A Yin-and-Yang fortune-telling office”占事略决”
今回更新部分よりコラボレーション作品として、いよいよ本格的にシナリオが連動を開始します。ぜひ『セカイノハザマ聖譚曲』と合わせてお読みください!
[Fab-28.Tue/13:50]
「――なんてコトを!」
それは小さな、しかし強い慨嘆。
少女は予見したのだ。その予見は、脳裏に恐ろしい光景を鮮明に思い描かせる『発生することの確定した未来』だった。
陰陽道の目的とは、森羅万象、此の世の総てを陰陽五行により読み解くこと。過去のことであれ、現在のことであれ、そしてそれが例え、未来のことであったとしても然り、なのである。
だからこそ、彼女の予知は発生することが確定されている未来なのであった。いや、彼女の予見だからこそ、確定されたものとして考慮されてしまう、と表現するすべきなのか。
しかし、それは仕方がないことでもある。何故ならば彼女の、いや『彼』の占術による先見は、生前より今日に至る過去千年を超える歴史の中でも驚くべき的中率を誇り、外れることの方が稀有だったのだから。
「――愚かな……それとも狂信っているとでも、言うのですか?」
少女は在る初老の男の顔を思い浮かべる。それは一度、面会したことのある西洋の聖職者、いや、聖人と言うべきか、つまりはある宗教の一派に於いて最高位に就く人間の顔であった。
「……あの教皇の意図することではないと思いたいですが……止められねば貴方とて同罪ですよ?」
誰もが知るところである表の歴史であっても、この時代にあっても彼らは宗教戦争を勃発させるのだ。あながち、その初老の男とて、今回の事件の黒幕と同じ穴の狢なのかも知れない。
しかし、この国は聖地を領土として領するわけではないのである。それに宗教的に見ても、信仰心が希薄であるとはいえ、この国の国民は決して敵対者ではないのだ。寧ろ、彼らの信仰する神に対して友好的な民族と言えるだろう。
だからこそ、少なくともその未来の惨劇は、過去に会談したことのある、件の初老の男の意思で行われるものではないと少女は推測するわけである。
然るに、組織の頂点を預かる者としては、その無能さを露呈しているに過ぎない。内包する組織の暴走を容認し、そのことで一般の、下手をすれば同じ神を信仰する使徒たちの命まで奪うことを見過ごすなどと言語道断である。
だから、少女が呟いたのは責を果たせなかった、その初老の男への非難だった。
扇に隠されたその口元。それにより表情を完全に伺い知ることはできないが、柳眉の間、眉間に生じた変化が、その長い黒髪の少女の強い感情を代弁している。同じく組織の頂点を預かる者として、情けなくも思えてしまうのだ。
二人のローマ十字教信者、その敬謙な信者同士。しかし、その二人は単なる使途ではなく、イスカリオテという、突出した魔術的素養を持った者たちである。
彼らの拠点である欧州にある宗教国家ヴァチカンと、東洋の島国である日本の某所を結んだ、その両名の不穏分子による超超長距離通信魔術。
異変の起こった都市とは遠く離れた、中世時代を現代に残す文化財さながらの古い屋敷に居ながら。その白い束帯姿の少女は、中継点も持たず直通に回線の開かれた、本来ならば成立し得ないはずのその魔術を、異常として超感覚に捉らえたのだった。
誰が、何のために行った通信魔術だったのか?
当初は当然、それさえも特定できない状態であった。
しかし、彼女は件の通信魔術が行使されたという事象、行使された土地、発生した時間、そういう僅かな情報のみで、彼らの関与したものであるという事実まで探り当てたのである。
それを可能にしたのが、彼女の行った式盤を用いた占術『三式』であった。
式盤とは天地を構成する記号を組み合わせることで、時空間の事象を読むことが出来る陰陽道占術の秘器のことである。それを用いた占術、式占は、易者に求められる熟知難度を極めて高いものにしながらも、占術としての陰陽道に確たる地位を与えたのである。
そして、自らの行ったその占術の結果に、少女は嘆いたのだった。
それは、この国を魔術的、超自然科学的側面から守護する役目を担う者でならずとも、超非常事態だと判断でき、目を覆うような凄惨な事態を招くと安易に想像できるものだったのだ。
「――晴歌様。よろしいでしょうか?」
御簾の向こう。低くしゃがれた老人の声が少女を呼ぶ。
次なる占い事を始めた途端に、それを邪魔するように起こった、その声。
「――どうしたのです?」
しかし、少女は気に障るような素振りを見せはしない。静かに。いつも通りの落ち着き払った音吐で、それに応じる。
現在、過去、そして、未来。幾重にも幾重にも複雑に絡まり合い、影響を与え合う、数多くの事象が、無限の可能性と展開を示唆する盤上。ほんの僅かな読み違えが、そこに在るはずの事象を全く異なる未来に導いてしまうのである。
それは至極難解な問題を、未だ解の出されていない数式を、解いている以上の困難な作業であった。
フランスの数学者ピエール・シモン・ラプラスはこう述べている。「もしも、ある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も過去同様に全て見えているであろう」と。
その言葉が示すものとは、主に物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念であり、演繹的な究極概念、因果律の終着点である。
簡単に言ってしまえば、世界に存在する全ての原子の位置とその運動量を知ることができれば、それを数式化し、演算による未来の特定が可能である、ということなのだ。
しかし、当然、そういう超知覚と超知能を有する存在などありえるはずもない。未来の確実な事象を確定することはできるはずがないということだ。
故にそれは、『ラプラスの魔』と呼ばれるのである。
しかし、今現在の彼女は、その存在しえない架空の超越的な概念存在と同位なのだった。
未来に発生する確定事実を、その盤上に見出して行くのである。
「晴歌様、報告がござい――!?」
促され、発言をしようとした老人の言葉が詰まる。
式盤を読んでいる少女に気づいたからだった。それが前記のように複雑で、高難度な作業であることを熟知するが故、自身に置き換えてしまえば、それを妨げられることが、どれほど癇に障るかを知っているのである。
「構いません。報告してください」
しかし、盤面を読み解く思考を止めず、だが、少女は落ち着いた声でそれを咎めることなく、再び発言を促す。
「は、然らば御意に。数日前に見られた天体の変異についてにございます……」
その老人は、天文博士という少女の統制する組織に存在する重要な地位に就く者であった。天体の異変から、その意味を読み解く占星術を担当する占者たちの最高責任者である。かつては彼の安倍晴明も就任していた役職である。
少女には解ってはいた。おそらく、数日前に見られた天体の変異の指し示す事象とは、自身が先ほど紐解いた凶事のことであろう、と。しかし、その老人の報告を黙して待つ。それは単に部下たちの能力の確認作業、そして、それを信頼をしているという表現行為であった。
「じ、実は――俄かに信じ難き事なのですが……」
しかし、聞かれたのは歯切れの悪い言葉。
「……貴方の能力は認めています。だからこその、その役職を任せているのでありましょう? 貴方の予見したことを、ありのままに報告してください」
躊躇する齢八十路に達そうかという男に、彼女は静かに命令を下す。しかし、それは風格のある言葉だった。
「然らば……今宵、災いが空より降り注ぎます。数千という単位の人民の命の消失……それにより我が国に甚大な被害が発生致します。それは神々しいまでの災厄……神の怒りだとでも言うのでしょうか……? つまり、此度の変異とは、天災を意――」
「いいえ。人災です」
報告を聞いていた少女の口が不意に開くと、きっぱりとそう否定し、断言する。
「じ、人災ですと!? は、晴歌様!?」
言葉を遮られた老陰陽師は狼狽する。
「いえ……咎めているわけではありません。昨日今日で、そこまで解析しただけでも見事なものです。しかし、私の視た結果、それは人の力によるものだと判明しています」
「晴歌様自ら!? そ、それでは我々の立場が――」
「貴方たちを信頼していないわけではありません。ある魔術関知に対して、胸騒ぎがしたのです。その胸騒ぎが、たまたま先日の天体の変異に繋がったに過ぎません」
体裁を気にしてか取り乱した老人に、少女は語る。
彼女の名前は安倍晴歌。陰陽師を統べる組織、陰陽寮。その陰陽寮の頂点に立つ者、陰陽頭であった。
陰陽寮とは、かつては明治初頭まで存在した正式な政府機関、中務省の一つである。だが、土御門晴栄を最後の陰陽頭とし、表向きは廃止され、歴史からは消えていた。
しかし、現代に於いても確かに存在しているのである。
その組織は魔術的な問題から、人ならざるモノの脅威から、超自然現象から、この国を守護することを役目として。
「星祭りの準備を進めていたのでありましょうか? でしたら即刻、取り止めを。徒労に終わってしまいます」
自然災害による異変を避ける、ないし、被害を軽減するには『星祭り』という儀式を執り行う。天体、即ちは神を崇め奉り、荒ぶる御心を鎮めるのである。
だが、その祭事に労力と時間を費やしたところで、原因が違えれば、全く効果が出るはずがない。
今、急務として行うべきは『星祭り』という儀式ではなく、今回の原因の排除という直接的な行動なのである。
「それから、WIKを通してローマ教皇に警告を」
続けて下したのは、魔術界に於ける国際調停組織への伝達だった。
「WIK、十字教ですと!?」
WIKは、いわば魔術界の国連とも同義である。事の重大さを改めて理解したか、その命令に、年甲斐もなく素っ頓狂な声を老人は上げる。
陰陽寮は国家組織でありながら、現状、独立した決定権を有していた。魔術的な問題を孕む外交問題、内政対策の最終決定権は内閣等を通さずに陰陽頭の意志、命令一つで決定されるのだ。
つまりは安倍晴歌という個人は、日本という国家の一角の頂点でもあった。
だからこそ、若干十代後半の年齢でありながら、祖父、ともすると曾祖父と同世代の人間たちをも従えさせているのである。
「――私が本気で対立意志を持って動いても宜しいのか? そうともお伝えください」
それは彼女の能力に因るものに他ならない。彼女は器たる才能を持ち得た者。真なる陰陽寮、つまりは、この匣という遺産と同調し得た、生存する唯一の適合者なのだから。
そして、その適合者とは、この国の輩出した最高の魔術師と、制限下であるとはいえど、同能力を有する術者であるということに他ならない。それは適合者を彼の領域に高めるための匣、未来の陰陽道を危惧した晩年の彼自身が残した霊装なのだから。
「は、御意に!」
老陰陽師はつぶさに応える。
言葉を発しながらも、晴歌の占術は、やはり継続されていた。
そして、扇でゆっくりと口元を隠し、庭先に視線を送る。
どうやら式占は終了したようであった。
庭園には深々と雪が舞い降りる。
「――幸いは……幸いは瑞穂さんと、そして……そして、あの御方が近くにいるということ……後はまた、貴方を信じさせて下さい……」
そこには先ほどまでの組織の頂点にある者の顔はない。
ただ一人の少女として、晴歌は心許なく呟く。
少女は式盤に現れた厄災回避の可能性に想いを寄せる。
事態は最悪の方向へと向かっているのだ。このままでは世界的な魔術戦争さえを引き起こし兼ねない。
既に賽は投げられていたのだ。式占による未来は、もはや彼らの行動次第だったのである。
晴歌は懐から人形を一枚取り出すと、はらりと扇で扇いでみせる。
雪と同化したように、それは白い地面に舞い落ちようとする。
「――天后」
不意に少女は名を呼んだ。
庭先に人形は跡形もなく消え。少女の深憂の眼差しが向けられた白い庭には、一つの人影が現れていた。