HoundPressure-3”コーヒータイム”
[Fab-28.Tue/16:25]
「缶コーヒーねぇ……アンタもそうだろうが、育ち盛りの人間にソレは少しどころか、かなり物足りねぇんじゃねぇの?」
どこぞでたかり癖を身に付けたのか、それとも、そういう図太さはありがちな年相応のものなのか。兎に角、秋良は悪びれた様子もなく自販機の前に立った高校生に、そうぼやいた。その様に殺戮狩人などという、世界的に名の通った畏怖の対象ともなるような、闇の住人としての姿はまるでありはしない。
駅ビルに設けられたバスターミナルの一角。
長距離路線利用者向けに設置された、その待合室兼休憩室に、現在、二人の姿はあった。
実際に同じ中学の先輩後輩の間柄の二人ではあるが、そのような素振りは皆目見当たりはしない。ならば、年の差を超えた仲の良い友人同士のように見えるのかと言えば、やはりそのような親しげな関係にはちっとも見えはしない。
第三者がそこに加わったのだとしたら、気まずい雰囲気に息を詰まらせること請け合いの状況である。
つまり二人は、拳を交えたことで友情を芽生えさせた、などという美談じみた展開で行動を共にしているわけではないのだった。
確信があったわけではない。しかし、おそらくは互いが互いの事情に関与しているであろうことを何となしに悟っていたのである。だから、二人はどちらともなく情報交換をすることを考え、この場所に移動していたのだった。
もっとも、秋良はこの街の地理に明るいわけではないので、詩緒の後ろを着いて来ただけなのだが。
「……それに言いたかねぇが、高級料亭とまではいかねぇまでも、殺戮狩人クラスのVIPと会合するんなら、それ相応の場所と礼節ってモンも必要だと思うワケよ。回んねぇ寿司屋とか、天麩羅屋とか、すき焼き屋とか、焼肉屋とかよォ、解るだろ?」
続けられる少年の不満。こういう厚かましい態度が出てしまうのは、ともすると、秋良を取り巻く、今の環境が作り出した弊害なのかも知れない。
少なくとも、彼の知る家主は、無利子で学費を融資してくれる上、食費は全額負担してくれるのだ。さらにはもう一人、ニートの居候を無償で養っていたりもするのである。だから、たかだか一食程度、まして、お役目絡みである目の前の滝口が、それを負担しないのはどうかと思うわけなのだ。
しかし、これは接待などではないのである。実際、そんな義理も道理も詩緒にはありはしない。
「煩い。黙れ」
故に、その一言は詩緒にとっては必然だった。ましてや彼は人と円滑に交友を深める術を、瑞穂と接触している件の家主とは違い、知らぬのである。だから、続いた抗議に釘を刺すと、向けられたクレームなど意に介すことなく、スポンサーは無糖の珈琲のボタンを押していた。
「お! 今なら特別大出血サービスで、そこの居酒屋で妥協してやっても構わないぜ?」
辺りは既に陽が傾き始めている。だから、時間的には若干早めではあるが、営業を開始している飲み屋もあるにはあった。目敏い秋良は、そんな希少な店舗が反対車線、それも立地の悪い目立たない雑居ビル、その上層階にあるのを見つけ、往生際悪く、自販機の商品を吐き出す音を掻き消すかのように発言した。
「……」
しかし、もはや何も語らず。詩緒は購入した缶コーヒーを秋良に押し付けるかの勢いで差し出す。
「ああ? なんだ? もしかしてアンタ、オレが未成年だとか気にしてんのか? バカバカしい。オレは酔拳も使えるんだぜ? 年齢なんざ全く問題ねぇよ。ってか、アンタも見てみたいだろ?
黄飛鴻も真っ青なオレの酔拳。といっても、オレが使うのも黄飛鴻が使ったとされているのも正確には酔八仙拳っていうんだがな。黄飛鴻は一般には虎形拳が一番得意だとされ『虎痴』なんて仇名まで持っちゃいるが、本当はこの酔八仙拳こそを秘奥義・切り札としていてだな、弟子にさえ、その技をほぼ見せることなく――」
拳士の言う黄飛鴻とは、中国史近代上最高の英雄とされている功夫の達人である。
小説、漫画等、数多くのジャンルにおいて創作の題材になっており、特に映画については、同一題材で制作された最多作品としてギネスにさえ記載されていた。ハリウッド進出を見事に成功させ、香港一だと自他共に認められたあのアクションスター。中国本土で数多くの武術大会を征したという某実戦実力派アクション俳優。映画好きならば知らぬ者のない彼らアジアを代表する俳優も、この黄飛鴻を演じたことがあり、この国であっても、その中国の英傑の名を知る者は少なくはない。
プルタブを勢い良く開く音が辺りに聞こえた。
それは詩緒の手に在った、彼の分の機能飲料水のものである。
熱く黄飛鴻、酔拳の蘊蓄を語る秋良は詩緒の差し出したコーヒーが目に入らなかったのか、それとも、敢えて無視したのか。しかし、詩緒にはそんな話に付き合うつもりは毛頭ないのである。
だから、受け取ってもらえぬことを悟ると、適当な地面に缶珈琲をさっさと置き、自分の分を開封したのだった。
秋良の話を他所に、詩緒は飲料を喉に流し込む。
そして、いかに自分の酔八仙拳を見れることが貴重であるかを豪語する金髪少年の声に、返す彼の言葉はなかった。
戦闘の後である。乾いた身体を潤すように滝口は一気に缶の中身を空けると、得意げに触りとばかり、一部の型を見せていた秋良に背を向けた。
「邪魔をしたな、殺戮狩人」
そして、吐き捨てるように別れの言葉を告げる。
仰飲杯手。某格闘ゲームでも存在する杯をあおるような型を見せた、秋良の目は点になる。
「待て! 帰るな! 解った! 缶コーヒーでいい! 十中八九、滝口が動いてる事情にオレも一枚噛んでる! アンタもオレと情報交換した方が状況的にいいことぐらい解るだろ!?」
こちらに一切構わず、見る見る遠退いて行く背中に秋良は叫んでいた。
◇
「全く……テメェは冗談ってモンを多少は理解しようとしやがれってんだ……大体、何をケチってやがる? 確かに滝口らは、退魔活動に対する報酬なんざ貰ってねぇんだろうが、必要経費ったら四天王なら卜部財閥の御曹司に直接、ポンと払って貰えるだろーによォ……大体、腹が減っては何とやらってのは、武士らの諺だろ?」
何が解ったのか、何が缶コーヒーでいいのか。そして、何を持って冗談だというのか。そんな未練がましい愚痴の部分はさておき、秋良の言うように滝口には、その活動に対する給料、報酬などは存在しなかった。彼らはただ、それぞれの意志で、それぞれが何かを護るために、自らの危険を顧みずに戦っているのである。
しかし、それでは当然、生活どころか、退魔活動さえままならない。現代社会、先立つ金は必要である。だからこそ、それを支援するのが陰陽寮であり、そして、卜部財閥であった。
「確か、卜部貴臣とかいったか? アンタと同じ四天王だろ?」
その名前が現役四天王の一角『鵺貫』を担う滝口であり、件の卜部財閥の跡取り息子である。
卜部家もまた滝口を世に送り出すの武門の一門であった。故に、同じ役目を担う者たちを本社のみならず、関連企業の社員として雇い、その上で役目に対する行動には自由を与え、支援しているのである。
「……やけに滝口の事情に詳しいようだな……だが、一つ断っておく。オレは四天王じゃない」
「ああっ!?」
詩緒の言葉に秋良は声を詰まらせる。
四天王ではない人間が滝口の宝具を所持し扱う。
それは下手をすれば、彼こそが、滝口という組織に『魔』だと標的にされかねないことなのだ。宝具が失われるような事態はあってはならぬことなのだから。
そういえば、と秋良は思い出す。それは、現在、滝口の組織内部に不穏な空気に包まれているという情報だった。
発端は先代棟梁の離反に始まるものだとは聞いてはいたが、どうやら、目の前の滝口が無許可で鬼切という宝刀を帯刀する辺り、事態の収拾をまだ見てはいないことが窺い知れる。
「……そうかい……まあ、オレには、んなこたぁ関係ねぇよ。アンタが使える滝口だってわかりゃ、それで十分だ」
秋良は、ぼそりと呟く。それで駄々をこねていた少年の姿は鳴りを潜めていた。
そこにあるのは殺戮狩人としての顔である。
秋良自身の本音としては、色々と内情、実情を聞いてみたい気もしていた。だが、それで彼らの戦いに巻き込まれでもしたら大事である。何より、今優先すべきは友人が首を突っ込もうとしている極彩色の一件、そして、ローマ十字教の動向――『ロンギヌスの槍』なのだから。
「――だったら、聞かせてもらおう。まずは殺戮狩人、お前は何者で、何を目的として動いている?」
詩緒は問う。そもそも、その滝口の少年は殺戮狩人とは、どのような人物なのかさえ知らぬのだ。
「ああ。いいだろう」
秋良は珈琲を一口啜ると、胸ポケットから煙草を取り出し火を付けた。
「オレはこの街にアントニオ・ゲルリンツォーニ――ローマ十字教、イスカリオテの騎士と、極彩色っつー魔術師を追って来たんだよ」
一つ紫煙を吐いた後に続いた言葉に、詩緒の瞳には鋭い光が灯っていた。
[Fab-28.Tue/16:45]
「なるほどな――雨月が極彩色をね……」
興味深げに秋良は呟く。
雨月。殺戮狩人として、それを呼称すれば雨月。その名は確かに聞き覚えのあるものだった。しかし、その真祖は本職者が知る限り、活動を休止していたはずの吸血鬼である。彼が動いていたと知っていたのなら、この国に来日した際に、目的であった真祖と接触する前に、準備運動とばかりに消滅させていただろう。
「目覚めてやがったか……しかし、厄介なタイミングで絡んで来やがったな……」
厄介。そういうよりは寧ろ、心底気怠げに少年は煙を吐き出していた。
そう。単独で標的を抹殺するだけだというのならば、秋良には絶対の自信がある。
しかし、今回、そこは救助対象が存在し、足枷までも有しているのである。
「ロンギヌスの槍、か……」
対する詩緒は、秋良からもたらされた新たなる脅威を口ずさんでいた。
「――ああ。かなり厄介なシロモンだろ。滝口らにとっては特によォ……って、オイ! 待て! 冷静に考えてみりゃオメェ、オレが得する情報を何にも持ってねぇじゃねぇーかよ!?」
シリアスに迫っていた秋良が崩れる。
そうなのだ。詩緒の持っていた情報は、雨月が極彩色を狙っているということだけであり、それはアンデルを拉致したアントニオを追っているという秋良の現在の状況において、何の役にも立ちはしない情報なのである。
「――いいえ。そのような事はございません。遺憾ながら、雨月はすでに極彩色の身柄を確保したようですので……」
しかし、それを否定した声が不意に起こる。それは落ち着いた女性の声だった。
「……へぇ」
声のした方に目を遣り、その女性を一瞥すると秋良は感嘆を零す。
だがそれは、その女性の美しさに対してのものではなかった。そこに存在する女性そのもの、その高度な『仮初の生』に感心したのである。
それは強い魔力を帯びた艶やかな純日本人女性。否。魔力を帯びているわけでは決してない。彼女は魔力自体で構成されているのだ。
「……アンタ、式神か?」
そう。秋良の告げた通りに、彼女は式神である。陰陽師によって作られた存在なのだった。
「御意」
古風な言葉で、そう肯定して見せる姿はしかし、決してそのような存在には見えない。
美しい女性。人間そのものである。
「――全く……今日はやたらと特殊なモンばかりにお目にかかれる日だ……十式霊装に、奇跡に、終いには平安時代から存在する超高度な式神――安倍晴明の十二神将かい」
やや食傷気味に紫煙を垂れ流した秋良に、しかし、女は眉一つ動かさない。
「晴明様にはございません。我々の今の主は――」
たが、間髪入れずに先の殺戮狩人の言葉の誤りを正しにかかっていた。
「ああー……解ってるよ。今の主は安倍晴歌ってん言うんだろ? 天后?」
「御意に」
言葉尻を待たずに自ら正答に改めると、秋良は彼女の名を呼んでいた。そして、その名前もまた正解であった。