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epilogue”朝”

 ――朝。

 確かに今は、そう呼ばれる時間ではあるにも関わらず。だが、見上げた空は未だ暗く、夜の、闇の時間の名残を残していた。

 しかし、多くの人々が暮らしているその街は、確かに息衝き始めている。

 後、どれくらいの時間が必要なのだろうか?

 だが、その後少しの時間が経過してしまえば、いつもと変わらぬその街の日常は始まるはずである。

 核兵器による無差別攻撃。それと同等、或いはそれ以上の脅威が、正に自分たちの住む街に、直前にまで迫っていたことなど、誰も知ることなく始まるのである。

 見知らぬ街。見知らぬ空。

 ぼんやりと、瑞穂は薄く明るみを帯び始めたそれを眺めていた。

 白く染まる息を零す口元に、ふと左手を遣ると大きな欠伸を噛み殺す。

 それはこの時間に起きているという純粋な眠気からきたものというよりは、疲れの誘った欠伸だった。

 断たれていた魔術回路の復元。突き裂かれた腹部の治療。

 つい数時間前。深夜に行われた、彼方の知り合いだという魔術師による魔術療法。

 しかし、如何に魔術による処置といえども、実際にその回復を行ったのはあくまで対象の細胞、肉体。つまりは賀茂瑞穂という少女自身なのである。

 その疲労は当然、身体そこに蓄積していた。治療中、治療後に多少の睡眠が取れたとはいえ、その疲労を回復するには、たかが数時間の睡眠時間では不十分過ぎたのである。

 ごく一般的な魔術による治療方法は、現代医術と根本的な部分ではそう大差はない。メスなどの大小新旧問わぬ医療機器と、各種投与服用薬剤が魔力によって行使、精製されたモノに代わるだけの話だ。違いといえば、確かに魔術による治療は、医術と比べると超速度での回復をもたらしてくれるものではあるが、結局のところ被術対象の持つ治癒能力の補佐や補助、付与に過ぎないのである。

 ならばそういう疲労感を覚えた現状、安静にすることが大切だという点でも、それは一致していた。

 こと、今回、治療を施してくれた陰陽師は短時間に四人もの重傷患者の処置を行わねばならなかったのである。

 その治癒術式は極力簡素化され、結果、その治癒効果は、より純粋な医術に近付く。

 それは決して手抜きや、実力不足からくることではない。怪我を無にするような術式ではなく、基本は被術者の身体の持つ治癒能力に多くを委ねる術式になってしまうのは、仕方のないことないことなのだ。精神力や集中力を大きく消耗する魔術という技術を行使するのである。そうしなければ、術者自体が先に参ってしまう。彼女は、冷静にどの部分により魔力ちからを消費すべきかを判断し、迅速に最善の処置を行って見せたのである。

 では、体力の回復を図る必要のあるというのならば、彼女の部屋で、そのまま暫く休息をとっておくことこそ、最善であったはずだ。何故それをしなかったのか。

 それを瑞穂が良しとはしなかったのだ。

 行灯陰陽ダークライトストーカー。彼女たちを助けた魔術師。彼方の友人だというWIKの陰陽師、癸千鳥みずのと ちどり

 陰陽律法ソーサラーテキストと異名を持つ少女は、その行灯陰陽ダークライトストーカーという少女に、少しでも多くの貸しを作っておきたくはなかったのだった。

 二人には面識があり、そして……。

 痛みの消えた腹部に手を置くと瑞穂は、千鳥の自宅のある方角を伺う。

「……何よ。劣等感の塊みたいな返事をよこしたくせに――」

 やるじゃないの。と、相手を褒めるような言葉の続きを零しかけ、陰陽寮の陰陽師は口をつぐんだ。

 朝日を未だ待つ早朝。

 瑞穂と詩緒のいる、そのプラットホームに人の姿は疎らだった。

 始発が走り去った直後の時間である。急ぐ者は先発した電車に乗って行ったであろうし、急がぬ者は何も好き好んでこんな中途半端な時間の電車に乗ることもないだろう。

 だから、だろうか。次発電車を待っているのは彼女ら以外には数人だけだった。

 少女は数歩先にある、暫くは電車の来ない線路へと視線を落とす。

 始発から終電まで。一日という限られた時間だけであっても、ここを何十本という車輌が運行計画ダイヤに沿って行き交うのだ。

 路線が開通して以来、今日まで。ここをどれだけの本数の電車が走ったのだろう。そして、その電車に揺られ、どれだけの数の人間が、自分たちの住んでいる街に来たのだろうか。

 なのに、瑞穂は一度もこの街に来たことはなかった。

 昨夜、初めてこの街に住む少年の車に担ぎ込まれ、やって来たのである。

 この足元の線路が、本当に自分たちの住む街まで伸びているということ。だから、こうして、帰るためにその電車を待つ自分がいるはずなのに。

 それはまるで嘘のように思われて、夢現ゆめうつつのようで。だが、そんなことを思ってしまった自分が、少し不思議に思えて。そして、そんなことを感じた自分が可笑しくなり瑞穂は微笑わらっていた。

「――祭の後みたいね」

 ぽつりと少女は呟く。

 昨日一日の事件。それは、敵、味方問わず、密度の強すぎた出会いを与えた。自分たちのしたことも世界的に波紋を生むことで、いつも以上に大きく、世界の裏に慣れていたはずの感覚からしても非日常過ぎて。

 だから、そんな風にも思えてしまうのだろうか。

 ありありと感じている疲れや眠気。そして、夜明け前の街の淋しさ。

 そんな要因から起こる感覚であるかも知れないと瑞穂は思いつつも、悪い気はしなかった。

 横に目を遣ると、黒衣の少年がいつもと何一つ変わらぬ無表情で立っている。

 その変わらぬ表情の下で、本心で何を想っているだろうか。

 付き合いの長い少女にも、それが解らないことの方が多い。

 そして、一つ、今回も解らないことがあった。

「……よくもまあ、私が『わざと斬られる』って理解できたわね?」

 瑞穂はそれを聞いてみる。

 アントニオの封殺法剣アトリビュートに斬られる覚悟を決めた直後、瑞穂は確かに詩緒を見た。

 それは紛うことなくアイコンタクトであったことに間違いはない。

 しかし、そこまでの意志を込めたものではなかった。せいぜい『後を任せた』程度の認識で行ったものである。

 さらりと軽く問うものの、それは大きな分岐点であったのだ。

 もしも、あの視線の交錯によって、彼女の込めた程度の意思疎通しかなされなかったのだとしたら、賀茂瑞穂という少女は、脇腹を串刺しにした霊装でとどめを受け、絶命していた算段が極めて高かったのである。

「――どうしてよ?」

「……別に他意はない。お前なら『そうする』と思っただけだ」

 答えを急かした少女に、少年はさも気だるそうに返す。

 そして、理論も何も、その言葉にはなかった。

 渡辺詩緒という人間は、基本的に理詰めで動くくせに、確かに直感だけに頼って行動することもある男だ。しかし、稀に見せる、その直感が鋭いところが、この黒衣の滝口を陰陽寮が最も頼りにする滝口たらしめているのかも知れない。彼らの生きている世界は、常識に縛られていては解決できないことが多いのも事実だからだ。

 だが、それはそんな直感などでもなかったわけだ。

 しかし、返って来た言葉に、瑞穂は不思議と納得していた。

 いや。その感情は納得というものではない。少女は自覚できなくともそれは好感。『嬉しい』という類の感情だ。

「……まったく。そんな根拠もないことで不用意にアントニオに接近して来ていたわけ? アンタまで封殺法剣アトリビュートにやられてたら、どうするつもりだったのよ?」

 文句を零しながら、瑞穂は詩緒から顔を背け、自然と表情を隠していた。

「やられはしなかった」

「……それは結果論でしょ。答えになってないわよ」

 顔を互いに背けたまま、沈黙が訪れる。

 反対車線に迫る電車の音が聞こえた。

 街の生活の音も、徐々に、徐々に明らかになってくる。

「――で? いつまで無理を通す気?」

 不意に。

 瑞穂は詩緒へと向き直ると口を開いた。

「何のことだ?」

 予想された反応。

 もう。と柳眉を逆立てると、変わらぬ無表情の少年の袖を掴む。そして、間髪入れず、瑞穂は力任せにその袖を引いた。

 呆気なく。

 黒衣の少年は体制を崩し、少女に身体を預けるカタチになる。

「――っ」

 一瞬。少年の顔に浮かんだのは痛みだけだったのか。

「……まったく。前に同じことをしたときには数日は寝込んだクセに……たったあれだけの時間で、アンタが回復してるハズないじゃないのよ」

 少年を抱きかかえながら向けた言葉に、語彙通りの毒はなかった。

 瑞穂はコートの内ポケットから人形ひとかたを取り出すと、詩緒の背を擦るようにやさしく撫でる。

「……私を信頼して動いてるんでしょ? いざってときは私に殺して欲しいんでしょ? 私に命を預けてるっていうなら、こういうときくらい私に頼りなさい!」

 人形に災厄の残した穢れを移し、少しでも少年の痛みを消しながら、少女は少年の耳元に囁いた。

 それは愚痴でも怒りでもなく、願い、だった。

「そうかもな」

「そうよ。少なくとも、今、この時に限れば、アンタは私の足手まといでしかないんだから!」

 だから。そう瑞穂は続ける。

「――だから。だから、私が護ってあげるわよ。そういう時くらいわね」

 真横にある少年の顔から逃げるように瑞穂は首を動かした。

 何か、行うべきことを探すように、手に在った人形を進入してきた電車の風に流す。

 乱れそうな意識を無理矢理に落ち着けさせると、異能の力に、世界の真理に当たり前のように触れる。

 火行。世界を構成する五行の力の一つに命じ、その穢れを異界へと送り出す。

 少し。ほんの少しだけ、それで少年の身体は楽になったはずだ。

 しかし、瑞穂は敢えて、それで詩緒の身体を起こそうとはしなかった。

 まだまだ彼の穢れは祓いきれてはいないのだ。

 それに――。

 それに暫くは。せめて自分たちの乗車する電車が到着するくらいまでは、このままでもいいか、と思う。




 少し、安らかになったような少年の息遣いと、暖かい体温を感じながら少女が見上げた冷たい朝空。

 つい先ほどのことなのに。

 感じられていた夜は遠くに遠くに感じられ、そこには間違いなくありありとした朝の気配が漂っていた。








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