pursue-1”嗤う童”
[The past:a true story]
雨月物語、巻の五『青頭巾』。
その物語に登場する怪異なるモノは、元は檀家たちから厚く敬われる徳の高い僧侶であった。
しかし、修行の旅から連れ帰った美しい少年と暮らすようになり、徐々に堕落していく。
その美童に惚れ、肉欲に溺れる僧。そして終には、その性愛の対象の死を受け入れられず、その骸を愛撫し、その血を啜り、その肉を喰らい人外へと堕ちるのである。
その『魔』の姿形は一見、人間と何ら変わらず、昼間であっても何の制限もなしに活動できたという。
実際、鬼に堕ちたと噂されていた僧の預かるその山寺へと、この物語の主人公である禅僧、快庵が村人に頼まれ、訪れたのも、まだ陽のある時刻であった。
彼は快庵と通常通り会話を交わし、その申し出を断り切れず、寺に一泊することを渋々ながらも許諾する。
それは魔道に堕ちた自分が、日の入りと共に目覚める人の血肉を欲する衝動を抑える自信がなかったためであった。
つまり彼には、弊害なく人と交わることができるだけの高い知性と、欲望を抑制しようとする理性があったのである。
しかし深夜を迎えると、その理性は鳴りを潜め、檀家の農夫たちの証言通り、僧は衝動のままに生きる魔性のモノと化し、快庵の血肉を求め寺中を徘徊するのだ。
だが、快庵は寝ずに経を唱え続けていた為に、『魔』と化した僧に認識されることなく、無事に朝を迎えることができたのだという。
朝日を浴びて人間を、僧侶としての自分を取り戻し、一心に経を唱えることで『魔』である己を遠ざけていた快庵を仏の化身であると敬った僧は、罪深き今より解脱するための教えを問う。
江月照松風吹 永夜清宵何所為
その願いに応え、快庵は僧を目の庭にあった平らな石に座らせると、己の青い頭巾を被せ、そう句を贈り、その意味を考えるよう、それが悟りへの標であると伝えたのだという。
そして、句の真理を悟るまでは決してそこから動かぬように命じると、快庵は僧を残し、山寺を去っていった。
一年の後。 快庵が再び僧を訪ねると、彼は未だそこに座していた。
そこで快庵は再び件の句を詠むと、怪僧を消滅させ、成仏させたのである。
その物語のあらましはそうであった。
しかし、その真相は異なるのだ。
オカルト的な知識を持つ者の中には、僧が堕ちた『魔』が、何かの存在に似ていると感じる者もいるだろう。
それはこの国に伝えられたのが、この物語の発表よりかなりの後、近代に伝来した、ある魔物と酷似しているのだ。
そして、それこそが真相なのだった。
その怪僧は一被害者に過ぎなかったのである。
彼は呪をかけられ、『魔』へと堕ちたの犠牲者に過ぎない。
正確には。
彼は呪を受け、爵級の吸血鬼へと成り果てさせられたのである。
その元凶。つまりは僧に禁断である、血の甘美な味を憶えさせた者。
そう。それは怪奇の発端である、僧の連れ帰った美しき童に他ならない。
それこそが、その物語から名を頂く『雨月』という『魔』。西洋の組織で雨月と呼称される日本で産まれ出でた真祖である吸血鬼だった。
彼は宛もあの聖人のように己が血肉を与えることで魔性へと人を導き、そして、聖職者さえもいとも容易く蠱惑させる魅了魔眼を持っているのだ。
その物語は事実の側面だけを脚色し、後世へと伝えていた。
雨月は魅了した僧に貪られ消えたわけではない。
僧に血を与え、人肉を喰わせ、その禁忌の味を覚えさせ、仏の道どころか人の道からさえも逸脱させてしまう同属の配下に堕としたところで、その伝承された物語の表舞台から降ろされたのである。
その存在が、あまりに唐突に跡形もなく消え失せてしまったことから、喰われ尽くした、そう認識されてしまっただけで、雨月は間違いなく存命し続けていたのだ。
舞台裏。吸血鬼という言葉がまだなかったために、鬼の一種と分類され、その『魔』を排除しようとする四人の退魔の侍と激しく争いながら。
その侍たちは滝口。そして、彼ら滝口に伝承される宝具を担う兵たち、当時の四天王だったのである。
雨月と四天王の戦いは峻烈であったという。
四天王の内の一人は雨月に魅了され『魔』へと堕ち、討ち滅ぼされた。また、その離反した四天王との戦いに於いて、一人は滝口としての生を閉ざされた。
残った二人の四天王。蜘蛛切と鵺貫の担い手。
だが、彼らの二人の力をもってしても、雨月を討ち滅ぼすることも、封じられることもできず、深手を与えるに止まったのである。
そして、雨月は、その傷を完治させるべく、力を蓄えるべく、深い眠りへ、歴史の闇へと自らの意思で消えたのだった。
[Fab-28.Tue/13:00]
その街に少年はいた。
それは小柄な小学校高学年程度の体格でしかない幼い少年だった。
愛らしさと、しかし、その魅力に反する年不相応の、妙齢の女であろうともそうそう漂わせることのできない、ぞっとする色香を覗かせる美貌を併せ持った少年だった。
少年の持つのは、此の世ものではない美しさ。人を妖しく魅了する美しさ。
その美しき少年、雨月は嗤っていた。
通りを行き交う人の流れに紛れ、嗤っていた。
その玉容を卑しく歪め、嗤っていた。
彼の抱く野望に向けて刻々と、事は驚くほど順調に進んでいるのだ。
ローマ十字教。第十三枢機課直属部隊。
「――確か、名前は『ラザフォード』とかいったっけ?」
雨月を、自身を襲った異国の宗教組織、その対異端実戦部隊の名前を思い出す。
それはその部隊を率いていた修道女から聞いた部隊名だった。
その人間たちとの交戦で、雨月は数名の生存者の存在を許した。が、尤もそれは狙って行ったことである。
辺境の島国で出現した真祖は知りたかったのだ。
その部隊を退ければ現れるであろうと下僕となった売女が進言した、こちら側の世界の人間の最高峰の能力を誇るという者たち――イスカリオテの実力を、である。
不安があったわけではない。知的好奇心、興味。つまりは、現代に於ける人間という下等生物の性能を美童は単純に知りたかっただけだ。
彼らの直属部隊とやらの統率者であった彼女は、あっさりと手中に堕ちた。異性故に魅了の魔力の効果は上がっていたのかも知れないが、それでも曰く、世界最大の宗教組織の一派、その確たる聖職者だったのだ。果たして、その上に君臨する雑魚とはどの程度なのか?
「まあ、たいした手合いじゃないだろうけど、余興にはなるだろうさ」
彼女の時もそう。
別に特別、修道女の能力を買ったわけではない。
彼女が僕として、かつての同胞を血祭りにしていく様が楽しみでなかっただけだ。
それは愉快でしかなかった。
所詮、人間など家畜。食い物でしかないのだ。多少、使える駒であっても、せいぜい使い走り程度に過ぎないだろう。
そう吸血鬼という種の頂点に君臨する真祖の少年は思う。
件の女、ルチア・ダレッツオのように。
雨月は冷静に人間の歴史を見てきた。
人間たちは自分たちが進化して来ているいると判断しているのだろうが、その実、退化しているに過ぎない。
それが雨月の結論である。
進化・発展してきたのは人間ではなく、科学なる魔法じみた力なのだ。
その科学などという一部の人間が生み出した知識に、大半の俗物がおんぶに抱っこで縋って生きているのが現状なのである。
そして、その科学という力に頼りきった人間は、個の能力で、遥かに過去の人間に劣っていた。
肉体能力、生存能力、戦闘能力。
そして、魔術能力。もっとも警戒すべき力。特にその分野については散々たるものだ。
「科学の偉大さは認めよう。アレは僕にとっても十分に脅威と成り得る力だ。人間如きの浅はかな猿知恵で産み出された愚にも付かない力だなんて、安易な判断はしないさ。僕は愚かではない。客観的に大局を捉えることのできる賢人だよ――」
街。幼い少年の姿をした強大な『魔』。その彼が歩むそここそが、その力の結晶とも言える場所である。
横手に目を遣れば、車などという化石燃料で走る、地上を走破するどの生物よりも走ることに優れた機械が列を作り。
空を仰げば、鳥よりも高く遠くに早く飛び行く飛行機などという機械が過ぎる。
地中には電気というエネルギーを、この土地の隅々まで余す所なく行き渡るようにするための銅線が編み目のように張り巡らされ、それの作り出した光は、人の感じる恐怖という感情の象徴であった夜闇さえも退けていた。
江戸という名前であった都を中心に、この国が栄えていた頃。雨月の記憶の最も古い時代からすれば、その様相は間違いなく奇跡の、魔法の都の姿であろう。
それを生み出したのは、間違いなく科学という力である。
でも。
そう、雨月は独り呟く。
「――その力を扱うのは所詮、人間。その人間は僕の魔力で意のままになる。抵抗する耐魔力を持つ人間なぞ、現代には少数でしかない。そして、その少数の人間は少しづつ排除していけばいい――」
雨月は真っ直ぐと、ある場所を目指していた。
それはこの街の一角にある、某喫茶店である。
「滝口や、稀に僕を狙ってきたWIK、そして、そのイスカリオテなんていう輩みたいに。一つずつ丹念に、愉しみながら潰していけばいい――」
それは絶対の自信。己が能力が無敵であるという自負。
雨月は唯、傷を癒していたわけではない。
着実に力を蓄え、時勢を見てきたのだ。そして、今という世が、絶好の好機であると判断したのである。
だからこそ、動いた。
恐れるべきは、自分と同格の存在のみだろう。
WIKから聞いた世界に僅か存在するという真祖という級位の吸血鬼だけだ。
童の姿をした強大な『魔』の頭にある魔術道具。それこそが、その為に入手した聖布なのだ。
それには強力な破邪の力が宿っており、その効果は先の夜に、愚かな爵級の吸血鬼相手に実証済みである。
それには件の作品に記されていた通りの、不浄の命を浄化する絶対的な力が宿っているのだ。
かつての自分の配下を無力化させた力を、雨月は現代に於いて己の為に使おうというのである。
そして、もう一つ。
その野望の為、決して裏切りはしない強力な僕を得る方法を、雨月はこれから手に入れようとしていたのだった。
その求め欲するもう一つの力こそが、極彩色の持つ召喚魔術に他ならない。
「唯一神信仰、ね。近い未来にソレは僕に取って代わるさ……我を崇め、恐怖せよ。総ての存在よ……って、ね」
そして、雨月は彼女らの信仰するモノを蔑み、嗤う。己に酔いしれ、嗤う。
絵空事。
現代に生きる誰もが、そうとしか思えない世界征服という野望に。