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pursue-2”傾き往くセカイ”

[Fab-28.Tue/14:10]


 頭に巻かれたのは青いバンダナ。それは酷く年季の入ったものであることが一瞥しただけで判断できるほど、くすんだ青を見せていた。

 それは大人用のダウンジャケットに身を包み、肩に乗せているような、体型とは不釣合いな大きなヘッドフォンを首に下げる。

 だぼだぼの、かなりサイズの大きいハーフパンツのポケットに突っ込まれた両手。

 足にあるのは一時期もてはやされて、ビンテージ物としてかなりの高額で取引されていたバッシュである。

 一見は、今風のどこにでもいるようなラッパーファッションの少年。

 いや、違う。その容姿は比べるものなく秀麗である。

 そして、外見の年齢とはかけ離れた達観した眼光、妖しく冷たい光を放つその双眸は、足元の下界へと向けられていた。

「――何気に面白い茶番だったけど、ずいぶんと呆気ない幕切れだったねぇ……」

 雑居ビルの屋上から。それが捉えるのは一組の男女。

 一人は異国の剣士。名をアントニオ・ゲルリンツォーニという。

 やや乱れた金色ブロンドのソフトモヒカンは、先の戦闘によるものなのか、それとも、現状に因るものなのか。

 一人は異国の魔術師。名はアンデル・ランダンデル。

 褐色の肌を持つ女性。銀色アッシュのウルフヘッドは力なく男の背中で垂れていた。それは彼女を肩に担いだ、そのアントニオという男に因る状態であった。

「いい匂い――……だったなぁ」

 少年は、つい先刻のことを思い出す。

 鼻腔に感じた、その褐色の肌を持つ美女の匂いを、残り香を思い出す。

 恍惚の色が、その少年の瞳には浮かぶ。

 一般人ギャラリーの前で繰り広げられた戦闘行為。真剣と死技による死闘。

 その発端は剣士と拳士であったようだが、その戦闘は、程なく魔術師をも巻き込むこととなった。

 三つ巴の争い。

 そして、突如、訪れた終幕。

 剣士に刺し貫かれた魔術師。

 少年が思い出して悦に浸っているのは。その芳しき褐色の美女の残り香は――その時、彼女の左脇腹に生じた深手から香った血の匂いだった。

「あはは――あの童、本当に彼女を殺めていたのだとしたら……」

 笑声が響く。そして、続けられた言葉は、ぞっとするほどの温度差を持つ。

 淫乱さを感じさせるような表情で。それは同時に死を直感させる気配を放っていた。

「――八つ裂きにしても足りないかな?」

 少年は、雨月は気に入っているのだ。間違いなく執着心を抱いている自分を認識している。

 西洋剣にその身を貫かれた、そのアンデルという名の女性を、である。

 当初は利用すべき駒、道具として彼女を求めていたに過ぎない。彼女こそが極彩色ランダムカラーの異名を持つ召喚師なのだ。

 その召喚魔術ぎじゅつこそが、雨月にとっての彼女の存在意義の総てであったはずであった。

 しかし、今は違う。

 少なくとも、その利用価値のみで雨月はアンデルを求めてはいない。

 それは彼女にとって幸いだったのか、不幸だったのか。

「しかし、忌々しいな」

 呟き、雨月は空を見遣る。

 憎悪を以て睨むのは太陽。

 今はまだ、空に陽の在る時間。

 刺すような夏の日差しでなく、暖かさを届けるような穏やかなそれであっても。

 吸血鬼という種族にとっては、それは大きな制約を与える枷でしかないのだ。

 それは純和製の特殊な吸血鬼そんざいである雨月にとっても変わらない現実だった。現時刻での彼は、普通の人間とそう大差はないのである。

 総ての能力を完全に開放することは、現状、叶わず。

 故にもどかしい部分もある。

 例えば追尾する男女との距離を、この高度から跳躍することで一足に縮めることもできないのだ。

 しかし、利点メリットが全くないわけでもない。

 吸血鬼かれを追う者にとっては、その存在を感じさせることが極めて困難になる。現に雨月を討伐する任を負った騎士は、標的に尾行されていながらも、そのことに気づいてはいないではないか。

 あの滝口とて同じだ。今頃、どこぞを捜索しているかは解らないが、存外、この界隈にいて、彼を感知できずにいるのかも知れない。

 そして、自身の放つ強大な気配がないからこそ、気づく事態もある。通常よるならば、それに因り掻き消されてしまう微弱な外界の変化をだ。

 例えば、極微弱な大気にたゆたう魔力の消滅。その連続した消滅の作る一筋の線。それは異国の騎士の持つ霊装の残す道標。

「まあ……お陰で見失うこともない、か」

 嘲笑を浮かべ、撤収して行く眼下の聖堂騎士イスカリオテに背を向ける。

 それでも滝口に存在を知られながら悠々と活動しているのは、ローマ十字教という世界宗教の誇る最強を追跡するのは、絶対的な自信を持つことの表れだった。

 雨月は太陽下げんじょうであっても、家畜にんげんの相手をするには、自身の能力は十分過ぎると判断しているのだ。

「待っててね、極彩色ランダムカラー目眩めくるめく甘美な永遠へ、僕が誘ってあげるから――」

 徳の高い聖職者をも容易に狂わせる魅了の魔眼。その自信をもたらす力の一つは、陽の光の中でも凄艶な輝きを湛えていた。







[Fab-28.Tue/14:40]


「あのバカ! なんで、じっとしてないのよ!」

 罵られた少年は捜索活動を行っているのである。その少年は滝口であり、決して安楽椅子探偵ではないのだ。そういうことをしている以上、一箇所に留まり続けることの方がまず有り得ないはずである。

 しかし、そんなことは瑞穂には関係なかった。怒りの対象は、怒りの対象でしかないのである。

 校門を飛び出して市街地へと向かう。信号待ちなどで、上空を舞う式神とアクセスしては、詩緒を発見し、進路を修正する。

 それを繰り返し、瑞穂は詩緒との合流に漕ぎ着ける予定であった。

 しかし、如何せん追いつけるわけがないのだ。

 相手はバイク、こちらは徒歩。行動範囲も移動速度も違いすぎるのである。

 傍から見ればバイクで適当に辺りを流しているように、一定の範囲を行き来している詩緒。それは隈なくその区画の探索を完了すべく行っている行動なのだが、瑞穂からして見れば、まるで自分に捕まらないようにわざとそれが行われているようで、欲求不満フラストレーションを募らせる一方だった。

 加え、現状、瑞穂はすでに式神を滝口追跡に使ってはいない状態なのだ。

 学生服の上の羽織った白いハーフコートのポケットから携帯を取り出す。

 念のため。

 女性としてだけではなく。男性を含んだ、世界レベルのトップアスリート並みの脚力をもって疾走しながら、携帯を片手に親指で弾いて開く。

 ディスプレイを一瞥することなく、素早くダイヤルキーを叩く。

 その双眸は、標的を常に見失ってはいない。

 耳元に当てたスピーカー。無機質なコール音は予想に反して、いや、予想通りに聞こえはしない。

「――になった番号は、現在、電波の届かないところにあるか、電源が――」

 亜麻色の髪を靡かせ、駆ける少女に聞こえたのは、お決まりの案内伝言ガイダンスだった。

「役立たず! 電源くらい入れとけ! あほんだらぁー!」

 沸点を軽く凌駕する、やり場のない怒り。取り合えず、吼えてみる。

 学校を抜け出した時に。市街地に向かう時に。合流しようとして、それが叶わず、堪忍袋の緒が切れること、数回。

 つまりは、詩緒の携帯の電源が切られていることを、瑞穂は知っていた。しかし、一縷いつるの望みぐらいは託させて欲しかったのである。

 陰陽律法ソーサラーテキストが追うのは壮年の男。

 それは単なるそれだけの存在では、やはりない。

 追っていた雨月という真祖の、おそらくは配下の者なのだ。

「敵性吸血鬼は一匹見たら三十匹はいると疑え、って格言ことばを忘れてたわ――」

 そんな格言、ありはしない。それは黒色、もしくは茶色の某衛生害虫のことである。

 しかし、そういう事態――爵級や従者といった配下を作り、戦力として配備しておくこと――は、当然、予測しておくべきことであったのだ。

 加え、雨月という真祖は、慢心に囚われた愚か者ではない。いかに自分以外の存在を虚仮にしているとはいえ、対象の能力は冷静に捉えることができている。さらには、自身、単体で可能なことが限られているということも、明らかに判断できているのだ。

 だからこそ、ルチアのような彼に見初められたという不幸を背負った被害者きゅうけつきが、現実として瑞穂の前に障害として出現し、極彩色ランダムカラーのような召喚師を欲したのではないか。

「――迂闊だったわね」

 十字教云々に気を取られていたとは言え、そういう存在の可能性を考慮しなかった自分を叱責する。

 そして、兎にも角にも、眼前の男を叩いておく必要性を確認する。

 吸血鬼などという強力な『魔』、それも真祖と爵級という凶悪な人外を複数体同時に相手にするなど、自殺行為に等しい。

昼間いま叩く! 逃がさないわよ!」

 息巻く、陰陽師。だからこそ、人目をはばからずに五行秘術を行使しているのではないか。木行大気に働き掛け、空気抵抗をなくし、女子高生としては異常速度で駆けているのではないか。

 追われる異常と、追う異常。

 詰まる二つの距離。

 前方を走る吸血鬼とうぼうしゃは、こちらを一瞥し路地裏へと身を翻す。

「――隼よ!」

 標的が前方から注意を逸らした瞬間。目撃者、人目を極力減らすことのできる機会。

 追走劇を展開しながら待っていた、その好機を瑞穂は逃しはしなかった。

 この時のために、式神を詩緒追跡たんさくにんむから外し、戦闘配備していたのだ。ここで失策するなど、目も当てられない。

「ぐうっッ!」

 角の向こう。男の呻きが集中する少女の耳に聞こえた。

 だからといって、瑞穂は緊張を解きはしない。陽の下。その能力の大半を抑制された状況であるとはいえ、彼らはあくまでも吸血鬼。恐るべき生命力、永遠を約束された存在なのである。

 男の痛みを訴えた声が途切れようとする前には、陰陽律法ソーサラーテキストは音源である場所に達する。

 そして、そこに、壮年の男の姿は、ない。

 直後、瑞穂の細い体が宙を飛んでいた。

 上空から急降下し、夜魔は強襲したのだ。

 振るわれた男の右拳。左の手には引き千切られた紙片。それは隼の成れの果て、否、原型というべきか。

 空間に在る少女。その白いハーフコートが風そのもののように流動する。その姿は舞うように優美。風が意思を持ち、少女に付き従うように。

 否。事実として、風は意思に因り、彼女の周りに在ったのだ。

 追跡に使用した五行大気を、未だ彼女は周りに絡ませていたのである。

 壮年男きゅうけつきと、反転した少女おんみょうじの視線が交差する。

 瑞穂はしたり顔で敵を見ていた。男は驚愕していた。

「――なッ!?」

「下手な演技フェイクだったわね」

 固まった男に、美姫はくすりと微笑む。同時に、一連の動きの中で結んでいた印を完成させていた。

 それは晴明桔梗。相生相剋そうじょうそうこくの理を示す、五芒星。

「――火行、火気。猛よ!」

 男が着地するよりも早く。彼女の花唇かしんは力ある言葉を紡ぎ終える。

 直後、閃光と共に、大気には激しい気流が生じていた。それは季節に似つかわしくはない、高熱を帯びた烈風。

 その原因。それは陰陽律法書ソーサラーテキストの異名通り、彼女が理を律した万象。

 瞬間的に巻き起こったのは、轟火の螺旋だった。

 そして、その後に、それは何も残さず。

 刹那に。その炎は男という『魔』を伴い消えていた。

「……はい、お仕舞い」

 呟きながら、風に乱れた髪に指を通して整える。

 辺りに騒ぎはない。取り敢えず、厄介事は避けられたようである。

 一般人に、魔術の存在など、当然、知られるべきではないのだ。吸血鬼などという『魔』の存在と同じく、それは余計な混乱を招くだけのものなのだから。

「さて――」

 五行秘術の行使に続け、瑞穂は精神を統一する、周囲に気を巡らせる。

 大きな変化であれば、彼女のそういう感覚は広範囲で、意識せずとも働く。

 しかし、今の彼女が行っているのは、もっと精密な探査である。

 落下する針の音を聞き分けるように。辺りの気配にほんの僅かでも変異がないか、それを、探る。

 先の格言ではないが、探索する価値は十分にあるのだ。

 白昼に活動していた吸血鬼。そして、この時期タイミング

 他にそういう存在がいたのだとしたら。

 雨月の足取りを、上手くいけば、アジトのような場所を見つけることができるかも知れないのだから。

「見つけ――!」

 得意げに陰陽師は零す。

 彼女は確かに、微かなその気配を察知していた。近く。僅か数区画先に。

 陰陽師の見つけた存在は、紛いようもなく、強大な『真祖』の残滓を漂わせていた。






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