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[Fab-28.Tue/17:10]
「詩緒! アンタ、なんでいつまでも、携帯の電源切ってたのよ!?」
電話口で悪態をつけるだけついたであろうはずの瑞穂が、しかし、再び文句を撒き散らしながらバスターミナルの待合室に飛び込んで来たのは、その声が詩緒の携帯からは聞かれなくなった直後のことだった。
「――って、やっぱり天后だったのね、この魔力の源は。助かったわ。お陰で詩緒を補足できた」
そして、友人の式神である女性を、そのガラスで囲まれた室内に認識すると陰陽師の少女は彼女にそう声をかける。
「で!? 加えて、なんで電話に出ても通話をしないの!? 電話という機械は、受話器を耳に当ててこそ初めて会話が可能になるっていう一般常識から叩き込む必要があるわけ!? アンタには!?」
だが、その天后からの返事を待つことはない。瑞穂は声をかけたかと思うと、少年に怒りの矛先を向け直していた。
詩緒は確かに彼女の言う通り、手にした携帯を耳元へとは運んではいなかったのである。現在も通話状態のままのそれを持っているのみだった。
もっとも当然、それは瑞穂の言うように携帯電話という機械の使用方法を詩緒が本当に知らないからではない。怒声を喚き散らかすだけで、彼女とは会話を行うことができないことを予想し、彼なりに無駄を避けただけのことだ。
「それよりも、そいつは誰だ?」
そういうスタンスは、今、この時も同じである。
無表情に目の前の少女怒りを全くもって完璧に無視して見せると、詩緒は瑞穂の後に続いて入室していた少年について訊ねていた。
その発言に、瑞穂の表情が凍り付く。
暫しの沈黙。
一方的にこちらの都合を押し付けて怒る瑞穂と、そんなことを全く気にも留めずに自分の疑問を一方的に口にした詩緒。
いつもこのような感じで二人のやり取りがなされるのだとしたら、側にいるであろう第三者は、どれだけ疲労困憊になるのだろうか?
入り口に佇んでいた詩緒の話題に出た少年は、そんなことを考えるだけで見事に疲弊し、自ら名乗ることを忘れ、ただただ二人のやり取りに呆気に取られているだけだった。
しかし、いざ自分が二人の間に話題として登場し、その片割である黒衣の少年と目が合うと状況は一変する。
その邂逅に感じた感覚は、酷くもやもやと鬱積する何か。
瑞穂と共に現れたその少年が、その時に抱いた感情は果たして嫌悪のようなものだけだったのだろうか?
「はぁ……」
瑞穂の大きな溜息が静寂を破る。
「……そうね。そうだわね。そうだったわね――アンタとまともに会話しようなんてコトを考えた私が愚かだったわ……」
わなわなと震える肩が後姿であっても、それが決して本心ではないと少年に教えていた。
「……人に名前を訊ねるってんなら、先ず自分から名乗るのが礼儀なんじゃないの? 詩緒、とか言ったっけ?」
目の前の少女が不憫でいたたまれなく思ったのか、少年はそこで物怖じすることなく二人の間に口を挟んだ。
決して友好的ではない二人の少年の視線がぶつかる。少年の身長は、瑞穂よりも僅かに低いくらいだろうか。
詩緒との体格差は歴然だった。しかし、少年に怯む様子は皆目見当たりはしない。
「……なるほど」
その落ち着きように詩緒はぽつりと零していた。
少なくとも全くの部外者ではないようだ。そして、単純に被害者とかいう手合いの者でもないらしい。そして、間違いなく『死』と直結した修羅場を潜り抜けてきた人間だ。
その少年をそうとでも認識したようである。
「何だよ?」
そんな詩緒の態度に少年は気分を害したのか、怒鳴りはせずも、声に感情を込めていた。
「――タンマ。これ以上、私の悩みの種を増やさないで」
不穏な空気を漂わせようとした、二人の間に割って入る声。それは怒りに震えていたはずの陰陽師の少女もの。与えられた精神的ダメージに頭を抑えつつも、事が拗れることを嫌った瑞穂は仲裁を買って出たのである。
「詩緒。今のはアンタが悪い。彼方の言う通りよ」
そして、滝口に有無を言わさぬように非を叩きつける。
「彼方、ごめんなさい。コイツはこういう性格なのよ。悪いけど、今は勘弁してあげて。現状、何が一番大事な問題なのかを考えて頂戴。貴方ならできるでしょ? 私たちが対立することは、何の得も生み出さないわ」
続け、詩緒に代わって詫びを入れると、少年――彼方にこれ以上の黒づくめの少年に対する批判を封じていた。
無言を貫くも、少年に対する言動を止める詩緒。
「……そう言われると、何にも言えなくなるな……オーライ。解ったよ」
どこか釈然とはしないものの、了承を口にする彼方。しかし、女性に謝罪されて、その上で事を乱すような彼方ではない。
「ありがとう」
笑顔を見せて彼方に感謝を告げると、瑞穂は改めて口を開いた。
「コイツは渡辺詩緒。一応、私の相方よ。あ、変な誤解はしないで頂戴。あくまで陰陽師としてのパートナーよ」
紹介された詩緒は、やはり変わらぬ無表情のまま彼方を値踏みしているかのように見ている。いや、ともすると興味なく、ただその双眸に彼方を映しているだけなのかも知れない。
予想していたことなのだが、挨拶は当然ながら、表情を全く崩さず佇んでいるだけだから、何を考えているのか彼方には皆目検討がつかないのである。
生き生きと表情を変える少女とは正に対照的だった。しかし、その不思議と友好的になれない、大抵の人物と友好的に接することのできる彼方からすると特異な少年が、何か強い意志を秘めていることは理解できていた。
その双眸は、無機質なようで、決して死んではいない。
「で、詩緒。彼は時津彼方君……そうね、今回の一件で最も頼りになるであろう助っ人の仲介人よ」
紹介された異質な人物に対し、あれこれと思案している間に、彼方は詩緒に紹介されていた。
「は? フィ、ぃだッ!?」
が、その紹介には詐称が為されており、彼方は我に帰るなり驚き、疑問を浮かべ、直後には痛みを呻く。
瑞穂が何の躊躇もなく、その踵に全身全霊を込めて、彼方の足の小指を踏み潰しにかかっていたのだ。
「しっ! 余計な混乱を招かないように話を合わせなさい! コイツは融通が利かない偏屈者なのよ!」
ソレ、詩緒とやらに聞こえてんじゃねぇの……?
と、瑞穂の声の大きさに苦情を告げようとするも、脅迫、そしてその殺気に彼方は口を噤んでしまう。
「……で? 詩、……渡辺も、やっぱり魔術師なのか?」
変わりに思った疑問を涙目のまま口にしてみる。この無表情男との取っ掛かりになれば幸いとばかりに、であった。
共同戦線を張ろうというのだ。
彼方としては、この男が信用にたる人物かどうかを見定めなくてはならない義務がある。この男に自分の、いや、何よりも重要なことは、秋良の命をも預けねばならないのだ。
そして、戦力的な兼ね合いもあった。戦力を把握する必要があるのだ。
魔術師がいくら徒党を組んだところで、イスカリオテの騎士には敵いようもないのである。
「いいえ。詩緒は滝口――『滝口の武士』よ」
しかし、答えたのは詩緒本人ではなく瑞穂だった。
「は? もののふ? もののふって、武士だよな? サムライってコトで理解して、いいんだよな?」
答える相手が別人であること。それは十分に彼方も予想していた。だが、予想もしなかった返答に素っ頓狂な声を上げると、自身の持つ常識から懐疑的に問いかける。
「そうよ」
そんな彼方に怪訝そうな表情を向け、断言して見せる瑞穂。
「え、――ええっ!?」
「アンタ、馬鹿? 日本人のクセに侍を知らないの? 侍がなんたるか、説明が必要?」
「イヤイヤイヤ! 知ってるからこそ、だろ!? そうよ、ってお前、幕府なんて機関もとっくになければ、廃刀令だって施行されて……って、いつの剣客浪漫譚の話だよ? コレ、舞台は現代ですよね?」
時代錯誤甚だしい職業の登場に彼方は驚くも、しかし、またも瑞穂は断言して見せる。
「時雨沢巧、『灰色銀狼』――忍者もいるんなら、侍がいたって何の不思議もないでしょ?」
「え? あ、ああ。そ、そう言われれば、確かに……」
しかし、彼方はそれで納得せざるを得なくなる。
「助っ人っていうのはなんだ?」
しかし、どうして巧という人物を知っているのかを聞こうとした彼方の言葉を遮るように、沈黙していた武士は発言した。
然もその台詞の頭には、くだらない話をいつまでしているつもりだ、という批難が隠されていそうである。
「……アンタは反対かも知れないけど、天后が来てるってコトは、現状を把握してるでしょ? 雨月とロンギヌスの槍。そのどちらもを排除するには、アンタと私だけじゃ残念ならがら確実性に欠けるわ」
言葉を選ぶように。至って真剣に瑞穂は話を切り出す。
ともすれば共同戦線を実行するという一連の行動の中で、この偏屈独立突進侍を如何に納得させるのか、ということが最難関であると踏んでいたのである。
「それなら問題ない」
「ああ、ああ! 煩い! 俺一人で十分だ、なんて、何の根拠もないセリフは受け付けないわよ!」
間髪入れずに返答する滝口の言葉を掻き消すように瑞穂は叫ぶ。それは反対の意を詩緒が予想通り告げるであろうという反応だった。
「違う。雨月の件は、ある男に任せた」
しかし、その予想を反する言葉が再び黒衣の少年からもたらされる。その無表情は、暗に先の自身の言葉を聞かずに闇雲に非難したことを責めているかのように冷たい。
「は? ある男? アンタ、雨月は曲がりなりにも真祖よ!? 何処の誰においそれ任せたなんて、なんて無責任なコトを! アンタ、頭でもぶつけた? いつもなら何が何でも自分でやらないと気が済まないくせに、今回に限って何を勝手な! こっちはね! 必死の思いで『殺戮狩人』の仲裁人を見付けて来たのよ!」
味方が多くなるんならいいことなんじゃないの、などという感想を思いつつも彼方は口を挟みはしなかった。少女の怒りの矛先が、こちらに向くことが怖いからである。
「ああ。その殺戮狩人に一任した」
しかし、次の詩緒の言葉には、その彼方も驚く。しばし無言を通す予定が、口をつく。
「は?」
重なる瑞穂と彼方の声。
「……アンタ何言ってるの? 殺戮狩人って十二真祖を――」
「十二真祖云々(うんぬん)は知らないが、殺戮狩人なら知っている。アイツのことだろう?」
驚いた表情のまま訊ねる瑞穂に対し、変わらず無表情で答える詩緒。
その視線は二人の後方、この待合所の入り口後方に向けられていた。
そして、その直後、詩緒の視線の教えていたアイツという人物が、勢い良くこの密室へと乱入して来る。
その勢いは、恰も数分前のその陰陽師の少女の様である。
「テメェ! 渡辺! 何が一発は一発で首刎ねでもして欲しかったか? だァ!? しっかり一撃くれてるじゃねぇか! お陰でおにゅーの携帯がお釈迦だ! 友人に連絡つけられねぇだろ! とっとと弁償しやがれ!」
それはつい先刻、詩緒と別れた金髪長身強面の中学生だった。
「回避できなかったお前の責任だ。俺には関係ない」
詩緒はしかし、これまたその怒声をさらりと受け流す一言を口にするのみ。
一瞬、ひくりと口元を歪めると、秋良はこめかみに血管を浮かばせてパキリと指を鳴らす。
「……オーケイ、今度の俺はハンパなくバイオレンスですよ? ――って、彼方? 何だってお前、こんなトコにいるんだ?」
が、自身のすぐ横に連絡をつけようとしていた友人を見つけると、瞬間的に地獄を連想させるほどに当たりに発した殺気を霧散させた。
「何でって……お前、そりゃこっちのセリフだ。僕はコイツを相方の元まで連れてきただけだ」
そう言って問われた彼方は眼前の少女を示す。
「え? って事は……何? このヤクザ面が殺戮狩人って事?」
ほんの数分前に詩緒に礼儀を説きながら、瑞穂は秋良を指差し驚いて見せていた。
その気持ちは別の意味で彼方には解る。この少年が世界的に名前の通った十二真祖殺しの殺戮狩人だなどと、誰が思えようか。
「彼方。何だこの失礼極まりない女は?」
「瑞穂。陰陽師。協力者。頭いい。甘味好き。ってかかなり容赦ねぇ。出会い頭に殺されかけた」
軽い怒りにひくつきながら問う秋良に、彼方は答える。
それは極短時間に時津彼方という少年が、賀茂瑞穂という少女に抱いたイメージを単語として羅列しただけに過ぎないものだった。
「ワケ分からんが、渡辺の知り合いか?」
しかし、そんな要領の得ない答えにも、秋良は何気に納得して見せる。相方が相方なら、それだけ強烈な性格が必要だってことか――一種呆れにも似た、そんな秋良の刹那の表情を感じたのは彼方だけだった。
「まぁ、一応。賀茂瑞穂よ、殺戮狩人。さっきの怒鳴り声を聞いた限りじゃ、あの馬鹿が何かしでかしたみたいね。携帯がどうとか」
向かい合う陰陽律法と殺戮狩人。
「応。殺し合ったぞ」
にやりと口元を歪ませ、秋良は嗤う。
「……あら、そう。貴方、意外と詩緒とウマが合うんじゃないの?」
そう答えた瑞穂も微笑むが、それは冷たい笑みである。
「冗談キツイ。あれは無理。男の無口キャラはうぜぇだけだ」
「は?」
「いや。忘れてくれ。忘却の空まで」
表向きは友好的に接しながらも、二人が警戒し合っていることを彼方は感じていた。
そう会話しながら、その身体が陰陽師と自分の間に割って入っている。
即座に戦闘に移行しても、彼方を守れるように構えているのだ。
「で、ところでアンタ、どこまで理解してる?」
「さあ? 貴方が理解しているコトは理解しているんじゃないかしら?」
探り合うように繰られる言葉。
しかし、意外な声に事態は一変した。
「くだらないな。互いが信用できないなら、自分の意思で勝手に動けばいい」
それは滝口の声だった。
「少なくとも、俺はそうさせてもらう」
いつもと変わらず、彼は淡々と自身の思考を告げる。
「――それでは渡辺様」
「ああ」
天后の言葉に詩緒は頷くと、彼女は一同に深く頭を下げ、背を向ける。
「……俺は殺戮狩人に雨月討伐を任せた。だから、ロンギヌス阻止に全力を注ぐだけだ」
詩緒の言葉を背に受けながらこの部屋を後にしようとする天后。
その女性は彼方の横を過ぎる瞬間、少年に微笑んだような気がした。
その微笑みはどこか達観していて、まるで彼女ではない誰かが彼女の身体を借りて、彼方に自分の意見に自信を持つように諭したように感じられた。
「――そうだな」
ぽつりと独りごち、彼方は笑う。
「僕も――僕もそう思う。アンデルを救いつつ、ロンギヌスを阻止する。それには俺たちが協力するのが一番だと思うし、少なくとも瑞穂は信用に値すると思う。秋良、お前はどうなんだ? 渡辺は信用できないか?」
少年は自分が何を信じ、何を行うべきなのかをはっきりと判断していた。
互いを半信半疑な魔術師二人。己を信じるのみの侍。
彼方の言葉は、その三者とは異なる強い信念と、強い意志を感じさせていた。
「言い方を変えるぞ、秋良。お前は、この街や、国のみんなを、救いたくはないのか? お前がやらないってんなら、僕は一人でも雨月を倒して、無限術式って悪夢を殺してみせる」
神殺槍。神すらを殺す力。
猟奇的とも言えるような英雄願望の向こう。魔術世界とは遠い場所に住んでいる、秋良からすれば単なる一介の少年過ぎないはずの彼に感じている強さ。
滝口の見せた奇跡と同等の奇跡。不変なる意志。
こうなった彼方には何を言っても聞かないことを、秋良こそがこの場の誰よりも知っている。
「……ハッ、ハハ、ハ! 分ぁったよ、やりゃいいんだろ、やりゃ! おい、陰陽師! 渡辺!」
呆れたように、嬉しそうに、秋良は語る。
「……ハイハイ、ったく、熱っ苦しいわねぇ」
同じく呆れた口調で応えた瑞穂も、どこか微笑っているように彼方には見えた。
「ドイツもコイツも、必要なモンはさっさと掬って、大切なモンをとっとと救って、いらねぇモンをぱっぱと潰すぞ!」
「ふふ、了解」
そして。続いた彼方の宣言に応えた瑞穂は、間違いなく笑っていた。
それが時津彼方の魅力、なのだろう。
何となく。
殺戮狩人なる世界的な魔術師が、彼の傍にいるのかが瑞穂には解ったような気がしていた。
何となく――。
ローマ十字教なる世界的組織が、単なるちっぽけな個人でしかない彼を危険視するのかが解ったような気がした。
それはどんな魔術の才能よりも、極めて稀有な才能を彼が有していたということだ。
ローマ十字教が本当にそれを知って動いているのかどうかなど、陰陽寮という一国を活動の場とする魔術師には解らない。
ただ彼らは何れ間違いなく、それを知り、その才能に畏怖するであろうことを少女は確信する。
「下らない」
「くっだらねぇ」
瑞穂の耳に二人の少年の声が聞こえた。
それは決意。
二人の極めて稀有な存在――個を突き詰めて行った才能と、そして、輪を突き詰めて行った才能の、悪夢を終わらせる決意。
「――渡辺詩緒。その悪夢を殺す人間の名だ」
「そんなくっだらねぇ神様の悪夢は――この僕が、ブチ殺す!」