A World BorderLine-3”世界の選択”
[Fab-28.Tue/19:15]
「――! ケケッ! なんだぁ!? そのナマクラも、一応は魔法剣だったってのか?」
至近距離。一瞬の油断が勝負を決する距離。その緊迫した最中、抜き身になった詩緒の持つ刀を見てアントニオは嗤う。
古雅で見事な芸術品とも、資料価値の極めて高い文化財とも見る者によっては捉えられるその名刀も、しかし、聖堂騎士には自分を狙う純粋なる一兵器としてしか映りはしない。
そして、下された査定は、そういう尺だけで判断されたものだった。
その審判は攻防を繰り広げる剣士二人から、離れた場所にある魔術士の耳にも聞こえる。
その音を阻む騒音は何もないからだった。
剣士二人は激しく、鋭く互いの愛剣を振るうも、互いにその刃を標的に触れさせることができずにいたのである。
今、この場で聞かれるのは、剣士たちの体捌きと刃の起こす風音だけだった。
「――なっ!? アンタ、殺すわよ!」
アントニオは単に、己が所有する西洋剣と、相対する剣士の日本刀を比べただけでしかない。
贔屓目なしに、ありのままを、である。
そして、その判定は如何に鬼切といえども、彼の持つ法殺封剣と比較した場合に限れば正当な評価とも言えよう。
鬼切。滝口、詩緒の振るうその刀は、確かに対魔に有効であるという特性を帯びていた。その刀の持つ号が、その鬼を幾度となく斬り伏せてきたという歴史と相俟って、『鬼』則ちは『この世ならざるモノ』を『切』るという祝詞となり刀身に宿っているのである。
表の歴史に露出することがあったとしたのならば。加え、純粋な刀として判断しても。鬼切という刀は、天下五剣と謳われる名刀の中でも突出した存在、この国で最も優れているとされる名刀の一振に選ばれていたとしても、全く不思議ではない大業物なのだ。
しかしそれでも、アントニオの持つ法殺封剣と比べてしまえば、遥かに霞んでしまうのである。
それは世界的に見ても著名な聖人を処刑したという、その武器の持つ来歴だけから判断されたものではない。何よりも、その能力の優劣が圧倒的に――否、絶対的に他の魔術武器と一線画するのである。
単に『有効特性があるというだけの刀』と『完全に消滅させる力を持つ剣』とでは、誰の目からしても比較するまでもなく優劣は判断できるのだから。
鬼切で鬼を斬ったとして、それは他の武器よりもダメージが多く与えられるだけでしかないが、封殺法剣では完全に対象を消滅させてしまえるのである。
それも深々と斬り付ける必要のある鬼切と違い、封殺法剣は僅か触れるだけで十分なのだ。その霊装は、それだけで事足りる、唯一無二の対魔術絶対消滅魔剣なのである。
しかし、それでも。その事実を暴言として聞き入れ、素直に挑発と受け取ると、瑞穂は怒りを顕にしていた。
その刀には、この国を守護してきた歴史が事実としてあるのだ。
天叢雲、布都御魂、天羽々斬。
鬼切は、それら神代を始めとする、極めて限定的な期間、局地戦のみに見られる退魔の神剣とは違い、歴代の四天王の愛刀として人々を常に守り続けてきた護国の聖刀なのである。
それは彼ら四天王を筆頭に、滝口たちが命を賭して人々のために戦ってきたという歴史でもあるのだ。
鬼切を始めとし、四天王の担う宝具は、彼ら滝口の生の象徴でもあるのだ。
彼らの先祖が侮辱されたに等しい、先の発言。それは瑞穂にとって他人事ではない。
つい先代の鬼切の担い手。少女にとっては、初恋の、今も慕う相手を侮辱されたのと同義なのである。
彼は余命幾許もない状態で、しかし、その刀の担い手として、自らの身を省みず、大きな優しい心でその命を削りながら人々を護っていたではないか。
鬼切を侮辱したということは、それを所持する者として強く生きた、その重圧により逝くこととなった、渡辺柾希という滝口の命を汚したことと同義なのである。
彼女が怒りに震えたことは、一人の少女として当たり前のことだったのかも知れない。
「ケケッ! 魔術師風情がオレ様を殺るって? おもしれぇ! 殺せるモンなら、殺ってみせろよ!」
しかし、アントニオは悠然と嗤う。殺気をありありと発する、五指に入ると評される陰陽師を前に嘲る。言葉と共に激情を乗せて放ったれた瑞穂の風の刃を易々と、その霊装の刃で無効化して嘲笑する。
「――っ!」
相手に届きはしない攻撃魔術。
その歯痒い思いを舌打ちで吐き殺すようにすると、瑞穂は辛うじて冷静さを保った。
火行、木行、水行、金行、土行の五行秘術。式神を含む符術。元は仏教秘術である真言。己が持ち得る総ての陰陽魔術を総動員し接近、封殺法剣の殺傷圏の内側、霊装に魔術を無効化されない地点――超至近距離での接触発動による標的の撃破を行おうとする思考を諌める。
「魔術師なんざ、オレの敵じゃねぇんだよ!」
少女を無下にするアントニオ。
それでも瑞穂が感情に任せず、踏み止まるのは、聖堂騎士の見せる自信の意味を知るからこそ、である。
数量や威力の問題ではないのだ。
先にも述べた通りに、法殺封剣とは、そういう霊装なのである。対魔術に際して絶対的な力を発揮する魔剣なのだ。触れた魔術総て霧散させる武具なのだ。
その霊装の前では、先の戦法を実行に移したところで、最初の段階で作戦は破綻することが容易に知れてしまう。
更には、アントニオ・ゲルリンツォーニ自体の能力、彼の剣士としての実力も決して侮れはしないのだ。
弾幕が目晦ましとして機能することがなくとも、法殺封剣を振るわせることはそれで十分に可能である。
しかし、剣士のその後動作に少なくとも瑞穂は隙を見出せないのだ。
これでは飛び込むことが叶うとしても、そこに待ち受けるのはせいぜい相打ちが関の山なのである。
「ツレねぇなァ――!」
故に後方支援に徹する陰陽師。しかし、その陰陽師に向けて、吼えたアントニオは地面を蹴っていた。
その刹那、黒は強襲する。
黒の空を裂く、鋭い斬撃に月影が反される。それはただ、空を裂いたに止まっただけだ。
「――解ってたよ」
煩わしい魔術師を消すべく見せた攻勢動作は牽制動作。突撃した詩緒をせせら笑い、騎士は閃いた侍の刃を見事に回避していた。
そして、見下した言葉をかけると共に、その手の封殺法剣を鋭く薙ぎ払う。
轟。只、斬るのではなく、断ち割る。裂くのではなく、斬り壊す。
巻き込む物を破砕するような凶悪な威力を宿した半円の軌道が、空間に描き出されていた。
だが、詩緒とてそれを理解している。それが牽制動作であった、と。
しかし、それを無視してしまえばアントニオは躊躇することなく瑞穂との距離を詰め、彼女を斬り伏せていただろう。
この騎士には、その技術があることを秋良から聞いているのだ。
縮地法。瞬間移動のように感知される高速移動術の存在。
滝口は強制的な二択を詩緒は迫られていたのである。
そして、だからこそ。半円を避けることができたのは、それが罠で、こういう反撃があることを斬り込む以前に予測していたからだった。
故に攻勢にさえ動ける。封殺法剣の駆けた空間にその身を侵入させると、詩緒はアントニオの鳩尾に肘を打ち込む。
「ケケッ――」
無表情で迫る剣士と、口端を歪めながら迎える剣士。
瞬間で二転三転した攻守は、アントニオが後方に跳躍したことで一段落していた。
「何だァ? 二人がかりでそのザマかァ?」
法殺封剣を肩に置き、聖堂騎士は侮蔑する。
「所詮は辺境の島国。ザコしかいねぇか」
含み笑いを見せ、闇空を見上げる。
「――さて」
そこに騎士が見たものは何だったのだろう?
呟き、この国の退魔士二人と再び対峙した顔に相手を卑下した表情はない。
「身の程を知ったか? そろそろテメェらを片付けないとな……」
空気が変わっていた。少女の頬に汗が伝う。
今は。例え挑発されたとしても、飛び込む気すら起こりはしないだろう。
アントニオは冷徹に二人を捉えていた。
恐らくは。本来、アントニオ・ゲルリンツォーニは知的に物事を考え、冷静に行動を起こす男なのだ。
世界中の魔術師、それも異端として彼が裁いてきた者の大半は、瑞穂が彼方に忠告した通りの狡猾で、残忍で、えげつない輩も多かったことは、疑いようもない。
それらを相手してきて尚、彼が勝利し続けてきたということ。生き続けているということ。それこそが彼が法殺封剣の能力のみに頼った戦い方をしてきてはいないということの証明である。
過去に何があったのか? 何を目的にしているのか? 何を想うのか?
そんなことは理解できないが、力に奢り高ぶった相手を見下す言動は上辺だけのものなのだろう。欺くためのものなのだろう。
そう瑞穂は冷静に考える。
だからこそ、彼を、この辺境に於いて強硬手段を用いて抹消より他にないと考えたのではないか?
「アントニオ・ゲルリンツォーニ――提案するわ。私たちに協力しなさい」
陰陽寮の陰陽師は告げる。
アントニオは戦闘狂でもなければ、現状からの絶望に囚われ混乱し秋良に執着していたわけでもない。
ならば、交渉の余地はあるはずなのだ。
「ケケ――協力したら、どうなるって言うんだ? 保護でもしてくれるのか?」
いきなりの拒否はない。それは瑞穂の思考を肯定させた。
「『ロンギヌスの槍』。それによりWIKも陰陽寮もアンタを保護する言い訳は十分過ぎるほど立つわ。今回の件の首謀者を査問させることを教皇に求めることもできる。アンタを狙う敵も排除できるわよ? 殺戮狩人との因縁にケリを着けるのは、それからでも遅くはないでしょう?」
しかし、彼女には理解できていないことがあったのだ。
「遅いね。――認識が甘ェよ」
即答での否定。それは彼の知る真実がもたらすものである。
「陰陽寮? 辺境のマイナーな魔術組織が何をほざく? WIK? 組織に囚われる限り『ヤツ』には敵いも――届きもしねェさ!」
そのために彼は知的に現状を考察し、冷静に『残された時間を殺戮狩人との因縁に使う』ことを選択したのだ。
「オレにも敵いもしねぇテメエらが! 消えろよ!」
諦めでも絶望でもない。時間が僅かにしか残されていないこと。それは彼にとって、大局的に客観的に導かれた唯一の解である。
叫びを聞くやいなや、瑞穂はちらりと詩緒を見遣る。
瞬間、二人の視線は交わった。
「土行、土気! 障壁よ!」
直後、少女は力ある言葉を紡ぐ。それは縮地法の発動を妨げるべくの五行秘術行使。
封殺法剣をしても、発動により派生した事象には効果はない。術者正面に地面を割り出現する岩壁。継続し、瑞穂は大地に働きかけ続ける。辺りに次々と地面から隆起す岩壁、土壁。
直線的な運動により最短で接近されることだけを防ぐだけでも、それは十分な対策になる。
「ちっ――!」
出鼻を挫かれた騎士の舌打ちが直視できない場所から届く。しかし、それは刹那にアントニオが近距離にまで迫っていたことを教えていた。
単なる剣士と魔術師。
如何に対魔術師に特化した騎士とて、何を仕出かすか解らない相手を先に消す方が圧倒的に後の展開が優位になるのは明らかなのだから。
決着を急いだ敵が自身を最初に狙うであろうことを陰陽師は当然の如く看破していた。
そして、その魔術行使がもたらした効果はそれだけではない。
舞い上がった土煙により著しく視界は制限される。
「しょうがないわね……!」
どこか納得いかないまでも、意を決すと瑞穂は動く。集中する。
現状、辺りは五行の土行の力で満ちている。瑞穂はこの氣の動きを読む。
視覚という感覚に頼らず、その六感で辺りを把握する。
感知する二つの物体。
一つは祝詞を持つ武器を手に動く者。
一つは立ち込める土行を消滅させ続ける武器を手に静止する者。
主感覚を視覚とした者に対し、それ以外の感覚で十分に活動できる者にとって、この状況は圧倒的に優位に立てる又とない好機だった。
ならば、先の少女の呟きは――。
そして。
「木行、大気! 疾風よ!」
その詠唱は――。
薄く色付いたベールに覆われた空間を裂き、真空の刃は疾駆する。
それが、そこに在ると教えながら。
「バカがッ!」
少女の呟きに、詠唱に、魔術に。
アントニオは感知、反応していた。