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第9話 不本意な再会

 秀明を殴った上できっぱり絶縁を申し渡して以降、予想に反して彼からの働きかけや連絡は皆無だった為、それから半年経過した頃には美子は名前を含めて、彼の存在そのものをすっかり忘れ去っていた。

 そして秀明が美子の前から姿を消して、二年近くが過ぎ去ったある日。朝食の席で昌典が突然、思い出した様に言い出した。


「そう言えば美子。今度の日曜の午前中は、何か用事があるか?」

 その問いに、美子は正直に答えた。

「午後はお母さんの様子を見に病院に行くつもりだけど、午前中は特に無いわ。それがどうかしたの?」

「そうか。午前中に江原君が来るから、そのつもりで準備してくれ」

「江原? お父さん、どういう方?」

 咄嗟に誰の事を言っているのか分からなかった美子が尋ね返すと、妹達が口々に驚きと呆れの入り交じった声を上げる。


「やだ、姉さん、もう忘れたの?」

「江原秀明に決まってるでしょ?」

「……どうして断定できるのよ?」

 漸く秀明の事を思い出した美子が、顔を引き攣らせながら突っ込みを入れたが、そこで何故か美幸が期待に満ち溢れた表情で、父親に確認を入れてきた。


「という事は、ひょっとして江原さん、課長に就任したの?」

「ああ、昨日付けで経営戦略本部資材統括部、資材調達第一課長にな。だから『改めてご自宅に挨拶に伺いたい』と連絡を取ってきたんだ」

「なっ!?」

 昌典が説明した内容を聞いて、当時の事を思い出した美子は顔色を変えたが、妹達は口々に好き勝手に感想を述べ始めた。


「やるわね~、あれから二年強しか経って無いってのに」

「まあ抜け目がない人だから、五年以内には課長に就任すると思ってたけどね」

「凄い! 流石江原さん! 早速お祝いメールを送らないと」

「そうよ、お父さん! そういう事は、ちゃんと昨日のうちに教えてよね!!」

「いや、すまん。家に帰ったらすっかり忘れていてな」

 美幸に叱りつけられて苦笑いする昌典を半ば無視して、美子は妹達を問い質した。


「あなた達……、どうして揃いも揃って、あいつにそんなに好意的なの?」

 しかし美子の非難がましい問いかけにも、妹達は全く悪びれずに答えた。

「だって江原さん、私が去年会社を設立した時、銀行から融資を受ける際の連帯保証人になってくれたし」

 美恵から驚愕の事実を聞かされて、美子はさすがに声を荒げた。


「何ですって!? 私、そんな話、一言も聞いてないわよ!」

「だって、姉さんに言ったら絶対怒るし。その他にも税理士さんとか紹介して貰って、本当に助かってるわ~」

「あんたね……」

 盛大に顔を引き攣らせて美子はすぐ下の妹を睨んだが、そこでのんびりとした美実の声が割り込んだ。


「あ、今だから言うけど、私が二年前から付き合ってる淳、江原さんの大学時代からの悪友なのよね。だから彼経由で、時々江原さんの近況を聞いてたし」

 そんな事を告白された美子は、以前紹介された妹の恋人の顔を思い浮かべつつ、素っ頓狂な声を出した。


「はぁあ!? 小早川さんが、あの男の友人? 何なのよそれはっ!! 聞いてないわよ!?」

「だって淳が『面白いから暫く黙っていようぜ』って。私も同感だったから」

「もの凄く、あいつの悪友っぽいわね」

 ニヤニヤと面白そうに笑いながら美実が口にした内容に、美子はがっくりと肩を落とした。そこで恐る恐ると言った感じで、美野が声をかけてくる。


「あ、あの……、美子姉さん?」

「何?」

「その……、江原さんは、この間何度も一緒に映画を見に行っていて……」

「は?」

「えぇ!? 美野姉さん、まさか江原さんを、あのドログロホラーに無理に付きあわせてたわけ!?」

 盛大に顔を引き攣らせて美子が美野に視線を向けるのと同時に、美幸が盛大に非難の声を上げた。それに美野が負けじと言い返す。


「そんな事ないわよ! 顔を合わせた時、偶々『友達も家族も一緒に映画を見に行ってくれない』って愚痴を零したら、『奇遇だね。俺も割とそういうのが好きなんだけど、友人達は怖がって一緒に見る奴がいないんだ。良かったら一緒に行かないか?』って向こうから誘ってくれたんだし! それから怖い映画が公開される毎に誘ってくれて、毎回パンフレットも買ってくれて。江原さんってとっても良い人……」

 胸の前で両手を組み合わせ、うっとりとした表情で中空を見つめつつ呟いた美野を見て、美恵と美実は(完全に騙されてる)と溜め息を吐き、美子はこめかみに青筋を浮かべた。


「……美野。これから映画は一人で観に行きなさい」

「えぇ!? だって一人で観に行くのは怖いもの!」

「それならそもそも、そんな物を観に行くのは止めなさい!!」

 珍しく反論してきた美野を、美子は容赦なく叱り付けた。そこで美幸が冷静に口を挟んでくる。


「全く……。美野姉さんったら、下手したら美子姉さんまで変な趣味を持っているのかと、江原さんに誤解されかねないのに。毎回パンフレットまで買って貰うなんて、厚かましいわよ」

 妹から、如何にも呆れました的な言われ方をした美野は、瞬時に眦を釣り上げて言い返した。


「何ですって!? あんたみたいに友達を引き連れてゲームセンターに繰り出して、江原さんに全額奢って貰うなんて事をする方が、厚かましくて非常識でしょうが!?」

「何? その『友達を引き連れてゲームセンターに繰り出して』って言うのは?」

 聞き捨てならない事を耳にした美子のこめかみに青筋が一本増えたのを見た美野は、自分の失言を悟って黙り込んだが、美幸は全く悪びれずに答えた。


「だって『子供だけでゲームセンターに行っちゃ駄目だ』って小学校の先生に言われた時、江原さんに『馬鹿馬鹿しいしつまらない』って言ったら、『先生の言う事には従わなくちゃ駄目だよ? だから俺が保護者として、連れて行ってあげるから。どうせならお友達も一緒に行こうか? 大勢で行った方が楽しいよね』って言ってくれて。しかも皆の分も纏めて、全額払ってくれたの。もう江原さんって、物分かり良い上に太っ腹!」

「あなたはその図々し過ぎる所をどうにかしなさい!!」

 うんうんと一人で頷いていている美幸を、美子は本気で叱責したが、美幸は自分のペースで話を続けた。


「しかもね、江原さん凄いのよ? パンチ力を測る奴で歴代記録の一位になって、レーシングゲームではぶっちぎりのトップ。シューティングゲームでは的中率百%近くて、もう一緒に行った皆に『美幸ちゃん、あんな格好良くて何でもできて、頼りになるお兄さんが居て良いなぁ』って、凄く羨ましがられちゃった」

「あんなのは、兄でも何でも無いでしょう!?」

「美子姉さんと結婚したら、お義兄さんじゃない。だから友達には『(仮)のお兄さん』って言ってあるから大丈夫」

「……どこがどう大丈夫だと」

 何を言っても無駄だと匙を投げかけた美子だったが、続く美幸の話を聞いて、若干の引っかかりを覚えた。


「あ、それからクレーンゲームも凄かったな~。狙ったのを次々取っちゃって。『皆でお揃いのを付けたいから、江原さん取ってくれない?』ってお願いしたら、『それなら頑張らないとな』って言って連続五回で見事五個取ってくれて!」

「五回? お揃いってまさか……」

「うん。去年皆にあげた、キノコの妖精のストラップ!」

「そんな物を、黙って私によこしたわけ?」

(そうと知ってれば、絶対受け取らなかったのに!!)

 去年からしっかり自分の携帯にぶら下がっている、微妙な表情のストラップの事を考えながら美子が顔を引き攣らせていると、美幸はニコニコしながら言わなくても良い事を口にした。


「傘が赤くてプンプンしてるのと、傘が青でツンツンしてるのと、傘が黄色でニヤニヤしてるのと、傘が紫でベソベソしてるのと、傘が緑でニコニコしてるやつ! 皆にぴったりでしょ? 自分のセンスに惚れ惚れするな~」

「…………」

 途端に美幸を覗く娘四人が黙り込み、微妙に食堂内の空気が悪くなってきたのを感じ取った昌典は、溜め息を吐いて美幸に声をかけた。


「美幸、さっさと食べて学校に行きなさい」

 その声に、掛け時計で時間を確認した美幸は、慌てて立ち上がる。

「げ、本当に遅れそう。ごちそうさま! 美子姉さん、お弁当貰って行くね!」

 そして食器を流しに持って行きながら、台所置いてあるお弁当を引っ掴んで駆け出した美幸の背中に、美子の叱責の声が突き刺さる。


「美幸! 廊下は走らない!」

「は~い!」

「ごちそうさま。……あの、私も行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」

 そそくさと挨拶をして立ち上がった美野を見送り、引き続いて美実と美恵が席を立つと、二人きりになった食堂で、昌典が笑いを堪えながら美子に話しかけた。


「この二年間で、外堀はしっかり埋められたらしいな。本当に全く気付いて無かったのか?」

「……不覚だったわ」

 痛恨の表情で呻いた娘を、昌典は面白そうな表情で見やりながら念を押してくる。

「とにかく、そういう事だ。当日、無理やり予定を入れるなよ?」

「分かってます」

 そこまで言われて反論するつもりは無く、美子は不承不承ながらも大人しく頷いた。



 そして迎えた日曜。予定時刻通り藤宮邸を訪れた秀明を、美子は平常心を保つ努力をしながら、玄関で出迎えた。

「随分ご無沙汰しておりました、美子さん。お邪魔します」

「ええ、随分お久しぶりですね、江原さん。どうぞお上がり下さ」

「江原さん、お待ちしてました! さあ、遠慮無く上がって下さい!」

「いらっしゃい、江原さん! あ、荷物は持ちますから、どうぞどうぞ」

「美野、美幸……」

 自分の口上の途中で、背後から飛び出すように現れた妹達に美子は口元をひくつかせたが、秀明は二人に向かって愛想を振り撒いた。


「やあ、ありがとう美野ちゃん。これは焼き菓子の詰め合わせとお酒が入ってるんだ」

「こんなにありがとうございます。皆で頂きますね」

「美幸ちゃん、これは美子さんになんだ。早速飾ってくれないかな?」

「了解しました! 早速花瓶に活けて、美子姉さんの部屋に飾ってきます!」

「美野、美幸!」

「相変わらず、二人とも可愛いな」

 秀明から受け取った紙袋と大きな花束を手に、パタパタと奥へ走って行った二人を美子は叱ったが、秀明は笑いながら感想を述べる。すると美子と同様に下の二人を見送った美恵と美実が、廊下の壁にもたれながら皮肉を言ってきた。


「ほんっと、真性のタラシよね~」

「ひゅ~ひゅ~、色男のごとーじょー」

 それを聞いた秀明は、苦笑いを漏らす。


「相変わらず二人はひねくれているな。悪いけど」

「連帯保証人様の邪魔はしないわ」

「こんな面白い見物、ぶち壊すわけ無いでしょうが」

「話が早くて助かるよ」

 何やら協定を結んでいるらしい三人に早くも苛つきながら、美子は静かに声をかけた。


「……江原さん。こちらへどうぞ」

「分かりました」

 そして妹達に見送られて、美子は秀明を先導しつつ、父が待っている奥の座敷へと歩き出した。するとすぐに秀明が、話しかけてくる。


「やあ、元気だった?」

 その台詞に、美子は舌打ちしたいのを必死に堪えた。

「妹達から筒抜けだったくせに、白々しい事を言わないで」

「随分ご機嫌斜めだな。あの妖精みたいな顔になってる」

「妖精?」

 いきなり目の前の男には似つかわしく無い単語が出て来た為、美子は思わず足を止めて怪訝な顔を見せると、秀明はゆっくりとジャケットのポケットから、自分の携帯を取り出した。


「これと同じシリーズの赤い奴、携帯に付けているだろう?」

「どうしてそれを……」

 目の前にかざされた携帯に取り付けられている、黒い傘のキノコの妖精を見て、美子は盛大に顔を引き攣らせた。そんな彼女には構わず、秀明は上機嫌に話を続ける。


「美幸ちゃんが『江原さんは絶対黒のニヒル顔の奴! 未来のお兄さんなんだから、やっぱりお揃いにしないと! それに今日のお礼を兼ねたプレゼントだから、私が自力で取るからね!』って宣言して、わざわざ自分でお金を出して、何回も失敗した挙げ句、漸く取って俺にくれたんだ。こんな嬉しい未来の妹からのプレゼントを、粗末に扱えないだろう?」

「誰と誰が未来の兄妹よ!!」

「俺と、美恵ちゃんと美実ちゃんと美野ちゃんと美幸ちゃん」

「一々全員の名前を挙げないで!!」

 そこで進行方向の襖が開き、昌典が呆れ顔を見せつつ窘めてきた。


「騒々しいぞ。どうした、美子」

「あ、ごめんなさい、お父さん」

「やあ、江原君。良く来てくれたね」

「おくつろぎの所、失礼します」

 そうして取り敢えず三人で室内に入り、昌典と美子に対面する形で秀明が座布団に落ち着くのと同時に、昌典が穏やかな口調で声をかけた。


「それでは、君がここに来た理由は大体分かっているつもりだが、一応君の口から、きちんと聞かせて貰おか」

「はい、それでは……」

 そこで秀明は軽く居住まいを正してから、真正面から昌典を見据えつつ口上を述べた。


「この度、過日申し渡された条件が整いましたので、美子さんと結婚を前提としたお付き合いをさせて頂きたく、お願いに参りました」

 そうして軽く頭を下げた彼から、自分の横に座る娘に視線を向けた昌典は、淡々と尋ねてくる。

「さて、どうする? 美子。特に断る理由は無い様に思えるが。お前には今現在話が進んでいる縁談は無いし、交際している人間もいないしな」

「…………」

 全く反論できずに黙り込んだ美子だったが、その反応は予測できていた為、昌典は再び秀明に視線を戻した。


「ただ、江原君」

「はい、何でしょうか?」

「以前、君から同様の話を受けた時、美子の結婚については美子の判断に任せているので、特に私が制限を加えるつもりは無いと言った筈だが、本気で話を進める気なら一応君に言っておく事がある。改めて聞いておきたい事もあるしな」

「……拝聴します」

 何となく有無を言わさぬ気配を察した秀明が大人しく従うと、昌典は唐突に美子に言いつけた。


「美子、お前は少し席を外してくれ。そうだな……、十五分位で良い」

「え? ええ、分かりました。それならその頃に、お茶を持ってくるから」

「ああ、頼む」

 動揺していたのか、案内してきてお茶を出すのをすっかり忘れていた事を思い出した美子が、ついでにそれを言ってみると昌典が頷いた為、そのまま下がって台所に向かった。そして頃合いを見計らってお茶を持って行くと、予想に反して襖の向こうは静まり返っていた。


「お父さん、お茶を淹れてきました」

「ああ、入ってくれ」

 声をかけてみると応答があった為、美子は襖を開けて中に入った。すると先程と同様、二人が微動だにせず向かい合って座っているのが目に入る。

「どうぞ」

「ありがとうございます。頂きます」

 そして両者の前に茶碗を置くと、二人は静かにお茶を飲み始めたが、何故だか無言で含み笑いをしながら、両者が微妙なオーラを醸し出している事に気が付いた。


(何なの? 二人揃って、この不気味な笑みは?)

 しかしわざわざ突っ込んで聞いてみる気にはなれなかった美子が傍観していると、茶を飲み終えた昌典が徐に立ち上がった。


「さて、私の話は終わったから、後は当事者同士で話をしてくれ」

「お父さん……」

「分かりました」

 美子は恨みがましく、秀明は笑いを堪える様な表情で昌典を見送ると、室内に少しだけ沈黙が漂ってから、秀明が言い出した。


「こちらは久しぶりなので、ご迷惑でなければ、お庭を拝見したいのですが」

「構いません。どうぞ」

 そこで美子が立ち上がり、襖とは逆の障子の方に移動した。そして静かに障子を左右に引き開けると、縁側の向こうにガラス越しに、記憶にある景色が広がっている事に秀明が気が付く。

「ああ、こちらから見えたんですか。気が付きませんでした。懐かしいですね」

 そして秀明は美子に断りを入れて庭に面した窓を左右に開け、気持ち良さそうに深呼吸した。そのまま微笑んで庭を眺めている彼に、美子が皮肉っぽく問いかける。


「どうして、またいらしたんですか? あれから二年以上経ってるのに、良いお話が全く無かったわけじゃ無いでしょう?」

「確かに女を切らした事は無かったが、その中に君以上に面白い女はいなかったからな」

(相変わらず、ろくでもない奴ね)

 庭の方を眺めたまま、口調を変えて淡々と言い返してきた秀明に、美子は舌打ちをしそうになったが、次の台詞で小さく歯軋りした。


「俺の事より、君の方はどうして未だに独り身なんだ? 良い話が全く無かったわけじゃ無いだろう?」

(いっ、嫌味な奴っ!! 絶対美恵達から、この間の事を聞いてる癖に!)

 色々と思うところはあったものの、美子は辛うじて平常心をかき集め、傍目には冷静に答えた。


「生憎と、これまでの方とは、ご縁が無かったもので」

 すると秀明は美子の方に向き直り、明るく笑いながら申し出た。

「じゃあ、俺もそういう事で。この際残り物同士、結婚しないか? 俗に『残り物には福がある』とも言うし」

「お断りします」

 無表情での即答に、秀明は思わず笑い出しそうになる。


「どうして? 自分で言うのも面映ゆいが、俺は結構優良物件だ」

「自分で自分を売り込む輩に、ろくなのは居ないわ」

「確かにそうだな。……ああ、ちょっと失礼」

 どうやら携帯が電話かメールの着信を振動で知らせて来たらしく、秀明はポケットを押さえて断りを入れた。それに美子が頷くと、予想通り携帯を取り出した秀明が素早く何かを操作してから、再び元通りしまい込む。


「お待たせ」

 そこでつい美子は、嫌味っぽく言ってみた。

「女? 仕事?」

「男」

「ああそう。ところで携帯に付けているストラップ、外してくれないかしら?」

 心底うんざりしながら申し出たが、秀明は心外そうに問い返してきた。


「どうして?」

「同じ様な物を使っているのがムカつくのよ」

「それなら自分が外せば良いだけの話だろう」

 淡々と正論で返された美子は、少し苛ついた。


「姉妹揃って美幸から貰った物なのに、私だけ使わなかったら美幸に悪いでしょうが!」

「悪いが、俺も外す気は無いな。仲間に入れて貰ったみたいで、嬉しかったから」

「はぁ?」

 意外な台詞を聞いて呆気に取られた美子の目の前で、秀明はどこか子供が照れくさそうにしている様な表情で、先程携帯をしまったポケットを上から手で軽く押さえた。


(何、この人……。どうしてこんな顔してるわけ? 何がそんなに嬉しいのよ)

 訳が分からない美子が、思わずまじまじと相手の顔を見上げていると、秀明はその視線と自分がどんな表情をしていたのかを漸く察したかの様に、素早く庭の方に顔を向けて、いつも通りの感情が読めない表情に戻る。


「世の中には同じ物が何千何万と流通している筈だし、偶々その中の幾つかが、俺と君達の手に渡っただけだから、そう気にする事でも無いだろう」

「確かに、それはそうかもしれないけど……」

 思わず眉根を寄せた美子だったが、ここで秀明は彼女に向き直り、これまで通りの不敵な笑みを見せた。


「それとも……、変に意識しているとか?」

「そんなわけ無いでしょう!?」

「じゃあこのまま持っていても、全く問題は無いな」

「…………っ」

(やられた……。本当に口が達者だわ、こいつ)

 反論を封じられて美子は歯噛みする思いだったが、ここで予想外に秀明が別れの言葉を口にした。


「さて、それではそろそろお暇するか。社長とは必要な話を済ませたし、これ以上長居して、君の好感度を下げたくは無い」

 それにすっかり安堵した美子は、思わず軽口を叩く。

「安心して。これ以上下がる筈は無いわ」

「零点か。そんな点数、未だかつて取った事は無いな。この際、マイナス点を狙ってみるか」

「マイナスなんて、そんなの有り得ないでしょうが」

「中学の時に、見た事がある」

「どうしてそんな事になるの?」

 縁側の窓を閉めてロックをかけながら、美子は困惑を隠せずに問い返したが、それに秀明は笑いを堪えながら説明してきた。


「英語がからきしな同級生が記述式の解答欄を幾つか埋めたんだが、答えが全部間違ってた上にSを左右反転して書いてしまって、マイナス5点になったんだ。本人曰わく『選択制だったら勘で三割は当たるのに』と悔しがってたが」

 苦笑いで秀明がそう告げた為、美子は思わず項垂れた。


「……本人より、先生に同情するわ」

「同感だ。意見が合って嬉しいよ」

「こんな事で意見が合っても、嬉しくもなんとも無いわよっ!!」

 怒鳴りつけた美子に秀明は再度小さく笑ってから、急に真顔に戻って礼儀正しく頭を下げた。


「それでは美子さん、ここで失礼させて頂きます。社長に宜しくお伝え下さい」

 いきなり態度を変えた事に戸惑いつつも、美子はこれ幸いと調子を合わせた。

「はい、伝えておきます。本日は結構な物を頂戴しまして、ありがとうございました」

(はぁ、せいせいする。さっさと帰ってくれて良かった)

 心の底から安堵しながら相槌を打った美子に向かって、ここで秀明が左手を差し出してくる。


「今日はお時間を頂き、ありがとうございました」

(え? 握手? それにこの人、左利きだったかしら?)

 それに深い疑問を覚える事も無く、美子も素直に左手を差し出して握手しようとした。


「いえ、こちらこそ大してお構いもできませんで……って、何?」

 しかし握手しようとした秀明の左手で自身の左手首を掴まれ、美子が戸惑っているうちにいつの間にか彼の右手に握られていた指輪が、美子の左手の薬指に収まる。それを確認した途端、秀明は彼女の手から手を離し、あっさりと別れの言葉を口にした。


「じゃあ、失礼。また連絡する」

「え? あの……、ちょっと、これ……」

 そして全く現状認識が追いつかず、美子が呆然としたまま立ち去る秀明を見送っていると、隣の部屋の障子が勢い良く引き開けられ、縁側に妹達が殺到してきた。


「ちょっとちょっと姉さん、それ見せて!?」

「うっわ、早々と張り込んだわね~、江原さん」

「大きいダイヤ! 1カラットは有るわよね!?」

「サイズもぴったり……、流石に侮れないわ……」

「嫌だ美幸。姉さんの指のサイズなんて、私が教えたのに決まってるでしょう?」

「そうよ。指にぴったりのリング贈ってくれた位で、コロッと騙されちゃ駄目よ?」

「そうだったの? 江原さんだから、目で見ただけでサイズが分かったのかと思ってた」

 自分を取り囲み、手を握り締めて好き勝手な事を騒ぎ立てている妹達に向かって、美子は地を這う様な声で確認を入れた。


「あなた達……、どこまでもあの男の肩を持つのね」

「別に姉さんの事を、蔑ろにしているつもりはないわよ?」

「そうそう。長年美子姉さんに想いを寄せている人に対する、ささやかな応援をしているだけで」

「余計な事はしないで! こんなのも要らないわよ!!」

 ここでいきなりブチ切れた美子は、勢い良く薬指から指輪を抜き取り、まだ開けてあった窓からそれを庭に向かって放り投げた。その途端、美恵達の悲鳴が上がる。


「きゃあっ!! ちょっと姉さん!」

「どこ? どこに落ちた!?」

「ちょっと分からない! 池の中か、岩の隙間に落ちたかも!」

「靴を履いてくる!」

 そうして四人がバタバタと大騒ぎしながら玄関に向かって駆け出して行くのを尻目に、美子は一人自室に戻った。すると否応なく窓際の棚に、秀明が持参した色とりどりの花束が活けてある花瓶が目に入り、勢い良く顔を背ける。

 さすがに自分が褒められない事をしたとの自覚はあったものの、それを素直に認められないまま、美子はベッドの端に腰かけながら弁解がましく呟いた。


「だって……、あんなのと結婚するつもりなんて、無いんだもの。確かに見た目は良いし、それなりに有能みたいだけど、あんな性格が悪い、何を考えているか分からない奴なんて……」

 そしてそのままごろりとベッドに転がって身体を捻ると、ホルダーに嵌っている自分の携帯と、そこについているストラップが視界に入り、思わず溜め息を吐く。


「それに、何かやっぱり違うし……」

 自分でも何を言っているのか良く分からないまま、美子は奇しくも秀明と色違いで持つ事になってしまったストラップを、暫く無表情で見詰めていた。その静まり返っている美子の部屋とは対照的に、庭では彼女の妹達が悪戦苦闘の末、池の縁石の隙間に嵌ってしまった指輪を漸く取り出して、歓喜の叫びを上げていた。


「はぁ、無事取り出せて良かった~!!」

「本当に良かったわ。一時はどうなる事かと。でも美幸、割れてないかしら?」

「美野……、落とした位でダイヤが割れたらパチモンだから」

「小さな傷位は付くかもよ? 全く……、姉さんも素直じゃ無いわよね」

 じみじみと安堵の溜め息を吐いた美恵が、ここで真顔になって妹達に声をかけた。


「皆、聞いて。これからは江原さんが大っぴらに姉さんを口説きにかかるから、私達で全面的に協力するわよ?」

 それに妹達が、力強く頷く。


「そうよね。後がつかえてるんだし、姉さんが三十になるまではあと何年かかかるけど、それまでには片付いて欲しいもの」

「順番とかそういうのは抜きで、美子姉さんには江原さん以上にお似合いな人は居ないと思うわ」

「優しいし、物分かり良いしね。変な人が義理の兄に収まったりしたら、冗談じゃないし」

「話は纏まったわね」

 そこで妹達を見回した美恵は、その場で中腰になって右手を伸ばした。それを見た彼女の妹達は、何を言わずとも自然に円陣を組んで、美恵の手に自分の手を重ねる。


「じゃあ、これから気合い入れて行くわよ? ファイトーッ」

「おぉーっ!!」

 そんな風に庭で盛り上がっている娘達の様子を、書斎の窓際からこっそり眺めていた昌典は、「楽しそうだな。早速、深美に教えてやらないと」などと呟きながら、満足そうに奥へと引っ込んだのだった。


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