現代陰陽師譚 〜参〜
[May-3.Fri/20:30]
肉が申し訳程度に骨に残った、食人鬼というよりは骸骨鬼を地面から生じた岩槍が木っ端みじんに砕く。砕け散ったそれは『がしゃん、からから――』という風な、まるで理科室の骸骨標本を悪戯っ子が無理矢理にダンスさせるような音を、辺りのスプラッタな景色の中にシュールにコミカルに響かせる。
だが、そんな第三者的に場の雰囲気を感じている余裕は、
チドリにはなかった。
辺りを支配しているのは死臭、嗅覚が麻痺して感じられなくなった腐敗臭。ゾンビ映画のバットエンドさながらに視界という視界を埋め尽くす、死人、死人の群れ。
発動させたばかりの魔術の成果を確認する暇なく、行灯陰陽は次なる魔術を行使する。
「地柱!」
再び生じた岩槍に、腐肉をぶちまけ、数体の異形が滅びた。
だが――。
「――多勢に無勢ですか」
痛みとも、痒みとも、飢えともとれる呻きを合唱しながらチドリを取り囲む死人の数は、一行に減少する様子はない。
少し離れた場所、距離にすればほんの僅かな距離で戦う白虎が死した者の人垣で見えないほど、それは乙女という新鮮で極上な生餌に群がっていた。
「全く……キリがありませんね――!」
辟易としながら、両手に一振りずつ握られた魔術儀式用のナイフを構えたかと思うと、チドリの姿は消え失せる。そして、次の瞬間に、その姿は数メートル先の墓石の上にあった。
つい一瞬前まで彼女がいた場所と、その現在地を結ぶ直線上の食人鬼の躯の一部が刺激臭を撒き散らし飛ぶ、或いは切り裂かれ、落ちる。
それは瞬歩という技術。陰陽道にある体術の一つだった。高速の移動術であり、空間転移を行っている訳では決してない。故に移動経路の敵を攻撃できていたのである。
しかし、今のはあくまで移動ついでに攻撃しただけだ。
この状況で、いちいち狙いをつけて瞬歩による移動攻撃を行っていては、その隙に数の暴力に屈してしまうこと請け合いなのである。
「……こうも密集されては、満足に動――!?」
不意に足首を掴まれ、チドリはバランスを崩す。
直下。その手は地中から生えていた。その墓石の主が地中から黄泉返り上半身を覗かせる。
その顔は標的のものだった。
それが大口を開け、鋭い採血のための犬歯を少女の足首に突き立てようとする。
「白虎!」
正にチドリが噛まれようとした直前。主の声に上空へと飛び、急降下した翼を持つ幻獣が刃物のような爪を薙ぎ、吸血鬼を強襲する。
衝撃に捻じ切れる頚部。大きく開かれたままのファビオの首がどす黒い赤を撒き散らし、宙に舞う。
「――何!?」
眼帯に隠されてはいない目が、驚きに開く。
そこに映ったのは、飛んでいるファビオの首を生気なく見つめる――無数のファビオ。
今まで個体ごとに容姿も、纏った襤褸も違っていた死人の群は、一様に同じ姿になっていた。
その全てが、ファビオ・インザーキに変わっていたのである。
――擬態!?
行灯陰陽が驚愕したのも無理はない。それは十二真祖の一人『同属不浄』が持っていた能力だったからだ。
その能力は自分の従者を、自分と遜色ない分身に変化させる力である。
「でも!」
それが恐怖たるのは『最強種たる真祖の肉体性能と同等のものが増殖するから』。
式神の一撃で滅んだファビオは、彼に呪われた命を与えたモノと同様、個体性能に優れている吸血鬼ではないのだ。
しかし。どれが本体なのかが解らずに乱戦を続けることは、精神的にも肉体的にも後手へと導くのは自明の理であった。
加えチドリには現状を打破するにあたり、欠落しているものがある。
「灼けろ(ラン)!」
投射したナイフがファビオの一体の眉間に刺さったかと思うと、そのサンスクリット語に反応してナイフを起点に爆ぜる。
確かに単体対単体で見れば、行灯陰陽は、遥かにその吸血鬼の戦闘能力を凌駕していた。
が、あくまでそれは単体対単体という縛りに於いて、である。単体対多勢に於いては、それが絶対的な優劣には繋がりはしない。
行灯陰陽は、いうなれば魔法戦士なのだ。
故にこの状況下にあって決定力に不足していたのである。戦況を一撃で変化させる力に欠けているのである。
いや。敵が不死者でなければ、その眼帯の下の紅螺旋が、その切り札と成り得ただろう。
その一目で日常との境と解る眼には、周囲の生者から見境なく魂を奪う力があるのだ。
しかし、吸い取る魂たるモノ――『アストラル体』を持たぬ食人鬼に対しては無効なのだった。それは元凶たる爵級吸血鬼には有効な能力ではある。高度な知能、魔力を有する吸血鬼は、不死者とはいえ、そのアストラル体を持つからだ。だが、その本体であるファビオ・インザーキは、この群れの中にはいないと考えるのが妥当であり、それが正解でもあった。
折れた枝を隠すなら森の中とは言うが、彼には森たる戦闘地帯にいる必要性が皆無なのである。
わざわざ最前線の危険区域にのこのこと出てくる物好きな最高指揮官がどこにいようというのか。後方から彼女の力が尽きるのを待つだけ良いのだ。
そして、もう一つ。それは彼女の魔術師としての才能に因るものだった。
チドリは基本的には魔術師としては才能のある部類ではないのである。
正確に言えば。魔術を発動させるための鍵たる言葉は、長い詠唱文の中に暗号として隠されているものなのだが、それを解読する能力が著しく低いのだ。よってその要点だけをまとめ、簡潔にし、短い詠唱で魔術を発動させることが彼女にはできないのである。
確かにチドリは、この一面を覆い尽くす死人を一蹴できる魔術を持っているかと聞かれれば、持っているし、行使もできる。
ただし、それには先の理由により、丸暗記している長文の詠唱魔術を行う必要があるのである。精神を集中し、複雑な印を幾度も幾度も繰り返す必要のあるこの行為を、誰のフォローもなしにどう行うというのか。
「ジリ貧ですね――」
認めたくはない事実を客観的に受け入れ、行灯陰陽はぼやく。
余裕はある。しかし、それが返って恨めしい。
余力のある現状、戦略的な撤退を行えば、自身の安全は確保できるし、それを成功させる自信はチドリには十分にあった。
だが、それを実行に移せば、この大量の食人鬼たちは街へと流れ、一夜にして多くの犠牲者を作るだろう。
チドリは、それこそが我慢ならないのだ。
一般の人間を魔術世界に巻き込むなど、力ある自分が守れないなど、許されることではない!
「……仕方ありませんね――」
また一体、ファビオを殺すと諦めたように、覚悟したように呟く。
思えば、早々に事を解決し、想いの人との思い出を一つ作るつもりが、ここまで時間のかかることになろうとは――。
「今夜は私と夜通し遊んでもらいますよ!」
吼えるように叫ぶと、チドリは群れの中心へと踊りかかる。
朝日を迎えれば、夜の住人たる彼等はそれを嫌い、姿を隠す。少なくとも仕切り直しができるのである。そうすれば、明日の夜、援軍と共に犠牲者を出すことなく、この軍勢たる標的を討ち滅ぼすことができるはずだ。
だからこそ、今夜は一人で戦い切らねばならない。
それは少女のWIKの一員としての、誇りをかけた行動だった。
決意を込めた斬撃に次々と擬態吸血鬼は討たれる。如何に良質の業物のナイフとはいえ、刃こぼれが生じ、切れ味は鈍り始めていた。しかし、チドリはそれに構わず攻勢に徹する。刃を振るう。全戦力でかからねば、まずい。そう思わせる必要があるのだ。だから、攻勢に徹するのである。そうでなければ、戦力を分散させてしまう。分隊は間違いなく、人を襲ってしまう――。
気がつけば、ナイフは中央から真っ二つに折れていた。
苦しそうに肩で息をする行灯陰陽。
「……流石に朝は遠いですね。でも――」
しかし、未だ心は折れず。武器が駄目になったならばと、チドリは魔術主体の戦闘方法に変更する。
「地柱!」
そして、その魔術を行使した時。
戦力差に明らかな変化が生じていた。
チドリが行使した魔術では岩槍が一本生じるだけのはずだったのに、直線に次々とそれが乱立しては、それ一帯の敵を滅ぼしたのである。
さらには、一瞬、驚き、隙を見せた少女に群がろうとした死人たちが炎の柱に巻かれ、灰へと変わる。
意志のある炎のようにそれは、少女を取り囲み、守るように空へと伸びていた。
「――まったく。丸暗記なんて力技に頼って、しかも、『かな』ベースでいいものを、わざわざ『サンスクリット語』なんて回りくどい術式に組み直したりするから、応用が利かなくなるのよ」
それは隆起した岩槍により作られた二つの強固な壁に守られた道、食人鬼の群れを魔術によって殲滅して作られた道から歩いて来た少女の声。
眼帯をした自然な茶髪をサイドテールに結った陰陽師の少女の前に、真っ直ぐに伸ばした自然な茶髪を靡かせた陰陽師の少女は現れる。
「陰陽律法――!?」
チドリは心底、意外であると感じられる声を漏らしていた。
それもそのはずである。彼女は陰陽寮の陰陽師なのだ。実行部隊としては、その代表的な魔術師と言って過言ではない。
彼女たちを動かさずに済むように、WIKは動いていたはずなのに、何故――?
「借りを返しに来たわよ」
その抱いた疑問に答えるように、陰陽律法・賀茂瑞穂は口元を緩めて、そう告げた。
「……借り、ですか?」
しかし、当のチドリにはそんなものを作った覚えはない。
二人の周囲にあった炎の檻が弱まると、文字通り堰を切り、一つ増えた極上の獲物を歓迎するかのようにファビオたちは押し寄せる。
「行灯陰陽! 貴女、確か式神を使えたわよね!?」
言いながらにそれを当て込み、瑞穂は指先で空間に五芒星を描いていた。
こくり、と頷くや否や、チドリは呪符を三枚、放る。
「青龍! 玄武! 朱雀!」
行灯陰陽の命じるままに、それは仮初の生命を得る。
先行して喚ばれていた白虎と合わせ、四聖獣とも呼ばれるそれらは、人間などよりも遥かに神格も霊格も高次元の存在であり助力してもらうというスタンスならいざ知らず、本来、それらを使役することなど余程の特殊条件・契約下でないと不可能な事象である。
それは『かな』ではなく、『サンスクリット』という通常とは異なる言語体系のもたらした産物か、それとも、その外見にある通常の四聖獣との相違――背部にある純白三対六枚の翼の示す西洋魔術のもたらした特殊事象なのか。
それはその術式を独自に構築した行灯陰陽のみが知り得ること。
例えその四聖獣が、見かけだけの張りぼてだとしても、わざわざそれを公言する必要もなく、また、真なる四聖獣だというのならば、それは陰陽寮が解析しきれてはいない式神行使の高みを、その組織の老害たちに外法使い呼ばわりされる似非陰陽師が辿り着いていることを意味するだけの話である。
ただ、確かなことは一つ。
少なくとも、数日前に『エリート』だと彼女自身が称した陰陽律法よりも、行灯陰陽の方が遥かに式を扱う秘術には優れているということだった。
それぞれがそれぞれの司る方位に陣取ると、辺りを埋めるファビオに吼える。薙ぎ払う。一掃する。
同時に四体の式神の召喚、使役。その代償に、チドリの精神力はごっそりと削られていたが、最早、それは問題ではなかった。
その行灯陰陽が作り出した安全なる時間に。
陣形の中央に位置する二人の陰陽師、そのもう一人たる陰陽律法が空間に晴明桔梗を描き、短く短縮されつつも、直接世界の真理に触れ変革を生じさせる、力ある言葉を紡ぎ終えていたからである。