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第6話 とばっちり

「藤宮さん。加藤さんの着付け、終わりました」

 日舞教室で初心者を二つのグループに分けて、基本である舞の首の動きと踊のすり足を教えていた美子の所に、妹弟子がやって来て耳元で囁いた為、美子は小声で礼を述べた。


「棚倉さん、ご苦労様でした。すみません、手が離せなくて」

「これ位、何でもありません。だけどあの人、お稽古に遅刻してきたのに全然悪びれないし、ここに通い始めてひと月近くになるのに未だに一人で着付けができないって、ありえないですよ」

 棚倉はここの主催者である野口の所に行き、遅刻を詫びているらしい望恵を見ながら毒突いたが、美子は苦笑気味に彼女を宥めた。


「一応着付けをしながら、着方を教えてはいるのだけど、私の教え方が拙いみたいね」

 それに棚倉が些かムキになって、小声で言い返す。

「そんな事ありません! 私だって入った当初は藤宮さんに教えて貰いましたが、分かりやすかったです。それに毎回着付けして貰うのは申し訳ないと思って、家で散々練習しましたもの。あの人、絶対家で何もしてませんよ? 小物の名前すら未だに分かっていませんし」

「そうなの?」

「私、着付けをしながら『使用した予備の肌襦袢は一回ごとに洗って保管するので、少しでも汚れない様にする為に、せめて着脱可能な半襟位は持参したらどうですか?』とやんわり嫌味を言ってみたら、『半襟って何ですか?』って真顔で返されました。もう開いた口が塞がらなかったです」

「それは……」

 さすがにフォローできずに黙り込んだ美子に、彼女は怒りを露わにしながら言い募る。


「それに、着付けの間中『藤宮さんの教え方が悪いから、いつまで経っても覚えられない』とか『私とあまり年が違わないのに、指導役をしているなんて、余程先生に媚を売るのが上手いのね』とか、藤宮さんの悪口を言いたい放題で。我慢できなくて『藤宮さんは四歳の時から先生に付いて習ってますし、既に名取です。着付けも出来ないど素人がどうこう言っても片腹痛いだけですね』とはっきり言ったら睨みつけられましたが」

「ごめんなさいね、不快な思いをさせて」

「いえ、悪いのは全面的にあの人ですから。それでは稽古に入らせて貰います」

「ご苦労様でした」

 野口の所から望恵がやって来るのを横目で確認した棚倉は、これ以上係わり合うのはごめんとばかりにそそくさとその場を離れ、入れ替わりに野口の下へと向かった。そして申し訳程度に望恵が自分に頭を下げたのを見てから、美子は他の者達に声をかける。


「じゃあ加藤さんがいらしたから、前回の稽古で練習した、鏑木の中盤の足の動きをおさらいします」

「はい」

 そして手拍子の合間に各人の動きをチェックして所作を教えていったが、案の定望恵は殆ど前回までの事を覚えておらず、前回までと同様、美子がほぼ掛かりきりで指導する事になった。


(この前美実が言ってた様に、踊りを習いに来ているんじゃなさそうね。でも特に面識のない人に、恨みを買う覚えは無いんだけど……)

 間違いを指摘する度に仏頂面を隠そうともしない望恵を見ながら、美子は稽古の間中密かに考え込んでいた。

 結果的にその日も結構精神的に疲労した美子が、生徒達が帰った後で野口に挨拶して教室を出ると、出入り口で望恵が待ち構えていた。


「藤宮さん、ご一緒させて下さい!」

 その申し出に、美子は流石に驚いて目を見張った。

「加藤さん? お帰りになっていなかったんですか?」

「はい、お稽古を始めてから、藤宮さんに毎回お世話になっていますので、今日はお詫びとお礼の意味合いを兼ねて、是非ご馳走したいと思ったもので」

 教室中とは打って変わった愛想の良さに、美子はもはや胡散臭い物しか感じなかった為、やんわりと断りを入れた。


「お気持ちはありがたいのですけど、結構ですから。家に帰って夕飯の支度をしないといけませんし」

「あら、家には小さい妹さんもいらっしゃるけど、それ程年の離れていない妹さんもいらっしゃるんでしょう? そんなに心配されなくても、食事の支度位できますよ。あまり過保護なのは、却って良くないんじゃありません?」

 にこにこしながら、差し出がましい事を言ってきた望恵がさらっと口にした内容に、美子は傍目には分からない程度に眉を顰める。


(個人的に話した事なんか無いのに、どうやら家族構成を含めてこちらの調査は済ませているみたいね。ここで無理に振り切ったり無視して美恵達にとばっちりがいくのは勘弁して欲しいし、取り敢えず付き合ってみましょうか。それで気が済めば良いし)

 そんな風に腹を括った美子は、少し考える素振りをしてから、了承の返事をした。


「そうですね。そこまで仰るなら、この際ご馳走になろうかしら。家には遅くなると連絡を入れておくわ」

「良かった。じゃあ、こっちですから。お薦めの店なんです」

「結構歩くかしら?」

「いえ、駅の近くですから、大して歩きません」

(さて、どんなお店にご招待してくれるのかしら)

 教室の入っているビルは、最寄駅までは徒歩でも十分かからない場所にあり、当初の話通り駅に向かって歩いて行った為、美子は注意しながらも望恵と当たり障りのない世間話をしながら、促されるまま歩いて行った。しかし駅前通りにあと一区画の所で、横道へと逸れる。


「加藤さん? こんな裏通りに、お薦めのお店があるの?」

 雑居ビル同士の間の、広いとは言えない空間を抜けて行きながら美子が尋ねると、望恵は気味が悪い位愛想良く応じる。

「ありますよ? ちょっと離れていますが連れて行って貰えますから。はい、到着です」

 そう言って手荒に美子の手首を掴んだ望恵は、そのまま彼女を引きずる様にして、ビルの突き当たりの空間に向かって進んだ。そこは割と開けた空間であり、左右に伸びる通路から入り込んでいたらしく、一台の大型の白いワンボックスカーが停車していた。その前にスーツ姿の四人の男が佇んでおり、美子達を認めた彼らは、揃って好色そうな笑みを浮かべる。


「あら、随分毛色の変わった方とお友達なのね」

 その美子の皮肉を完全に無視し、望恵は自分達近付いてきた一人の男に向かって美子を押し出しつつ、満面の笑顔で言いつけた。


「約束通り連れて来たわよ。後は宜しく。歓待してあげて」

「分かりました、お嬢さん。俺達で丁重に、おもてなしして差し上げますよ」

「じゃあ藤宮さん、ごきげんよう!」

 男に美子を引き渡すと、望恵は高笑いしながら来た道を戻って行った。それを無言で見送りながら、美子は内心で舌打ちする。


(やれやれ、いきなりこう来るとは、さすがに思ってなかったわね。一応嫌味とか舌戦とか経てからだと思ったのに、そこら辺の常識も無かったわけか)

 しっかり自分の腕を掴んでいる男を含めて、相手は四人。しかも今日は教室の帰りなので和装であり、逃げるにも反撃するにも不利と冷静に判断した美子は、一応自分を拘束している連中に声をかけてみた。


「生憎と私、あなた方に歓待して頂く謂われは無いんですが?」

「まあ、そう仰らずに」

「俺達全員で、じっくりお相手をして差し上げますよ」

「これも仕事の一環でしてね。まあ、こういう仕事は滅多に回って来ませんが」

「うちのボスからすると、お嬢さんはちょっとばかし目障りだったみたいでね」

「因みに、お金を払ったら、開放してくれるって事はないのかしら?」

「ありえませんね」

 そう言って揃って下品な笑いを浮かべた彼等に、手加減の必要性は皆無だと美子は判断した。


(美実との話で引っ掛かりを覚えて、一応用意しておいて良かったわ。後で叔父さんにお礼を言わないと)

 そこで頭の中でハンドバッグに忍ばせてある物を使う算段を立てた美子は、神妙に男達に願い出る。


「解放して貰うのが無理なら、取り敢えず手持ちのお金を全額渡すので、扱いを丁寧にして貰うというのは駄目かしら?」

 軽く首を傾げつつ尋ねてきた美子に、男達は顔を見合わせ、苦笑いしながら応じた。


「まあ、それ位はな」

「俺達も紳士だし」

「貰えるなら、それ相応の扱いはしてやるぜ?」

「じゃあ、先にお渡ししておきますね。お財布を取り出すので、ちょっと手を離して貰えるかしら?」

 それらしき理由を付けて男に手を離させると、美子はバッグの中に右手を入れて、目的の物を探った。それの側面に付いている小さなレバーを九十度起こし、それを回転させて再び倒す。更に円筒形の頭頂部に埋め込まれているピンの引き手に指をかけながら、思わせぶりに言い出した。


「ですが……、四人で均等に分けると、流石に二万ちょっとにしかならないので……」

(どこが紳士よ。見てらっしゃい、女の敵! 5……、4……)

 そしてバッグの中で、分からない様にロックの外れたピンを引き抜いた美子は、頭の中でカウントダウンしつつ早口で宣言した。


「早い者勝ちで、財布を取った人に全額差し上げます! さあ、受け取って!!」

 そう叫びながら、美子はハンドバッグから取り出した拳大の黒い物体を、男達の頭上に放り投げた。


「え? おい!」

「ちょっと待て!」

「それは俺が」

(1……、0!)

 そして反射的にそれを見上げた、欲の皮が突っ張った男達の視線の先で、小型特殊閃光弾が炸裂する。


「何だ!?」

「うわぁぁっ!」

「目がぁっ!!」

 強烈な光とギュィィィンという耳障りな爆音で、男達の視覚と聴覚が一時的に失われたが、美子はそれを投げた次の瞬間顔を背けて目を閉じた上で、耳を塞いでいた為、殆ど影響は無かった。そして躊躇う事ハンドバッグを放り出し、草履を脱ぎ捨てて足袋で表通りに向かって走り出す。


(さあ、三十六計、逃げるに如かずってね!)

「このアマ! ちょっと待て!」

 一人だけ咄嗟に目を背けたのか、目を瞬かせながらも追いすがった男に腕を掴まれた美子は、盛大に舌打ちした。


(しつこいわね! え?)

 背後から左腕を掴まれた為、振り返りつつ体重をかけて殴りかかろうとした美子だったが、急に手が離れて慌てて踏み止まる。何事かと前傾姿勢になっていた体勢を立て直しつつ状況を確認すると、自分を捕まえていた男が、景気良く殴り倒されてアスファルトに転がっていた。


「大丈夫ですか? 藤宮さん」

「……ええ、取り敢えずは。ありがとうございます」

 どう見ても年下にしか見えない品行方正を絵に描いた様な男が、殴った拍子にずれた眼鏡の位置を直しながら気遣わしげに尋ねてきた為、美子は一応礼を述べた。しかし彼の背後から同年配の顔立ちの整った男が、美子が放り出したハンドバッグと草履を手に近付きながら悪態を吐く。


「浩一、街中であんなとんでもない物持ち出す非常識女、大丈夫に決まってんだろ。危うくこっちまで、目をやられるところだったぞ」

「そう言うな清人。しかし神崎先輩のおかげだな」

「全くだ。こんな所でミリタリーマニアが役に立つとは」

 確かに非常識な物を持ち歩いていた自覚はあるだけに、美子はその非難に弁解はしなかった。しかし相手も美子に不必要に絡むつもりは無かったらしく、「どうぞ」と言いながら手にしている物を差し出す。美子も「どうも」と短く礼を言って受け取り草履を履き直してから、現れた二人組に探る様な視線を向けた。


「ところであなた達はどなた? 実は連中の仲間で、安心させた所でどこかに連れ込もうって言う、二段構えの作戦じゃないの?」

 その問いに、二人は顔を見合わせてから答える。

「用心深くて結構ですね」

「僕達は東成大の学生で、白鳥先輩が在学中に設立した武道愛好会に所属している、柏木浩一と佐竹清人です。初めまして。今日は先輩から頼まれて、藤宮さんの護衛をしています。ほら、清人!」

「……初めまして」

 面白く無さそうな顔をしている相方を肘で突きつつ、柏木と名乗った方はポケットから学生証を取り出して美子に差し出した。少し遅れて佐竹がそれに倣い、彼女は手の中の二枚の学生証を見下ろす。


(あいつの後輩? 東成大経済学部の三年……、学生証は本物っぽいけど)

 チラッと色々と対照的な二人を見遣った美子は、すこぶる冷静に要求を繰り出した。

「自動車普通免許証保持者なら、それも見せて頂ける? 学生証だと、割と容易く偽造できそうだし」

「……どうぞ」

「拝見するわ」

 どこか困ったような柏木と益々渋面になった佐竹は、それでも一応素直に持っていた自動車免許を差し出し、それを確認した美子は納得して学生証共々二人に返却した。


「ありがとう。どちらも本物だし、本人みたいね」

「信用して貰えましたか」

 ここで安堵した様に柏木が表情を緩めたが、美子はにこりともせずに正直に告げた。


「信用できるの? 正直に言わせて貰うと、私的にはあの男の後輩って言うだけでアウトなんだけど」

「…………」

 途端に顔を引き攣らせた柏木に、あらぬ方に視線を投げた佐竹。

 どうやら目の前の二人が、全面的に自身の先輩に当たる男を弁護する気は無いらしいと察した美子も無言になり、その場に気まずい空気が漂う。しかしそのまま黙っている訳にもいかず、美子は溜め息を吐いてから根本的な疑問を口にした。


「どうしてあいつの後輩が、私を護衛する必要があるのかしら?」

 その台詞に、柏木が怪訝な顔になる。

「え? 藤宮さんは、先輩とお付き合いされているんですよね?」

「…………全くの無関係です」

 無表情になった上、感情を押し殺した口調での反論に、男二人はひそひそと囁き合った。


「おい、浩一。何だか触れない方が良さそうだ」

「それは分かるが、そうなるとどういう事なんだ?」

(あの男……、私の知らない所で何を放言してるのよ!?)

「おい! 浩一、清人!」

 この場に居ない諸悪の根源を殴り倒したい欲求に駆られた美子だったが、この間半ば忘れていたが、少し離れた場所で三人の男が、柏木達と同様どこからか現れた二人の男に呆気なく道路に転がされてしまっていた。


「ぼちぼち人が集まって来たし、俺達はこいつらを連れて撤収するぞ?」

 二人に呼びかけながら走って来た上背のある男が、目の前に倒れている男を肩に担ぎ上げつつ宣言すると、二人が神妙に応じる。

「はい、後始末は宜しくお願いします」

「おう、任せとけ」

 そしてその男は美子に会釈だけして、彼女を連れ込んで移動する為に準備されていたワンボックスカーに向かって行った。そしてもう一人の仲間と共に、気絶している四人の男を手際よく車内に詰め込み、あっという間に走り去って行ってしまう。


「……ちょっと気の毒だな」

「ああ。先輩達、如何にも良い玩具が手に入ったって顔付きだった」

 ひたすら唖然としている美子の傍らで、二人がどこか遠い目をしながら呟いた。そしてさすがに騒ぎを聞きつけて近くの店舗から様子を見に出て来た者が集まって来たのを察して、美子を促しつつ表通りに向かって歩き出す。


「藤宮さん。これからのご予定は?」

 佐竹に斜め後ろから尋ねられた為、美子は軽く振り返りながら答えた。

「家に帰るだけです。それが何か?」

「できれば、暫く人目に付く所で過ごして欲しいんですが」

「どういう事でしょう?」

「連中にあなたを引き渡した女は、あなたが通っている教室の生徒ですよね? 恐らく次回の稽古の時、何食わぬ顔で出て来るのでは無いですか?」

 それを聞いた美子はピタリと足の動きを止め、何を考えているのか良く分からない整った佐竹の顔を凝視した。そしてすぐに言わんとする内容を理解する。


「私が何食わぬ顔で出て来た場合に噂をバラまくと言う、一応、二段構えの作戦というわけですね? ですがあの手下が失敗したのは、すぐ彼女に伝わるんじゃ無いですか?」

 一応確認を入れてみると、佐竹は肩を竦めてから事情を説明した。


「実はあの連中は、白鳥議員の事務所関係者だそうです。あの女の父親も代議士で、白鳥議員と裏で手を組んでいる関係で今回の話が持ち上がったみたいですから、直接彼女に話が伝わる事はないかと」

「それに彼女、連中にあなたを引き渡したら、その後は興味は無いんじゃないですか? わざわざ白鳥議員側に、詳細を問い合わせる可能性は低いと思いますが」

(あの男を勘当した親絡みだとは薄々思ったけど、他人に迷惑かけないでよね!?)

 同様に立ち止っていた柏木が横から補足説明してきた為、美子は内心で腹立たしく思いながらも納得し、咄嗟に思いついたこれからのプランについて尋ねてみた。


「それは道理ね。分かったわ。これから忘れ物を取りに戻ったと言って教室に行って、先生と適当な話題で話をして、そのまま夜のクラスに参加して初対面の何人かとお友達になって連絡先を交換する、と言うのはどうかしら?」

「完璧です。さすが白鳥先輩の恋人なだけありますね」

 軽く拍手しつつ心底感心した様に柏木が述べた瞬間、とうとう美子の堪忍袋の緒が切れた。


「付き合って無いって言ってるだろ、このメガネ! その耳は二つとも飾りだってのか!?」

 そう怒鳴りつけながら柏木の胸倉を両手で掴み上げると、瞬時に男二人の顔色が変わった。


「……っ!?」

「浩一、止めろ! 落ち着け、殴るな、蹴るな、投げるな!! あんたもその手を離せ!!」

「え? な、何?」

 蒼白になった柏木が何かする前に、彼以上に血相を変えた佐竹が、力任せに相棒から美子の手を引き剥がした。その二人の豹変ぶりに美子が戸惑っていると、男二人で顔を突き合わせてボソボソと何やら呟いてから、佐竹が柏木を庇うようにして美子に向き直る。


「藤宮さん。申し訳ありませんが、ちょっとこいつは女性恐怖症の気があるので、むやみに触らないで下さい」

 それを聞いた美子はさすがに驚き、慌てて謝罪の言葉を口にした。

「え? そうだったの? ごめんなさい悪かったわ、知らなかったものだから。確かに顔色が悪いみたいだけど、大丈夫?」

 心配した美子が体調を尋ねると、まだ幾分顔色が悪い柏木は呼吸を整え、なんとか微笑みながら答える。


「はい、大丈夫ですから、気にしないで下さい。じゃあ行きましょうか」

「ええ」

 そして二人を従えて表通りに出てからも、美子は無言のままある事を考えていたが、一分程経過したところで、軽く振り返りつつ斜め後ろの柏木に尋ねてみた。


「そうすると……、だから柏木さんは私の護衛の方に回ったわけ? そういう事情で、女の私に変な事をする筈が無いって事で」

「そういう事情だけでは無いと思いますが」

 思わず苦笑した柏木から、美子は佐竹に視線を移した。

「じゃあ佐竹さんの方は女性恐怖症って風には見えないし、男にしか興味が無いとか柏木さんが恋人だから、私を襲う心配は無いとか?」

「え?」

 不思議そうに尋ねた美子とは対照的に、佐竹は傍目にも分かるほど顔を強張らせた。しかしそれに構わず、美子は自分の考えに浸りつつ歩き続ける。


「でも見た目、二人とも受けなのよね。カップリング的にはどうなのかと思うんだけど」

「……藤宮さん? 何を言ってるんですか?」

 怒気を孕んだ佐竹の言葉にも動じず、美子は淡々と話を続けた。


「二番目の妹が、以前『面白いし世界が広がるから読んでみて!』って強引に押し付けてきたBL本を読んだ事があるんだけど、あなた達がそれの登場人物っぽいなぁって思って。褒めてるのよ? 二人とも腕は立つみたいだけど脳筋じゃない、見事にタイプの違うイケメンだし」

「あんたなぁっ!」

「落ち着け、清人! 藤宮さんに全く悪気は無いんだ! 一応イケメンだと褒めてくれてるし!」

 そこで憤怒の形相で彼女に詰め寄ろうとした佐竹を、柏木が必死の形相で押さえ込んだ。そして二人が足を止めた為、自然に美子も立ち止って引き続き自説を述べる。


「あ、そうか。柏木さんの方が普段は気弱なお姫様体質だけど、実は眼鏡を外すと鬼畜な攻め役に豹変って言うなら、ストーリー的に問題は無いわね。普段の女性恐怖症とのギャップとその二重人格キャラは、寧ろ萌え度倍増かしら?」

 そう言って「うんうん」と一人で納得している美子を、ポカンとした表情で眺めやった男二人は、我に返った瞬間、先程とは立場が逆転した。


「清人、離せ!! 今なら女だろうがなんだろうが、殴り倒せる気がしてきた!!」

「それは大いにめでたいが、白鳥先輩の女だけは止めろ!! お前、一生を棒に振りたいのか!?」

 柏木を羽交い絞めにしながら、必死に言い聞かせる佐竹の言葉に、美子が盛大に噛みつく。

「だから、私はあいつの女でも何でも無いって言ってるでしょうが!! あんた達、本当に東成大の現役学生なの!? 頭悪過ぎよ!!」

「頭がおかしい事ほざいてんのは、あんたの方だ!!」

「何ですって!?」

 そして駅前通りに出た直後に、乱闘寸前の怒鳴り合いを始めてしまった三人は、周囲の視線を集めている事に気付くまでの数分間、ぎゃいぎゃいといがみ合っていたのだった。



 それから約五時間後。タクシーの後部座席から、美子が自宅の門の中に入るのを見届けた佐竹は、溜め息を吐いて携帯電話を取り出し、登録してある番号に電話をかけた。


「先輩、取り敢えず彼女はタクシーで帰宅しました」

「清人、お前まさか彼女がタクシーに乗ったのを、間抜け面で見送っただけじゃあるまいな?」

 若干不機嫌そうに確認を入れてきた秀明に、佐竹は舌打ちを堪えながら説明を加える。


「説明不足でした。乗ったタクシーの後を付けて、彼女が自宅の門の前で降りて敷地内に入った事を確認しました。これで宜しいですか?」

「結構だ。今日はご苦労だったな。彼女に関しては、もう頼む事は無いと思う」

「本当に、これっきりにして下さいよ? 浩一の疲労度が半端じゃ無いもので。あの女、よりにもよって、稽古が終わってから若い女性に人気の、洋風居酒屋を銘打ってる所に繰り出しやがって……」

 心底忌々しげに吐き出した佐竹に、電話の向こうから苦笑が返って来る。


「それは悪かった。浩一にはお前から詫びておいてくれ。俺が直接声をかけたら、疲労度が倍増すると思うからな」

 その台詞に、彼は隣でぐったりと背もたれに体を預けている柏木に目を向けてから、話題を変えた。


「お気遣い感謝します。ところで、あのゴミどもの始末はどうするつもりですか?」

「あれなら当面は葛西達に任せた。なんでも葛西の奴が、催眠術の実験台にしたいとかほざいたからな。俺が最後に利用するから、皆には好きに遊んでも良いが廃人にはするなと言っておいた。あいつらの事だから、そこら辺は上手くやるだろう」

 くつくつと笑いを堪えきれずに伝えてきた相手に、佐竹は神妙に応じた。


「……聞かなかった事にします」

「浩一にも言わないでおけ。心の平安の為にな。じゃあ、今日は助かった。またな」

 そこで通話を終えて携帯をしまい込んだ佐竹に、柏木が短く尋ねてくる。


「先輩は何だって?」

「色々、面倒かけて悪かったとさ。あと、あの女絡みで、また頼まれる事は無さそうだ」

「それは良かった」

「じゃあさっさと帰るぞ」

 そして先輩からの無茶振り指令を何とかこなした二人は、自宅の住所を運転手に告げてその場から去って行った。


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