顔で腰に手を当て、小さなスコップを手にした謎の少女像があった。……いや、リーンフィリア様だけどさ、どう見ても。
「これは、女神様がここから空へ旅立ったことを記念し建てられたもので、〈旅立ちのタイラニー像〉と呼ばれて町人たちから親しまれています」
「素晴らしいです。タイラニーポイントが急速に高まっていくのを感じます」
変なものを溜めないでください。
「町の外に用がある者は、みなこの像に挨拶していくのが慣例となっています」
確かに、大きな荷物を背負った町人たちの姿が見える。
隣町に物資を運ぶ人だろうか?
「パスティス様の銅像もありますぞ」
「え、わたし、の?」
パスティスの像は、そこから少し離れた場所に建っていた。
「あ、ここは……」
パスティスが何かを思い出したようだ。
「騎士様が、わたしをみんなに、紹介して、くれた、ところだね……」
彼女は少し気恥ずかしそうに僕を見た。
え、そうなの? よく覚えてるな。
あの時はパトスが炸裂するまま、男衆と盛大に町を練り歩いて……女衆にとっちめられたんだっけ。懐かしいな。
「可愛い銅像だねえ」
マルネリアがしみじみ言った。確かに、可愛い。
銅像というのは、象徴性だとかメッセージ性だとか、芸術性だとかで、地味だったり逆に個性的すぎてよくわかんなかったりするイメージなのだけど、これは……。
「ちょっとあざとすぎない?」
アンシェルが真実を言い当ててしまった。
そうなのだ。
銅像のパスティスは後ろで手を組み、少し前屈みになって、誰かを見上げるようなポーズを取っている。
しかも微笑みの表情の造形にはやたら力が入っていて、目の中に光彩まで彫り込まれている緻密さだ。
どことなくコケティッシュで、しかし下品さはなくて、むしろ愛らしくて。
何か……銅像というより、フィギュアみたいだ。
髪の毛の細かさ、短いスカートの翻り方、尻尾のしなやかさ……すべてに妄執じみた信念が込められている。
これに比べると、さっきのリーンフィリア様のは野暮ったい勤労感謝の像みたいに見えてしまう。
「パスティス、ちょっと同じポーズしてみてよ」
「え、え、こう、かな……」
マルネリアにせがまれるまま、パスティスは銅像と同じポーズを取ってみせた。
「うわ、可愛いなあ! ねえほら騎士殿。パスティス可愛いよ。こっち来て、正面から見てみなよ」
「どれどれ……何だこの破壊力!?」
彼女は、背筋をビッと伸ばして立つか、アルマジロみたいに丸まっているかの二パターンくらいしかなく、こういうあざと可愛いポーズというのがなかなかないのだ。
僕らが騒いだせいで、パスティスは真っ赤になって後ろを向いてしまった。
尻尾が恥ずかしさをこらえるようにビタンビタン地面を打っている。
その姿を見て、すっかり目尻を下げた町長が言った。
「いやあ、やはりパスティス様は素晴らしい。この銅像を造った職人も、これ以降はいかなる作品も手がけようとしないのです。“自分は最高のモチーフを得て、すべての技を注ぎ込んだ。この作品を超えるものを、私は決して作りたくはない”と……」
やっぱり妄執だった!
この町の人間は、どんだけパスティスのことが好きなんだ!?
「騎士様の銅像もありますぞ。こちらです」
僕の像はパスティスの等身大フィギュアのすぐ近くにあった。
…………?
あざと可愛いパスティスと違って、僕の像は、片手を天に掲げた勇ましいポーズだった。
シンプルにカッコイイ。やはり騎士というのは絵になる。
しかし、何か変だ。
「あんた、何持ってるの?」
アンシェルが聞いてきた。いや、僕に聞かれてもな。
注意深く見つめてみても、銅像の僕が持っているのは、よくわからなかった。
何かくしゃくしゃの……いや、銅製だからくしゃくしゃかどうかもよくわからないんだけど。よくわからない何かを、風に流しているふうなのだ。
メデューサの首を掲げるペルセウスばりの堂々たる佇まい。兜に隠れて顔は見えないはずなのに、クッソドヤっているのが全身から伝わってくる。
この、完璧なる勝利を表現したような像は、一体何を掴んでいるのか?
ガイド役に聞いてみるしかない。
「町長さん、これは何ですか?」
「それはニーソックスです」
「ホア!?」
僕はニーソを掲げているのか!?
全身ドヤオーラでニーソを!?
「何考えてんのあんた!?」
アンシェルがなぜか僕に向かって怒声を響かせる中、町長は語り出した。
「あの日、わたしは、半信半疑で話を聞いておりました……」
何だ? いきなり、何の話?
「初めてパスティス様を見たとき、その異様な風体に、恥ずかしながら言いしれぬ恐怖感を覚えたものでした。しかし……。騎士様は違った。熱く語られたのです。パスティス様がどれほど魅力的かを。あれがもし……大変失礼ながら、憐憫や同情からくるおためごかしならば……わたくしめも、相応の気持ちしか持てなかったでしょう。けれど騎士殿は違った。熱気に満ちていた……! 混じり気のない、情熱に! ……肺腑に染みました。このハリソン、決して、勢いに呑まれたのではありません。一つ一つ納得し、理解して、賛同できました。パスティス様は、クッソ可愛いのだと……」
町長! あの時、あなたもいたのか、あそこに……!
僕の声なき問いに答えるように、彼はうなずいてみせた。
「世界は広い。人の知る世界などごく一部。その中だけで人生を完結させるには、人間はまだまだ無知で、あまりにも弱い……! 世界にはもっと多くの、自分の知らない愛らしさ、可愛さがあるのです! 人は知と無知の垣根を飛び越え、それを受け入れなければならない! ……そのすべてを包括する象徴こそが、騎士様が力説された、パスティス様の“脱ぎかけのニーソ”なのです!!」
「世界広がってないみたいだけど」
アンシェルが冷たく言ったけど、僕らは聞いちゃいなかった。
「この像は、〈ニーソマンの像〉と呼ばれています。“片方だけのニーソックスを信奉したっていい。人から何と言われようと、熱く語れりゃ上等。さあ言えよ、おまえが大好きなものを!”というメッセージが込められているのです。というか、わたしがそういうふうに勝ち誇ったやつを作ってくれと依頼しました」
「あなたが……」
「ここには、夜中にこっそりと、世間から少し外れた趣向の持ち主たちがお祈りにやって来ます。彼らに、すべてをさらけ出す勇気はまだありません。しかし……このニーソマンは、その弱さを認めてくれる。戦う者に、強くなれる日を待ってくれている。そう思わずにはいられないのです。かくいう私の息子も、こっそりここに通っていたことがあるようでしてね……。今では立派に育ちました。だから、足を向けては眠れぬのですよ」
何てことを。
何てものを作らせた。
僕は拳を握った。
女神の騎士が、聖剣も聖銃も持たずに、天にニーソをかざす……。
世界が危機に瀕し、今をもってまだ窮地に立つ人々もいるというのに、この町の住人ときたら……!
こんな……こんなのは……!
僕は力を込めた右腕を突き出した。
ガガシシッ!
「コレだ! これこそだ町長! よくやってくれた。僕はこの像を誇りに思うッ」
「ニーソマン……!」
気づけば、僕らは固い握手をしていた。
「あなたならそう言ってくれると信じていました……! 町を練り歩いたあの日の夜。妻から小一時間正座させられ、説教を聞かされたときでも、わたしは自分が何一つ間違っていないと確信していました。今、それが正しいと証明された!」
「町長!」
繋いだ右手に、僕らはさらに左手を乗せ合った。
あの日の放出された膨大な熱が、この合わさった手のひらの間には残っている気がした。
「何やってんだよ、父さん……」
これ以上ないほど呆れた声が割り込んできたのは、そんなときだった。
町長は振り向き、
「おお、アルフレッドか!」
と声を上げる。さっき話に出てきた息子さんかな?
年齢は十代後半から、二十台前半くらい。僕らより少し年上な感じ。
背は高く、髪を短く刈っているけど、顔立ちはすっきりしていて、どことなく理知的な雰囲気がある。目元は涼しく、メガネをかけているのもあって、勤勉な学者のような風体だ。
「さっき話した件はどうなった。もう全員を見つけたのか?」
「ああ。ちょうど集会場で雑談をしていたから、うちに集まるよう言っておいた。そもそも何なんだ? いきなり町の初期メンバーを集めろだなんて。そろそろ理由くらい教えろよ」
「そうだな。すまなかった。何しろ、急な用事だったからな。実は――」
町長が説明しようとしたとき、ふと、アルフレッドの目が僕らを捉えて、震え――。
「え!? パスティス……!?」
父親を肩で吹っ飛ばし、彼はパスティスに駆け寄ってきた。
? 知り合い?
僕が呆気にとられていると、パスティスは、愕然とする彼を見上げて微笑んだ。
「久しぶり、だね。アルフレッド」
「…………」
彼は何も言えず、ただただパスティスを見つめている。
パスティスは彼を知っているのか?
その時、彼の横顔が、僕に一つの過去を思い出させた。
僕らが〈ヴァン平原〉での戦いを終え、ここを去るとき、最後まで見送ってくれた少年がいた。
涙を流しながら、でも決して、彼女の前で“悲しむ”姿を見せなかった少年。
パスティスは彼に手を伸ばし、ひたいに触れそうなところで止めた。
それ以上届かない。かつて、この少年の頭を撫でてやった、彼女の手は。
「背、伸びたんだね。あんなに小さかったのに、もう、わたしより、ずっと大きいんだ」
アルフレッドはくしゃっと顔を歪めて、笑う。
「あれから八年たったからな。ぼくも、でかくなるよ……」
あのときの強い少年が、彼だ。
アホすぎる世界にまっとうな青春ストーリーの影が!?




