表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/28

night cathedral-1”穢れた聖女”

[Fab-26.Sun/00:21]


「――渡辺詩緒わたなべ しお。お前を殺す人間の名だ」

 鯉口を切り、抜刀する。刀身を月光に反射させ、古雅な業物がその姿を現す。その刀――鬼切おにきりをゆっくりと横構えすると、滝口は静かに相対する妙齢の女にそう告げた。

 その滝口は黒一色に身を包んだ少年。

 創り物。そう見紛うほどに整った美しい顔にある黒い瞳に、冷ややかな殺気の色を宿らせる。

 月を浮かべた空の下。

 未だ眠ってはいない都市。その喧騒から離れた教会にある、三つの人影。

「気をつけなさい、詩緒! その鞭は魔力を帯びているわよ!」

 滝口の少年の後方。白いハーフコートの内ポケットから紙片を取り出し、それを斜に構えると少女は警鐘を発した。

 少女が構えたのは、材質自体は何の変哲もない紙である。しかし、単なる紙切れではない。

 その紙片に記されるは、晴明桔梗せいめいぎきょう。そして、急急如律令きゅうきゅうにょりつりょうの呪文。

 それは呪符と呼ばれるものだった。

 一見、落書きのされた紙切れにしか見えないそれには、しかし、陰陽五行の秘術が封じられており、設定された起動言語キーワードにより、内包された呪術を瞬間的に発現させる魔術道具マジック・アイテムなのである。

 つまりは、その少女は魔術師。彼女は、この国の生み出した世界的水準で見ても高度に完成された魔術体系の行使者、陰陽師なのである。

 そして、その陰陽師の少女もまた、美しかった。異性ならずとも見惚れさせるに十分過ぎる容姿と、少女と言われる年齢ながら、大人顔負けの見事なボディラインを身に着けた衣類越しに見せている。

 滝口の少年と陰陽師の少女。

 その二人と対峙するは、金髪青眼の異国の女性。

 禍々しい邪気と共に、この国を母国とする人種からすれば、規格外サイズの凹凸おうとつが、嫣然えんぜんたる容姿が、強烈な色香を漂わせる。

 しかし、それは常世の美であった。生ある瑞々しい美しさを放つ少女とは、対極にある美しさだった。まやかしの、妖かしの美貌なのだ。

 そして、その女の手に存在する武器がそれを益々、強めていた。

 少女が注意を促した得物。革製鞭レザー・ウィップである。

「お前に言われなくとも、解っている」

 その鞭を一瞥し、先の警告に余計な世話だと言わんばかり呟くと、詩緒は女との間合いを詰めるべく駆けた。

陰陽律法ソーサラーテキストの従者風情が! 出しゃばり過ぎさね!」

 吼え、女はその手の鞭を振るう。

 それ自体が意思を有する生物のように。風切り音を発し、女の鞭は空間を走る。制空権を、己が領域を誇示する如く、唸りを上げる。

 剣士を拒むべく、迎え撃つ鞭。しかし、滝口の侵攻は止まらない。戸惑うことなく、その武器の持つ長い間合いに踏み入る。

「誰が従者だ」

 無表情のままに、ではあるが、そう不服を漏らし、少年は側面へとその身を逃がす。飛来した鞭を避ける。だが、尚も女の武器は詩緒を追走していた。獲物を執拗に狙い続ける蛇さながらに、それは再び少年に襲い来る。

 背後に迫る、その攻撃をも。視界の外にある敵の得物の動きを、滝口は把握していた。その鞭の追撃を一切の無駄を省いた動作で回避して見せると、瞬間、少年は女との距離を詰める。回避運動を自らの間合い――斬間きりまへの跳躍動作と連動させていたのだ。

 間合いの広い武器の有利性は、懐に潜り込んでしまえば、逆に不利なものに変わる。教科書通りの戦術を、詩緒は常人離れした反射能力、反応速度、状況把握能力を以って、唯、当たり前のことのように、淡々と高次元で実行していた。

「――甘いねぇ。ぼうや」

 しかし、男を誘う娼婦のような甘い声を発し、向かい来る滝口を女はしたり顔で迎える。その口端に覗くのは鋭く異常に発達した犬歯。人間を死へと、彼女らの下僕へと、誘う魔性の牙。

 女は鞭を片手に、空いた左腕を振るう。少年を迎撃すべく振るう。その手で獲物を捕らえるべく振るう。

「ちっ!」

 その女の受動は、少年の予想していた速度を遥かに凌駕していた。

 一つ、零し。刀を振るうことも出来ずに、詩緒はその細く白い腕を後方に跳躍してかわす。空を裂く、女の細腕。その動作に風が唸りを上げる。

 回避された反撃打撃カウンター・ブロウ。しかし、少年の回避運動に目を細めつつ、女は舌をぺろりと上唇に這わせる。嬌態を見せる戯れ女さながらに。

 それを回避されることも、女の計算の内だったのだ。直後、妖しく閃く鞭。少年の着地点へと、それは伸びる。

「――っ!」

 詩緒は防御すべく、手にした刀を構えた。

 轟音。

 大気を派手に振るわせ、接触した滝口の刀は、女の鞭に常識では考えられないほどの勢いで弾かれる。その作用は手にした刀だけには留まらない。後方へ掛かる強烈なベクトルが少年の身を襲う。

「くっ!」

 呻いた言葉を置き去りにして。強い衝撃に襲われた黒衣の滝口の体は、一般的には非論理的に発生したものであるにも関わらず、その物理法則に従うままに、勢い良く弾き飛ばされていた。

「アハハッ! 先に貴方から頂こうかしらねぇ!」

 悦に浸る声と共に、詩緒の飛ぶ先へと、女は身を躍らせる。それは人間の持つ限界速度を遥かに凌駕した速さであった。

 しかし、超人的な加速をした女の、その眼前に突如と大地が隆起し立ち塞がる。

「――っ!? おふざけをっ!」

 女は非難を叫びながら、足に力を籠めると、それを軸に急停止をかけ、その事象を発生させた相手――陰陽師を睨み付けた。だが、勢いを殺しきれはしない。

「くそったれ!」

 野卑た言葉を吐き出すと、女は細腕を現れた壁面へと突き出した。力強く、躊躇することなく突き出される華奢な正拳。

 辺りにやたらと派手な破砕音が響く。

 女の叩きつけた拳が、例え、眼前の岩壁を砕くことが叶ったのだとしても。五体が満足のままに、活動を続けることが可能なはずはない。

 その衝突音の音量ボリュームは、力学じょうしき的に考慮して、生身の体がその衝撃に耐えうるはずがないことを言質げんちしているかのようだった。

 しかし。濛々と立ち込める土埃、その岩壁の末路の中から、女は妖艶な笑みを浮かべ現れる。

「――露払いなんて、なんてつまらない任務なのかしら……そう思ってもいたけど――。従者と違って、貴方は私を愉しませてくれそうね……伊達にバチカンにも陰陽師まじゅつしとしての勇名を轟かせたワケじゃない、そういう感じかしら? 陰陽律法ソーサラーテキスト賀茂瑞穂かも みずほ……」

 無駄に。そう表現できる、露出面積の極めて広い赤い皮製レザーの上下。拘束具のように身体にぴたりと張り付く女を強調した、その申し訳程度に存在する白い肌を隠す部分。そこについた汚れを、鞭を持たない片手で払いながら、女は妖しく嗤った。

「それになんと言っても、戦闘この後がとても楽しみだわ……貴方たち二人とも、とても綺麗。まさか、任務で極上のご馳走にありつけるなんて、夢にも思わなかったわ……どんな甘美なあじなのかしら? 想像しただけでゾクゾクしちゃう」

「本当に悪趣味ね。吸血鬼アンタらって……それとも露出癖があるアンタは、その中でも特にイッちゃってる電波系のキャラなのかしら?」

 恍惚と瞳を潤ませ、更に妖しい色香を漂わせる女に、陰陽師の少女――陰陽律法ソーサラーテキストは辟易とした表情を見せる。

「フフッ……随分と余裕を見せているわね。陰陽律法ソーサラーテキスト前衛フォワードのいない後衛バックスの貴方に、私に勝てる見込みはないのよ?」

 勝ち誇ったように腕を組み、大きな胸をさらに強調するかの様に突き出すと、女は少女を見下した。

「甘いわね……私の従者があれしきで、やられる程度の実力レベルだと思ってるわけ?」

 ふん。と、鼻で一つ笑い、びしっと人差し指を女へと差し向けると瑞穂は答える。

「……おい」

 微かな鈴の音。それが聞こえたと思うと、件の話題に上がっていた少年は、少女の横に立っていた。聞かれた音源は少年の左手首。そこに吊られた小さな銀色の鈴である。

「あら……意外に早いお帰りね……飛距離からすると、もう数秒くらいは余裕あると思ってたんだけど……」

 笑顔を引き攣らせ、瑞穂は相方の滝口を見る。

「……誰が従者だ」

 その感想には一切反応せず。いつもと変わらぬ無表情で、少年はもう一度、先と同じ台詞を吐いた。

「い、いやねぇ! 冗談よ! 冗談! ほら、売り言葉に買い言葉とか、その場のノリとか、あるでしょ? 空気よみなさいよ?」

 たじろぎながら瑞穂が弁解するも、詩緒の表情には全く変化が見られない。

「……ね、せめてアンタ、突っ込み入れるときくらい、表情変えない? ……怖いわよ……」

 気圧された少女は逃げ腰になるも、そうぼやいていた。

「――さっさと片付けるぞ」

 緊張感の欠落した会話の流れを断ち切るように、視線を女に向けて滝口は呟く。

「武器について何か解った?」

 一変、真剣な面持ちで滝口に視線を追い、陰陽師は聞いていた。

「破壊力はない。触れた物体を強烈に弾く能力……今の状態では。そういう前置きを置いて、現状で判明したのは、それくらいだ」

 一つ目の情報。それは三人の足元、地面の状態で推測できたことである。担い手が恐るべき怪力を持ち、詩緒を吹き飛ばすほどの衝撃を産んでおきながら、振るわれたはずの鞭が地面に接した場所には、陥没も亀裂も生じてはいないのだ。それは何らかの不可思議な制約――破壊能力の限定化が魔力とされて付与されているであろう推論を導く手がかりだった。

 二つ目の情報は、その武器を受けてみて判別した事実を単に述べただけである。身体に掛かった負荷は異常にあるにも関わらず、詩緒の体にも、何より実際に触れた彼の刀の刀身にも、一切のダメージはなかったのだ。単に吹き飛ばされただけなのである。

 補足するならば、それによる二次的被害も詩緒にはなかった。叩き付けにより被るであろうダメージは、弾かれながらも空中で姿勢を維持し、着地を完璧に行うことで、勢いを完全に逃がし殺し防ぎきったのである。

「なるほど、ね……」

 妙に納得したように詩緒の言葉を聞くと、瑞穂はそう口を開いていた。

「貴方、名前は?」

 そして、女へと問う。

「――ルチア。ルチア・ダレッツォ。鋭いわね。流石は陰陽律法ソーサラーテキストの従者……といったことこかしら? 正解よ。私の鞭は『聖マルタンの虚構革鞭フーラフラウ』。その能力を見破ったご褒美に名前くらいは教えておいてあげるわ」

 投げキスを少年に贈り、ウインクを一つ。

 それは絶対者のゆとりがさせる行為だった。自身の持つ武器の正体を知られたところで、人間なぞに後れを取る可能性など皆無であると吸血鬼ルチアは考えているのだ。

「誰が従者だと何度言わせる?」

「……触れれば弾き飛ぶ。それだけ。でも、それだけで十分。一人を弾けば、必然的に一対一の状況になる。一人で爵級わたし人間あなたたちが勝つことは不可能……加えて言うなら、さっきの鞭捌きは本気じゃないわよ? ……本気になれば回避不能、と覚えておきなさい。解る? もう貴方たちは『詰みに陥った(チェック・メイト)』なのよ」

 詩緒の言葉を無視し、そう告げると、妖しく微笑むルチア。

「ルチア。貴方は生前、WIKウィックに在籍してたり……なんかしないわよね?」

 WIKウィックとは、世界共有魔導文化保護同盟の通称である。世界規模で動くこの組織は、社会的に疎外されている魔術師・魔物・聖霊の保護を目的としており、しかし、それらが人間に害ある存在である場合は抹殺も行なう。

 瑞穂が陰陽律法ソーサラーテキストと異名を持つに至ったのも、この組織と関係を持ったことに由来する。

 数年前に、この組織がこの国に調査団を送った際に、瑞穂は案内者ナビゲーターの任に就いたのだ。その時に発生した事件を解決したことにより、その二つ名を裏の世界に轟かせることになるのだが、それはまた別のお話である。

「ふふふ。残念。その質問には答えられないわ。ご褒美は名前だけ……女には秘密の一つや二つ、付き物でしょ?」

 ルチアの返答に舌打ちをすると、瑞穂は困惑の表情を見せた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ