A World BorderLine-5”世界の降臨”
[Fab-28.Tue/19:50]
「……オレの予想じゃ後30分もねェな」
皮肉を込めて嗤うも、それはどこか物悲しいものだった。
「……僅か、それだけの時間で何ができるってんだ? 正確な着弾時刻どころか、何処に落下るかすらも判らねぇってのによォ」
リュドミアから魔術通信が入ってから6時間以上が経過していた。その情報が確かならば、殲滅術式・ロンギヌスの槍は既に発動されているだろう。
闇空。その脅威は、そこから何時、降り注ぐとも知れないのである。
アントニオの耳。遠くに聞こえた、ジェットエンジンの音。
どこを飛行しているのか? 現状の視界にアントニオはそれを見つけることはできないが、さして物珍しいものでもない。だから、彼はその音源をそこに捜すことを放棄した。
せめて。
せめて、その無関係な民間の人間を多く乗せた物体が、ロンギヌスに巻き込まれることがないよう、神に仕える騎士は祈りを捧げる。
気が付くと、アントニオは泣いていた。
「――ああ……そうか」
呟き、彼は思い知る。
秋良・ヒルベルトと出会った、初めて対峙した、あの村での自分。
そして、秋良・ヒルベルトと人目をはばからず再戦した、異国の都市での自分。
縮地法を身につけ、封殺法剣という絶対的な力を手に入れはしても、根本的には何も変わってはいなかったのだ、と。
絶望的な状況に、自分の誇りも、想いも、守るべき人々も、何も留めておくことができなかった、脆弱で無力な自分に気付くだけで。
ローマ十字教。その魔術組織最高の部隊、イスカリオテ。
そのナンバー5となったところで、過去と同じく、自分は殺戮狩人に八つ当たりするだけの道化だったのだ。
愚かしい、とアントニオは思う。
だが、少なくとも今は、同じく己の無力に打ちのめされる同類がいる。
ケケケ、と、自身を蔑んだ感情を隠すように、同じ滑稽な剣士を嗤う。
この国の退魔の剣士。その武士も陰陽師に重傷を負わせてまで掴んだ勝利の意味を失い、何もできぬ自分に絶望し、さぞ脱力感に苛まれていることだろう。
「――なっ!?」
上半身を起こし、映りこんだ歪んだ視界に、しかし。そんな道化師など、ここには一人だけしか存在していなかったことを確認する。
黒衣の滝口は、何かを待っていたのだ。その為に、迷い無く動いていたのだ。
僅か。詩緒は心に巣喰う闇の拘束を緩めると、解放された滅びを神氣で己として同化させる。斬る意志を、その強力な自我で更に強固な意志とする――。
アントニオが見たのは、恐ろしく危ない駆け引きを行う剣士の姿だった。
狂っている。その行為は彼にとってそうとしか思えない行為なのだ。
人は心にある闇に喰われれば、異端へと堕ちる。人ではなく魔物と変わり果ててしまう。
最悪の自殺行為である。自分という存在を消滅させるのみならず、呪われし死を振りまく存在に生まれ変わろうというのだから。
目の前の剣士は、それを自らの意向で行おうとし、だが、人ではなくなる直前に――。
黒衣の滝口は神速で抜刀する。
一閃。その斬撃は一撃にして、隆起していた岩盤を容易く次々と薙ぎ倒す。
そこには一筋の道が作り出されていた。
「……テメェ……」
アントニオは唖然とする。
その剣士はヒトでなくなる直前に、確かにヒトになったのだ。
それも単にヒトでしかないヒトだ。それはヒトとアヤカシの混血である半妖でもなく、獣人でもなく、単純なニンゲンという種でしかないヒトだったのだ。
魔術世界では肉体的にも魔力的にも劣る、下等種だったのだ。
それがなぜ、どんな種族でも行使できないような魔力も何も使わずに、あのような鋭く強力な斬撃波を走らせることができるのか――?
「……人はお前が決め付けたほど底の浅い存在じゃない」
その可能性を垣間見せた滝口は、アントニオを一瞥すると呟いた。
「アレはなんだ? どういうことだ……?」
発生した事象を理解できず、騎士は問う。
遠くに聞こえていたはずのエンジン音が近付いていた。
それがジェット機等のものではないことを理解したところで、今はどうでもいいことだ。
聖堂騎士は答えを待つ。
「俺は自分で在り続けているだけだ。諦めず、信じ続けているだけだ」
そして、それは啓示、だったのかも知れない。
神が異国の剣士の口を借りて、信者たるアントニオに伝えたかった言葉だったのかも知れない。
「――ああ……」
零し、使徒は項垂れる。
奇跡、なのだ。
諦めず、信じ続けること。
それは正に奇跡、神が人に力を与える条件、なのだ。
そして、アントニオが只管に逃げてきたことなのだ。
「お前の力、借してもらう」
そう告げて、騎士の傍らに在った封殺法剣を詩緒が拾い上げたことにアントニオは気付いたのだろうか?
否。今はそれさえも彼には大事ではないのだろう。
アントニオ・ゲルリンツォーニは唯、己を省みていたのだから。
[Fab-28.Tue/20:10]
「ずいぶんと物騒な音じゃないの、それ……」
少し離れた場所に停車しているバイクを辟易として眺めながら、瑞穂は愚痴る。
それでもその声が掻き消されそうなほど、そのバイクのエンジン音は甲高く鼓膜を打っていた。
「着弾まで20分、か」
「御意に」
少女の言葉をさらりと流し、詩緒は天后に再度確認する。
そのバイクは天后がこの場所へと運んだものだった。
詩緒があのバスターミナルで彼女に依頼していたことの一つが、この緊急車輌(Y2K)の運搬だったのだ。
そして、残りの託けは『ロンギヌスの槍』の着弾地点と着弾時刻の正確な情報である。
それは今、彼女の口を介して、彼女の主から伝達されたところだった。
陰陽寮陰陽頭・安倍晴歌。彼女は詩緒と瑞穂を合流させるべく、その行動が円滑になされるべく、そして、発生していく事実に変わる未来を直前まで正確に式占伝えるために天后を遣わせていたのである。
鬼切と封殺法剣。
つい先ほどまで互いの担い手の命を狙いあった、二振りはすでにバイクへと備え付けられていた。
黒金属色の車体からは爆音が聞こえる。
「着弾地点までの道順は把握されているのでしょうか?」
「ああ。中学時代(に、さんねんまえ)に役目でいた場所だ。問題ない」
詩緒は天后の声に答えると、バイクへと足を向けた。
「――では、賀茂様の止血をしつつ、お二人の到着後、帰還致します。御武運を。渡辺様」
「……任せた。しくじったら殺すわよ?」
二つの声を背中に受けるも、相変わらず反応は見せない。
爆心地。一番危険の生じる場所で、一番危険な任務に当たろうとしておきながら、普段と何も変わらないのは寧ろ良い兆候なのだろう。
ライディングギアを一切身に纏わずにシートに座ると、詩緒はアクセルを吹かす。
それには通常のバイクとは異なり、若干のタイムラグが生じる。
250型ターボシャフトエンジン。それは通常の車輌用エンジンではなく、航空機用のガスタービンエンジンを搭載するこの機体故のものである。
緊急用。そう表現されるのも無理はない。
この国の法律では公道で走行させること自体が違法行為なのである。
消音機が存在しておらず、そのために新幹線よりも大きな騒音を響かせ、さらには摂氏400度の排ガスをばら撒く。
騒音公害極まりなく、後方に車間距離をとらずに停車しようものならバンパーや外装を意とも容易く溶かす危険極まりない車輌である。
しかし。
詩緒は神氣を纏い極限まで集中すると、躊躇なくアクセルを全開した。
その身体には、車体には殺人的な加速がかかる。
最高速時速約400キロ。時速300キロを超えるのに要する時間は僅か10秒ほど。
地上を走るものとしては常識的なレベルで考えれば、それは最高のものなのである。
事実、二人の視界からそれは一瞬にして消えていた。
[Fab-28.Tue/20:20]
僅か10分。ほぼ全速力で機体を駆り、その短い時間で詩緒は過去に住んでいた街――彼方たちの暮らす街へと入っていた。
しかし、そのバイクだったから、それが可能になったという訳ではない。
直線が少なく、かつ短いこの国の道路に於いて、単純に速いだけでは、その性能を活かしきれはしないのである。
極限にまで集中、外部情報を感知・収拾し、ライディングする。その情報を元に理想的なラインを走る。
そして、その種はそれだけではない。超一流のライダーがその機体を駆ったにしても、その区間を10分足らずで走破することは状況的に不可能であるからだ。
20時過ぎ。
今はそのピークを過ぎたとはいえ、十分に車道は混雑をしていてしかるべき時間だからである。
しかし、詩緒の駆る単車は、走行車両のほとんどいない道路をひた走る。
それは陰陽寮という政府機関の働きによるものだった。
だが果たして、その道路を交通規制している警官たちのどれほどが、その理由を知っていよう。いや、ガス漏れのおそれ、などと適当な表向きの理由は知っていたとしても、少年一人がガスタービンエンジンのバイク一台を走らせるためなどという本当の理由を知る者は、誰もいないだろう。
そして、もう一つ。
詩緒は明らかな超過速度で、目の前の曲がり角に突入していた。いまさらブレーキングを行ったところで衝突は免れようもない。慣性に従い、滑るように歩道との境目にあるガードレールに車体は流れる。
その後輪が、不意に地面をしっかりと蹴っていた。最低限度の減速で、見事に黒金属色の機体はコーナーを脱出する。
それは詩緒が、自身に眠る『鬼』の力を解放し、舗装を破壊しながら足を軸にし車体の進行方向を力ずくに変えるという、極めて破天荒な荒業が可能にしたコーナリングだった。黒衣のライダーは少しでもロスを削るべく、その無謀を繰り返していたのである。
目指す場所までは後少し。
そこは曰く付きの場所だった。
そこは、――。
[Fab-28.Tue/20:26]
――、特異点といって差し支えない。
いくつもの事件の始まる場所で、いくつもの事件の終わる場所でもある。
時津彼方が秋良・ヒルベルド、ルーナ・カトールレゲナ・ブラチネットと出会った場所。
的場澄澪は癸千鳥をその場所へと案内し、ランスロットと死闘を繰り広げた。
金沢夕朔は松岡光輝とその場所で交戦の末、共闘する。
そして、桜井美里が時雨沢匠等と暴走により召喚されたアジ・ダハーカを送還した場所。この一件によりアンデル・ランダンデルはこの街に暮らすこととなったのである。
加えて告げるなら、渡辺詩緒がこの街で『魔』を討ち滅ぼした場所でもあった。
住宅地に入り、流石にアクセルを絞って滝口はその場所を目指す。
記憶にある道。
多少入り組んでいても、――。
[Fab-28.Tue/20:28]
――、迷いはしない。迷えはしない。
重圧。見えはせずも、それは夜空そのものが落下してくるかのように、この街に圧し掛かろうとしているのが感知できるのだ。
それは巨大な魔力の塊。
終焉、終末、結末、終局、終幕、黄昏、悪夢、破壊、破棄、破砕、恐怖、滅び、死。それでありながら同時にそれは、祝福、解放、自由、――。
[Fab-28.Tue/20:29]
――、救済を与えるもの。
それは神の、祈りの力の作り上げたもの。
雲が円を作ったかと思うと、急速にその輪は広がっていく。
[Fab-28.Tue/20:29:55]
その輪の中心から降り注いだのは光の柱だった。
輝く巨大な光の柱だった。
円く広がる雲は、夜にも関わらず美しく照らされ黄金色に染まる。
[Fab-28.Tue/20:29:59]
『天使の輪』(エンジェル・ハイロゥ)。
御使いの象徴はこの街を照らし救いを、もたらす。
ロンギヌスの槍。
それは終に降臨する。
柱は地表に接したと思われる一瞬に、それを焦がし、命という命を無の帰す閃光を大地に広げ――。
公園の入り口で。詩緒は、乱反射する黒金属色の車体を車止めに衝突させた瞬間に見ていた。
そ、れは、終わ、り、では、な、い――。
詩緒は、
滅びを解放する――。
ぞわり、と嫌悪とも汚染とも腐食とも感じる身を侵食する闇を、一気に、解き放つ。
消滅しそうになる詩緒――、
刹那に災厄を目覚めさせ――、
それは、己だけを救い、その魔術に拠る滅びの様を嗤おうと――、
鈴、が、聞こえ――、
衝撃に弾け、砕けた黒金属色の車体が舞う。光に包まれる。魔光の熱に容易く溶け失せ――。
銀の鈴を宿した左手が、その閃光の中から何かを掴むと走った。
攻勢エネルギーと変換された先端以外。まだ純粋な魔力として存在する広域爆撃魔術を、その左手の霊装が、封殺法剣が無力化させる。
そして、その右手には剣士の愛刀が在った。滝口たちの意志が在った。
天から注ぐ光が封殺法剣の力により失せ、無力な粒子に霧散しようとする最中、その中心で黒衣の少年は、強く、自身を、鬼切を、信じた。
――、ああ。この刀と俺なら斬れる。
滝口はその刀に、『斬る』という意志を乗せることができる。
故に、彼等は剣士でありながら、霊体などの無形の存在である『魔』をも斬ることで討ち滅ぼすことが叶うのである。
そして、少年は、渡辺詩緒は今、その極致に在った。
彼は災厄を渡辺詩緒であるという神氣で、自身たらしめているのである。
意志だけの力で、消滅して然るべき己を存在させているのである。
ならば。彼が斬るものだと想った対象が斬れぬ道理はない。
斬る意志で統べてを斬ることが叶う滝口が、その意志を極限に、奇跡の位置にまで高めているのだから――。
右手に在った鬼切が閃いた。乗せられた意志、それが斬るべきものは、周囲に存在する『事象』。間に合わず発動を許したロンギヌスの遺した滅びの力。超高温の爆炎、爆風、爆熱。現象という物質ではないもの。
しかし、それは確かに一閃にて斬られる。在りし事が無として斬り捨てられる。
その斬跡は奇跡だけを残していた。
[Fab-28.Tue/20:30:01]
公園の中央には、黒く焦土と化した地表が円を描き出していた。
黒円の中央に立つのは黒一色に身を包んだ少年。
その右手に握られているのは遺刀。彼の兄を始めとする過去の滝口たちの遺した宝刀『鬼切』。
小さな銀色の鈴と共に、その左手にあるのは奇跡を再現する十式霊装。騎士の誇りと信仰、虚栄の振り払われた神剣『封殺法剣』。
崩れ落ちそうな身体をとどめ、詩緒は借りた力を一瞥した。
「……俺たちの勝ち、だな」
それは彼なりの礼だったのか。
しかし、告げた相手はその場になく、応える声はない。
そして、薄れる意識に抗う余力なく、滝口は崩れた。
奇跡の代償。
倒れた少年の身体は微動だにしなかった。