第一話 僕、インザスカイ
いい加減死んでくれないだろうか。
いきなり物騒な発言をしている僕、辻九郎、十六歳は、三周目も半ばに差しかかる走馬燈を見ながらそう考える。
走馬燈は、現状に対処不能になった脳が、過去の記憶から脱却方法を必死こいて探す作業だと聞いたことがあるが、無駄なあがきだ。
いつの記憶を探ったところで、約十メートルの空中にいる僕を救う手だてなどない。鳥だった前世の記憶でもあるなら、空を懐かしむことくらいはできるだろうけど。
何が悪いかと言えば、大型トラックという突撃兵器に乗っておきながら平然と居眠りする運転手が確実に悪いし、通学路に高速道路の上に渡された高架を使っている僕にもわずかばかりに責任があるかもしれないけど、最大の悪は、運と間だ。
いきなり歩道に向けてL字のターンを決めたトラックに対し、僕ができたのは目を丸くする一動作のみ。
トラックと一緒に高架上のフェンスを突き抜いたときには、自分の体に尋常でない異常が発生していることが自覚できたし、間もなくその異常が消えることも理解できていた。僕の死と共に。
けど、本当の問題はそこからだ。
ドナドナ級の切ないオープニングから始まった走馬燈が、灰色の記憶の総集編を僕に見せつけてきた。
「そうかもね」
総括できる範囲にまで縮小された僕の人生において、一番使った言葉がこれになる。
白でも黒でもない。
右でも左でもない。
上でも下でもなく、同意でも拒絶でもない、ど真ん中の空白地帯にある言葉。
直近では、昨日の放課後――。
「ツジクロー、今度出る『EE15』買う?」
友人のFがたずねてくる。僕の名前は九郎なのだけど、名字が二音しかないため、まとめてあだ名にしてくる人間が結構いる。
「ん……。やめとく」
「どうしてだよ。グラフィックとかすごいぜ」
「なんか昔ほどワクワクしなくて……」
Fは呆れたようにため息をついた。
「何が昔だよ。ワクワクしないのは、ゲームが悪いんじゃなくて、おまえがつまらない人間になってるからだぞ」
したり顔で、ネットかどこかに転がっていそうなことを言ってくるF。
他人から無断で借りた言葉は弱い。反論すれば泥仕合くらいには持っていけた。どうして『EE15』に興味がなかっただけでつまらない人認定されなければならないのか。
「そうかもね」
でも僕はそう答えた。
なぜワクワクしないのか、なぜ買わないのか、ではワクワクするものとは何なのか、それら一切の会話をすっ飛ばし、緩やかな妥協のみを告げた。
Fは僕を打ち負かした気分にでもなったのか、何かウンウンうなずいている。
僕は負けたつもりはないので、ダメージゼロ。
敗者のいない優しい世界だ。
……と思っていた。
走馬燈フルコースを食らうまでは。
僕は過去のあらゆる場面で「そうかもね」を使っていた。
好きなアニメで友人と意見が分かれたとき、きのこたけのこ戦争で互いの主張をぶつけ合うとき、デジタル時計とアナログ時計を題材にクラスでディスカッションしたとき、クラスメイトの陰口大会に引っ張り込まれたとき、よく知らないアイドルグループの魅力を小一時間説かれ続けたとき……とにかく、この中身のない答えを使いまくっていた。
他人の意見を否定しないのは僕の処世術だ。
呑み込んだところで大して苦くもなく、わざわざ波風立てるのは思慮がたりないことだと思っていた。
いつからそんなことを考えるようになったのか、走馬燈はその出発点も明確に示してくれた。
僕は小さい頃、とてもワクワクするゲームに出会ったことがある。
『リジェネシス』という名前のゲームだ。
さんざん遊び倒して、その魅力をお腹いっぱいにした僕は、ちょうどネットという遊びを親から解禁された。
僕はそのゲームの同志を探した。こんなに素晴らしいゲームなら、世界中にファンがいるはずだ。心ゆくまで話がしたい、そう思っていた。
だけど、世間はそのゲームを酷評していた。
僕は納得がいかなかった。悪罵が飛び交うその場所に、僕は反対意見を書き込んだ。
総攻撃を食らった。
信者だとか、キ○ガイだとか、面と向かってはまず言われることもないようなひどい罵声を、全方位から浴びせられた。
小さい僕には、悪辣な言葉を自由自在に操る彼らに、反論するだけの知識も語彙もなかった。
僕の価値観は叩き潰された。
後になって知ったのだけれど、そこはアンチが集まる場所だった。つまり、そのゲームを嫌う人間の集いだったのだ。
そのゲームは旬をとっくに過ぎていたけれど、アンチだけは元気に活動していた。
だから、検索でも目立つ位置に来る。
僕はそれと知らずに踏み込んだ。飢えた野球部にフライドチキンを差し入れたようなもんだ。
ある程度の年齢になれば、ネットと現実が完全にフィットしていないことが理解できるのだけど、このときの僕にはその線引きができていなくて、あたかも身近な人々からボコボコにされたのと同じ痛みを味わうことになった。
無垢な少年が「そうかもね」としか自己表現しなくなった瞬間。
こちらが価値観を見せれば、また叩き潰されるかもしれない。あの拒絶の恐怖をまた味わうのかもしれない。
それならいっそ、否定も肯定もやめてしまえばいい。
それは僕の心を守る盾になる――はずだった。
誤算さ。
ここで、これからも生きていく人たちに一つ、僕の知り得たことを伝えておきたい。
人間は、心と体をいつまでも切り離しておくことはできない。
心は体の動きに、そして体の動きは心の動きに、やがて出てくる。
僕は「そうかもね」という体で自分の心を守っているつもりだったけど、いつの間にか心まで「そうかもね」に染まっていた。
盾だと思っていたものが、本体になっていたんだ。
知らないうちに、僕の価値観は消滅していたらしい。
良いも悪いもわからない。
人に言われれば「そうかもね」。
ネットや本に書いてあれば「そうかもね」。
じゃあ僕一人だったら……”#$%&’()~=~|
このザマだよ。
ああ、ようやく地面が近づいてきた。
高架の下は高速道路。車がびゅんびゅん走っている。これは確実にオワタする。
走馬燈は五周目に入りそうだ。
死の恐怖に泣き震えるより、過去の自分にうんざりして終わるのは、案外救いなのかもしれない。
死んだらどうなるんだろう。生まれ変わりってあるのかな?
もしあるのなら、次の僕にはこう言いたい。
噛みつけ。
猟犬のように探しだし、
闘犬のように臆することなく、
狂犬のようにすべてに噛みついてしまえ。
相手に噛みついたまま無様に死んだのなら、僕は僕を心から尊敬する。
さて、今の人生で言いたいことも言い終えた。
走馬燈は、僕にまだ価値観があった、小さい頃の映像をお送りしています。
死ぬにはちょうどいい景色だ。
家の庭で、僕は傘を振っている。
逆手持ちにした奇妙な構え。でもモーションの一つ一つは整然としている。
あのゲームの主人公と同じ。憧れていたんだ、彼に。
かっこわるい生き方になっちゃって、ごめんなあ……。
――そのときだった。
庭に……いや、僕の記憶に? 見知らぬ物体が入り込んできた。
シャープでスマートな全身鎧の……待て、待て待て待て。誰だこいつ。近所にこんな人いたか?
「いい動きをしている」
鎧姿の人物は言った。今、まさに話しかけてるみたいに。
「君なら、私の跡を継げるかもしれない」
「あなたは誰?」
小さい僕が質問する。
「私は女神の騎士だ」
「『リジェネシス』の? すごい!」
いやいやいや! すごいじゃないよリトル僕! 現代日本でフルアーマーの人はまずいですよ!
「私が窮地に陥ったとき、助けてくれるかい? 返事は〝はい〟か〝いいえ〟で」
「はい!」
「いい返事だ。そのときが来たら、迎えに来るよ」
「はい!」
おいィィィィィ!?
なんだこの記憶!? こんな場面、僕の人生に絶対なかったろ!
ねつ造!? 改編されている!?
えっ、これ、何の意味があるんだ!? こんな謎を残したまま死にたくない!
誰か助けてくれ! さっきいい加減死ねとか言ったのナシ!
夢中で動かした腕が、何かを捉えた。
僕は反射的にそれを掴む。
同時に、すさまじい勢いで引っ張られた。
硬くて冷たい、金属のような――手だった。
鎧……?
※
暗闇にいた。
関節に接着剤を流し込まれたプラモデルのように体が動かない。
何だこれは……死後の世界なのか?
お、おおーい……。
気弱に声を上げてみる。
しっかり発声できたかは謎だ。
……――……――――………!!
ん? 今、何か聞こえたような……。
耳鳴りや幻聴でもよかった。
おおーい、おおーい!
僕は声を張り上げる。張り上げているはずだ。
――シ……! ……ゲキ――!
「!!」
聞こえた。確実に聞こえた!
おおーい! ここだー! 僕はここにいますよー!
「女神の騎士! 反撃を!」
「へっ?」
頭をガツンとやられた。
「うわらば!」
上体がのけぞるだけでは済まず、そのまま一回転して地面に叩きつけられる。
脳みそが揺れた。
「なっ……何だあ!?」
最初に知覚できたのは、衝撃の世界だった。
衝撃的って意味じゃない。
音も、景色も、すべて衝撃波を伴っていた。
あえて擬音をつけるなら、
ドガガガガガガガガガガガガガガガガドッガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガドドドドガガガガガガガガガガガガガガガガガガズズガガガガガガガガガガガガガガガガガガズッガガガガガガガガガガバガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!
こんな感じ。
僕の周囲で、土が沸騰した水みたいに跳ね回っている。
僕の周囲を、赤や緑の針みたいな光が隙間なく飛び交っている。
僕の周囲が、空飛ぶ謎の物体で埋め尽くされている。
何だこれは!? 何だよこれは!!??
大混乱の最中、これだけは理解できる声が叫んでくる。
「女神の騎士! 何ボーッとしてるのよ、反撃して! さあ早く!」
「反撃……?」
わけがわからない。
自分がどこにいるのかも、相手が誰なのかも、敵がいるのかも、何も。
でも、僕は。
反撃しろと言われた。
ついさっき、自分自身に言ったはずだ。
もし次の人生があるのなら、
噛みつけ。
猟犬のように、闘犬のように、狂犬のように、
「おうやったらあ! 武器はどこだ!? 武器をよこせえ!」
死にものぐるいで戦え。
はじめましての人ははじめまして。
お久しぶりの人はお久しぶりです。
ひっそり始まり静かに終わったはずの前作が、作者の想像を超えたことになっておりますが(読んでくれて本当にありがとう!)、新作始めました。
内容は、あらすじのとおりになる予定です。頑張ります。
前作を応援してくれた方、本当にありがとうございました。
今回の主人公は、前回に比べてやや攻撃的な性格となっております。
彼のヤケクソ風抵抗を楽しんでもらえたらと思います。
そしてお疲れ様でした。
本話をもちまして、今作のシリアス成分はだいぶ終了です(多分)。