A World BorderLine-2”世界の表裏”
[Fab-28.Tue/17:40]
「いい? アンタは唯の一撃も受けることなく、目標の無力化、もしくは対象の奪取を成功させるのよ?」
瑞穂は至って真剣な面持ちで、詩緒にそう告げた。作戦と言うには余りにもほど遠い計画が、硝子で囲まれた空間で立案される。
最終任務の失敗は、一般の人間を大量に巻き込む大惨事を発生させるのだ。
そのためには任務成功の可能性を少しでも上げる必要性があるのである。
確保対象は広域爆撃魔術『ロンギヌスの槍』を無力化するにあたり、絶対的な優位性をもたらす魔術道具であり、即ち封殺法剣の入手は可能な限り実現すべきことなのだった。
しかし、現実問題としては、先に陰陽師の少女の告げた言葉は先刻交戦し、かつ彼を過去から知る秋良から横流取得されたアントニオ・ゲルリンツォーニの戦闘能力を考えれば、正直、その滝口の少年をしても、雲を掴むような話なのである。
彼の持つ十式霊装の一つ、かつて聖人の弟子であったパウロが十字教徒を迫害した剣であり、同時に彼が十字教徒として処刑された際に使用されたという断首処刑剣『封殺法剣』。
だが、対象そのものである霊装の、その真なる能力についての同人物の考察を聞くに、無謀とも無茶とも思われてしまおうが、瑞穂の提案を実行させるよりも他に方法がないということも事実だったのである。
「了解した」
しかし、その意図を理解しながらも、黒衣の滝口はいつもと何一つ変わらぬ素振りで難題をあっさりと受理した。
「……よほどの自信家なんだな、渡辺って」
不意に蚊帳の外から聞こえた声。呆れたような口調で言葉を挟んだその少年に、瑞穂の視線は向けられる。
そのドぎつい少女の眼差しに、少年――彼方はたじろいでしまった。
不可視でありながら、そこには極短時間で確立された上下関係があるようにも見える。
彼方はやはり瑞穂のように気が強い女性は苦手なのだ。そして、そういう女性は、男性のそういう隙を逃がしはしない。
例に漏れず、間髪入れずに瑞穂は恐らくは非難だの罵声だのという類の言葉を捲くし立てようとする。
自らの口が招いてしまうのであろう、この後の『永続的瑞穂口攻撃順』を予想し、後悔に引き攣る彼方。
瞬く間に決した、一方的な今後の展開。
しかし、その虐待行為を阻止したのは、意外にも詩緒だった。
「できる、できないの問題じゃない。俺は唯、自分のやるべきことを認識していて、それを実行に移すだけだ――それにお前の方が『こういうコト』は余程得意だと思うが、違うのか?」
口調はともかく、詩緒が他人に、ましてや初対面の人物にここまで普通に自ら会話を切り出すこと。
それは、この滝口に限定すれば超のつく非常事態なのだ。
その出来事の異常さを認識している瑞穂は、作戦会議に水を差された怒りを忘れ、只々ありありと驚きを全身で表現していた。
「なんだよ、そりゃ? オマエ、僕を馬鹿にしてるのか?」
そんな瑞穂を他所に、返された言葉に少し気分を害したのか、彼方は険のある声を同じ年の少年に向ける。
それはいつもの彼らしく裏表なく表情に現れ、他人にも容易く見てとれる感情だった。
それは違うのよね、と瑞穂は思う。
実際、それは彼方の思い違いなのだった。
この滝口の少年は、それこそ馬鹿にするくらいの相手ならば、口を利くこともなく、無視を決め込むだけなのである。
だからこそ、その対応は、寧ろ、詩緒が彼方に特別な何かを感じているという確たる証拠だった。
振り返るにはまだ短いながらも、これまでの人生の中でそれぞれが築き上げた人間関係。
特殊な環境に置かれ成り立っている、それぞれの立ち位置。
訓練や実戦で身につけてきた、それぞれの持つ戦闘技術、戦闘能力。
表面的なものは全く異なる二人だが、その根底にあるものは、しかし、同質である。
詩緒と彼方というのは、ある意味、表裏の存在なのかも知れない。
自らを犠牲にしても、何を省みることなく他者を救おうとする想い。
この二人の行動理念は酷く酷似しているのだ。
それを感情として表に出すのか、内に秘めるのか。
そして、絶対的に違うのは、その差が生み出したであろう二人の現在の環境である。
その想いが他人へと伝わり、新たな絆を作り、常に人の輪の中心にいながら、その全てを守ろうとする少年。
その想いをひたすらに内に秘め、日常でさえも孤独を貫くことで他人を守ろうとする少年。
「――ああ。なるほどね」
ぽつりと瑞穂は独りごち、納得する。
時津彼方という少年にとって渡辺詩緒という存在は、単なる同じ年の人間でしかないのだ。
滝口だからだとか、裏の世界の住人だとか、そんなことは一切関係ないのである。
彼はある意味、渡辺詩緒なのだ。自分を貫く生き方しかできない人間なのだ。
そして、他人を遠ざけることで自分の住む世界からその他人を遠ざけようとする、いつもの詩緒の態度は、彼方にとっては無駄でしかないのである。
彼方はそういう態度を取ろうが、自分から寄って来てしまう。
彼は、そう。例えるならば、陽の渡辺詩緒、だ。
自らに関わる、関わらずに関係なく、すべてを守ろうとする者。
「……得意、か」
詩緒の言葉を反芻したのは蠱惑的な唇。
そして、一方では病的とも取れてしまう彼方の意志の力は、厄災そのものといわれる心の闇さえも抑圧する自身の意志のよりも強固であると詩緒は認めたのだ。
詩緒には、ようやく向き合えたくらいにしか達成できていない難題を、彼方はとうに踏破しているのだから。
彼は鈴に宿る遺志を表現する者。
時津彼方は渡辺柾希の言葉を、弟を想う兄が理想とした渡辺詩緒を体言する者に他ならない。
だったら、詩緒に彼方を拒絶する意味はない。心の強さがもたらす奇跡を誰よりも知るのだから。
詩緒にとって彼方は、誰よりも強者なのかも知れないのだ。
「……ついさっき、あれだけ本気で彼方を今回の件から除外しようとしていた人物の対応とは思えないわね」
溜息一つ吐いて零した言葉に、しかし、瑞穂は笑顔を湛える。
つい先刻に彼方を今回の件から外そうと、詩緒は彼方に対し実力行使にまで出たのだが、ついには彼の意志を折ることができなかったのである。
いや。だからこそ、彼方の強さを知ったのか。
「何だ? 瑞穂、お前なんで笑ってんの?」
僅かな間に二転三転した少女に、件の少年が声をかける。
「べ、別に――」
「……瑞穂、お前、実は渡辺とは幼馴染だったりするのか?」
ばつが悪そうに返答を濁した瑞穂に、突如と話題を変え彼方は訊ねる。
「は? 何よ、突然。そりゃ、アイツとは幼い頃から実戦訓練とかで付き合ってきたけど、そんなんじゃないわよ」
「おお! だったら良し! オマエ、見事なツンデレ幼馴――!」
とある単語を告げようとした刹那、つい先日、それに関して熱弁を揮った議論の持論を地でいく存在の拳は深々と彼方の鳩尾にめり込んでいた。
「……誰がツンデレ? 誰が誰にツンしてて? 誰が誰にデレするって? 彼方。アンタ、いい加減なコト言ってると本気で殺すわよ?」
低く冷ややかな殺気の篭った声が、彼方の耳元で聞こえる。
言葉通りに瑞穂は限りなく本気だった。事実、その一撃は、瞬間的に彼女の拳周囲の大気にある金氣を圧縮して放ったものだったのである。
「……ミZ、お@エКげn――Kろ4、――」
強烈なボディブローを突き刺されたまま『く』の字になり、悶絶している彼方の口から出たのは、言語として聞き取るには不可能な言葉だった。
金属の塊で腹部を殴られたのと同様のダメージを受けたのである。それは当然と言えば、当然の状態である。
「まったく――くだらないコト言ってないで、自分たちの作戦でも立ててなさい」
「……ちょ、おま、どこの日本フェザー級チャンピオンだよ……→カゼルパンチ→デンプシーロールのコンボを喰らうかと思ったよ……」
魔術的な要素のみならず、コンパクトかつスピーディな理想的スイングから、この上なくエグイ角度で下腹部撃ち込まれた拳。それから開放された彼方に、ようやく言葉が戻る。
「……こ、こっちは行きがけの車ん中でやるんだよ。それでお前らの作戦も理解しとこうと思って、疑問点があったから聞こうとしたんじゃないか――」
「だったら、普通に聞きなさい!」
腕を組み、腹部を押さえる彼方を見下ろす少女には圧倒的な迫力が在った。
「……よくこんなのと長年付き合ってこれたな、渡辺のヤツ」
彼方は反論を捨て、ぼそり、と呟く。
「全くだな」
「な ん で す っ て !?」
聞かせるつもりのない言葉に、しかし、二人は反応していた。
◇
「……で、何なのよ? 疑問って」
暫しの喚きの後。
このままでは埒が明かないと感じたのか、彼方へと疑問を促し、瑞穂は場の状況を変える。
「……あ、ああ」
ようやく説教地獄から解放され、焦燥感ありありと彼方はそれに応えた。見上げた目線。ふと見てみると、瑞穂の顔にも怒り疲れが窺える。
もしやと思い、視線を横に立つ侍に向ける。しかし案の定、詩緒だけが無表情で変わらずにいた。
――もしかして瑞穂のヤツ、渡辺が無視し続けた状況に疲れただけなんじゃね?
彼方は瑞穂が説教を止めた理由をそんな風に考えながら、件の少年に抱いていた疑問を口にする。
「あのさ、渡辺って魔術師じゃなくて侍なんだろ? だったら、例え秋良の推測が事実だったとしても、封殺法剣に多少斬らるくらい大丈夫なんじゃないのか? って思ってさ」
その疑問を聞くだけのために、大変な労力を少年は払ったのである。だがその疑問は、当然のものだった。
そこに意味がないのだとしたら、それは作戦の難度を上げるだけの行為に過ぎないのである。
「……渡辺の切札に関係してるんだろ?」
少年の疑点に答えるのは当人か、相方か。しかし、その答えは思いもよらぬ場所、彼方の後方から聞こえた。
「殺戮狩人……アンタ、知ってたの?」
瑞穂の視線が回答者へと向けられる。
「まあ、な。殺し合ったって言ったろ? 切札と対峙させてもらったぜ」
笑いを浮かべそう告げる秋良は、瑞穂のイメージした殺戮狩人そのものだった。
あの詩緒と対峙して笑えるものは、死を自ら望む者か、戦闘狂くらいのものだろう。
十二真祖を一年という短期間で9体も狩った化け物は、後者、か。
「興味あるな、俺も。何なんだ、アレは?」
しかし、次に見せる秋良の表情はそれとは違う。確かに強面だが、そこに狂気は感じられない。
「いいわ。教えたトコで誰にマネできるものでもないだろうし、カラクリが解らないと、アンタたちもこちらを信頼できないだろうし」
どちらが、本当の秋良・ヒルベルトなのか。
だが、そんな疑問をさっさと頭の隅に追いやると瑞穂はそう切り出した。
重要なことは、殺戮狩人という、現在、間違いなく対吸血鬼の世界一の達人が味方についているという事実だけだと判断したからだ。
「正確に言うと、アレは間違いなく魔術の類ではないわ。無理矢理に分類するとしたら『奇跡』の類だわね。ただし、その奇跡の根底にあるものが限りなく『魔』に近いものなのよ」
「なるほど。元を断たれちゃ発現できなくなる可能性もあるから、封殺法剣には触れられないってことか」
「ご名答。それを試してみる時間的な余裕もないしね」
陰陽師の説明で全てを解した秋良は、一つは満足のいく回答を得たようだった。
「どういうことだ?」
しかし、彼方にはそれで解るはずもない。
「……鬼って知っているかしら?」
故に、改めて少女の講義は始まる。
「桃太郎とか、一寸法師とかのアレか?」
流石にそれくらいは誰でも知っているだろう。日本人にとって、鬼ほど知名度の高い魔物は存在しないのだから。
「そう。それで、鬼、というか魔物には二種、種類があるのよ」
だから、最初に瑞穂はそれを例に挙げたのである。
「一つが純正、正真正銘の生まれたときからの魔物ってヤツだ。鬼だけに限定すると純血種って言うんだがな」
フォローするのは殺戮狩人。
いつもながらに彼方が思うのは、どうも魔術師というのはこういう薀蓄話が好きなのだな、ということである。
現に当の侍は押し黙っている。
「――もう一つは人工の鬼、ってトコか?」
魔術師が次の知識を出す前に、彼方は自分の経験からそう発言した。
そこまで興味のない話を長々と聞くのは正直好きではないし、秋良と初めて共闘した夜を思い出したのだ。
人間は魔術世界に於いて禁忌とされる命の創造を疾うに実現させているのである。
吸血蜘蛛。その夜に死闘を演じた相手は、確かそういう名前だった。
「惜しいわね。でも、違うわ。確かに合成魔獣とかも存在するけど、それは例外よ。今、話しているのは、あくまで『自然発生する』魔物について」
「なんだ? 他に魔物が発生する方法なん――」
だが、直後、別の考えが思い当たる。
そうだ。彼女は、自殺して――。
「……まさか、人間が変わる、って言うのか?」
恐る恐ると開かれる口。微かに震える、その唇。
「そのまさか、よ。良く解ったわね。もう一つは人間が変じた鬼、よ。鬼女伝説にはよく見られる話でしょ? 正直、性善説を信じて疑わないような彼方の口から、その正解が飛び出すとは思いもよらなかったけど……でもね、昔話や伝記、伝承を紐解いたら、日本に限らず、世界中のあちこちで、その痕跡や証拠は転がってるわよ」
自分の口から出た解答でありながら、だが、彼方の顔は、その事実を受け入れてはいないように窺えた。
彼女は確かに言った。吸血鬼はそうして生まれることもあると。
しかし、目の前の魔術師の言葉が真実ならば、それこそ全ての人間に魔物となる可能性があるということではないか――。
突き付けられた言葉に彼方は思い知る。これまで数度遭遇した世界の裏のできごと。だがどこか、それは一般の常識だけに生きる人間には、遠い世界のことだと認識していた。
しかし、違うのだ。
その世界の多くの住人は、口を揃えて、こちらの世界には干渉するなと言う。
だが、それこそ違う。
その世界は、いつ誰が遭遇しても、少しもおかしくはない世界だったのだ。
「……そして、その事実はここにもあるの。彼方、アンタの目の前にも、ね」
呼ばれた声に、彼方は我に帰る。
そこには怯えも迷いも、もう、ない。
だったら、いつもの自分であればいいだけのことだと肯定されたようなものだった。
自分の手に届く全ては、少なくとも守ってみせるだけだ。
もう裏も表も関係ない。
しかし、瑞穂の言う例とは――。
まさか、そこにはこの時間であれば自宅に居るはずの彼女がいるなどということは――。
「……渡辺?」
「そ。こいつはそれこそ陰陽寮が対処に困るような鬼を抱えているのよ」
だが、少女の目が教えていたのは、黒衣の少年だった。
「鬼、ねぇ……そんな可愛いモンじゃねぇーぞ、アレは」
「ええ。殺戮狩人、アンタの言う通りよ。陰陽寮では既に、それを鬼なんていう単体の『魔』ではなくて、人類規模で被害を及ぼしかねない『厄災』として認識されているわ。彼方に解りやすく言い換えると、世界を滅ぼしかねない力を持った魔王が詩緒の中にいる、ってトコかしらね。で、コイツは無茶をする時に、その力を解放させるなんて荒業を使うのよ」
心底、呆れたように少女は呟く。
「そして、今回は残念ながら、それに頼る必要があるかも知れない、ってこと……」
同じ表情で溜息一つ。だが、続けたその言葉に、瑞穂の瞳に悲しい色が宿ったことを彼方は感じた。
「理屈は解ったよ。だから、その力の発動を不可能にされる可能性があるから、封殺法剣には触れられないんだな。でもさ、新たな疑問が出てくるんだけど。人間が魔物の変わるって話が本当ならさ、それの力を使っている渡辺は、どうして人間のままなんだ?」
鋭い指摘に後方で控えていた秋良の顔が崩れる。その様は教え子の成長を見て笑う、教師のそれだ。
魔術師としての秋良が最も疑問に感じていた点も、正にその論理だったのだ。
「そう。だから奇跡、なのよ。こいつは我を通すコトで、それを可能にしちゃうんだから」
「は?」
その答えは魔術を知る者、知らざる者、どちらにしても意外というレベルを通り越して理解不能だった。
だから、異口同音に彼方と秋良は同じ反応を見せた。
[Fab-28.Tue/19:00]
アントニオにとって、詩緒と瑞穂は殺してしまっても何の問題のない相手である。
対する詩緒と瑞穂はそうではない。
イスカリオテによる凶行はあくまで予測でしかないために、魔術世界的な世界情勢を考慮すればローマ十字教と対立するわけにはいかないのである。
だから、事情を聞くために身柄を拘束する、程度の行動しか起こせない。
そして何よりも。魔術師である瑞穂のみならず、彼女が先刻発案したように、詩緒も唯の一撃もアントニオから受ける訳にはいかないのである。
圧倒的に不利な状況の中、アントニオの本格的な攻勢は始まっていた。