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第7話 裏の展開

 望恵から物騒な誘いを受けた翌日の日中、美子は叔父の携帯に電話をかけてみた。

「お久しぶりです、和典叔父さん」

「やあ、久し振りだね美子ちゃん。君の方から電話を貰えるなんて、本当に嬉しいよ」

「今、お時間は大丈夫ですか?」

「ああ、構わないよ。どうかしたのかい?」

「以前頂きました小型特殊閃光弾が役に立ちましたので、一言お礼をと思いまして」

 美子がそう口にした途端、それまでの和典の楽しげな口調が一変し、地を這う様な声で問い返してくる。


「あれが役に立っただと?」

「はい。それでお礼を言うのと同時に、加藤なんとかと言う代議士の事で、叔父さんが知っている事を教えて頂けたら助かります」

 叔父の怒りは分かったが、それは考えない事にして用意しておいた台詞を告げると、相手は冷静に確認を入れてきた。


「加藤? 名前の方は?」

「すみません、先生にお伺いすれば分かるかとは思いますが、わざわざ生徒さんの個人情報を尋ねるのもどうかと思いまして。望恵という名前の、二十代半ばの娘さんがいる方です」

「成程。それでは今回のトラブルは、日本舞踊教室関係、かつその娘絡みか。分かった。議員名簿とプロフィールを確認すれば、見当がつくだろう」

(相変わらず鋭いわね。もう思い当る節があるみたい)

 容易く推察してきた叔父に感心しつつ、美子は話を続けた。


「それと白鳥代議士が最近勘当した三男の事も、分かる範囲で教えて貰いたいのですが」

 それを聞いた和典は、少し意外そうな声で応じた。


「白鳥か……。親しくはしていないが、色々と好ましくない噂は聞いている。息子の件は併せて調べよう。結果は美子ちゃんのPCのメルアドに、送信すれば良いかい?」

「それでお願いします。申し訳ありません、お忙しいのにこちらの都合で無理を言って」

「これ位何でも無いさ。それに普段我儘なんか口にしない美子ちゃんの頼みだ。何だって聞くから、もっと遠慮なく言いなさい」

「ありがとうございます」

 笑って請け負ってくれた叔父に美子が心からの礼を述べると、和典が楽しげに話題を変えてくる。


「そうそう、今度のお袋の誕生日祝いの席には、是非五人揃って顔を見せて欲しいな。お袋が楽しみにしていてね。何と言っても、うちは男ばかりで潤いが足りないし」

「はい、そのつもりでした。お祖母さんに宜しくお伝え下さい」

「ああ。兄さんにも宜しく」

 そんな風に、最後は和やかに会話を終わらせてから二時間後。PCのメールボックスをチェックした美子は、思わず笑ってしまった。


「叔父さん、相変わらず仕事が早いわ。まあ、実際は秘書の方がされているんでしょうけど」

 そう呟いた美子は、まず叔父にお礼の言葉を返信してから、送信されてきた内容を確認し始めた。そして一通り読み終えた美子は、うんざりした顔で溜め息を漏らす。


「なるほど……。白鳥代議士と加藤代議士が与党内で同じ会派に所属していて、こっちは今回完全にとばっちりを受けた形になるわけね」

 そしてPCの電源を落とした美子は、「本当にろくでなしの上、疫病神だわ」と、一人悪態を吐いたのだった。



 美子達の母親である深美みよしは、暫く前から東成大医学部付属病院に入院していたが、美子がトラブルに巻き込まれた日から二日後の日曜日、その個室に秀明が顔を見せた。

「深美さん、こんにちは。具合はどうですか?」

 そう声をかけられた時、深美はベッドを半分起こして本を読んでいたが顔を上げ、すっかり顔なじみになっていた人物を笑顔で迎え入れた。


「秀明君が顔を見せに来てくれたから、具合も気分も朝より良くなったわ」

「それは良かった。退院が決まったと聞きましたので、今日はそのお祝いを持って来ました」

「ありがとう。素敵なアレンジメントね」

 黄色とオレンジ系で明るい雰囲気で纏めたフラワーアレンジメントを、深美は笑顔で受け取った。そして彼女が少しの間眺めてから、秀明が再度受け取って窓際の棚の上に飾る。


「手術が成功して、一安心ですね」

 ベッドサイドに戻った秀明が椅子を引き寄せて座りながらそう口にすると、深美はどこか困った様に笑いながら告げた。

「取り敢えずは上手くいったそうだけど……、正直、あとどれ位持つかしらね。私の心臓」

「深美さん?」

 自嘲気味に深美が口にした内容に、秀明が忽ち眉間に皺を寄せた。すると深美は、軽く笑いながら彼を宥める。


「まあ、そんな怖い顔をしないで? 良い男が台無しじゃないの。せっかく目の保養をしているのに」

「分かりました。気を付けます」

 苦笑するしかない秀明が表情を緩めると、今度は深美は幾分残念そうに話を続けた。


「家に戻れるのは嬉しいけど、これまでの様に秀明君の顔を見られなくなるのは、ちょっと残念だわ」

「不甲斐無くて申し訳ありません。ですが美子さんに見咎められない様に、何とか忍んで行きます。偽名で連絡も取りますし、偶にはデートして下さい」

 それを聞いた彼女は、いたずらっ子の様に笑った。


「ふふ……、こんな年増のジュリエットでごめんなさいね。でもあの美子がムキになって、あんな無茶な事を言い出すなんてね。でも秀明君も相当屈折してるから、おあいこかしら?」

「酷いですね。俺のどこがそんなに屈折していると?」

「だって美子の事が一番好きだから、結婚を前提にした交際を申し込んだわけじゃないものね?」

 にこにこと笑いながら確認を入れてきた深美に、秀明は瞬時に笑みを消して真顔になった。


「……社長が何か仰いましたか?」

「いいえ、何も? ただ『屈折してて裏が有り過ぎて面白い奴が、美子にちょっかい出して返り討ちにあった』とは聞いていたけど。その直後に秀明君が来たでしょう? ああ、この子の事だわって、一目で分かったわ」

「本当に、お二人には敵いませんね」

「だって秀明君は、敵わない両親が欲しかったんでしょう?」

「…………」

 微笑した秀明だったが、深美がさり気なく指摘してきた内容に、再び表情を消して無言になった。そんな彼に穏やかな微笑みを向けつつ、深美が淡々と思うところを述べる。


「美子と……、他の子達もそうだけど、別に私達の娘と結婚しなくても、私は秀明君みたいな可愛い子なら、母親になっても良いと思ってるんだけど?」

 それを聞いた秀明は、思わず最大級の溜め息を吐いた。


「俺を評するのに『可愛い』なんて言葉を持ち出す酔狂な女性は、世間広しと言えども深美さん位ですよ」

「世の中には人を見る目が無い男性が多いと思っていたけど、見る目が無い女性も意外に多いのね」

「寧ろ、藤宮家の女性陣の方が、稀有な存在だと思いますよ? これは勿論、褒め言葉ですが」

「あら、私だけじゃなくて、娘達の事も褒めてくれてありがとう」

 そうして互いに楽しげに笑ってから、幾つかの話をして楽しく過ごした二人だったが、秀明が名残惜しそうに腰を上げた。


「さて、俺はそろそろ失礼させて貰います」

「あら、もっとゆっくりしていったら?」

 残念そうに深美が引き止めたが、秀明は軽く首を傾げつつ、丁寧に断ってくる。


「俺ももう少し長居したいのは山々ですが……、何となくそろそろお暇した方が良い様な気がしますので。退院まで、あと一回位は顔を出しますから」

「そう? それじゃあ、楽しみにしてるわね」

 深美もそれ以上無理には引き止めず、笑顔で秀明を見送った。そして壁に掛けてあるカレンダーを眺めながら、ひとりごちる。

「ふぅん? 今日は、特に来るとは言ってなかった筈だけど……」

 そんな事を呟いているうちにドアがノックされ、騒々しい声と共に彼女の娘達が姿を現した。


「お母さん? 調子はどう? 美幸と美野が連れて行けって煩くて」

「お母さん! 退院、決まったんだよね? お部屋、綺麗に掃除しておいたから!」

「美幸! 病院で絶叫しないの!」

「今、美野姉さんだって、人の耳元で怒鳴ったじゃない」

「何ですって!?」

 相変わらず元気一杯の娘達の姿に、深美の顔が自然に綻ぶ。


「こら、美野も美幸も止めなさい」

「はい」

「怒られちゃったじゃない」

 ぶちぶちと文句を言い合っている二人から美子に視線を移した深美は、苦笑いで美子に声をかけた。


「美子、毎日大変みたいね」

「もう慣れちゃったわ。……あら? あんなアレンジ、昨日帰るまでは無かったけど、朝からお見舞いに来てくれた方がいたの?」

 小さく肩を竦めた美子が窓際に目を向け、見慣れない物を発見したが、深美は事も無げに答える。


「ええ。忙しい人だから、時間ができた時に来てくれるのよ」

「そうなの」

 それ以上気にせずに、持参した着替えを片付けたりお茶を淹れ始めた美子を見て、深美は我知らず笑ってしまった。


「……本当に、勘働きの良い子」

「お母さん? 今、何か言った?」

「いいえ。何でも無いわ」

 何やら楽しそうに母が呟いた内容を美子が知るのは、これから何年か先の事になるのだった。



 その翌々日である火曜日。いつも通り日舞教室に出向いて、稽古の準備を整えた美子だったが、名簿を見ながら出席を確認していた野口が、傍らの美子を振り返った。

「あら? 加藤さんは着替え中かしら?」

「欠席の連絡はありませんが、まだいらしていません」

 端的に美子が報告した途端、野口が苦々しい顔付きになる。


「そう……。本当に困ったものね。それでは稽古を始めましょうか」

「宜しくお願いします」

 野口の声に、生徒達が一糸乱れぬ礼をした所で、稽古場の戸を乱暴に開けて、望恵が乱入してきた。

「遅くなって申し訳ありません! あ、藤宮さん! あの後、大丈夫だったんですか!?」

「加藤さん? 大丈夫とは、どういう意味ですか?」

 あまりにも無遠慮すぎる振る舞いに、野口は叱責の意味合いを込めて低い声で尋ねたが、生憎当人には伝わらなかったらしく、勝ち誇った表情で一気にまくし立てた。


「だってこの前のお稽古の帰り道、駅前までご一緒しましたけど、別れてから振り返ったら、藤宮さんが複数の男性に大型のバンに無理やり乗せられて、連れ去られていたじゃありませんか! あの後どうなったのか、私物凄く心配してたんです!!」

「え? それって……」

「どういう事?」

 望恵の叫びを聞いて生徒達がざわざわと囁き合う中、美子は呆れ果てた顔つきで、冷静に考えを巡らせた。


(酷いにも程がある大根女ね。とても心配してるって顔付きじゃ無いわよ? それに本当にあの後、状況を確認してなかったのね。迂闊すぎるわ)

 そして美子は溜め息を吐きたいのをなんとか堪えながら、当惑した顔を作りつつ問い返した。


「加藤さん、何か勘違いしていないかしら? 私、あなたと別れた後、そんな物騒な事に巻き込まれてはいないけど?」

「そんな筈ありませんよ! ……ああ、失礼しました。そんな不名誉な噂が立つのは、藤宮さんにとっては迷惑ですよね。配慮が欠けていて申し訳ありません」

 そこでニヤリと嫌らしく笑った望恵だったが、美子はそれを一刀両断する。


「迷惑も何も……、そんな根も葉もない事を言われても、笑うしかありません。誰か他の方と見間違ったんでしょう。視力の矯正をお勧めします」

「私の視力は両方とも1.5よ! どこまで惚ける気!?」

 ここで稽古に遅刻してきた上、騒ぎ立てている望恵を窘めようと、野口が会話に割り込んできた。


「加藤さん、いつまでも訳の分からない事を喚き散らすのはお止めなさい」

「私は悪くありません! この女が人を馬鹿にして」

「この前のお稽古の日なら、藤宮さんは駅まで行って忘れ物を思い出して、すぐここに引き返して来ましたよ?」

「え?」

 それから予想外の台詞を聞いて目を瞬かせた望恵を半ば放置して、美子と野口は和やかにその時の事を話し出した。


「あの時は本当に失礼しました。姉妹五人に母がお揃いで刺繍してくれた思い出のハンカチを置き忘れたと思って、更衣室を探しまくってしまって」

「とうとう見つからなくて、念の為に藤宮さんが自宅に電話してみたら、妹さんが置き忘れていたと教えてくれたのよね。あなたがそんなミスをするなんて珍しい事」

 そう言ってころころと笑った野口に、美子は苦笑いしながら軽く頭を下げた。


「本当にお恥ずかしい限りです。先生にも探すのを手伝って頂いて、貴重な休憩時間を台無しにして申し訳ありませんでした」

「良いのよ。残りの休憩時間で、秋の演目について突っ込んだ話ができたし。そのまま夜の稽古も手伝わせてしまって、却って悪かったわ」

「いえ、新規の方もいらっしゃいましたし、普段はお仕事をされている方と顔を合わせる機会があまり無いので、色々興味深いお話が聞けて楽しかったです」

 それを聞いた野口は、思い出した様に言い出した。


「そう言えば、夜の教室の人達と意気投合して、帰りがけに皆で食事に行ったのよね?」

「はい。その次の土曜日、その時に知り合った高梨さんと一緒に、和装小物を買いに行きました。他の人の意見が欲しかったそうで、適切なアドバイスができたかどうかは分かりませんが」

「あら、藤宮さんの見立てなら間違いないわ」

 そして朗らかに笑い合ってから二人は笑顔を消し、この間呆然としていた望恵に向き直り、厳しい口調で糾弾した。


「それで加藤さん。あなたが見たのは、どこのどなたが怪しげな男達に連れ去られた場面なのかは分かりませんが、先程声高に主張したところを見ると、そんな明らかな犯罪現場を目撃していながら、通報していらっしゃらないのよね?」

「え? それは……、だって」

 美子の指摘に望恵が口ごもると、野口が冷静に相槌を打った。


「そうよね。通報していれば、藤宮さんのお宅に警察から確認がいく筈だから、それで間違いだと分かるし。当然通報者であるあなたの所にも、その旨の連絡は入る筈。すなわちあなたが今日ここで、そんな見当違いな事を喚きたてる筈が無いわ」

「あの、でも、それは…………」

 まさか自分が誘拐の手引きをしたからだ、などとは間違っても言えない望恵は、どう言い逃れするべきか咄嗟に判断できずにいると、この間のやり取りを見ていた生徒達が、顔を突き合わせて囁き始めた。


「何? あの人、本当に女の人が連れ去られるのを傍観してたわけ?」

「通報もしないなんて、それって人としてどうなの?」

「ひょっとして藤宮さんと勘違いしたから、わざと通報しなかったとか?」

「ありえる。だってこれまで、藤宮さんに対する見当違いの文句とか悪口とか、散々言ってたもの」

「うわ、性格悪い。って言うか怖い。絶対お近づきになりたくないわ」

「何なの? これまで散々藤宮さんに迷惑をかけておきながら、恩を仇で返すってこの事よね」

 その場全員から冷たい視線を浴び、さすがにこれ以上話を続ける真似はできなかった望恵は、小さく歯軋りをしてから僅かに頭を下げた。


「その……、申し訳ありません。先程口にした内容は、私の見間違いでした」

 その苦し紛れの弁解を聞いた二人は、揃って呆れ顔になる。

「見間違い? 先程あれほど自信満々に、主張していたのにですか?」

「随分物騒な見間違いですね。それとも夜に読みふけった推理小説の内容と現実が、白昼混同したとかですか? お父様の加藤正俊氏は国会議員でもあられる事ですし、そのお名前に傷が付く事は慎んだ方が宜しいでしょうね」

 自然に野口の口調が厳しい物になったが、周囲から向けられる視線も同様だった。


「うわ、現実とフィクションの区別がついてないの?」

「どこまで頭が悪いのよ」

「親が国会議員なの? あんな娘なら、親もどうしようも無さそうね」

 野口が軽く皮肉を言うと再び生徒達も囁き合い、望恵は怒りを露わにして睨んだ。しかしそんな物を野口は全く気に留めず、手を叩きながら生徒達に呼びかける。


「さあ、つまらない事で時間を潰してしまいましたね。お稽古を始めましょう。加藤さんはすぐに着替えて来て下さい。こちらに来てひと月以上経過していますし、一人で着付け位は出来るようになりましたよね?」

「……っ!!」

 野口から明らかに侮蔑的な眼差しを向けられた望恵は、憤怒の形相で無言で稽古場から走り去った。そして彼女が開け放ったままの扉を、一番近くの者が閉めてから稽古が開始されたが、三十分を経過しても望恵が戻って来ない為、野口が指示を出す。


「中根さん、加藤さんの様子を見て来て頂戴」

「分かりました」

 しかし言い付けられた生徒は、すぐに当惑顔で戻って来た。

「先生。更衣室に誰も居ないんですが……」

「ありがとう。稽古に戻って頂戴」

 忌々しげな表情で応じた野口に、美子は控え目に声をかけてみた。


「先生、どうしましょうか」

「どうもこうも……。もう来ないでしょうけど、今月分までの月謝はきっちり請求するわ」

「当然の処置ですね」

 迷い無く断言した野口に、美子も同意して頷いた。そして野口の予想通り、その日を境に望恵がその教室に姿を現す事は無かった。


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