第百五話 叢雨
そりゃ大騒ぎになったよ。
ドワーフたちにとって、砂漠は克服すべきもので、征服すべきものじゃなかった。
暑さ、渇き、敵、砂、すべてが共にあるもので、環境を改造し、住みやすくするという発想がない。原始時代からこっち、文明を発展させ、ひたすら弱体修正の一途を辿る人類とは異なるあり方なのだ。
それを終わらせた。
屈強な戦士たちを黙らせるほどの一刀両断で。
「タイラーニ! タイラーニア!」
『タイラーニ! タイラーニアーレ!』
「たいらにー! たいらにー!」
報せを聞いて洞窟から飛び出してきたドワーフ衆と一緒になって吠えてるけど、実は、リーンフィリア様は、さっき自分が何したか全然覚えてなかった。
真っ平らになった砂漠の地平線を見て、自分で驚いていたくらいだ。
アンシェルに何が起こったのか聞いてみたけど、白目のまま首を横に振るばかりだった。
天使にすらわからない。
これがメディタチオの結果なのか?
住人総出で新宗派誕生を祝っているドワーフたちを尻目に、僕は赤い砂ブロックへと近づいた。
これまでと同じ、クラフト用の立方体。さわってみたけど、以前と違って崩れる様子はない。その秘密はすぐにわかった。
「わずかに湿り気がある……のか」
僕は、無造作に砂漠に突き立てられた、日本刀型スコップに目を移す。
今、刀身は乾いているけど、このスコップから漏れ出た滴が、さらさらの砂を固めているのは間違いないだろう。
気づけば、整地された足下の砂も、以前より硬くなっているように感じられた。
すべてはこの不思議な水の力。
水を流す刀。
まるで抜けば玉散る氷の刃、叢雨……村雨だ。
しかしこれは単純な水分というわけじゃない。ただの水では、この赤い砂に飲み干されてしまうはず。
貪喰の砂さえ飲み込めない、この水は一体何だ?
僕はふと、親方ドルドの言葉を思い出す。
――「もし、この土地が飲み干せない水があるとすれば、そうだな……。地上にあらざるもの。たとえば、神様の血なんかが、そうなのかもな」
当てずっぽうで言っただけだろうけど、もしこれが間違っていないとしたら?
この水=リーンフィリア様の血。
創世記や神話において、神様の血が海や川を作ったなんて展開は珍しくない。
神の血と水は同じものなんだ。
もしこの霊刀が持ち主の血をすすっているのだとしたら、別のゲームでやってほしいところだけど、貧血も起こさず元気いっぱいに「たいらにー」を連呼しているところを見ると、彼女に負担はないふうに思える。
リーンフィリア様の血と、スコップを繋ぐものはない。
僕の勘違いか?
じゃあ、なぜ、突然、このスコップは水を吐き出すようになったんだ……?
メディタチオの結果、砂という素材に対応するため進化したってことでいいのか?
そんなに都合よく?
…………。
いや、待て……?
思い出せ。僕は、僕たちは知っている。リーンフィリア様が血を流したことを知っているッ……!
〈ディープミストの森〉で微乳エルフたちを救うため、〈バベルの平卓〉を作った、あのとき……!
たくさんのスコップの中で、あの一本は最後まで耐え抜いた。
そして〈偉大なるタイラニー〉へと進化したんだ。
あのときリーンフィリア様は、手に血豆ができるのも気にせず、皮がむけて血が滲むのも顧みず、整地をし続けた。スコップと自分の手を布で固定して!
ああ、そうだ、あのときだ……!
あのとき、〈偉大なるタイラニー〉は、リーンフィリア様の血を受けていた!
神の血による洗礼を受けたスコップ! これほどまでの壮大さの無駄遣いもなかなかねえが!
神の血=水とするのなら、あのときすでに〈偉大なるタイラニー〉に、必要な力は蓄積されていたんだ。
あとは、それを振る舞うにふさわしい強敵が現れるのを、玉座に座する王のように、じっと待っていた。
そして現れた。永遠に渇き続ける、獰猛なる赤い砂……! そいつを……!
一太刀で制覇した!
もうこれは〈偉大なるタイラニー〉じゃない。
第三のスコップ。霊刀ムラサメ形態……!
〈豊穣なるタイラニー〉!
この乾ききった土地にさえ、潤いを与える……!
もはやこのスコップは、どんなに硬いものでも、そして、どんなに柔らかいものでも整地する……! リーンフィリア様に死角はない!
「あれっ? この変な形のスコップは誰のですか?」
本人が一番わかってねえけどな!
「リーンフィリア様のですよ。それを使えば、砂漠でも整地ができるんです」
「えぇ……まさか。ふふふ、騎士様は冗談がお上手ですね」
〈豊穣なるタイラニー〉の刀身からぽろぽろと水滴が流れ始めた。
泣くなムラサメ! これがおまえの主だ! そして僕の主でもあるんだ!
「さっきも言ったじゃないですか。それを横に払って、見渡す限りの砂漠を一瞬で平らにしたんですよ。あなたが」
「そう言われても、まったく身に覚えがないです……」
リーンフィリア様は困ったように平らな砂漠を見つめ、そして、
「それに、整地というのはもっと地道で堅実な行為なのです! 一つ掘っては大地に感謝し、二つ掘っては父と母を想う。それを一瞬でやってしまうなんて、もったいな…………ごほん、もったいない!」
「言い直せてねえですよ!?」
何度言ってもリーンフィリア様は自分の行為を信じなかった。
刀を握らせて振らせてみたけど、へっぴり腰だし、重さに若干振り回されてるし、全然まったくこれっぽっちも、あのときのような気迫はない。
うーむ……。ひょっとして、初回だけの特殊演出みたいなものだったのかな……?
「ここまで長いと、砂も掘りづらいです……。あ、縮んだ」
カシャンカシャンと刀身を閉じて、小太刀くらいの長さになる。〈豊穣なるタイラニー〉は健気だった。
「でもこれで、家、建てられる、ね……」
膝を抱えてしゃがみ込み、尻尾で砂地の感触を確かめていたパスティスが言った。
そうだ。それが何より大事なことだった。
砂漠は見渡す限り、すべて平らに均されている。どの方向に町を伸ばそうと自由だ。ようやく、本格的な町作りが始められる!
「これだけ広い範囲の整地が終わってるなら、リーンフィリア様もゆっくり休めるわね」
アンシェルが地平線を見ながら言った。後ろにいるご本人が、ちょっとしょんぼりしているのは教えない方がいいだろう。
「いや、そうもいかねえと思うぜ。天使殿」
発言を否定したのは、さっきまで一族で何かを話し合っていたドルドだった。
「どういうこと?」
「その前に、まずは改めて挨拶をさせてくれ。戦の神ボルフォーレは去った。俺たちドワーフは、リーンフィリア様こそが宿命の決戦に臨む神様だと認め、剣となって戦うぜ。親方ドルドは今日から戦士長も兼ねることになった。騎士殿や天使殿たちは戦友だ。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくドルド」
「まあ、殊勝な心がけね。女神様のために励みなさい」
僕らと儀式的な握手を交わしたドルドは、さっきの発言の説明を始めた。
「洞窟で何日か暮らしたからわかると思うんだが、砂漠の砂ってなぁ常に動いてるんだ」
「そうなの?」
アンシェルに小声でたずねる僕。彼女はメディタチオ中のリーンフィリア様を見守るため、毎日長時間外に出ていた。ドルドの言うことが本当なら、気づいているはずだ。
「知らないわ。リーンフィリア様しか見てないし」
作戦は失敗に終わった。
「砂は風で形を変えるからな。〈ブラッディヤード〉の砂丘は、日に一メートルは動く。今の状態ならそこまで大きな変化はねえだろうが、それも時間の問題だ。今は綺麗に均されてても、いずれまた、女神様の力を借りなきゃいけなくなる。それに――」
ドルドは手に持っていた大きなシャベルで砂を掘った。
ぼこっと砂ブロックが持ち上がるが、それは以前のように、すぐに崩れて砂の山になってしまった。
おかしい。〈豊穣なるタイラニー〉がさっきしこたまこしらえた砂のブロックはいまだ健在なのに。
「ここの砂は、まだ俺たちに気を許したわけじゃねえらしい。まともに整地ができるのは女神様だけってことだ」
「そんな! では、この広大な砂漠をわたし一人で整地するということですか!?」
女神様、ヨダレ垂れてますよ!
「砂ブロック運び程度ならいくらでも手伝えるんだが。そうしてもらうしかねえ状態だ」
「仕方ありません。当分、いえ、最後までわたしひとりでやってみましょう。そうですかあ。整地しても、また元に戻ってしまう土地なのですか砂漠は。そうですかあ。大変なのですねえ」
何だこの最高の笑顔!?
食っても食ってもなくならないエサを見たときのゴールデンレトリバーみたいだ!
「それで、実は騎士殿にはもう一つ頼まれてほしいことがあってよ。そいつを、さっきみんなと話し合ってた」
「それは?」
「見ての通り、地面が結構しっかりした作りになっただろ。これで、前のような石造りの家も建てられるんだ。ただな……戦いの末にこんな僻地に追いやられてるくらいだから、前と同じ家じゃ防御力的に不足なんじゃねえかって話があってな」
「主にわたしからな」
メガネ位置をチャッと修正しながら、澄ました顔のアルルカが現れる。
残念ながら、君はそういうポーズを取ってももう知的キャラにはなれないよ。
「騎士殿に、バケモノどもの襲撃にも耐えられる町機構を考えてもらいてえんだ。前にも言ったが、俺たちドワーフは武具作りには長けてるが、それ以外はヘッタクソだからよう。どうすりゃいいか、見当もつかねえんだ」
「防御力のある町機構か……」
久々のフリークラフト要素だ。
悪魔の兵器の攻撃に耐えられるとなると、砦か、お城みたいなやつかな……。
んん……?
ちょっと待てよ。
どこかに、お城を造るのが大好きな連中がいたような……?
これはひょっとして……。
・ドワーフ語解説
タイラーニア(素晴らしいタイラニー)
タイラーニアーレ(マジで素晴らしいタイラニー)
ハーラ・タイラー(3000点)




