第百二話 新たなる強敵(とち)
「騎士様? もう一度雨の奇跡を試さないのですか?」
リーンフィリア様の真っ直ぐな問いかけに、僕は即答できずにへどもった。
「見た限り、雨の奇跡は有効じゃないようです。違う方法を考えましょう」
奇跡を起こすためのポイントがたりないという〈オルター・ボード〉の惨状を、リーンフィリア様の視線からこっそり隠しつつ、僕は再試行しない理由を適当に述べる。
さらに追及されれば危なかったけど、横から思わぬ助け船が出された。
「せめて、もうちょい地面が平らになってくれたらな。砂の山だらけじゃ、まともな建物なんか置けねえぜ」
ドルドが手を、水平線を描くように前後に動かしたのだ。
「平らに」なんて言ったら、どこにいようとこの人が召還されるに決まってる。
「そういうことなら仕方がありませんね。わたしが直々に手を下す必要がありそうです」
直前の話の流れをすべてカットし、藁蛮神に落ちたことなど微塵も感じさせない力強さで、リーンフィリア様は砂漠に向かって一歩を踏み出した。
「まさか、女神様が自ら?」
ドワーフ親子は驚いているけど、その人は地面のこととなると常時過剰に手を出しまくってくれるので、今さらありがたがることでもないよ。
リーンフィリア様は一人、赤い砂漠へ歩き出しながら、右手に持った小さなスコップを勢いよく一振りする。
シャキン! と澄んだ音を立ててスコップがスライド拡張。ブレード形態へと移行した。
雲霞のごとく押し寄せる敵軍に、単身立ち向かう戦乙女の後ろ姿に見えたのは、確実に錯覚だと言っておこう。
「たいらにー!」
気の抜けた気合いと共に繰り出された〈偉大なるタイラニー〉の一閃が、砂の海から砂ブロックを切り出してみせた。
「おおっ」と沸く僕ら。
が。
ぼそっ、と音を立て、砂ブロックは一瞬にして崩壊してしまった。
「…………!!」
リーンフィリア様のキメ顔も同時に崩れ去る。
「馬鹿な……。素材がブロックの形を保っていられないだと……!」
思わずそうつぶやいてしまったのは、僕がこのサンドボックスの世界に毒されすぎたからかもしれない。
しかし、これまで、土でも泥でも岩でも樹木でさえブロック化されてきた状況で、この異変は「いやそれが普通だろ」では済まされない異変だった。
僕はすぐに、この異変の理由にすぐに気づいた。
「乾きすぎているんだ……。ここの砂が……!」
それは、これまでにない素材の特質だった。
〈偉大なるタイラニー〉は、〈バベルの樹〉のように極めて強固な物質も、切り出してブロック化する破壊力を持つ。
しかし逆に、柔らかいものは――形のないものは――決して切り出せないのだ!
「やっぱり雨を降らせないとダメなんじゃないの?」
マルネリアが話を戻そうとすると、ドルドは首を横に振った。
「いや、エルフの嬢ちゃん。雨は、たとえ降ったとしても、この砂漠には通用しねえだろうさ」
単なる諦めとも違う口調に、僕らの視線は自然と彼へ集中する。
「〈ブラッディヤード〉がどうしてここまで渇き、どうして砂が赤いのか? それには、この砂漠ができた理由から知らなきゃならねえ。ドワーフの言い伝えには、こうある――」
突然の昔話だけど、誰もチャチャは入れなかった。
女神様のスコップすら拒む赤い砂を攻略しない限り、このエリアの復活はない。そのヒントが、彼の話の中にあるような気がしたのだ。
「言い伝えによると、昔々、この土地は豊穣の神に守られ、動物も植物も豊富な地上の楽園だったそうだ」
こんな砂漠にそんな時代があったとは、にわかには信じがたい。自然の変化はときに激烈だ。
「そこで生きる者は、みな飢えたことがなかった。そこらじゅうに食い物があったからだ。馬は寝そべったまま草をはみ、獅子も口を開けてれば、獲物が勝手に飛び込んでくるって有様だった。誰も苦労して食い物を探したりしない。そんな状態に慣れっこだったから、やがてそこの住人たちは、やってはならねえことをしちまった」
語り口が急に湿り気を帯びる。彼らは何をした?
「食い物で遊びだしちまったんだ。食える草を抜き散らかし、食うつもりもない動物を殺し始めた。そしてそれが、神様の逆鱗にふれた」
それで食べ物の取れない不毛の地に? という僕の先読みは、続く物語にあっさり否定される。
凄惨な物語に。
「怒った豊穣の神様は、戦の神ボルフォーレを呼んで地面に食欲を与えさせ、生き物たちを食わせた。わかるか? 俺たちが立ってる地面が、その上に乗ってるものを全部食っていくんだ。逃げ場なんてない。そうして〈ブラッディヤード〉は、あらゆるものを食い尽くして、砂ばかりの不毛の土地になっちまった。残ったのは、食い物を粗末に扱わなかった、ほんの少しの生き物だけ。それ以来、ここの地面はずっと赤いんだそうだ」
ヒエッ……。
つまり、この色は、地面に食われた生き物たちの命の色ということになるのか。
言い伝えだから真偽のほどはわからないけど、なんて血生臭い話だ。
「あらゆる命を食い尽くし、地中の水さえ飲み干して、しかしここの砂はまだ乾いてる。とてもじゃねえが、雨ごときで潤うとは思えねえぜ」
語り終えたドワーフは、すくい上げた赤い砂を、さらさらと風に舞わせてみせた。
「もし、この土地が飲み干せない水があるとすれば、そうだな……。地上にあらざるもの。たとえば、神様の血なんかが、そうなのかもな」
「ちょっと! 変なこと言わないでよヒゲ!」
不穏当なたとえに、アンシェルが噛みついた。ドワーフは呵々と笑い、「すまねえ、すまねえ」と謝る。
「リーンフィリア様、本気にしちゃダメですよ」
〈ディープミストの森〉で無茶をやらかした過去があるから、アンシェルはかなり真剣に釘を刺した。
が。
「……リーンフィリア様?」
彼女の戸惑うような声に、僕らははっとなった。
おかしい。
さっきからリーンフィリア様がぴくりとも動いていない。
小さな砂山と化したブロックを半眼で見つめたまま、立ち尽くしている。
ま、まさか、立ったまま気絶している……!?
〈バベルの樹〉にスコップが通用しなかったときの精神的ダメージも甚大だった。リーンフィリア様にとって、整地不能というのは、なんか重大なアイデンティティ崩壊の危機なのだ。
以前の問題は克服できたものの、すでに心にヒビが入っていたということは十分にあり得る。
心のヒビは消えない。一時、忘れるだけだ。
しかし、二度目の危機を迎えてそのヒビが心の端まで到達、そこから二つに割れてしまったのか……!?
「リーンフィリア様!」
僕が慌てて駆け寄ろうとするのを、
「ま、待て!」
と鋭く飛んだ声が諫めた。
ドルドだ。本来なら、彼の声に耳を傾けている場合ではなかった。一刻も早くリーンフィリア様を平らな土地に運び、タイラニー三唱をして精神のダメージをケアしなければいけなかった。
でも。
「女神様の邪魔をしちゃいけねえ! これは、メディタチオ……瞑想状態だ!」
ホア!?
何そのすごそうなの!?
ドルドは唇の前に指を立てて「しーっ」とし、手振りだけで僕らをリーンフィリア様から遠ざけさせた。ただならぬ気配に、おとなしくそれに従う。
岩の裏側まで来て、ようやく彼は言った。
「メディタチオってのは、俺たちドワーフにとってはごく自然な行為でな。初めてふれる素材や、難しい素材を扱うときなんかに、その鉱石と意識を通わせる儀式なんだ」
「えっ、職人たちはそんなことしてたのか?」
同じドワーフのはずのアルルカが驚くと、
「してたんだよ、このバカ娘。今までどこで暮らしてたんだ。俺たちは武具を作る鍛冶屋だが、素材に対して上の立場にいるわけじゃねえ。あくまで対等な関係だ。素材を知り、素材の発する小さな意思表示に応えられないようじゃ、そいつの持ってる力を十分には引き出せねえってことさ」
「じゃあ女神様は、砂漠の砂と対話してるってこと?」
僕は推論を述べた。
「鋭いぜ、騎士殿。ただ、俺が言うのも何だが、メディタチオってのは素材の本質を見極めるための精神統一の一つにすぎない。集中力と観察の合わせ技だ。対話というのが、今俺たちがしているような、明確なやりとりじゃねえことは確かだ」
神秘性を廃して現実的に言うなら、いわゆる精神論。
自らが、ある境地に達するための技法の一つということか。
「でも、砂漠には、神様がいるって……。女神様なら、その神様と、対話できるかも……」
パスティスが口を挟んだ。
そうだ。戦の神ボルフォーレ。豊穣の神様っていうのも登場したぞ?
しかしドルドは首を横に振る。
「豊穣の神様はとっくにいなくなっちまった。戦神ボルフォーレはこの土地にはいるが、まろうど――客人にすぎない。今、女神様が対話してるのは、太古の昔に豊穣の大地を食い尽くした、砂漠という獰猛な獣ってことだ……」
「わ、わたしたちはどうすればいいのよ」
アンシェルの問いかけに、ドルドは首を横に振った。
「何もできねえ。しちゃいけねえ。待つんだ。女神様が自分の中に何か見つけるのを」
待つだけ。
それは、今まで味わったこともない、つらい日々の始まりだった。
主人公を差し置いて修行回に入る女神様がいるらしい




