現代陰陽師譚 〜四〜
[May-3.Fri/22:10]
行灯陰陽が安全を確保し、陰陽律法が大規模攻勢魔術を行使、無数の対象を一気に殲滅する。
それはとりあえずの決着をもたらす連携であったはずだった。
それにより、ここにはいない爵級吸血鬼ファビオ・インザーキ本体以外の、ファビオ・インザーキ自体で構成された死者の軍勢を灰燼へと変えたはずだ。
「――終わり、ですか」
チドリの言葉を結論付けるかのように、今、その周囲には巨大な炎の渦が無数に連なり、天に届かんとする壁となって猛り立っていた。
二人の魔術師の根源たる思想。陰陽道・陰陽五行説に於いて、世界を構成する総ての氣は巡り巡っているという考えがある。
陰陽道の知識に疎い人間でも知っている者の多い『大極図』の示す、五行相生説といわれるものだ。
火は土を生み、土は金を生み、金は水を生む。水は木を生んで、木は火を生む。そしてまた、火は土を生むわけである。
それは五行それぞれが互いに互いを生み合い流転し、万物は構成されているという循環の思想である。
ならば。その氣の流れを火行へと向け、コントロールすることが叶うのならば、目の前の異常地味た現象は、何の不思議もなく、極自然に当たり前のこととして存在し得る現象なのであった。土行、金行、水行、木行。辺り一面に存在する万物の氣を火行へと流して、そこで力として発現させて仕舞えば良いだけのことなのだ。
と、五行秘術の理論として説明をしてしまえば、それは意とも容易く行える所為だと思われるが、その実、やはりそうではない。
五行の氣に干渉する秘術は誰でも習得が可能というものではないからだ。
それには万物を構成する五行の氣の流れを、雑然とではなく、緻密に把握する感覚を有する必要があるのである。その氣の流れを自身に内包される氣により調節することが、五行を自在に操り、求める事象を生み出す核となるからだ。
では、氣の流れを読めたからといって五行の統べてを操ることが可能なのかと言えば、そういう訳でもない。五行一つ一つにも適正は存在し、術者には得手不得手が生じてしまうのである。
五行総ての氣をコントロールし、思いのままに操ることが叶う術者など、世界中の陰陽師人口を見渡しても数人しかいない。通常は五行の内の一つも扱うことが叶うならば、それで十分素質があると判断されるほどだ。
加えるならば。
現在発生している事象には、一瞬にして膨大な氣の量を操る必要があったはずである。魔術使用許容量を大きく持たない術者には発現不可能な事象なのだ。
五行行使の秘術は、陰陽道の歴史の中からすれば比較的新しい魔術である。元は仙道の秘術の一端を陰陽道に本格的に解析し、落とし込んだのが始まりであったとチドリは記憶している。
「陰陽律法、とは上手く言ったものですね」
陰陽、その五行の理を思うままに律する者。その異名が示すのは、ただの事実なのだ。
残念ながらチドリには、現代の陰陽寮、特に退魔実行の術者に於いては習得することが標準となっている、その秘術を行使することができない。
それを習得するだけの時間を、他の魔術習得――主に詠唱魔術の丸暗記。または不得手な『かな』による魔術を、まだ得意な方である『サンスクリット語』に再構築、さらには不足欠落部分を西洋魔術で補い独自の陰陽道魔術を確立させる――に費やし、作り出すことができなかったからだ。
或いは時間が許していたのならば、それを習得することができたのかも知れない。しかし、一つ、明確なことがある。
それは魔術暗号解析能力に乏しいチドリには、瑞穂ほど端的に魔術発動をさせる詠唱ができないということだ。
陰陽律法は、ごく短じかい命令を下す形で詠唱を行っているが、実際はかなり大まかな過程部分の詠唱を省略している。
例えば眼前の秘術行使に限定すれば、これだけの火力を産むのに対し、周囲に元から存在する火行の氣の量では当然足るわけがないのだ。故に、相生の循環からは一番遠くに位置する、大地に膨大に在る土行の氣を、火行にまで一つずつ変換する作業を彼女は行っていたはずなのである。
暗号解析の不得手なチドリは、瑞穂が略したその過程を一つ一つ、順を追って行使していく必要性があるというわけだ。
それに何より、チドリには、瞬時に五行の氣を把握する感覚が乏しい。確かに素養も大きな要因ではあるものの、これは学習や経験に依るところも多いので仕方のないことではある。
だが、陰陽寮の退魔士として活動する陰陽師は、総じてそれに長けている。
五行の氣の流れに混ざる異質――彼らの言うところの『魔』を、そうして感知しているからである。だから、この秘術は標的を感知するにも非常に有効なのであって、習得が標準と考えられているのだ。
才能という制限があったとはいえ、WIKという世界的な組織で活動する故に、世界基準を考慮し習得する魔術を選択した陰陽師と。
滝口という退魔武士と連携する点も考慮し、日本という特定の地域で活動する故に、索敵と両立できる攻勢魔術を基準として習得した陰陽師と。
現状に安堵を感じていたチドリと、現状に焦燥を感じていた瑞穂。同じ体系の魔術師でありながら、二人の相違は、そこでも現れていた。
「――ち!」
舌打ち一つ零すと、続け瑞穂は叫ぶ。
「行灯陰陽! 臨戦態勢! 魔術停止するわ!」
「え!?」
「いいから構える! くるわよ!」
状況が把握できず呆気に取られたチドリに、瑞穂は怒号するや、火行へと流していた氣の流れを止め、魔術行使を停止した。
轟炎の向こう。そこにあったのは――。
「――!」
声にならない驚きを上げつつも、チドリは反応していた。
驚愕すべき事実を突き付けられ、混乱をせずに行動を起こせたのは、これまでの実戦経験の成せる業だった。
チドリの目が捉えた現実。
そこには在ったのは、炎に巻かれ、焼失しているはずのファビオ・インザーキの群れだった。
それが炎の壁の消失と共に、再び生餌たる二人を求め、大挙して来たのだ。
「陰陽律法、これはどういうことですか!?」
友軍に行灯陰陽は問う。
陰陽律法は炎の向こう、その状態を理解し、無駄な力の消費を避け、行使中の秘術を停止したのだとチドリは確信したのである。
爆炎の魔術に因り、その魔力しか感知できなくなっていたチドリとは異なり、五行の氣に依り、その闇の住人たちの蠢動を瑞穂は感知したはずなのだ。
「――絶対領主よ」
乱戦の始まった戦場で、瑞穂は焦りを押し殺したように呟く。
それは十二真祖の中でも単独戦闘能力最強と謳われた吸血鬼の名前だった。
「絶対領主!? じゃあ、この食人鬼は!?」
死者の群れの呻きに混ざり聞こえた陰陽律法の声に、行灯陰陽は反応する。
当然、彼女も知っている名前。いや。それは世界という舞台で活動していた彼女こそ、より多くの情報を持つ名前だ。
「素敵に妥当でしょ!?」
単体では脆弱な『それ』を、意志のみの力で発動させた不可視の風の刃、岩槍、氷槍、火球で『とりあえず』滅しながら瑞穂は、自棄な笑みを浮かべる。
『それ』は裂かれ、貫かれ、燃やされ、破壊され、殲滅され。
だが、直後、『それ』は何事もなかったように元の姿を取り戻すと、再び少女たちの柔肌を、肉体を欲して牙を剥く。
「食人鬼自体が外套や杭に当たるモノだというんですか!?」
ありえない。そういう感情を出しながら、チドリも応戦していた。回収した刃こぼれの著しい一振りの儀式短剣を頼りに、もしもの時を考慮し温存していた封魔の呪符を惜しげもなく使用する。
だが、自身の発言とは裏腹に、そう考えねば合点のいく答えはないのも理解していた。
絶対領主。肉体すらを捨て、真なる不死身の吸血鬼と化した真祖。その存在を構成していたのがマントと杭なのだ。
故にその真祖は、そもそも滅ぼす方法がなく、全吸血鬼の中で個体最強と判断されていたのである。
「塵も積もれば……じゃ、ないでしょう!? 死者洗礼に始まり、同属不浄、仕舞いには絶対領主ですか!?」
悪態を吐いたところで現状は変わりはしない。
これは完全なるジリ貧である。
否。この状況を予測できた者が果たして存在しようか?
つい数時間前までは、それは何の固有特殊能力も持たない、特徴のない単なる爵級吸血鬼だったはずなのだ。それが次々と類稀なる超異常能力を発現させていったのである。
絶対に倒すことのできない死者の群れを前に。
遠い夜明けを待ちながら、多勢に無勢、そしてイカサマとしか表現できない標的の能力を相手に二人は奮戦を続けていた。
「陰陽律法! 何か打開策をお持ちですか!?」
疲労に太刀筋も鈍り、ますます一番に使用制限の長いはずの短剣の寿命は縮まる。予備として普段は使用しない懐刀であるそれも、いつまで使用に耐えうるのか、甚だ疑問であった。
「無いわよ! 大体、アンタが五行の一つでも使えてれば、早々に本体が限定できて、こんな状況は起こりえなかったハズなのよ!」
目視できないながらも、比較的近い場所から聞こえた非好意的な声。
「人には得手、不得手があります! そんな愚痴を今、言っても――」
互いの状況を把握できず、自らの身を守るに精一杯の現状で、その言葉にチドリは違和感を覚える。
陰陽律法とは、賀茂瑞穂とは――。
「だから、アンタは『外法忌端』なのよ! 才能ないなら陰陽道なんて捨てて、お得意なサンスクリット語で、真言でも何でもやってりゃよかったのよ!」
違和感がその答えを導き出そうとする思考に乱入するように、その少女からの次なる罵声が飛んでくる。
よくもまあ余裕の無い状況で悪口だけは矢継ぎ早にしっかりと出るものだとチドリは呆れに似た感情を抱いた。と、同時に怒りは込上がる。
「『外法忌端』――? まさか貴女も頭が固い口ですか?」
相対する陰陽師とは対象的に。チドリの怒りは静かに、しかし、重く重く迫るようなものだった。
確かに、チドリには才能がないのかも知れない。だが、それを如何にエリートだとされる陰陽師だからといって蔑まれる謂れはない。
チドリはチドリなりの陰陽道を構築し、歩んで来たのだ。
陰陽道は世界の総てを、その思想にて解析する学問に近い魔術体系であるはずだ。
だから、サンスクリット語を取り込もうが、西洋魔道を取り込もうが、それは真理。それは在るべき陰陽道の姿であるはずだ。チドリの信じる陰陽道のカタチであるはずだ。
だから。
だから、怒りと共に、再び違和感を感じる。
彼女は、彼女の、ただ一人の心からの理解者だった、はず、なのに。
そして、彼女は――。
「……残念です。貴女は同世代、いえ、近代の陰陽師としては、もっとも優れた方だと思っていたのですが……いつの間に老害に毒されましたか? まあ、貴女は真っ当な才能もあるでしょうし、老人たちの受けもいいんでしょうが……」
決意したように、静かに毒を発するチドリ。
「――ですが、その実、私とそう大差ありませんよね? 貴女の最も得意とする『五行秘術』だって、つい近世に確立されたもの。いかに古来から陰陽道に取り込まれていた仙道のそれを使っていますといったところで、対した歴史はないじゃないですか」
ファビオの群れの先。その毒を向けるべき相手。
チドリの誇りを、想いを、過去を、努力を侮辱した者。
「……それに、その『五行秘術』は貴女の1番忌み嫌う方の家系が確立したんでしたね? 忌み嫌う方が直接仕込んでくれたんですよね?」
その死人の壁に見えない相手こそを、冷たく嘲笑して見せる。
混戦を生き残るべく、何をすべきかを的確に実行しつつ、チドリは瑞穂の挑発に乗った。