HoundPressure-4”ディバージェンス”
大陰陽師、安倍晴明。彼が使役した式神を十二神将という。
これは薬師如来の護法童子である十二神将、即ちは宮毘羅・伐折羅・迷企羅・安底羅・額爾羅・珊底羅・因達羅・波夷羅・摩虎羅・真達羅・招杜羅・毘羯羅と、しばし混同されがちであるが、その実は全くの別物である。晴明の式神、十二神将は式占に見られる十二天将、或いは十二月将のこと。つまりはトウ蛇、朱雀、六合、勾陣、青龍、貴人、天后、大陰、玄武、大裳、白虎、天空を指すのである。
その十二天将の司る事象については、件の大陰陽師唯一の現存する著書であり、同時に最古の陰陽道の専門書『占事略决』、その十二将所主法第四の項に記されている。
秋良は、その知識を持っていたからこそ、彼女の名前を天后だと言い当てることができたわけなのだ。
天后は水の吉将、水神。航海の安全を司る女神。
十二神将中、唯一の若い女性の姿を持つものなのである。
[Fab-28.Tue/16:50]
このバスターミナルから各地方都市に向けて発車されている長距離ライナー。停車場付近だけに限定せずとも、そこを行き来する多くの大型バスにより、どす黒い撒排ガスはターミナル一帯に撒き散らされていた。それを乗客が被らぬように全面をガラスによって区切られた空間。
ここには人が居て然るべき場所、なのであった。
現に今も、この区画以外の同じ場所には人影が伺えている。
しかし、彼らのいる区画から運行されているのは、本州以外の地方都市へと向けて発車されているものであった。その主たる発車時刻は中夜に集中していたのである。
故に、そこには変わらず部外者の姿はない。
二人の少年と、若い女性の姿をしたモノが存在するのみである。
「で? 天后、お前のさっき言ってたコトのソースはどこから来てんだ? お前の主からか?」
禁煙のプレートを知ってか知らずか。秋良はタバコに火を着けながら、それを落とすことなく、器用に口を開いた。
「御意に」
その問いに表情を全く持って変えず、天后は即答してみせる。
だがそれは、間違いなく危機的な状況なのだった。
所詮は表向きの世界十指の魔術師。アントニオはアンデルをそう蔑んだが、彼女の持つ魔力、魔術は間違いなく世界的に見てもトップクラスにあることは贔屓目なしに事実なのである。
その彼女が真祖から呪詛を受け、爵級へと変貌する。
それがどれほどの脅威を生み出すことか、想像に難くはない。
「チッ」
返される返事が予想された通りでありながら、秋良は舌打ちする。
天后は自分の主がもたらした情報だと言った。
陰陽寮という匣。その式神の主は間違いなく、この街から遠く離れた、その籠の中に閉じ篭っているわけであり、当然その情報は、彼女が直接見聞きして仕入れたものではないことを秋良は知っている。
通常、そういう情報は信憑性の非常に薄い、所謂、噂の類としか取りようがないはずなのだ。
だが、秋良は彼女が何者であるかを知るからこそ、改めて苛立ちを示したのだった。
安倍晴歌という少女は、陰陽寮の陰陽頭。そして、真なる『占事略决』という霊装の適合者。つまりは現在という時代に於いて、平安時代から変わることのない陰陽師の頂点であり無二の術者、安倍晴明の力そのものを行使する者であるということなのだ。
秋良はアンデルという女に、ローマ十字教と言ういけ好かない宗教の使徒である極彩色という魔術師に、決して好感を抱いてはいない。
雨月という吸血鬼の下僕にされたというのなら、どれほど凶悪な力を持とうとも、それこそ喜んでその真祖もろとも灰に還してやろうと思う。
しかし、友人は――時津彼方は違う。
彼方は、その極彩色を救うために危ない橋を今、正に渡ろうとしているのだ。
「オイ、渡辺。あくまで確認の為だが、お前の考えを聞かせろ」
言葉と共に、吐き出された紫煙。その空間と煙の境界を凝視したまま、声をかけた滝口に視線を遣ることなく殺戮狩人は独り言のように呟く。
「――雨月は極彩色をすでに眷属に変えているか、否か?」
そして、返答者の返事を待つことはせず、質問を続ける。
「いや。まだだろうな」
「――ああ、だろうな」
答えた詩緒の言葉。その根拠を聞きはせず、ただ同意する秋良。
滝口が何を持ってそう判断したのか。殺戮狩人は理解しているのだ。
一つに現状で極彩色を眷属に変えることは、能力を制限させてしまうようなデメットしかない。しかし、これは後数刻の猶予もないことである。
直に、夜は来る。
彼らに絶対の支配を約束された時間帯が訪れるわけである。
だが、二つ。雨月が極彩色に欲したのは召喚魔術なのだ。
それを今、彼女は使うことはできない。いや。これは秋良の推論から導かれた予測でしかないのであるが。
だが、秋良はあの霊装と対峙して、直感的に『そういう事態に陥るであろう事』を感じたのである。
そして、その情報は推論と断った上で、滝口にも伝えていた。
しかし、どうやら、その滝口は少なくともこの状況下で殺戮狩人を信用に値する者と認識したらしい。だからこそ、その推論を踏まえた上で自らの意見を秋良と同じくしたのではないか。
身体の変化がこのまま彼女の魔術を永続して奪う危険性があるのならば、それこそを求める雨月は暫し思い止まるだろう。少なくとも、それを解除する鍵。アトリビュートとアントニオが近くに存在する限りは。
それが二人の出した極彩色の現状だった。
「――天后、聞かせてくれ。ロンギヌスの着弾予定時刻は割り出せているのか?」
詩緒は天后へと向き直る。それはさも当然の如く、この国を爆撃しようとしている強力な魔術の存在を、晴歌も知っているであろう口ぶりだった。
しかし、果たして。
「主の予測であれば、それは今宵、戌の刻辺りとのこと」
詩緒の予想した通りだった。そうでなければ安倍晴歌という少女が天后という式神を遣わすはずがないのである。
式神を行使する呪術は、集中力と精神力を多大に消耗するのだ。式神は本来、呪で自然界の精霊などの霊体を強制的に呪符等に束縛し、無理やりに使役するものだからである。
呪詛返し。被術者の元で破られた式神は術者を襲う。
その現象が発生するのも、いわば当然といえば当然のことなのだ。
加え、天后は十二神将に名を連ねる存在。そこらの低級霊を使役するのとは、比べるまでもなく桁違いの消耗があるはずである。
そうであるのも関わらず、彼女をここに派遣しているということ。
それが晴歌が事態の全貌を理解し、その重要性を知っているという表れに相違ない。
「二十時前後、か――残り三時間程度……爆心地は――」
「――オレらの街、だろうな」
現代時刻に即座に換算した詩緒の言葉に、秋良は続ける。
「ロンギヌスを防ぐ手はあるのか? 陰陽寮に?」
「――手は存在しない訳では御座いません。しかし、残念ながらその策は……」
「晴歌がもたない……そういう事だな?」
秋良の疑問続け発言する無表情二人。
秋良は事態を忘れ、薄っすらと笑う。どちらが式神なのだか判りはしない、と。
「御意に。確かに晴歌様であれば、対象飛来魔術を禁呪等にて防ぐことは敵いましょう。しかし、その際、主にかかる負担は計りしれませぬ」
淡々と告げていた天后に、一瞬感情が浮かんだように見えた。
占事略决を行使することにデメリットは存在する。
安倍晴明という突出した陰陽師の力を現代に黄泉返らせるための支払う代価は、霊装適合者の命、なのである。
安倍晴歌は占事略决を使うたびに、余命を失っているのだ。
「だから、俺を頼った――そういうことだな?」
「御意」
今は寧ろ、この男の方が作り物に見える。
秋良はそういう感覚を持ちながら口を開いた。
「……オレの予想がハズレてねぇなら、お前らはかなりイカレた策を実行しようとしてるな」
「別にイカレてなどいない。俺にはそれができる。ただ、それだけだ」
詩緒の表情は変わらない。
「言うねぇ……たが、できる可能性があるってだけだろうが。しかし、確かに『渡辺詩緒』にしかできないだろうよ――超高速で飛来する魔術を着弾寸前で『斬る』なんて芸当はよォ」
ぼやきつつ殺戮狩人は煙草を桟で押し消すと、何時の間に空けたのか定かではない珈琲の空き缶に、その吸殻を捨てた。
「オイ。可能性を挙げる手があるぜ」
言葉を続けた秋良の手を離れたその空き缶は、ゆるい放物線を描いて、自販機に横に備え付けられた赤い分別ゴミ箱の容器よりも僅かにだけ大きい丸い穴へ、見事に飲み込まれるように消える。
「……アトリビュート、か……」
ご名答。そう満足げに金髪の少年は笑う。
「ああ。アレを使えば、少なくとも『魔術という無形のモノを斬る』という精神統一を捨てて、『飛来する高速物体を斬る』って行為に専念できるだろ?」
そう告げながら、殺戮狩人は自らの荷物を背負う。
「さて。ここで相談があるんだが?」
「偶然だな。俺にもお前に頼みたいことがある」
つい先刻、命の遣り取りをした二人の少年は視線を合わせる。
「――適材適所、ってコトだな?」
「――ああ」
それで話は着いていた。
「だったら、まだ勝算はある。極彩色を拾って、雨月を完全に抹殺する。時間制限を考慮すりゃ、滝口には不可能なコトでも、殺戮狩人なら楽勝だ」
殺戮狩人は口元を不敵に歪める。
「そうかもな」
薄く笑みさえ浮かべ、その言葉を詩緒は否定をしない。
「へっ。何処まで本心なんだかな――まあ、アンタにそう言われるのは悪い気はしないがね。じゃあな、コーヒーごっそさん」
邂逅の終わりを悟ると共に、早速行動を開始したのは殺戮狩人だった。おもむろに立ち上がると、背を向けヒラヒラと手を振り、その長身の身体で自動ドアを開く。
「どうして、本気を出さなかった?」
薄汚れた冷たい外気と混ざる、滝口の問い。
「何のコトだ?」
不意に問われた言葉に秋良は飄々と応える。
「……その得物を使えば、俺を瞬殺できたんじゃないのか?」
詩緒が指した得物とは、今しがた秋良が背負ったバックの中に確かに入っていた。
「――別に。お前を見くびってただけだよ」
へへっ、と歳相応の悪戯地味た笑みを浮かべると秋良は振り返る。
「……お前とは、二度と対峙したくはないな」
そこに在ったのは、僅かに感情を帯びた滝口の顔。
「同感だな。冗談がまるで通じない奴との死闘は、こっちも願い下げだ」
ガラス扉は無機質な音を立て、再び隔離された空間を作り上げる。
その向こうを歩き始めた金髪の少年は、再びこちらを振り返ることはなかった。
在るべき場所へ。在るべき役目を果たすべく。秋良は真っ直ぐと己の道を行く。
それは残された少年とて同じ。
この上ない協力者との巡り会いという奇跡に浸ることなく、滝口を全うするべく始動する。
「天后。お前が存在していることで晴歌にどれくらいの負担がかかっている?」
「――戦闘を行わなければ、私を維持するだけでしたら殆どは。私は晴歌様を主と認めております故」
「だったら、頼みがある」
「御意に。それよりも渡辺様。そろそろ『携帯電話』とやらの電源を入れた方がよろしいかと」
詩緒が何を言わんとしたかを理解しているように了承すると、柱に備え付けられた古めかしい時計を一瞥し、天后は主から受けていたもう一つの言伝を口にした。
それはこの時刻に間違いなく伝えるよう、晴歌から言付けられた言葉だった。
言われるがままに詩緒はレザージャケットから携帯を取り出す。
二つ折りのディスプレイ部分を指で跳ね上げると、続けて電源を入れた。
堰を切ったように、メーカーが出荷時に設定しているデフォルトのままのコール音が鳴り出す。
ディスプレイに表示されたのは案の定、賀茂瑞穂という少女の名前だった。
おもむろに通話ボタンを押すも、詩緒はレシーバーを耳に近付けようとはしない。
そして、詩緒の予想通りの展開が、そこには繰り広げられていた。
レシーバーから聞こえてくるのは怒声。一体何が彼女をそこまで叫ばせるのか。
小さな携帯が音源であるとは到底思えない、少女の鬱憤を晴らすべく続けられる喚きは小さな空間に木霊していた。
[Fab-28.Tue/17:10]
そうして。
少女の怒りが一応収まった――携帯から聞こえていた怒声が止んだのは、通話開始から実に十分程が経過してからのことだった。