brake time-1”少女二人”
[Fab-28.Tue/12:50]
「極彩色? それじゃ、詩緒くんが欠席してるのって――」
「そ。彼女を探して、今頃、どこにいるのやら……」
琴音の言葉を最後まで待たず、瑞穂は早々に疑問に答える。そう返答しながら、その少女は宛も他人事のように、窓の外、晴れ渡った冬空へと視線を泳がせた。
そこに澄み拡がる冷たい大気で構成られた空。
透ったその青空を眺めた少女の顔は、果たしてどの種のものなのかを理解することはできないが、確かに憂いを帯びていた。
そんな物憂げな顔をした瑞穂を、同性でありながらも琴音は頬を染め見惚れてしまう。
その視線が一点に集中する。乾期にありながらも、みずみずしさを損なわず、艶やかな光沢を湛えたその紅唇が動く。
「……詩緒、大丈夫かな?」
「し、詩緒くんなら大丈夫だよ! きっと!」
想いを寄せるの少年の名に、琴音は瑞穂に見惚れてしまっていた自分に気付く。その動揺を隠すかのように慌てて相槌を打つと、瑞穂の唇から視線を逃がして、彼女の目線を追った。
熱を帯びた琴音を冷ます様な、冷たさを感じさせる冬の空だった。
「アイツ……死んでなきゃいいけど」
平静を戻そうとする少女の横で、ぽつりと瑞穂が零す。
「そ、そうだね」
雰囲気に呑まれ、なんとなしに再び相槌を打っておきながら。
「――って! ちょ、ちょっと、瑞穂!? な、何、言ってるのよ!?」
しかし、琴音は慌てて瑞穂を非難した。
「あはは――冗談よ、冗談」
返された苦情に、そう前言を撤回しつつも、だが、少女の目は笑ってはいない。
瑞穂の抱いていた憂鬱さの正体。
それは安に少年の身を案じてのことではない。今回の怪奇の裏に、その存在が見えた宗教集団についてが、その大半を占めていた。
そして、だからこそ、自分の口から自然と零れてしまった凶事を、完全なものとして否定できないである。
ローマ十字教。
恐らくは、雨月を標的として、既にこの国で活動し始めているであろう宗教組織。
その教団の退魔実行部隊。その部隊の持つ強硬な方針と活動は間違いなく、件の滝口の少年との間に確執を産むであろうことが、陰陽師の少女には容易に予想できるのである。
教団も少年も、互いの信念に従い、己が解決すべきこととして、決して雨月を譲ることはないのだろうから。
だからといって、詩緒は彼らを敵対者とは見なさないだろう。しかし、『異端殺し』の名を冠するローマ十字教は違うのだ。
だからこそ、瑞穂は杞憂する。
彼らは活動の障害と判断した者を、神の名の下に、躊躇することなく神罰を与えようとするだろうから。
生命の与奪。
その誰も持ち得ないはずの権利でさえ、彼らは天から与えられているかように錯覚しているのだ。
加え、雨月が吸血鬼の頂点――真祖であることを、ルチアを始めとした尊い犠牲により、恐らくは教団も掴んでいるはずなのである。
ならば、その教団の誇る最強異端排除部隊――『イスカリオテ』の人間が動いていたとしても、何ら不思議はないのだ。
イスカリオテ。世界の裏の裏で暗躍する最凶の魔術集団。
白と黒。それは極端な分類方法しか持たぬ集団。己と異なる者を敵として、排除すべき者としてしか認識しない者たち。
「――聖布を強奪した『魔』の排除と、その聖布の奪還。確か、それが今回の二人の任務だったよね?」
不意に。琴音は表情を曇らせ、思案に暮れていた瑞穂に訊ねる。
「――え? ええ。そうだけど?」
我に返った瑞穂の前には、先ほどまでと変わった真剣な滝口としての表情をした少女剣士がいた。
「やっぱり、私も参加する」
琴音は決意を口にする。
「ダメよ! 明日から合宿でしょ? 今度の全国大会で高校剣道界引退するんでしょ? だったら、しっかりケジメつけてきなさいな! 会場で琴音を待ってる好敵手がいるんでしょ!?」
しかし、瑞穂は即答で、その決意を拒絶した。
高校剣道大会。毎年三月に開催される全国大会の一つである。当然、高校剣士たちはこの大会も一つの大きな目標としている。
この大会を最後に高校剣道からの引退を決意している琴音を他所に。去年の夏に高校総体を制した琴音に期待を寄せた学園は、この大会に向けて合宿費用を工面し、少女剣士を万全の状況で送り出すことを企画したのである。
「だって――」
「だってじゃない!」
「イタっ!?」
反論しようとした少女剣士の脳天に、陰陽師の脳天唐竹割が炸裂していた。
「神谷先輩、高校総体本戦でも琴音に負けて、ここ半年、学業そっちのけで、剣道に打ち込んだらしいのよ!? 琴音には、彼女の青春に応える義務があるわよ!」
神谷直子。総体予選決勝にて琴音と初めて見えた少女。一方的に琴音を永遠のライバルと認識する至って単純、もとい、非常に爽やかな剣道選手である。
「……あうぅ。何するのよ、瑞穂? 大体、おかしいわよ、その認識は……神谷先輩、総体参加時には、剣道で大学に推薦が決まってるって言っていたもの。進路を考えても、剣道一本に絞るのは普通でしょ?」
その大学の名前は、体育大学として一流と評される学校だった。だからこそ、琴音が言ったことは本当であり、当然なのだ。
しかし、琴音は疑義を抱く。
琴音の知る限り、瑞穂は彼女とは予選会会場で一度会っただけのはずなのである。何故に、そうであるはずの彼女の情報にそこまで詳しいのか。
「バカー!」
「いたっ!」
しかし、再び振り下ろされた少女の手刀に、そんな疑問は吹き飛ばされる。
「神谷先輩はね! 神谷先輩はね! ――打倒琴音を誓って、山篭りまでしたのよ!? 好敵手と書いて親友と呼ぶ神谷先輩の想いに、琴音も女なら応えて見せなさいよ!」
芝居がかった間まで作り、拳を握り力説する瑞穂。何故か、その目には涙まで浮かんでたり、なかったり。
「……イヤイヤイヤ。瑞穂? あれは高地トレーニングっていうのよ?」
だから、そんな情報をどこから。そんな、話を逸らされそうな、しかし気になる疑問を封印して。唐竹割の直撃を受けたつむじの辺りを押さえながら、琴音は冷静に捻じ曲げられた事実を正し、反論した。
「――ちっ!」
知っていたのかと、弁者は舌打ち一つ。
「『ちっ!』って、あの? 瑞穂さん?」
しかし、本心として。陰陽師は今回の件に、どうしても、この少女を巻き込みたくはないのだ。おちゃらけて見せても、それが本心なのである。
目の前の唖然とした表情を覗かせている滝口の少女の覚悟や、思いやりには悪いと思うが、今回ばかりは、非常に事情が劣悪なのである。
ローマ十字教から下手に敵視されようものなら、神に歯向かう悪魔として判断され、刺客を向けられるだろうからだ。それも息の根を止められるまで、際限なくその刺客は送り込まれるはずである。
事実、彼女は知っていたのだ。今、この国には、そういう八つ当たり的な理由で抹殺の対象となっている、いとも哀れな少年が存在しているということを。
それもそう遠くない近隣の土地に住む少年だったはずである。
「……大丈夫よ。安心なさいな。少なくとも、私たちの今回の任務は完了したも同然だから」
一つ、息を吐くと瑞穂は改めて琴音を見た。
「本当にそうなの?」
「ええ――標的排除と聖布回収についてはね」
不安げに問いただした少女に答えた瑞穂の言葉は、嘘偽りのない彼女の本音であった。
ローマ十字教の武力介入。それが雨月の排除を確実に実行するであろうことは、世界の魔術界情勢に明るい、その陰陽師の思考の中では確定されたことなのである。
圧倒的といえるほどの、その教団の持つ退魔戦闘力が強いことを彼女は客観的に理解している。いや。何も退魔戦闘能力だけに限った話ではない。ローマ十字教の信者数は世界規模であり、その教義に従う著名人が政財界にも数多い。本腰を入れたその教団に対抗できる存在が、個人、組織、裏、表を問わず、世界中を見渡してもどれだけあるだろうか。
聖布についても然り。
『天の叢雲』(あまのむらくも)『八坂瓊の曲玉』(やさかにのまがだま)『八咫の鏡』(やたのかがみ)などという世界的に見ても高名な、この国の神代から伝わる神器ならばいざ知れず。ましてや雨月の持ち去った聖布は、キリストやムハンマド、仏陀などという唯一無二の聖人の遺物でもない、世界的に見れば無名に等しい一禅僧の遺したものである。そのような物を、数多くの超の付く強力な魔術道具を保有するローマ十字教が所有権を欲し、殊更に騒ぎようはずもない。
とどのつまり、今、瑞穂が直面している一番の問題は波風立てずに、如何にローマ十字教をやり過ごすのか、なのである。
「……融通の利かない詩緒には嘘の情報を与えて時間稼いでいるけど――アイツ、変に勘が鋭いから、さっさとこっちで片付けないとね……」
神妙に陰陽律法は独りごちる。
それには雨月の居場所を突き止め、彼らにその情報をリークするのが一番手っ取り早いであろうと少女は考えていた。
標的を先に消されてしまえば、流石に偏屈頑固朴念仁無愛想滝口渡辺詩緒といえど、お役御免は免れないのだから。
詩緒とローマ十字教とを接触させないこと。
それが問題回避のために瑞穂の選択した行動指針だった。
標的を他国組織に奪われる面子など、彼らに絡まれることを考えれば安いものだと即決していたのである。
嘘の情報。そのために自身の占いの結果とは反対の方位を凶方と詩緒には伝えたのだ。
そして彼女は、一人で捜索を行っている。
今、この時も、である。
街の上空に彼女の使い魔である隼――式神を飛ばして。
雨月という人外の存在ならばまだしも、ローマ十字教徒である彼らは人間。目視で探すより他はないのだ。
雨月が真祖クラスの吸血鬼、強大な力を持つ『魔』であったことは、敵として相対するには難儀なだけだったのだろうが、それを狩ろうとする者を捜索するという一点に限って考察すれば、幸運だったのかも知れない。
それは瑞穂がローマ十字教徒だと判別できる使徒、つまりはそれだけの著名人が、その清掃役として来日する可能性が高いからだ。
陰陽師の少女が空を見たこと。
つまりはそれは単に感傷に浸っていたわけではなかった。
感覚を一時共有し、行使している式神の視点から、その役目を担う者を探っていたのである。
同調魔術。
それは賀茂瑞穂という陰陽師の独自陰陽術だった。
従来の陰陽術に、使役している式神と意識や感覚を同調させる類の術式は存在しないのである。
元来、そのように回りくどいことをせずとも、式自体に探索の判断させ、報告をさせれば良いのだから。
だが、瑞穂にはそれだけの知識、知能を式に与えることができないのだ。
陰陽師だからと言って、全ての陰陽道の魔術が完璧に使えるという訳ではないのである。
陰陽道とは学問。それは世界の総てを陰陽五行により紐解き、世界の真理を知ることを目的とした思想体系なのだ。
そこに存在する魔術とは、その解析過程で得られた副産物に過ぎず、だからこそ、その陰陽道の持つ魔術体系の一つ一つは、結局のところ術者の適正に因るところが大きい。
式神を行使する呪術は残念ながら、瑞穂は得意ではない。そういうことなのである。
そのために、探索という行為を式自体に単体で行なわせることが、彼女にはできないのだ。
そこで彼女が思いついたのが、西洋魔術に於ける魔女などの使役する『使い魔』(ファミリアー)との感覚共有特性だった。
その論理を陰陽五行にて独自に解析し、こうして行使するに至ったわけである。
不得手であるが故、瑞穂に使役できる式は、鳥類の姿を借りた存在のみ。
しかし、この状況で、彼らはむしろ打って付けの存在だった。
上空から広範囲に渡る視野を持ち、そして、生物界で最も優れていると評される視力を彼らは持つのだから。
「『同調・開始』(トレース・オン)―― ……なんちゃって、ね」
本来不要な詠唱をもっともらしくわざわざ紡ぐと、瑞穂は式の視界と自身の視覚とを接続した。
鳥観。その視覚は遥か上空から街を一望しながら、しかし、注視したい場所が容易に望遠ができる。
その視界の中で、瑞穂は本日十数回目の捜索を行い始めていた。